第29話 Cフラットの恋
陽夏の口から放たれた言葉に、頭の中がショートした。
え? 今、コイツなんっつった?
俺の耳が確かなら『男同士のセックス』って聞こえたんだけど……え? ってゆーか、それどういうこと?
「………………え?」
長い長い沈黙の後、やっとその一言だけ発することが出来た。
陽夏の顔が見る見る赤くなる。
もう貧血は大丈夫そうだ。
俺は、恐怖のあまりそろそろと陽夏から後退して距離を取った。
そんな俺をキッと陽夏が睨む。
「だっ、だって! 女の人とは違うじゃん! 触りっこするだけ? それとも何か特殊な方法があるの? なんかこう……お、大人のオモチャ的なの使うとか?」
矢継ぎ早の質問に、俺の方こそ貧血を起こしそうになった。
俺……こいつに何て言ったんだっけ?
――お前、男同士のセックスに興味があるの? ――
――だったら、ベッドに行こう……相手してやるから――
いつぞや、陽夏に吐いた言葉を思い出して、頭を抱えたくなった。
あの状況であんなことをされて……あまつさえ、女性経験もあるマセガキのことだから、当然全てを知っているものだと思っていた。いや、男同士の現実は知らなくても、最低限どこを使ってセックスするかぐらいは理解しているものだと、疑いもしなかった。
まさかの展開……。
「陽夏……。お前やっぱ、ドイツに行け」
無理。無理、無理、無理…………絶対無理!
男で、未成年で、男同士のセックスを知らないノンケの子供とマジ恋愛なんて……!
「行かないよ! 俺青城に行くもん! 今決めたもん! まだ願書間に合うもん!!」
呆れたことに、陽夏はそんなことを言い出した。
「お前、自分の成績分かってる?」
「推薦もらう」
「どうやって? お前の評定平均値いくつだよ?」
「ヒョーテーヘーキンチ? 何それ?」
……だよな。こいつの高校受験に対する認識なんてそんなものだよな……。
それでもこの何か月間、赤点取らないように必死で勉強してきたんだもんな。
「…………」
「あー、信じてない」
「お前の無謀さに呆れてるだけだ」
「どっちも変わんないよ! あー、そんなダメダメ言われたら余計にムカついてきた。裏口でも何でも絶対やってやるもんね!」
「そんな金ないだろ」
シュタイングレーバーの査定。マジでやってみるか……?
「いーや、絶対合格してみせる! 青城行って、ピアノも弾いて、創平の恋人になる」
はいはい。そうですか。
「……ま、せいぜい頑張れよ。あ、お前、腹減ってるだろ? 何か買ってきてやるよ」
「勝手に話終わらせないでよ」
「これ以上話し合うことは何もない。あの弁当だけで足りるか?」
ブーブー文句は言いつつも、陽夏はブンブンと首を振った。
「アメリカンドッグ」
「他には?」
「プリンかシュークリーム」
「了解」
まったく納得してはいないものの、空腹には勝てなかったのか、リクエストだけはしっかりしてくる。
「あー! ねぇ、創平……」
「大人しく寝てろ。また倒れるぞ」
縋りついてくる陽夏を振り切って、俺は椅子にかけていたコートを手に取った。
「もー、なんだよこれ……マジでCフラじゃん……」
部屋から出て行く間際、ふて寝を始めた陽夏がボソッと呟いた。
「
Cフラ? あのドラマのことか?
「…………どういう意味だよ?」
尋ねると、陽夏は恨めし気な表情でじっとりと俺を見た。
「創平頭いいんでしょ? それぐらい自分で考えてください」
そして、当てつけか、八つ当たりか、クルリとブランケットに包まって背を向けてしまう。
どうやら、これ以上の追及は不可能らしい。
仕方なく廊下に出ると、ホールの方から微かに漏れ聞こえるオーケストラの演奏が聞こえてきた。陽夏が温めた会場の熱気が残っているのか、後半の演奏も気合十分だ。真帆さん香奈子さんもさぞかし満足していることだろう。
廊下を進み、裏口へと向かう。ふと見ると、事務室の隣の掲示板にこれから開催されるコンサートのポスターが貼られていた。
昨年放送を終えたCフラットの恋は、想像通り主人公がコンクールで一位を獲得した。最終予選、調子の良くなかった主人公の元へ、結婚式の会場から飛び出した幼馴染が駆け付け、二人は依りを戻すというベタな展開ではあったが、女性たちはそのストーリーに歓喜し、涙を流すほどの
そんなこんなもあって、人気にあやかりたいクラシック界では、昨年秋ごろからCフラットの恋の企画コンサートがそこかしこで開催されているのだが……。
「Cフラね…………」
俺がこの会場に駆け付けた状況がドラマの最終回と似ていることを言いたかったのだろうか。にしては、陽夏の不満げな表情が腑に落ちない。
それに、
日本人にはお馴染みのドレミファソラシドという音階は、イタリア語が元になっている。日本名の呼び名はハニホヘトイロだし、英語表記ではCDEFGABだ。
「ドイツ語だよな……」
楽譜には#や♭の記号が出てくることがある。その記号がついた音を半音上げる、半音下げるという指示だ。
Cフラットがダメで
英語ならCフラットはB。
ドイツ語は確か……
「
…………Cフラットはダメで、Cesなら良い?
BはダメでHは良い?
「Cフラットって………………B止まり、ってことか?」
バカじゃないのか。
余りのくだらなさに思わず吹き出してしまった。
陽夏の年代に、恋愛の進捗度をABCで表す文化があるのだろうか? 自分の親世代が使っていたような言葉を陽夏が知っているとは思えない。きっと、陽夏を取り巻く大人連中が面白がって吹き込んだのだろう。
ドアを開くと、漆黒の空に綺麗な雪が舞っていた。頬を突き刺す冷気に思わず首をすくめる。不思議なことに、大嫌いなはずの寒さが少しだけ心地良く感じられた。
「もっと真面目に勉強しろっつーの」
笑いながら、ドアを閉める間際、背後から響いてくるオーケストラの熱気と楽屋でぶつくさ文句を言っているであろうお子ちゃまの想いを包み込むようにコートの前をしっかり合わせて、俺は一歩を踏み出した。
(完)
Cフラットの恋 畔戸 ウサ @usakuroto
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