第21話 VSキマイラ

 猛々しく突進してくる異形の化け物の攻撃を、テオはすんでの所で回避できていた。椅子の背をひょいと跳んで追撃をかわす。障害物の多い座席の周りを《透過》を交えながら上手く駆け抜けていった。

 

(時間を稼いでいる間に、上から援軍でも来てくれませんかね)


 これだけ騒ぎを起こしたのだ。今頃、地上には仮面を付けた淑女と紳士があふれかえっている事だろう。いい加減ディーデリヒにも動いて欲しい。

 息を乱しながらもぼんやりとそのような事を思ったが、そんな悠長な事は言わせないとばかりに瓦礫が飛んで来た。1擊目を《透過》ですり抜け、2擊目は自分の足でかわす。前に跳んで転がったが、殆ど転ける形になった。膝から血が出ている。床に転がっていたグラスの破片で切ったのだ。


「賢いじゃ、ないですか。脳ミソまで筋肉ってかんじなのに」


 肩で息をしながらも、余計な一言は忘れない。獣は怒ったように低く鳴いた。どうやら人間の言葉がわかるらしい。

 最初は勢い任せだった獣は、頭の血が下がってきたことで少々冷静になってきたようだった。この四足動物が道具を使ってくるなんて、誰が予想しようか。

 

(たった15秒の《透過》のインターバルが、今は惜しい)

 

 キマイラは瓦礫を巧みに飛ばし、テオの進行を妨げてくる。瓦礫の山を背に、ついにテオはキマイラと正面から対峙することになってしまった。蟻の行進を妨げるような無邪気さで、自分を仕留めに来た獣を前に奥歯を噛む。

 ようやく追い詰めたぞとばかりに鼻を鳴らし、小さい割にしぶとかった獲物を食いちぎらんと牙が迫る。


(掛かった)


 ここで、テオは不敵に笑った。

 彼女の右手から溢れる水が、たちまち巨大な水球となり獅子の頭を覆う。なけなしの魔力を動員した《浮遊する水牢》だ。これで呼吸もできないだろう。

 このスキルの短所は圧倒的に動きが遅いことだ。逃げ場がない閉所に追い詰められたからこそ使えた。


(けど、思ったより近い……っ)


 想定よりも接近を許してしまった。

 獣が苦し紛れに振るった巨大なかぎ爪が、テオにめがけて振り下ろされる。


「ぅぎっ!!」

「……! ヴォルくん!?」


 そこへ割って入ったのはヴォルフラムだった。リーヌスのよって解放された彼は、瓦礫の波を縫うように高速で抜け、テオを小脇に抱えて上に跳んだのだ。その際に足の表面をかぎ爪に撫でられて、紫の相貌が痛みに歪む。


「来てくれたんですね」

「たりめ~だ。……相棒、なんだろ?」


 歯を見せて笑うヴォルフラムに、頷きながら地面に降りる。視線を下げると、彼の脛のあたりが抉れて、血が滲んでいるのが見えた。


「でも、あなた、怪我を」

「こんくらい何ともね~わ」


 言いながらヴォルフラムはすねのあたりを手で触れた。すると指先からこぼれた白い光がみるみるうちに傷口を塞いでいく。時間にして数秒か。浅い怪我ではなかったが、あっという間に完治させて、ぱっと手を放した。


「ほらな」


 にかり、と歯を見せて得意げ笑うのを見て、テオを安心したように息をついた。

 

「あなた、随分と……上達したんですね」

「練習したんだぜ、あれから」


 テオに会わない間、ダンジョンに潜る以外にも回復魔法の修練を地道にこなしていたらしい。《鑑定眼》で確認したところ、大した魔力消費も見られなかった。彼は、しばらく見ないうちに格段に成長しているのだ。

「べ、別にお前が地道にやれっつ~からやってみた訳じゃねえぞ。やっぱり出来ると便利だなって思ってそれで……」

「わかってますよ」

 

 視線を泳がすヴォルフラムに向かって微笑む。

 

「随分、立派な冒険者になられました」


(それに比べて、僕は……)


 テオは目を伏せた。

 平均よりも小さな身体。小枝のような手足。どうあがいても凡庸の値を出ない身体能力。

 相棒などと嘯きながら、急速に成長していく彼の後ろ姿を眺めているような気分になっていた。事実、テオ自身は何も変わっていない。使う能力だって全て他人からの借り物だ。その多彩さも、今まで見せたもので殆ど打ち止めだ。


