第20話 正面突破

 人間市場のオークショニアであるモーリッツ・ハーバーは辟易していた。

 いらいらとした様子で中指に嵌めた指輪を触っている。白髪交じりの金髪の後ろで1つに括った姿は、どこか正装をしたディーデリヒに似ていた。それもその筈、彼はディーデリヒと血のつながった叔父である。

 領主の兄から土地のいくばくかを掠め取り、時間と金を持て余して金持ちご用達の歓楽街を作った。それだけでは飽き足らず、人間市場なんてものにまで手を広げてしまっている。手間はかかるが、利益も大きい。それだけに面白い事業だ。

 だが、今の状況は好ましくない。


(今回のオークションも盛況だった――あの赤毛の令嬢が現れるまでは)


 人間市場に突如現れた、背の低い赤毛の令嬢。

 黒地のシンプルなドレスと紫の仮面をつけた彼女は従者を引き連れていた。それ自体は珍しい事ではない。この会場は、顧客が買った人間を見せびらかす場でもあるのだから。問題はその従者が獣憑きであったことだ。

 壇上からはどんな獣憑きであったのかまでは見えなかったが、金髪で女であったのはわかる。あとは顧客からの情報ではあるが、主観が多分に混じっているため参考にできない。

 獣憑きは絶対数が少ない。それでも少し前までは探せば見つけ出せたが、ここ最近はめっきり手に入らなくなってしまった。

 人体を蒐集している者にとっては涎が出るほど欲しい商品。

 彼女がさっそうと現れて獣憑きとの仲を見せつけていったせいで、モーリッツのもとには獣憑きの納品を求める声がひっきりなしに届いていた。


(一体何者だ? 私の招待した客にあのような令嬢はいなかった筈だ……とすると、会員の誰かが連れて来たのか)


 まったく、余計なことを。

 ギリリと奥歯が音を立てる。

 今日の商品目録に獣憑きはない。舞台上から見える観客たちの様子はどこか白けたように見える。利益の面で見れば損をしているわけではないが、このまま顧客を帰すのは、人間オークショニアとしてのモーリッツのプライドが許さなかった。


「そこのキミ」


 舞台裏で慌ただしく動き回っていた黒服を1人呼び止める。かっちりとした黒いベストを着た青年は、雇い主の呼び声に折り目正しい返事をかえした。


「今日仕入れて来た彼を連れて来てくれ」

「えっ」


 その言葉に青年は驚いた声をあげた。

 今日、9番街から届けられたのは1人だけだ。

 ズィーリオス島の冒険者でも、最近名を知られてきた獣憑きの男――ヴォルフラム・ツァーベル。彼はまだろくな躾も施されていないというのに。完璧な商品を売る事で知られた男の指示とは思えなかった。


「聞こえなかったのか?」


 じろりと睨まれて黒服は背筋を伸ばした。「今すぐに!」と叫ぶと、一目散に駆け出していく。その背を眺めながら、モーリッツは「こういう場ではインパクトのあるパフォーマンスを提供し続けなければね」と独り言ちるのだった。


***


「ヴォルフラム~!」


 大きな瞳を潤ませて駆け寄ってきた少女は、鉄格子の触れると「たわらば!?」と悲鳴を上げた。全身に電流を流し込まれたかのように痺れが襲ってきたのだ。


「ロッタ!」

「し、しびしびするんだぞ……」


 鉄格子の向こうでひっくり返った妖精の名前を呼ぶと、弱弱しいながらも返事が返ってきてホッとする。鉄格子には雷魔法による罠が仕掛けられているらしかったが、ロッタの様子を見る限り命に係わるようなものではないらしい。


