第19話 人間市場

 控室代わりのテントは質素な造りをしていた。

 サーカスの団員たちは出払っているのだろう、がらんとしていて人気がない。周囲に人の動く音がしないかを確認したリーヌスが、背後にいるテオとロッタに向かって頷いて見せる。


「近くには誰もいないにゃ」

「とはいえ、もたもたしてられません。どこから探しましょうか……」

「オイラわかる!」


 ぴっとロッタは小さな手を高く上げた。


「オイラ、ヴォルフラムにおまじないしたんだぞ。あんまり遠くは無理だけど、近くならどの辺にいるかわかるんだ」

「おまじないって?」

「ぴか~ってやってクルクルした!」

「何にゃそりゃ」


 ロッタの主張は支離滅裂で言葉が足りない。

 だがまあ、彼女がヴォルフラムの居場所を何となく感知できるのは本当なのだろう。促されるまでもなく先頭をてってこと駆け出す妖精の背を、首を傾げながらも追いかけた。


「ここ!」


 一見すると物置のように見える一室にたどり着いた。雑多に物が置かれる部屋の赤い絨毯の上で、不思議そうに首を傾げる。


「このあたりが1番近い、気がする!」

「頼りにならんにゃあ……」


 何もない床をぽふぽふと叩くロッタを見て、テオはすぐにピンときた。


「ちょっと失礼」


 赤い絨毯をぺろりと捲る。すると、木でできた蓋のようなものが現れた。地下への入口だ。

 

「すげ〜!」

「よく気がついたにゃ」

「ディーデリヒが地上には何もないと仰っていましたからね。なら、地下に何かあるだろうと」

 

 感心されるのは悪い気がしないか、なんとも恥ずかしい。テオは赤くなった頬を隠すように「さあ先に進みますよ」と促した。

 

 蓋の下にあった梯子を降りると、平たく舗装された土壁の小さな部屋に出た。照明は雷電球で、すぐ正面に重厚な扉が見える。


「何か聞こえますか?」

「いや、何も聞こえないにゃ」

「オイラも」

 

 扉の奥はひっそりと静かだった。

 その扉を囲むように壁に施された文様を指でなぞったリーヌスは、この扉に魔法が施されていることに気が付いた。

 

「防音魔法がかけられてるにゃ」

「……少しだけ開けるので覗いてください」

 

 ドアを引いた瞬間、わっと音の塊に襲われた

 歓声、怒号、悲嘆、きょうせい……。欲と快楽とが猥雑に混じりあった喧騒が、部屋全体に充満しているようで、それらがひとつの熱気となって向かってきたのだ。

 

 扉の先には舞台があった。中央には鎖に繋がれた金髪の若いエルフの女がいる。舞台の前にある座席は、仮面を着けた聴衆で満席に近い。

 

「――さあ! こちらは金の髪が美しいエルフの女! 見てよし、抱いてよし、なぶってもよし! 魔法の心得がありますので用心棒としても最適です! とっても素直で従順ないい子ですよ! ――それでは20から!」

 

 舞台に立つ軽快なオークショニアの言葉に呼応するように札が上がる。「25!」「40!」「85!」叫ぶ数字は恐らく金貨の枚数だ。舞台脇に金貨の山がある。

 

「……人間市場だにゃ」

 

 リーヌスの声は怯えていた。

 獣憑きである彼女にとって、ここは天敵のような場所だ。


「人売りの本拠地どころか……まさに大本命ってやつじゃないですか」


 テオは眉間を揉んだ。

 サーカスを隠れ蓑にした、商品を一時的に隠しておく程度のアジトを想像していたのだ。こっそり忍び込んでヴォルフラムを連れて帰るつもりだったのに。

 今、まさにオークションが開催されているとは、完全に予想外であった。

 あの場にいる誰も彼もが重大な犯罪者だ。どこの国においても人身売買は違法である。捕まれば終身刑は免れない。


「あいつら全員吹き飛ばすのか?」

「ばか、そんな事できるわけないにゃ」


 期待するようなロッタの視線に、リーヌスは苦い顔をした。

 幼い妖精に、少し魔法をかじっただけのどちらかというと逃げる専門の情報屋、そして武装した一般人でできることなんてたかが知れている。第一、隠密行動に長けるが圧倒的に火力のないメンバーで、そんな大それたことが出来るわけがない。


