#3 こわれて、きえた

 ここは魔女の所有する敷地内、だだっ広い草原のド真ん中。

 アッシュは三脚イーゼルを固定するとキャンバスに向き直った。

 木陰の隙間から太陽は燦々さんさんと照りつけ、アッシュは麦わら帽子を被り直して筆を持った。キャンバスに思い思いの絵を描く。


 同様に隣で筆を持つ魔女のキャンバスをアッシュはのぞき込んだ。

 そこにはいつかも鑑賞したような全身に包帯を纏う男が立っている。

 しかし、以前とは異なる点もある。

 その男は頭に麦わら帽子を被り、右手には漆黒リボルバーの代わりにソプラノリコーダーが握られていた。

 そして、顔面には包帯を巻いておらず素の面差おもざしが彩られている。


「そうか。……僕はこんな顔をしていたのか」

「案外、ソナタはかわいい顔をしておるだろう」


 魔女は悪戯っ子みたいに笑う。


「忠実に写実した妾の自信作だぞ。表題はそうだな――『鏡の国のアッシュ』でよかろう」

「うーん」


 アッシュは絵の中の自分とにらめっこしながら唸る。


「なんだソナタ、どこか気に食わん箇所でもあったのかね? 加筆修正しようか?」

「いや違うんだ。ただ……なんか……」


 どう言い表したものかと思って、アッシュはついにこの感情の正体を見つけた。


「――幽霊みたいだ」


 そんな本物の幽霊が聞いたら吹きだして、あまりの馬鹿馬鹿しさに成仏しかねない答えに、


「ぷっぷっぷっぷ!」


 と、魔女は腹を抱えて大笑いする。


「言うに事欠いて……ぷぷっ、初めて自分の顔を見た感想がそれかぁ、ソナタ?」

「そんなに笑うことか」


 アッシュが言ったことを後悔していると、涼風に乗ってすみれ色のぼやきが流れてくる。


「どうして、わたしたちがこんな小間使いみたいな雑用をしなきゃいけないのよ!」

「サーお姉ちゃん」

「あいつらは優雅にお絵描きしてるのに不公平だわ!」

「仕方ないよ。2人で一緒にいるためだもん」


 メイド服を身に纏った青髪ツインテールと赤髪ツインテールの双子姉妹。

 彼女たちは亜麻色のホウキを握りしめて落ち葉を掃いていた。


「あたしは楽しいよ、お掃除」

「そんなんだからあなたはダメなのよ」

「そうかなぁ」

「そうよ。今に見てなさい。この屋敷から革命を起こしてやるんだから!」


 しかし革命の狼煙が上がる日はまだまだ遠そうである。

 サファイアは右眼に、ルビーは左眼に、それぞれ白いメッシュがかった医療用の眼帯を嵌めている。

 左右非対称アシンメトリーの瞳。

 これで双子姉妹の伝家の宝刀である入れ替わりトリックは、もう2度と使用不可能になってしまった。

 複雑な思いをアッシュはキャンバスに塗り込む。


「貴様ら、サボるでないぞ」


 魔女は双子に喝をいれる。


「もうひとつの目玉までくり抜かれたくはなかろう。模型くんの神の手ゴッドハンドわずわせるでないわ」


 模型くんは双子に向かって手術開始前の医師のようにカラフルな両手の甲を見せつけた。

 ちょうど幽霊の恨めしやと上下逆さまである。


「サファイアちゃん、休みたかったら休んでもいいぞ」


 アッシュはできるだけ優しく気遣う。


「うるわいわね! このロリコン! エロ鬼! ドブネズミ! 包茎!」


 しかし、サファイアからアッシュに返ってきたのは罵詈雑言だった。

 なかなかにエッジの効いた怨嗟えんさである。


「そんなこと言っていいのかな、サファイアちゃん」

「発言の自由よ」

「そうか」


 それならこっちにも手がある。

 アッシュは悪い顔になる。


「ねえ、ルビーちゃん知ってたか?」

「?」

「きみのお姉さんのサファイアちゃんは教会の礼拝堂でおしっ――」

「言うなあ!」


 サファイアはすっ飛んできてアッシュの口を塞いだ。