「んなことより、なんでこんな所にいるんだ。ここが何処だかわかってんのかよ」

「少なくともヴォルフラムよりはわかってるんだぞ」


 フフン、と得意げに笑った妖精は、ここに来たいきさつを語った。

 ここが8番街の地下であること。

 今現在、人間市場が開かれていること。

 ディーデリヒやリーヌス、そしてテオと共に助けに来たということ。


「助けに来た……あいつらが?」

「おねえさんは、ヴォルフラムのこと、仲間だって言ってたぞ」

「……ばかじゃね~の」


 すん、と鼻を啜って「ほんと、ばかばっか」と繰り返す。湿った瞼を隠すように、手の甲で拭った。

「あ、あの人たちは?」


 ヴォルフラムの後ろに他の人間がいることに気がついたロッタは怯えた声を出す。


「捕まった奴らだろ〜よ。話しかけてもなんも反応しやがらね〜」

「……きっと、すっごく酷いことをされたんだぞ。オイラが昔いたところにも、同じような人間がたくさんいたから」


 真っ赤に腫れた目を伏せた妖精は「だから、ヴォルフラムも同じ目に遭うんじゃないかって、怖かった……」と声を震わせた。


「泣くなよ……なきむし」

「泣いてないんだぞ!」


 ぐしぐしと目を擦ったロッタは力強い目をしていた。


「お姉さん達と助けるから待ってるんだぞ! ……う、後の人たちも……絶対助かるから、ここから生きて出られたら……きっと、いつか、生きてて良かったって思える日がくるから、だから」

「待てロッタ」

「えっ」


 ロッタの言葉を遮ったヴォルフラムは、毛を逆立てて威嚇するように扉の方を睨む。


「誰か来る。隠れとけ」

「わ、わかったんだぞ」


 頷いて魔法で姿を隠す。そのまま、部屋の隅の方に移動した。姿を見られることはないが、うっかり踏まれでもしたらたまったものではない。

 ロッタが隠れるのと同時に、ガチャリと部屋の扉が開いた。現れた黒服の男は、大きな台車に人1人入れるくらいの鉄の檻を乗せている。


「出ろ。ここに入るんだ」

「誰がンなトコ……でっ!?」


 手枷から痺れるような痛みを感じて唸った。黒服は怯えたような、焦ったような顔で「抵抗するなよ」と告げる。

 ヴォルフラムは舌を打って大人しく檻の中に収まった。この枷をどうにかしないと、満足に暴れることもできない。

 

(このオレを買おうだなんて悪趣味な奴の顔を拝んでやろ〜じゃねぇか)


 ガタガタと運ばれていくヴォルフラムを「たいへんだぁ」と見送ったロッタは、あわててリーヌスに連絡を入れた。


***


「ヴォルフラムが連れてかれたぁ!?」


 オークション会場でリーヌスは思わず大きな声を出した。慌てて周囲を確認するが、幸いにも喧騒に紛れて聞こえなかったらしい。リーヌスが誰かと通話していることに気づいたものはいなかった。


「テオ、ヴォルフラムが……」

「どうやら心配には及ばないようですよ」


 テオは涼しい顔で壇上を指した。

 煌びやかな壇上、隅には金貨の袋が積まれ、慇懃なオークショニアが立つそこに、新しく運ばれてきた檻がある。


「ご来場の皆様がた! ここで私めからひとつサプラ〜イズを!」


 檻がライトアップされ、中に入れられているのが獣憑きであるとわかった途端、会場には歓喜のどよめきが広がった。今日の目録に獣憑きはなかった筈なのに。


「彼は銀狼の獣憑き。元は冒険者で回復魔法も使えます。気性が荒いためまだ教育中なのですが……手ずから躾したいというお客様のニーズに応えようと、ご用意いたしました!」


「さも当初の予定のように言ってますが、あれ絶対僕らに触発されましたよ」

「私への食い付きえぐかったからにゃ」

「モテモテでしたね」

「嬉しくにゃあい……」


 しょげ、と耳を下げるリーヌスに、テオは「僕も不愉快でしたよ」と付け足す。途端にリーヌスはにっこりと嬉しそうに笑った。


「何にせよ、向こうから差し出してくれてありがたいことです」


 ガチャリ、テオはスカートの中に隠した拳銃取り出す。


「テ、テオ。まさか……」

「奪いに行きますよ、リーヌス。2度とこんなショー開けないくらいにめちゃくちゃにしてやります」


 リーヌスは頭を抱えた。

 冷静に見えてこの女は直情型なのだ。

 友人であるリーヌスを愛玩動物のように愛でようとする貴族たちにも怒ってはいたのだろう。ヴォルフラムを見つけるためと、我慢していたところに、商品として彼が現れてしまった。静かに堪忍袋の尾が切れたのだ。


