第22話 ふさわしい名を与える
――時は少々遡る。
石牢の部屋でヴォルフラムを見送ったロッタは、外でなにやら騒動が起きていることに気が付いていた。何度がリーヌスに連絡もとったが、あちらはあちらで込み合っているらしい、【人の来ない所で隠れてるにゃ!】と指示を受けたので、そのまま石牢にとどまっていたのだが。
「だっ、大丈夫だぞ! きっとお姉さんたちが助けに来てくれるから」
轟音と共に揺れる部屋の隅で膝を抱える男女を励ますように、ロッタは努めて明るい声を出した。正直、テオやリーヌスがこんな大きな音を立てるほど暴れているとは思っていない。ヴォルフラムですら、こんなに激しく暴れたりはできないだろう。
もしかしたら、何か、巨大なものと戦っているのかもしれない。
ロッタの小さな胸は不安でいっぱいになる。閉じ込められている男女はそんな不安も、外の騒動も知らないという顔で、檻の隅でぼんやりとしているだけだ。放っておけないと感じているが、もしもの時、彼女たちを守る自信はなかった。
【ロッタ!】
耳につけた通信機から声が聞こえてきた。
【猫のお姉さん! 今、どうなってるんだぞ!?】
【ヴォルフラムは檻から出したにゃ。今、テオと一緒にキマイラと戦ってる。おみゃ~はどこにいるにゃ? さっさとずらかるにゃよ】
ヴォルフラムは自由の身になったらしい。ロッタはほっと息を吐いた。
【ちょっと待ってるんだぞ。今、外に出るから……うぎゃっ!?】
ロッタは石牢の部屋から飛び出した。飛び出した先で、何か大きなものとぶつかってひっくり返る。
「えっ、からくりのお兄さん?」
ディーデリヒかと思った。――だが、違う。少しだけ雰囲気は似ているが、もっと年嵩の男だった。
「なんだ……妖精?」
無遠慮に伸ばされた手に握られた腕が痛くて思わず声が出た。
「痛いんだぞ! 離せよぅ!」
「あの女どもの仲間か……忌々しい」
「ひぇっ」
ジロリと睨まれて萎縮してしまう。恐怖で硬直してしまったロッタに、魔法を使って逃れるという選択肢はなかった。
「こんなのでも、次回の足しにはなるか」
行き掛けの駄賃とばかりに、男――モーリッツはロッタを引きずりながら、奥にある自室を目指す。あそこには脱出用の転移魔法のスクロールが保管してあった。あれを使えば8番街の外れにはるセーフハウスまで一瞬で移動できる。必要なものだけを持ってしばらく行方を眩ませよう。ディーデリヒに目を付けられたという事は、島の中での興業は難しくなるだろう。次回は、島の外で開催する方がいいかもしれない。
「ま、待つにゃ~!」
部屋にたどり着いたモーリッツが、まさに転移用のスクロールに手を伸ばそうとした時、後ろから甲高い声と共に何かを投げつけられた。机に当たって転がるそれは、深い青色に金のリボンを付けたミュールだ。振り返ると、先ほどまで赤毛の令嬢と共にいた金髪の獣憑きが、肩で息をしながらこちらを睨んでいる。
「おチビを離すのにゃ! この、悪党!」
勢いよく啖呵を切ったは良いものの、リーヌスは内心冷や汗が止まらなかった。
裏社会で生きて来たリーヌスは、人間の悪い所も汚い所もたくさん見て来たし、こういう場は恐ろしいと感じてはいるが、まあ、慣れている。けれど、あくまでリーヌスは情報屋なのだ。暴力を暴力で返したり、荒事に真っ向から首を突っ込むことなどはしない。
(おチビを離してとっとと逃げてくれにゃ~っ!)
