疑問

三鹿ショート

疑問

 私の上司は、部下だけではなく、自分にも厳しい人間だった。

 同時に、上司から理不尽な要求をされた場合は、怯むことなくそれを指摘する。

 ゆえに、私が彼女に対して尊敬の念を抱いていたことは、言うまでもない。

 だからこそ、私は眼前の光景を即座に受け入れることができなかった。

 無人と化した職場で、彼女は一人の男性と身体を重ねていた。

 初めて目にする彼女の肢体は美しく、一度その味を覚えてしまうと他の女性の身体に満足することができなくなってしまうことだろう。

 彼女ほどの人間が職場で行為に及んでいるという現実に興奮し、私は己の股間を膨らませたのだが、彼女の相手が誰であるのかを知ると同時に、その主張は萎んでいった。

 何故なら、彼女の相手をしていた人間が、既婚者だったからだ。

 それだけではなく、子どもが存在していたはずである。

 露見すれば徒では済まないというにも関わらず、彼女ほどの理知的な人間が、何故そのような愚かな行為に及んでいるのか。

 私には、まるで理解することができなかった。

 扉の隙間からその様子を見つめていると、不意に彼女と目が合った。

 彼女は目を見開き、驚きのあまりに行為を中断させた。

 相手の男性が不思議な表情を浮かべると同時に、私はその場から逃げ出した。


***


 翌日、私は彼女に呼び出された。

 人気の無い屋上に向かうと、彼女は頭を下げてきた。

 そして、私が見たことを口外しないことを望んできたのである。

 そのように告げられなくとも、最初からそのようなつもりはなかった。

 私がこの件を口外したところで、得をする人間が皆無だったからだ。

 彼女の一件を公のものと化せば、彼女と男性は会社に残ることが難しくなり、男性の家庭も崩壊することになるだろう。

 会社にとって二人の存在は大きなものであるために、存在している場合と存在していない場合の利益を考えれば、私が黙っているということが最も賢明な道である。

 私がそれを正直に伝えると、彼女は安堵したような様子を見せた。

 だが、即座に顔を紅潮させると、その見返りとして、彼女は己の身体を差し出すということを告げてきた。

 どうやら私は、彼女という人間を見誤っていたらしい。

 彼女がそのような行動に及ぶということは、私という人間が、美味しい思いをしなければ口を閉ざすことはないと認識されていたということを意味している。

 そのような心の狭い人間だと思われていることに、私は悲しくなった。

 私の機嫌を窺うようなその態度を目にしたことで、彼女に抱いていた尊敬の念は音を立てて崩れていく。

 私は大きく息を吐きながらも、何かを要求しなければ動くことはない様子を見せる彼女に対して、問いを発した。

「何故、あなたはあの男性と関係を持ったのですか。私があなたと関係を持ちたいというわけではありませんが、他にも男性は存在しているでしょう」

 そう告げられると、彼女は私に見せつけていた谷間を隠し、儚い笑みを浮かべた。


***


 いわく、くだんの男性と彼女は、学生時代からの知り合いだったらしい。

 男性に対して好意を抱いていたものの、相手が別の女性の虜になっていると気付いていたために、彼女が一歩を踏み出すことはなかった。

 しかし、男性の妻が子どものことで手一杯と化し、自身の相手をしてくれないのだと相談を受けたとき、彼女は己の肉体を差し出すことを決めた。

 もちろん、彼女は男性に好意を抱いていたということを明かさず、仕事の鬱憤を晴らすためだという言い訳をした。

 男性は妻を裏切ることになると逡巡していたが、彼女が無人の職場で衣服を脱ぎ、下着姿で迫ると、よほど飢えていたのか、彼女の肉体に飛び込んだ。

 行為を終えると、男性は後悔の言葉を吐き続けたのだが、露見しなければ良いだけだと彼女は慰めた。

 それ以来、二人は身体を重ね続け、その結果、私に目撃されるということになったのだった。


***


 己の欲望のためならば、平気で他者を裏切るということらしい。

 二人の事情を知ると、彼女に対する私の想いは、さらに悪化した。

 人間的に素晴らしいと考えていたが、彼女もまた、一人の人間に過ぎなかったのである。

 それは当然のことだったのだが、何故彼女が例外だと考えていたのだろうか。

 これ以上、彼女と関わることは避けたかった。

 私は眼前の彼女に辞職するということを告げると、会社を後にした。

 彼女が背後から声をかけてきたが、私が振り返ることはない。


***


 彼女の事情を話すと、手足を拘束された女性が口を開いた。

「何故、私に話すのですか」

 震えた声を出す女性に対して、私は告げる。

「きみが私以外の人間と接触することはないからだ。きみは生命活動が終焉を迎えるまで、この場所で孤独に過ごすのだ。裏切った私にすら相手をしてほしいと思ったとしても、それに応えては、きみに対する罰にはならない。ゆえに、諦めるが良い」

 分かりきったことを訊ねてきた女性は、私の言葉を聞くと、再び項垂れた。

 桶に満ちた水を女性に向かってぶちまけると、私は部屋を後にした。

 己の食事の用意をする私の頭の中では、同じ疑問が円を描いている。

 私と交際していた女性や尊敬の念を抱いていた女性など、私が好意的な想いを抱いた女性ばかりが、何故同じような裏切り行為に及んでいるのだろうか。

 私には、女性というものが分からなかった。

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疑問 三鹿ショート @mijikashort

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