 その小さな手は青ざめておりひんやりと冷たかった。


「サーお姉ちゃん……どうしたの?」


 追いかけてきたルビーは不安そうな緋眼ひがんでアッシュとサファイアを交互に見つめる。


「な、何でもないのよ、ルビー。ロリコンお兄さんがわたしたちのメイド服姿に欲情していただけなの」

「うひぃ……そうなんだ」


 ルビーは完全に引いていた。

 なんで僕の好感度をイタズラに下げるんだよ……。

 ひとまず神回避を果たしてサファイアが冷や汗を拭う。

 すると思わぬ伏兵が現れる。


「なんでだぜ? おしっこ漏らしたくらい平気だぜ?」


 年甲斐もなくアフローはまぶしいひまわりのような笑顔をサファイアに向けた。


「オレたちはお漏らしブラサーだぜ! ピィスメーン!」


 サファイアは顔を伏せて氷のように固まる。

 直後、烈火のごとく顔を真っ赤にした。

 青人が真っ赤になるのをアッシュは初めて見た。


「アフロー、マジで殺す!」


 瞬間、アフローの黄色いアフロは氷結されて巨大なアイスキャンディの一丁出来上がり。


「ひえええだぜええええ! 殺人鬼の殺害予告はガチでシャレになってないぜえええ!」


 恐れおののきながら、アフローは光速の足でピュンピュンと逃げ回る。

 ほとんど瞬間移動だ。

 それをサファイアの氷は猛追してタケノコの里のような氷山が草原からいくつもにょきっと生えた。


「待ちなさい! そして赦させなさい!」

「ダメだよ、サーお姉ちゃん。人殺しは条件違反になっちゃうよ! クビになっちゃう!」


 真面目に雇用条件を遵守しようとするルビーはサファイアを必死に追いかける道すがら、姉の後始末として律儀に火炎で氷山を解凍させていく。

 草原の花に透明な水が滴る。


「まあ例外的にアホならっちゃっても見逃してやるのだ」


 魔女はシャボン玉を燻らせながら愉快そうに戦況を傍観していた。

 かくいう、アッシュも走り回る有色人3人を眺めながら必死に筆を走らせる。

 今は絵が最優先だ。


「あっ、そうだ。魔女」


 アッシュは言う。


「僕にもパイプを1本もらっていいか?」

「どうした? ソナタが珍しいのだな」

「うん。なんだか吸いたい気分なんだ」

「ぷっぷっぷっぷ。喫煙は画家としての第一歩なのだ」


 言って、魔女はパイプポーチから灰色のパイプを抜き出しアッシュに手渡した。

 ビスクドールのような魔女がプクプクとシャボンをあぶく。

 アッシュも真似してパイプを指に挟む。シャボン液の満たされた透明な灰皿にちょんちょんとパイプの火口を浸ける。パイプを咥えてアッシュはゆっくりと息を吐き出した。

 プクゥとまん丸のシャボン玉が生み出され、太陽光を乱反射する球体は宙を漂う。

 魔女のシャボン玉とアッシュのシャボン玉は空中で混ざり合って双子になる。


「ソナタもすこしは垢抜けてきたようなのだ」

「それはどうだろう。魔女の手垢が新しく付いたのかもしれない」

「よく言うのだ。鑑識に回せ」


 アッシュは魔女に軽く鼻で笑われてしまった。


「最近、僕はしきりに思うことがあるんだ」

「んぅ?」

「どうして心は目に見えないんだろう?」


 このアッシュの独白に魔女はいつもどおりシャボン玉と毒を吐く。


「それは見えないほうが美しいからなのだ。誰も好きこのんで醜いものなど見たくはない」

「そういうものか」

「そういうものなのだ」

「でも、それなら――」


 アッシュは言う。


「どうしてこの腐敗した世界に僕は生まれ堕ちたんだろう?」

「今日はやけに哲学的なのだな、ソナタ」

「ちょっと変だったか?」

「いいや、妾も気持ちはわかるぞ。美しい絵を描くとそんな気持ちになるものだ」


 魔女は整った眉を丸めて優しく言う。


