クリターの冒険

二山 粥

第1話そんなことよりアルバイト

 今日は久しぶりに晴れ。真夏の太陽は背中を焼き、アスファルトに蜃気楼を作り出し、蝉しぐれを加速させる。

少し前までは、夏だというだけで大はしゃぎ出来たが、齢17にもなると夏の暑さは不快なものでしかない。時の流れを感じる。

だが晴れると土木工事のアルバイトができる。金が必要だ、肉体労働は稼げる。だから、浴びたくもない夏の日差しを浴びながら、今日も今日とて労働にいそしむ。


 鉄骨を数人がかりで運搬しながら、考える。過去のこと、これからのこと。

肉体労働をしていると、何も考えずにいられるからいい。自分に向いていると思う。

だが今日は違った。ぐるぐると行き場のない感情が静かに頭のなかでうずまいている。

朝、歯磨き粉ではなくシャンプーで歯を磨いたり、バイトでは、誤って親方のヘルメットを燃やしてしまったり、すでに今日でちいさなミスを何度か繰り返してしまっている。

このままではまずい。クビになるわけにはいかない。収入源を失うわけにはいかない。自分がしっかりしなくては、家族はどうなる。


 先日、母が入院した。今日とちがって、真っ暗で、雷がうるさい大雨の日だった。

自分はもうとっくにこどもではない。

だが、パート先から救急搬送され、病室のベットに横たわる母からは、いくら聞いてもその病名を明かされることはなかった。

大丈夫だからと、なにも心配することはないと。幼子をあやすように。

数年前、父が死んでから、自分と、まだ幼い妹を養うため、母は馬車馬のごとく働きづめの毎日だった。

自分が働ける年になってからは、母の負担を少しでも軽くするため、青春を捨てるつもりで、身を粉にして頑張ってきたつもりだ。すべては、こんな事態にならないために。

病室のベットでみせた母の笑顔は、父が最後に見せた笑顔と同じものだった。

母が死ぬかもしれない。

最悪の考えが頭をよぎる。

どうしてだ。なぜこんなに頑張っているのに、大切なものを守れない?

この世界はさすがに残酷だと思う。


 いつのまにか、日が傾きかけていた。よく覚えていないが、いろいろ考えている内に、仕事を終えて、全員が撤収作業に入っている時間になっていた。


 「よーし、今日のところはこれにて解散」


親方の号令で、各々が帰り支度や、雑談。職人に業務連絡をしている。

さて、自分も支度を済ませて、つぎの夜勤バイトに向かわなければ。

あ、そのまえに親方への挨拶を忘れられない。


「お疲れ様でした、お先に失礼します。それと、親方のメット燃やしてすみませんでした」


「おう、おつかれ!ああ、ほんとにしぬかとおもったぞ!そんなことより栗田君」


事故とはいえ殺されかけたにもかかわらず、そんなことよりで流せる親方の寛大さを見習いたい。


「今日一日、顔色死んでたぞ、最近休めてるか?みんなも心配していたぞ」


「すみません、そうですか。え、ええ。たしかに最近あまり寝れてないかも、、、でも、大丈夫です」


「そうか…母さんのこともあって、大変だな…。ほら、受け取れ」


そういうと、親方はツナギのポケットからよれよれの万札を取り出した。


「ありがとうございます…でも、こんなに頂けませんよ」


「なーに、ボーナスだ」


受けしぶっていると、くしゃっと半ば強引に万札を握らせられ、これでりんごでも差し入れしてやれ。と言って親方は去っていった。


 次のバイト先へ向かう道中、携帯で、妹に夕飯は冷蔵庫に作ってあるから温めて食べろとメールを送り、黄昏時の街路樹が連なる道を歩く。雲もなく、赤と青のコントラストが夜に近づいていく空に、蝉の声が溶け込んでいく。

見上げると、夕暮れの空に街路樹のイチョウの葉が浮かび上がり、いつかの景色を思い出させた。


 まだ母より、ずっと小さかったころ。母は小さな手でもっと小さな自分の手をつなぎ、よく公園に連れていってくれた。それで一緒にここもよく通ったなと思い出した。

秋になると、ここのイチョウの葉も黄色に輝いて、はるか頭上にあるそれをつかもうと、幼い自分は必死に背をのばしていた。

あのとき、頭をなでながら微笑みかけるあの笑顔は、今も一切変わらない。

もしかしたら、母の中では自分はあの時のままなのかもしれない。

あの頃とはもう違う。体も大きくなった。自分で金も稼げるようになった。

だが母は、学校に行けという。お父さんが遺してくれたお金はそのためのものだ、と。自分はいいから、遺産は全部、妹に使ってやれと言ったのだが、二人とも立派に育てることが母の役目だという。