「騒ぎに乗じてヴォルくんを連れて逃げられる可能性があるので、事を荒立てるのは駄目です。まずはあの子の居所を確認しませんと」

「迂闊に手を出せば潰されるのはこっちにゃ。8番街にいるってことは、奴ら全員どっかの国の金持ちにゃ」

「最悪の場合、こちらに罪を擦り付けられかねません」

 

 人身売買が違法である割に人買いが横行しているのはこれが原因だった。

 富裕層の間では昔から珍しい人種を侍らすのがステイタスであるかのような風潮がある。表向きは使用人である彼らのうち、正規に雇用された人間がどれほどいるだろうか。事が露見しそうなる度に揉み消して、人間市場は規模を大きくしていったのだ。

 

「あれらはどうしようもない汚物ですが、汚物には処理手順があります。まずはヴォルくんを見つけましょう」

「お~!」

「いや待てにゃ」

 

 意気揚々とドアを開けようとするテオを、再びリーヌスが引き留めた。怪訝そうな顔をする2人にリーヌスは呆れる。

 

「おみゃーらそのまま出ていくつもりかにゃ?」


 テオは「あ」と声をあげた。

 全く念頭においていなかったが、獣憑きのリーヌスや、妖精のロッタは、この場では売られる側の人間だ。


「どうしましょうか。ロッタちゃんは魔法で姿を隠してもらうとして、リーヌスの耳としっぽはどうしようもありません」

「……私に、考えがあるにゃ」

 

 いつになく真剣な顔でリーヌスはある提案をした。

 「いい作戦かはわからないけど」と前置きして。


***


 男はしたたかに酔っていた。

 

 本土の辺境に領地を持つ子爵家の四男という、貴族としても、跡継ぎとしても、微妙な立ち位置の彼は金と暇を持てあました結果、人間市場に手を出したのだった。

 商品を買うほどの財力はないが、これが見ているだけでも面白い。無抵抗の見目麗しい人間を、脂ぎった金持ちが引きずる様は、男の嗜虐心を大いに満たした。

 

(それにしても飲み過ぎたな)

 

 顔の熱を冷ますために熱狂する群衆から距離を取る。ふらふらと歩いていると、チャリン、と足元に金貨が転がってきた。

 

「?」

 

 落としたか。

 深くは考えずにかがんで手を伸ばす。

 金貨に気を取られていた男は気がつかなかった。

 すぐ傍にある扉が音もなく開いていた事に。

 

 男の無防備な襟首を4つの手がひっつかんで部屋の中に引きずり込んだ。

 テオとリーヌスが渾身の力をもって押さえつけた男の鼻面を、ロッタがパチンと平手でぶつ。途端にとろんと眼を蕩かせた男は、静かに眠りについた。


「眠りの魔法か、やるにゃあ」

「妖精って、本当に色んな魔法が使えるんですね」

「えへへ」


 褒められたロッタは照れ臭そうに頬を掻く。

 彼女が使ったのは【眠りの鱗粉】と呼ばれる妖精の魔法だ。直接触れなければならないこともあって、あまり便利とは言えないが、その分強力な魔法だ。通常、魔法を扱う人間はそれなりに魔法に対する耐性を持っているものであるし、魔法自体を無効化する道具もある。この魔法はそれらを無視できるのだ。