天にもすがる気持ちを隠してモーリッツを睨みつける。逃げの一手しかないのだと思い込ませなければならない。それでいて、ロッタからは手を離させなければならないのだ。これがなかなかに難しい。
「まだ仲間がいたのか。羽虫のようにうじゃうじゃと……」
案の定、モーリッツはリーヌスの啖呵を鼻で笑った。
モーリッツ・ハーバーは己が悪党だということは既に自覚している。彼は一切の良心の呵責なく、己の欲のままに他人を食い物にしてきた。これからもそうするつもりだ。捕まる気などは毛頭ない。たかだか女の獣憑きと小さな妖精に何ができるというのか。
机の上に刻まれた青く光り輝く文様に手を伸ばす。転移用の魔法陣だ。
(駄目だ。逃げられる……!)
「え~い!」
リーヌスが諦めかけた時、肩の上にいたロッタが元気な掛け声と共に突風を巻き起こした。
妖精は大きな魔力と種族特有の魔法を使うことができる。彼女はまだ幼いため上手く扱えないようだが、威力だけは十分すぎるほどに強力だ。
部屋の中を引っ掻き回したつむじ風は、壁や床などに満遍なく薄い傷をつけ、それは机の上に刻まれた魔法陣にも至った。光を失った魔法陣に触れてもモーリッツの姿が消えることはない。陣を壊されたことで効力は失われたのだ。
風はモーリッツの身体までも刻んだ。
長い髪をザンバラに切り落とし、頬を裂き、仕立ての良い服を斬り裂いていく。上等な紳士然としたいでたちは、あっという間にみるも無残な有様となってしまった。
斬り裂かれた頬からたらり、と血が流れ落ちる。ずたずたにされた顔で茫然とドアの前に立つ女を見る。驚いた顔をしている金髪の獣憑きの影に、己の手から逃れた妖精が逃げ込むのが見えた。
「ひ、人にひどい事をするからそうなるんだぞ!」
「そ、そうにゃそうにゃ!」
まさかこんなに威力が出るとは思っていなかった妖精が、冷や汗をかきながら叫んだ。同調するようにリーヌスも声をあげる。
「ふ、は……ははは」
「きゅ、急に笑い出したにゃ」
「怖いんだぞ……」
顔をおさえて急に笑い出したモーリッツに2人は慄いた。どうやら、自分たちは彼の踏んではならない尾を踏んでしまったらしい。
「舐めた真似をしてくれるじゃないか……」
低い声が掌越しに空気を震わせる。
彼の中にあるのは、下々の者に傷をつけられたという度し難い怒りのみだ。
モーリッツ・ハーバーはハーバー家の次男として生を受けた。
見目もぱっとしない、頭の出来も、魔法を並みの域を出ない兄よりも、あらゆる才覚にすぐれていた。それは次代の領主は彼になるだろうと目されるほどだった。――それがよくなかったのだろう。
成長するにつれて、モーリッツは他人を虐げ、従えることを当然と思うようになっていった。尊大に増長し、周囲の大人や兄が諫めても、まったく聞く耳を持たなかった。彼にとって兄や、兄を支持する大人は皆、蒙昧な愚者でしかなかったからである。
結局、この爆発的な怒りっぽさと、強烈な選民思想によって、領主になることはなく8番街に押し込められることになった。
それでも彼は自分以外の他人は取るに足らない愚昧と思っているし、平民は自分にへつらうものだと認識している。妖精や獣憑きなどは同じ人間ですらない。
そんな者どもに傷を付けられることは、彼にとって最大の侮辱であるのだ。
「
モーリッツの手が赤く光った。
火柱が出現し、リーヌスたちを襲う。リーヌスはロッタを胸に抱え込みながら、必死に横へ跳んで躱した。
「お前たちのような下賤の者は、地べたに這いつくばって俺のご機嫌伺いをしてればいいんだよ」
ざりざりと足を引きずるようにして近づいてくる足音を聞いて飛び起きたロッタは、傍らで倒れこんでいるリーヌスを揺すった。
「猫のお姉さん! 起きて……」
「ひ……」
リーヌスの様子がおかしい。
いつもの飄々とした笑みは消え失せ、床に転がったまま肩を震わせている。その眼は恐怖に震えており、ここではない別の場所を見ているかのように虚ろだ。