たしかに、自分にも夢はある。だが、妹や、家族をないがしろにしてまでなろうとするほど、子供ではない。家庭の状況をかんがみて、なりたい道を諦められるぐらいには大人なはずだ。


 歩きながらセンチメンタルに浸り、ちいさな公園のまえを通りかかる。ここはアルバイト先に行く際の近道で、よく通るが、ここの公園に幼いころ母に連れて行ってもらっていたことは、いままで忘れていたことだ。

忘れている幼いころの記憶って、実は沢山あるのだろうな。

こんなことになるたびにやっと思い出すというのも、どうかと思うが。


最近は日が暮れるのも早くなってきたもので、ふと見上げると19時に差し掛かる前だったが、もう完全に太陽が落ち、蝉の声も聞こえなくなっていた。

さきほどの仕事がすこし早めに切り上げられたこともあり、まだ次のバイトまで時間に余裕がある。この思いでの公園ですこし休んでいこう。


街灯と、まだほんのりと残った太陽の明るみに照らされた公園のベンチに座りながら、ほの暗い中空を見つめていた。

なるべく不安に心を奪われないように。


 

すこしして、完全に町が夜に包まれたころ。

蝉もなき静まり、不思議なほど静まり返った公園の暗がり。

その向こうから、なにやら音が聞こえる。


風を切る音。


シュッ、シュッ。


鋭い音だ。


規則的に、繰り返し聞こえる。途絶えることはない。


なにやら不気味に感じるが、気にもなるので、ベンチに腰掛けたまま、その音の聞こえる方向に、目を凝らす。


すこしずつ闇に浮かび上がるシルエット。

その異様な光景に息をのんだ。


住宅街のど真ん中にある公園。ブランコ、滑り台など、小さいが、いくつかの遊具が建ちならんでいる中、明らかに、場所というか、時代というか。

とにかく、この公園において浮いている存在がいた。


さ、さむらいだ。


肩まで伸びた髪を頭の後ろで結え、紺色の、着物に似た姿。腰当たりに布が巻いてあり、鞘のようなものがのびている。

腰を低く落とし、腰の鞘から抜かれ高く掲げられた細く湾曲したはがねは、空中の淡い光を集め、振り下ろすたびに弧を描いて浮かび上がった。


よくみると、銀色に光るガントレット、肩当てなど、金属の装飾にも身を包んでおり、中世の騎士と侍を足して二で割ったような格好。和洋折衷だ。


闇夜で行われる一連の素振りの動作は、静かに、力強く。

おもわず見入る。さっきまで感じていた、じっとりとした夏の夜の暑さはすっかり取り払われていた。なんという美しさだ。


この世のものとは思えない。


 …と、見入っている場合ではない。明らかに不審者。

あまり関わらないに越したことはない。そろそろ次のバイトに向かわなくては。


ベンチから立ち上がる。


すると、向こうをむいていたはずだったが、こちらの気配に気が付いたのか、侍騎士は素振りをやめ、こちらを見る。


10メートル以上は離れているが、なにやらとてつもない威圧感。

もしかしたら本当にこの世のものではないのかもしれない。


深追いは禁止だ。

速攻で荷物をまとめて、立ち去ろうとする。


なんと向こうは、こちらに気づくと、一瞬で刀を鞘へ納め、颯爽とした足取りでこちらへと近づいてきた。

ま、まずい。なにか見てはいけないものを見てしまったのではないか。


け、消される。


昔から自分は臆病なほうではあるが、この人物から感じるのは、いままでに感じたことのない危険信号。魂の底から湧き上がる異質な気配を感じた。


公園の出口へ足を向ける。


敵意は感じないが、こういった人物とは関わらないのが無難。

足早に公園の出口を目指す。

足を踏み出した瞬間。


 それは、あまりにも突然の出来事だった。

音が消えた。

地面も消えた?