「危ないので、リーヌスはロッタちゃんと脱出してください」


 駆け出す親友の背を「んなこと出来るわけにゃ〜が!」と追いかけた。


***


「45…50……70! 金貨70枚が出ました! 他に手の上がるお客様はいませんか?」


 朗々とした声で進行するオークショニアは群衆の波間から伸びる手を見つけた。レースの袖に彩られた小さな手。獣憑きを連れた赤毛の令嬢のものだった。彼女に触発された客を宥めるためのサプライズであったが、思えば獣憑きを連れている彼女がこの商品に反応しない訳がないのだ。

 彼女はどれだけの金額を提示できるだろうか。

 モーリッツは仮面の下で、人知れず唾を呑む。

 だがしかし、彼女が告げたのは金額ではなかった。


「そんなはした金で彼が買えるとお思いで?」


 紫の仮面の下で小さな唇が怒りに震えている。


「金貨1000枚だって足りませんよ」


「……テオ?」


 檻の中の銀狼がぽつりと名前を呼んだ。まさか、知り合いか?

 視線を戻した先の女の手に握られた拳銃を見て、モーリッツは即座に「警備の者を!」と叫んだ。その瞬間、奥の通路から白い煙が噴き出す。予期せぬ事態に、モーリッツは綺麗な顔を怒りにゆがめて、「今度はなんだ!?」と声を荒立てる。


「火事にゃ~!!」


 甲高い悲鳴が煙の方から聞こえてきて、あたりは騒然となった。

 この会場は8番街の地下にある。会員の貴族は会場に転移できる魔法陣を使ってここに来ているのだ。秘密保持のための誓約書を書かない限り、帰りの魔法陣は渡されない。顧客たちにとっては出口のない密室なのだ。そんなところで火の手なんてあがったら――パニックを起こすに決まっている。


「いや! こんな所で死にたくない!」

「出口は……! 帰りの魔法陣はどこにある!?」

「だ、誰かたすけて!」


 群衆がパニックを起こすのを見計らったかのように、別のところから声があがった。


「こちらに従業員用の出入口がありますのにゃ! 皆さん、急ぐにゃ!」


 どういう訳か、悲鳴をあげた女と同じ声をしていた。だがパニックに陥った群衆はそんな事には気が付かない。


「みなさん落ち着いて! すぐに転移用の魔法陣を……」

「火の手が迫ってるにゃ~! 急ぐにゃ!」


 その声が起爆剤となった。豪奢なドレスを着た令嬢が、上質な衣服に身を包んだ貴公子が、我先にと駆け出していく。

 台詞をかき消されたモーリッツは目を剥いた。彼らが誘導された先には、たしかに外へ出るための梯子がかけられている。だがあれはこの会場のオーナーである自身と、上のサーカスの団長、そして数の少ない信頼できる部下しか知らないものの筈だ。


(なぜ知られている……?)


 いや、今はそんなことはどうでもよい。

 顧客たちが地上にあがることの方が問題だ。なんの変哲もないサーカス団の控えテントから半狂乱の仮面をつけた紳士淑女が湧き出てきたら、さすがに目立ちすぎる。――それも、よりによって、ディーデリヒ・ハーバーがやってきた今日に限って!

 じりじりと距離を詰めて来る女を睨みつける。


「何者だ……?」

「僕は、彼の……仲間ですよ」


 女は紫色の仮面を取り払った。

 大きなマカライトグリーンの瞳が、強い敵意を持ってモーリッツを睨みつける。


「僕の相棒を返して貰います」


「は」


 モーリッツはその言葉を一笑した。

 嗤える話だ。こんな獣憑き1人を助けるために、あんな小銃一丁を片手に乗り込んでくるなんて。よほどおつむが足りないか、物を知らないと見える。

 そこまで考えて、はた、とモーリッツは笑みを消した。

 ――今日、ディーデリヒ・ハーバーが来たのはまさに青天の霹靂。予想だにしないことだった。それに加えてこの女たちの襲撃である。これは、彼女らとディーデリヒは裏でつながっていると見た方が良いのではないか。