「え~っと、こいつの所持品は招待状と目録、あと仮面かにゃ。さすがに身元に繋がるようなモンはにゃ~か」

「ちょっと貸してください」


 ガサガサと追いはぎするリーヌスの手から目録を抜き取った。

 上質そうな分厚い紙に、金の文字で印字されたそれは、今日の人間市場の出品目録だった。


「ラミア、砂漠のオウム、人魚、エルフ、ハクア族の女性、身毒児……獣憑きはいませんね」

「やっぱ店長の言ったとおり、昨日今日で売りに出されたりはしにゃ~か」

「ならオークションの裏手付近が怪しいですね」


 リーヌスから差し出された紫色の仮面を付けたテオは、ロッタに向かって「これを付けてください」とテントウムシ型の無線機を差し出す。


「僕のを貸します。ロッタちゃんが魔法で隠れると、僕たちにも姿が見えなくなりますから、これで連絡を取りましょう」

「わ、わかった」

「なるべく離れないで着いてきてください」

「うん!」


 ロッタは頷いて指をくるくると振る。

 すると瞬く間に少女の姿は揺らぎ、周りの景色に溶け込むようにして消える。


「行きますよ、リーヌス」

「はいにゃ~」


 リーヌスはしっかとテオと腕を組む。


「今から、テオは私のゴシュジンサマにゃ」


 ニヤリ、と笑みを浮かべた口の隙間から、猫科特有の八重歯が覗いていた。

 リーヌスの提案は金持ちに紛れて堂々と会場を調べるというものだった。

 どうせ目立つのならとことん目立てば良いのだ。テオをどこぞのご令嬢に見立てて、彼女に買われた人間のフリをしていれば、会場内を歩き回っていても不自然ではない。いち庶民のテオに貴族の真似事ができるかといえば不安が残るが、来場者は仮面を付けているという匿名性から、進んで問題を起こすような者はいないだろう。


 オークションは変わらず熱気に包まれていた。

 先程のエルフは年嵩の男性が競り落としたらしい。金糸の髪の美しい、ぼんやりとした表情の美女を傍らに置いてふんぞり返っている。


「おや、見ない顔だね。ここに来るのは初めてかな?」


 どうやら目についたらしく話しかけてきた。

 緑の仮面を着けた男はニヤニヤと嫌な笑みを浮かべて、テオを上から下まで舐めるように見た。ぎらぎらと指輪をつけた太い指で顎髭を触っていたが、テオの傍らにぴったりと張り付くリーヌスを見た途端、目の色を変えた。


「獣憑きかい? 久しぶりに見たなあ」

「ええ、たまには外の空気を吸わせてあげようかと、ね?」


 リーヌスは黙ってテオに擦りよった。ゴロゴロと彼女の喉がご機嫌に鳴る。心から主人を好いているかのような仕草に男は面食らっていた。

 彼の所有する人間はどれも、徹底的に自我を削いだ状態で納品される。彼らは決して男の命令に背くことも、裏切ることもない。だがしかし、このように愛らしく媚びることもないのだった。

 途端に、先程落札したエルフが、味気ないもののように思えてしまった。無機質な硝子玉のような目は確かに美しいが、あの獣憑きのような熱はない。


 不機嫌そうに顔をゆがめた男の脇をすり抜けた2人だが、行く先々で別の客に捕まり、なかなか奥の方まで進むことが出来ないでいた。それほどまでに『獣憑き』という存在は、彼らにとって特別なのだ。


「うう、誤算だったにゃあ」

「まったく、人の友人に許可なくベタベタと……」

「ま、まあ有益な情報も手に入った事だし、無駄な労力というほどではなかったにゃよ」


 この会場は8番街の地下にあるらしかった。

 オークショニアから招待を受けた顧客たちのもとには、本人しか使用できない転移用の魔法陣が贈られる。招待客と一緒に転移すれば会場にくることが可能なようだが、この魔法陣は一方通行。オークションが終わるまでは帰れず、帰りに秘密保持の誓約書を書いてから帰宅用の魔法陣が渡されるという。

 テオたちが通ってきた梯子はおそらくこの会場を作った時のものなのだろう。オーナーだけが知る秘密の通路というやつだろうか。


【も~! お姉さんたち遅いんだぞ!】

 