世界が変わった。


そんな気配。


なにを馬鹿な。

しかし、そうとしか感じられない。

あたりは一面の黒。夜の暗さではない。その闇には、なんの情報も含まれていない、完璧な闇。

それらが、前方から自分の視界を支配した。

はっとして後方を振り返る。そこには、苦楽をともにした、馴染みのある今までの世界。街灯、電信柱、滑り台、ブランコ、土のにおい、夏のにおい。幼いころの思い出。

その世界が闇にどんどんに飲み込まれる、否、自分が覆われていっているのか。

しかしその中に、あの男が立っていた。明らかにこの世界の異物。

なぜ、あの男があっち側にいて、自分がこちら側にいるんだ。


 闇を踏みつけ、前へと足掻く。この闇に飲み込まれてはいけない。戻れなくなる。戻ならければ。約束した。家族は俺が守ると。

4年前のあの日。病院のベットで、たくさんのチューブに繋がれながら、最後の時まで俺たちを案じて笑顔を崩さなかった、あの人に誓ったのだ。


だから、


俺は、この世界で。優しくも残酷な現実で、家族を養わなくては。

金を稼がなくては。

こんなことでシフトに穴をあけてたまるか。


こんな意味のわからないファンタジーに負けてたまるか。


「うおおおおおおおおおお」

いまにも閉じそうな、一筋の光。街灯のLED目指して、渾身の力を込めて飛び込む。頼む、間に合え。


バイトに行って。帰って寝て。

そうだ、明日は、この親方のボーナスで一葉かずはに高い肉でも食わせてやろう。母さんが大変な時だからこそ、いい肉を食べて元気をつけるんだ。


よし、明日はすき焼きだ。


光へと、日常へと伸ばした手は。


どこにも届かなかった。

闇は閉ざされた。


「くそ!なんなんだよこれは!」

振り回す拳は闇をからぶるだけでなんの手ごたえもなく。

その場にへたりこんだ。

なにがなんだか状況が全く飲み込めないが、これが夢ではなく現実だという確かな絶望感だけはあった。


「うう、ちくしょう。なんなんだ」

本当に久しぶりに涙を流した。こんなに理不尽なことってあるか。


「俺は、死ぬのか」

こんな意味の分からない真っ暗闇で。


「なんで、なんで俺なんだ」

自分は、あの日から。父と誓ったあの日から、心を入れ替えて頑張ってきたはずだ。

それが父への手向たむけになると信じていた。

それなのに、母も倒れ、こんな意味の分からないことで、大切なもののそばにいることすら許されないのか。


「だれか、誰でもいい。たすけてくれー!」

喉を震わせ、絞り出した言葉は、無情にも闇に吸い込まれていくだけ。


かと思われたその時。


一閃。

吹き込む風が頬をなでる。

前方の闇が横一文字に切り開かれていた。


「手を!」

切り開かれた隙間から。あの侍騎士がこちらに手を伸ばしていた。

必死に、その銀のガントレットへと手を伸ばす。


だがもうだめだ。闇の進行速度は速かった。もう、その隙間も閉ざされつつある。

そして、なにかがこの闇の中ではじまろうとしていた。


急速に体にGがかかったような感覚。

気づけば、後方に、闇の奥へ奥へと体が吸い込まれていた。

もう何も見えない。呼吸ができているかも、自分が生きているのかも分からない。

意識が遠のいていく。

途切れた意識は、どこかに飛ばされていくのか。

もう、どこにいるのかわからない。


ーーーーーーーーーー


 長い、永遠を旅していた気がする。


目が覚めると、見知らぬ天井だった。

とりあえず、自分の呼吸は確認できるし、まばたきもしている。

死んではいないようだ。


頭が働いていない。寝起きだからか。それにしてもぼんやりしている。

脳みそを、意識を夢のなかでシェイクされていたような感じだ。


自分の名前も思い出せない。

天井の、屋根の裏っかわを見つめながらしばらく考える。


栗田くりたはじめ


そうだ、それが自分の名だ、と思い出す。

どうでもいいことかもしれないが、やはり両親から授かった名前は大事にしていきたいと思う。


それと、もうひとつ思い出したことがあった。


やばい、

バイトに遅れる。


俺は急いで体を起こした。



                              



                                 つづく







 


 



















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