「……ディーデリヒの手の者なのか」

「は?」


 睨みつけながら問う。女は困惑した表情を返してきた。


「あれの手先というなら容赦はしない。どうせ、ここまで騒ぎが大きくなれば、隠し立てもできないだろう」

「ちょっと、何1人で盛り上がってんですか」


 あなた一体どこの誰なんです、テオがそう問いを重ねる前に、男の付けていた指輪が怪しく光った。

 ガチャン、と舞台裏から錠前の落ちる音がした。

 次いでぐるぐると猛獣めいた唸り声が聞こえ、どっしりとした足音に床が震える。


「いい子だ。あいつの喉笛を掻き切って来い」


 テオの目の前に1頭の獣が現れた。

 唸り声をあげる頭は金のたてがみを持つ獅子だ。その首を支える胴体は白く、蹄がある。山羊の胴だ。山羊の胴に獅子の頭が付いているのだ。その異形めいた体に着いた尾は、生きた蛇の形をしていた。


「――キマイラ、ですか」


 グルオオオオオオッ


 地響きのような咆哮が響く。獅子の前足がヴォルフラムの入った檻を踏みつけた。メギョ、と嫌な音を立てて檻が軋む。


「わおんぎゃあっ!?」

「ヴォルくん!」


 テオは殆ど反射的に銃を獣の頭に向けて撃った。

 ガオンッと大きな反動で両手が上がる。白煙をまき散らしながら鉛の弾丸は、正確に獣の目を撃ちぬいた。「ギュアッ」と短い悲鳴をあげたキマイラの足が檻から外れ、数歩後ろに下がる。――だが、それだけだ。


 このキマイラは痛み程度で戦意を失ったりはしない。主人の命令は絶対に遂行しなければならないのだと、骨身に染みるほどの躾がされている。ぐるぐると唸る獅子の顔は、純粋な殺意だけを向けてくる。獣は一拍の間をにらみ合ったのち、雄叫びと共に襲い掛かってきた。


「ヴォルフラム! 無事にゃ!?」

「猫耳女! こっから早く出せ!」


 白い煙の中から駆け出してきたリーヌスに、ヴォルフラムは怒鳴る。ガタガタとひしゃげた檻を揺らす彼の目に浮かんでいるのは、強い焦燥だった。目の前で小さなテオが、あまりに巨大な化物と対峙しているのだ、焦りもする。


「うぎゃ~っ!? なんってモンと戦ってるにゃ!? テオの馬鹿!」


 飛び上がるほど驚いたのはリーヌスも同じだった。


「鍵は今逃げたモーリッツのおっさんが持ってる筈だ」

「そんなの追いかけてる暇はないのにゃ!」


 檻の隙間から手を伸ばしたリーヌスは、ぬるりと格子の隙間を潜り抜けて檻の中に侵入した。そこでヴォルフラムの腕を掴むと、入って来た時と同じように檻の外に思いっきり飛び出したのだった。ヴォルフラムの身体は鉄の格子に阻まれる筈であったが、どういう訳か、鉄の格子の間をするりと抜けた。ガチャン、という音と共に両手足が軽くなる。振り向けば、枷だけは檻の中に置いて来ていた。


「私のギフト《自由の獣》にゃ」


 ニヤリ、とリーヌスは悪戯っ子のような笑みを浮かべる。

 彼女の《自由の獣》は拘束からの縄抜けや、鍵開け、状態異常など、自己に降りかかる不自由を無効化するギフトだ。リーヌスは今、一度檻の中に侵入し、ヴォルフラムに触れることで自分の1部という事にして共に拘束から逃れたのだ。


「ま、細かいことは気にしにゃ~で」


 鞄から取り出した刃の短い双剣をヴォルフラムに投げる。来る前にディーデリヒから預かっていたものだ。難なくキャッチしたヴォルフラムは、手になじむそれをクルクルと弄びながら、「あんがとよ」と短く呟いた。


「何にゃ、らしくにゃい」


 ぷっと噴き出すように笑ったリーヌスは「テオを頼むにゃ」と真剣な顔で狼の背を叩いた。狼の尾が「わかってんよ」と揺れる。


「てめ~は奥にいるロッタと合流しろ。んで、さっさと逃げろや」


 ヴォルフラムはもうリーヌスの方を見ていなかった。


「テオは俺に任せとけ。俺は、あいつの……あ、あ、相棒だからよ」

「そこはどもるにゃよ」

「ウッセ! はよ行け!」


 うが~っと怒鳴ると、リーヌスはニヤニヤしながら逃げるように奥へ走っていった。彼女の優れた聴覚なら、隠れているロッタのことも上手く見つけるだろう。

 ヴォルフラムは金髪の猫耳が白い煙の向こうに消えるのを見届けると、テオのもとに走っていった。

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