 白状するならば、テオはずっと冒険者になりたかった。

 父に「冒険者にはなるな」と言われた時も、冒険者になりたかった。

 父が病に倒れて死んだ後も、冒険者になりたかった。

 兄に「ダンジョンに連れてってやろうか」と聞かれて首を振った時も、冒険者になりたかった。

 いなくなった兄の捜索依頼をギルドの掲示板に貼りだした時も、冒険者になりたかった。


 ――冒険者になって、自分で、兄を探しに行きたかった。


(いい加減、僕も腹を括らなければ)


 天国にいる父が許さなくても、自分がそうなりたいのだと言わなければ。

 いや、言いたい。これから先も、彼の相棒を名乗るために――。


「テオ!」


 鋭い呼び声で意識を戻された。傍らにいるヴォルフラムを掴んで《透過》する。スルリと白山羊の後ろ足がすり抜けていく。ヴォルフラムはテオを抱えて腹の下を潜り抜けた。


「おいおい、アイツ、息できねえのに生きてんぞ!」

「……キマイラ、だからですかね」

「もっと、わかりやすく!」

「尻尾にもう1つ頭があります」

「クソ蛇か!」


 あれは尻尾だが、口と鼻があるのだから呼吸ができてもおかしくはない。

 ぽいとテオを床に放ったヴォルフラムは、キマイラの尻に向かって駆け出した。

 高く跳躍し、腰から抜いた両刃の短剣で蛇の頭を狙う。シュウシュウと酸欠に苦しむ大蛇は、背中に降り立ったヴォルフラムをはたき落とそうと牙を剥いた。鋭い牙が横薙ぎにされた双剣によって叩き折られて、地面に転がる。


「これは……毒腺どくせん?」


 テオの足元に転がった牙からは、どろりとした毒々しい緑の液体が滴っている。

 思えば異形の身体に生えた蛇だ。毒を持っていてもおかしくはない。


「ヴォルくん! 毒に気を付けて!」

「わかってんよ!」


 言いながらキマイラの分析を始める。《鑑定眼》自体はずっと使っていたのだが、結局のところ見るのは目視であるので、落ち着いた環境でないと正確に把握するのは難しい。人間が一度に処理できる情報には限界があるのだ。

 魔物にはギフトもカルマもがないが、身体の構造くらいは読み取れる。思った通り毒腺はあった。強さの程度はわからないが、神経毒だろうということはわかる。


(あとは……思った通り肺が2対、脳が2つに、心臓が2つ……それと、火炎袋!?)


 その時、カチッカチッと石を打ち鳴らすような音が聞こえた。大蛇が歯を鳴らしているのだ。シュアァ~と喉の奥から威嚇音いかくおんとは違う音を出している。


(火炎袋は食べ物を消化した際に出るガスを貯める器官。これに放出しながら歯を打ち鳴らして火花を起こすことで着火する……)


 ならばこれは――きっと着火の合図だ。


「伏せて! 火が来ます!」

「!?」


 ゴウッと大蛇の口から飛んできた炎の柱をヴォルフラムはすんでの所で避けた。ゴロゴロと白い背中を転がり落ちて、4点着地でテオの傍に戻って来る。

 避けた炎は獅子の頭に当たったが、水球により打ち消された。しかし、大蛇は炎の放出をやめることはなく、むしろ火力を増していく。大きな炎はじゅうじゅうと水球を蒸発させていき、あたり一面に白いもやをまきちらしながら、獰猛どうもうな獅子の頭が復活する。


「……面倒だなオイ、2つ頭があるとよ」

「有力な倒し方の1つとして、両方の頭を同時に驚かすというものがありますが……」

「コカトリスとかの奴だろそれ」


 コカトリスはダンジョンの浅い層に出る、蛇の尾を持った鶏の魔物だ。鶏よりは数倍大きいが、今目の前にいる人間を軽く凌駕する化物ような、恐ろしいものではない。


「驚かすって言ったってどうやって?」

「やってみるんですか?」

「今の所それしか案がね~じゃね~か! やってやんよ!」

「私は頭、貴方は尾です」

「ア? 逆だろ?」

「……策があります。あなたは尾の方には押し勝ってましたし、毒にも対応できるでしょう」

「まあいいぜ、言い争ってる場合じゃね~し、な!」


 襲い掛かってきた蹄の突きを左右に別れて避ける。そのまま左右に分かれて走った。テオは途中で床に転がる蛇の牙を拾う。


「こっちだ蛇野郎!」

「ウジムシ面の脳筋獅子! こっちですよ!」


 同時に出た罵倒に反応した獅子が怒ったような顔でテオに向かってくる。遠くでヴォルフラムも驚いた顔でこちらを見ていた。テオの口から出た予想外な罵倒に驚いているのだ。そんな事はどうでもいいから前を見ろと目くばせすると、慌てて前を向く。