「世界がキャンバスだとすれば、ソナタは何色にもなれるのだよ」

「僕が……ヴァンパイアだからか?」

「違う。そんな性質のことは言っておらん」

「…………」

「目には見えん、心のことだ」


 魔女はアッシュを見つめる。

 似た者同士。

 さながら映し鏡のように目が離せない。


「ソナタには、写真には写らない美しさがあるのだ」


 見えるものだけがすべてではない。

 むしろ見えないものにこそ本質があるのかもしれない。

 たとえば、こんな気持ちにも。


「魔女、ありがとう。この広い世界で僕と出会ってくれて」


 これはアッシュの紛れもない本心だった。


「やめんか、ソナタ」


 魔女は照れ隠しのように言う。


「妾は湿っぽいのは好かんのだ。自画メイクが崩れるのでな」

「それなら心配ない」

「なに?」

「だって、いくら化粧メイクをしても魔女の子供っぽいところは全然隠せてないから」

「誰が極貧乳シンデレラバストか!」


 突如、魔女は激怒した。


「ソナタの血は何色だあああああ!」

「色々なんだけど……」


 というか、アッシュは魔女の性格的な部分を言ったつもりだった。

 言葉はむずかしい。

 しかし、なおも魔女は「むふぅー」と鼻息が荒い。


「僕には魔女の心がちっとも見えない」


 アッシュが気弱に呟いていると、目の前のキャンバスを魔女がのぞき込んでくる。


「ソナタが心血を注いでおるその絵は、もしかして妾を描いておるつもりなのか?」


 そのキャンバスの中には『スカイブルーム』に跨がる魔女とそれを見上げる模型くん。

 掃き掃除をする隻眼双子のサファイアとルビー。

 蝶々と戯れる黒猫ニジー。そしてついでにアフローもいる。


 僕は魔女とお絵描きをした。


「僕はそのつもりだったけど……。魔女にはそう見えなかったのか? この絵はどう映った?」


 魔女は絵を見つめながら黙りこくったあと、


「これは世界一の名画なのだ!」


 と、大声をあげた。


「そんなによかったのか?」

「うむ、すばらしい。絵の中の妾は世界で一番美しいのだよ」

「……魔法の鏡かよ」


 アッシュはため息を吐く。

 絵を眺めていると、そこで決定的な見落としがあることにアッシュは気づいた。


「しまった! 僕としたことが迂闊だった」


 アッシュは絵筆とパイプを持ったまま頭を抱える。


「まだ最大の謎が解けていないじゃないか」

「ほう。ソナタ、最大の謎とはいったい何のことなのだ?」


 魔女の瞳には興味深そうな色が宿る。

 もったいぶらずにアッシュは懊悩おうのうを告白した。



「魔女のパンツの色がわからない」



 それを聞いた途端。

 魔女はキョトンと目を丸め、しきりにビューラーで整えた長いまつげを瞬かせる。


「それがわからないと絵の中の魔女のはためいたスカートからのぞくパンツの色を何色で塗ればいいのかわからない」

「…………」

「この絵は永遠に未完成のままだ」


 とりもなおさず、真剣そのものの眼差しでアッシュはキャンバスに対峙している。

 そんな世界の秘密を解き明かそうとする助手に魔女は微笑みかける。


「ぷっぷっぷっぷ」


 透明感のある笑い声がシャボン玉を膨らませた。

 そしてすべての答えを告げる。


「ソナタの思い描く好きな色を塗ればいいのだよ」


 魔女のシャボン玉は小さな太陽のように空高く飛んで、それから消えた。

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アッシュとお絵描きの魔女 悪村押忍花 @akusonosuka

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