「火……火が……みんな、燃えてしまう……」
「何を言って……」
戦慄く唇が「ねえさま」と紡いだのを見た時、頬に強い衝撃を与えられてロッタの身体は吹き飛ばされた。モーリッツが蹴り飛ばしたのだ。軽い身体はたやすく吹き飛び、1m先をぼてぼてと転がる。
「好い様だなぁ! それでいい! 床に額をつけて泣いて赦しを乞え!」
男は腹を抱えて笑う。ふと足元を見ると、獣憑きの様子がおかしい事に気が付いた。
蹴り飛ばされた妖精のことなど目に入らないかのように震える女。
この女の目、これは――見慣れた目だ。これは今、過去に与えられた恐怖を幻視している。
「火が怖いのか? ん?」
「ひ……火が……わたしは……」
息も絶え絶えに紡ぐ女の頭を男は踏みつけた。短い悲鳴を聞きながら、容赦なくもう1度足を振り下ろす。
「獣が人の言葉を喋るな」
モーリッツは気絶した2人を引きずりながら引き返して来た。
そろそろキマイラがあの赤毛の女も、会場に残っていた客たちも食い殺した頃だろうと思ったのだ。この2匹も獣の餌にしてしまおう。のこのこと地下に降りてくるだろう治安維持隊やディーデリヒの処理はその後でいい。
――それだというのに、これはどういうことだ。
モーリッツは頬をひくつかせた。
キマイラは赤毛の女を食い殺してなどいなかったし、会場内に死体は1つもない。それどころか、瀕死の傷を負って蹲っているではないか。
「おいおい、いつ私が眠っていいと言ったんだ?」
ご主人様の声にキマイラはびくりと身体を震わせた。
かの獣にとって、この者の声は聞き逃してはならないものだ。どんな責め苦の最中でも、これだけは取りこぼしてはならない。取りこぼせば、もっと苦しい目に遭う。本来、獣の方がモーリッツよりも強靭で強い筈だ。けれど、身体に刻まれた痛みが、恐怖が、キマイラの意思を縛り付けていた。
キマイラは動かぬはずの身体を無理やりに動かした。苦悶の唸り声をあげながら立ち上がる。
「2人を離してください」
満足そうに頷くモーリッツに向けてテオが拳銃を向けた。しかし、男は怒りのあまり気が触れてしまったのか、どこを見ているのかわからない目でテオの方を見る。
「貧乏人が汚い息を吐くな」
そうしてぽいとごみを道端に棄てるかのような動作で、小さなロッタを獣の方へ放り投げた。
「餌だ。落とすなよ」
その命令に従うのがすべてであるかのように、キマイラは今まで戦っていた2人を無視して動き出す。意識のない、片羽の妖精めがけて牙を剥く。
「ロッタ!」
「ロッタちゃん!」
駆けだすのは同時だった。だが、格段にヴォルフラムの方が早い。彼はあっという間にテオを追い抜き、投げ飛ばされたロッタを中空で受け止めた。迫りくるキメラの牙に飛び込む形になりながらも、片手の刃で叩き折る。
「うらぁっ!」
片腕での連撃。しかし、威力は今までのどの一撃よりも力が乗った。巨大な鼻面を裂き、舌を裂き、喉笛を斬りこんでいく。上あごと下あごを大きく引き離されたキメラは、想像していたよりもあっけない痛みの中で絶命した。
着地したヴォルフラムは追い付いてきたテオにロッタを渡す。まろい頬が赤く腫れているのを見て悔しそうに奥歯を噛む。モーリッツに向き直った顔には強い怒りが刻まれていた。
「おい、猫耳女をかえせよ」
「獣風情が俺に指図するな。犬は犬らしく地面に伏せて尻尾を振っていればいいんだ」
モーリッツはヴォルフラムを見てにやりと笑う。
「そんなカルマを抱えてるんだ。お前にとっては人に従うことこそが喜びなんじゃないか?」
「!」
ヴォルフラムは驚いた顔でモーリッツを見た。
「何で知ってる? って顔だな。これから売る商品のことは、隅から隅まで調べるさ」
あざけるように男は嗤う。
「必死で隠してきたんだろう? なんせカルマは宿主の宿命だからな。生まれ持った業であり、これからの人生の縮図でもあり、魂の形を現している。……お前は誰かに支配されないと生きてゆけないんだよ」