 会場内のどこかにいるロッタから通信が入った。

 人ごみに捕まってしまった2人に苛立っているようだ。ぽこぽこと怒った妖精は【オイラ先に見に行ってるんだぞ!】と言い出し始める。


【勝手に動くんじゃにゃい! あぶにゃ~のはわかってるにゃろ】

【大丈夫! 見つかんないようにするんだぞ!】


 そう言い残して移動し始めた気配を感じて、リーヌスは眉間を抑える。


「テオ、おチビが先行してるにゃ」

「……ふがいないお姉さんで申し訳ない限りです」


 リーヌスを取り囲むように群がる貴族たちを目でけん制しながら、テオはため息をついた。


***


 冷たい感触を頬で感じながら、ヴォルフラムは意識を取り戻した。

 飲み物に混ぜられた薬の影響か、頭の奥がきしむような頭痛がする。呻きながら額を抑えると、じゃらりと手首に向かって伸びる鎖の存在に気が付いた。不穏な気配のする錆びた鉄の匂いを感じて顔を上げると、等間隔で並べられた鉄格子が視界に入る。ヴォルフラムは石造り壁に囲まれた牢屋に繋がれているようだった。


 手足の重みを感じて舌を打つ。

 老婆に対する怒りはない。弱者しかいない9番街では、人売りなどというゴロツキに目を付けられても何とも思わない人間なんて数えるほどしかいない。むしろ、孫と自分の命を守るためによくやったと思う。あの後何もされていないといいが。


「あ?」


 周囲を見渡してはじめて同じ牢に別の人間がいることに気が付いた。

 こんなに近くにいて気が付かないとは。黴やら鉄やらの匂いで鼻が利かないというのもあるが、この人間たちはどいつもこいつも存在感がない。壁際に座り込んでひっそりと呼吸だけを繰り返していた。


「おい、ここはどこだ?」


 ヴォルフラムは近くにいた女に尋ねた。

 髪や肌、そして瞳すら、何もかもが白い不思議な色合いの女だった。異質な美貌を称えた女は何も答えず、ただぼんやりとこちらを見上げるばかりだ。その瞳はヴォルフラムを映しているようで映していない。まるで人形のような目に見つめられて、ヴォルフラムはぞっとした。

 他の人間に聞いても結果は同じだった。

 浅黒い肌の銀髪の青年は薄く乾いた笑みを浮かべるだけであったし、全身に包帯を巻いた男は膝を抱えたまま身じろぎひとつしない。

 動作に、表情に、彼らの意思らしいものを感じることができない。虚ろな瞳には丹念に植え付けられた服従の意思だけが宿っている。彼らは、自分以外の誰かの言葉を待っているのだ。


「気色わるい目しやがって」

 

 ヴォルフラムは背筋がぞわぞわと総毛立つのを感じた。

 真に従順な人間とは、こういう目をするものだとつきつけられている気分だった。《付き従う者》などというカルマを持つ己の本質は、まさにこれなのだと言われているような気がして恐ろしかった。


 カルマはその人間の宿業なのだという。

 ヴォルフラムの心に重くのしかかるのは、いつか見た無機質な鉄格子だ。あの頃に比べると身体は随分大きくなったが、またも自分は鉄格子のなかにいる。もう、助けに来てくれる人間はいないというのに。


「クソが!」


 ばちん、と両手で自分の頬を叩いた。

 じんじんと痺れるような痛みを訴える頬を「なさけね~ツラしてんじゃねえ」と心の中で叱咤する。

 いつまでもこんな所に居てたまるか。どうにかして此処を脱出しなければ。


「ヴォルフラム!」


 そこへあどけない声が飛び込んで来た。

 鉄格子の向こう、石牢の部屋から更に外へつながる扉がひとりでに開いたかと思うと、何もなかった景色が陽炎のように揺らいだ。かと思えば、見知った妖精の少女が、泣き腫らした顔で現れたのだった。

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