 テオの方に向かってきた獅子が歯を鳴らす。これも火を噴く合図だ。

 直接見たのでわかっていた。キマイラの炎袋は胃袋の下にある。そこから伸びる燃料管は、2本だった。前と後ろにそれぞれ伸びている。つまり、獅子の方でも火は噴けるのだ。


「《浮遊する水牢》!」

 

 ボッと吹かれた火の玉に向かって小さな水球をぶつけて相殺する。あっという間に白い蒸気になって消えてしまうが、それが狙いだ。テオは蒸気に紛れてそっと身を潜めた。




 うぅ~ぐるる……。

 キマイラは立ち込める白い煙の中、不機嫌そうに唸った。

 その獣は苛立っている。彼は度重ねた調教のために、主人から与えられた餌しか食べられない。食事と睡眠だけが安らぎの時間だ。それなのに、オークション中に眠ってしまうといけないからと、今日は朝から少しも口にしていない。

 ようやく食べて良いと言われた獲物は随分と小柄な人間だった。足元や背中をちょこまかと動き回るのがうっとうしい。片目をやられて視界も悪い。この場所はなんだってこんなに色んな匂いがするんだ。空腹も相まって苛立ちばかりが募る。


 ふと、白い煙の中に人型の影を見た。――きっとあの人間だ。

 獣は反射的に揺らめくその影に食らいついた。人間をはるかに凌駕する速さで迫る牙を、影は避けることもせずに受け入れた。

 ばしゃり、と影が口の中で崩れる。これは、人間の肉ではない。

 あまりの不味さに獣は呻いた。この醜悪な味がする液体はいったい何なのだ!


「……!」


 もがく最中、白い煙の向こうに赤毛の女を見つけた。囮に食らいついている獣に向けてまっすぐ、銀色に光る回転式拳銃を構えている。あの何もかもを見通すような緑の瞳が、銃弾などよりも鋭く獣の姿を貫いていた。




 テオが水蒸気の煙幕の中に残したのは、人型に保った水の塊だった。拾った蛇頭の毒の牙を中に入れることで、何の変哲もない水の塊が強力な毒の罠に変えたのだ。猛毒の水を大量に飲み込んだ獣はもがき苦しんでいるが、もうその巨大な体躯に力はない。

 テオは獣を撃った。

 両手で構えた回転式拳銃の撃鉄を起こし、引鉄を引く。パン、と大きな破裂音と共に両手が反動で上にあがった。

 白い硝煙をまき散らしながら放たれた弾丸は、吸い込まれるように獣の目に向かって行く。視界を奪われた獣は、痛みと暗闇に驚いてその場に蹲った。


「ヴォルくん!」

「わ~ってんよ!」


 尻もちを着いたまま相棒を呼べば、威勢のいい返事が返ってきた。

 獣の背後に回り込んだヴォルフラムは、小刻みに体を震わせて膝をつく胴に慌てた蛇の首を、3度ほど斬りつけて切断する。1回で断ずるには、短刀では長さが足りなかった。


「……やりました、ね」


 緊張を解くようにゆっくりと息を吐くテオの下にヴォルフラムが駆け寄ってくる。じろじろと頭のてっぺんからつま先までを観察してくる狼に、「どこも怪我してませんよ」と両手を広げてみせれば、あからさまにほっとしたような顔をする。


「……べ、別に心配なんてしてね~けどな!」


 こんな事を宣っているが、ニコニコしているので説得力はない。

 テオが無言で手を上げると、ヴォルフラムは嬉しそうに大きな手を重ねる。控え目なハイタッチを交わした2人が微笑み合っていると、そこへ別の声が投げかけられた。


「おいおい、いつ私が眠っていいと言ったんだ?」


 驚いて声のする方を見ると、声の主はモーリッツ・ハーバーだった。逃げ出した筈の男が戻って来たのだ。ただ、その姿はひどいもので、髪は乱れ、服は焼け焦げ、相当激しく争ったのだろうことが伺える。何より彼の手は無造作に他人の髪を掴み、引きずっていた。

 テオとヴォルフラムはその者たちに覚えがある。

 ――小さな妖精ロッタと、情報屋リーヌスだった。

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