「ちが……」
「違わないさ。隠さなくていい。俺は歓迎する。ご主人様が欲しいなら素直にそう言えよ」
声を震わせるヴォルフラムの言葉を遮るように、モーリッツは嗤う。
ヴォルフラムは違うと言いたかった。言いたかったが、現に、自分はテオを主人にしているのだ。自分の気持ちとは関係なく、カルマはテオを選んでいる。この能力が、己の魂の形だというのなら――それは、そういう事ではないのだろうか。
「いいえ、違います」
テオが割り込んだ。きっぱりと否定したテオに、モーリッツは可愛そうな者を見る目をする。
「お前にはわからないのか?」
「逆に、どうしてあなたにはわからないのか、甚だ疑問ですね」
呆れたように肩をすくめながらテオは「おつむの出来が違うので仕方ありませんが」と付け足した。彼女の放った余計な一言にモーリッツは怒りで顔を赤くする。
「テオ、俺は……」
「あなたは、普段は僕を主人に指定している。けれどロッタちゃんを守る時は、彼女を主人に指定していた。僕はずっと《鑑定眼》で見ていました。――あなたは、守るべき対象を自分の心で選んでいるんです。そのカルマはけして、あなたを誰かの奴隷たらしめる力ではない」
《鑑定眼》で彼を見ているテオは、彼のカルマとして表示されるスキル名を見た。中空に浮かぶ、彼女にしか見えない文字の羅列。
そして――触れる、と思った。
どうしてそんな事ができると思ったのか、テオにはわからなかった。けれど、できるならやろうと思った。彼の心を悩ませるこのカルマを、もっと彼にふさわしいものへと描き換えるのだ。
白くて細い指が不可視の文字列をなぞる。
その動きはまるで絵描きが指でキャンパスに絵を描くように見えた。透明なキャンパスを前に、他人には見えない絵具で、絵を描いている。少なくとも、ヴォルフラムにはそう見えた。
「お前、何を……」
「なんだ? 何をしている……!」
その異変はカルマの宿主であるヴォルフラムにも、その能力値をのぞき見しているモーリッツにもわかった。
ヴォルフラムは自分の中で何かが変わっていくのを感じていた。
けれど、恐ろしいという不安はない。不思議だ。むしろ力が湧いてくるような、心地がいいような、そんな感覚すらある。
「どうしてお前のような平民がそんな力を持っている!」
異変を察知したモーリッツは突然叫んだ。
呼び出した炎で出来た人型は、燃え盛る体をゆらゆらと揺らしながら2人に襲い掛かってくる。炎で出来たそれらをヴォルフラムは容易く鉄の刃で引き裂いた。踊るように軽やかに、流れるような動作で炎の間を縫い、モーリッツへ迫まる。
「くそっ」
モーリッツはリーヌスを盾にしようとした。
行動に移そうとした瞬間、パンパンと軽い破裂音が聞こえて肩に激痛が走る。鉛玉が撃ち込まれたのだ。
「させませんよ。クソ外道」
白煙を漂わせる小銃を構えるテオをにらんだ時には、ヴォルフラムが目の前に迫っていた。
顎に掌底を打ち込まれて、手を緩めた隙に獣憑きを奪われる。両手で女の身体を抱えたまま、ヴォルフラムは旋回し、痛烈な後ろ蹴りを放った。
「ぐぎゃ」
かかとを頬に食らったモーリッツは数メートルほど後方に吹き飛び、そのまま動かなくなった。
(なんだ……これ)
モーリッツを吹き飛ばし、リーヌスを横抱きに抱えたヴォルフラムは、自分の身体が本当に自分のものか信じられなかった。
今までと全く違うのだ。
体が軽い、力が湧く、そして何より魔法を斬り裂くなんて芸当は、ヴォルフラムの剣さばきを持ってしてもできなかった。――それを可能にするこの力は。
彼のカルマ《付き従うもの》はテオによって《守護するもの》に書き換えられた。
彼女はヴォルフラムのカルマに、自分が思う彼の姿を重ね塗りしたのだ。
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