第2話 拾われた男

 目が覚めると、見知らぬ天井。木造で、柱が横に数本渡された、簡素で昔ながらの平屋の天井だ。

しばらく、天井を見つめてぼーっとしていたが、寝ている場合でないことを思い出す。


「まずい、バイトに遅れる!」


身体に掛けられていた、掛布のようなものを払いのけ、体を起こす。

血圧が上昇し、脳みそのまだ眠っていた部分が少しずつ覚醒を開始していく。


すこし荒くなった呼吸を落ち着け、周囲を見回した。

身体に掛けられていた、わらで編まれた掛布のようなもの。寝かされていたのは、板の上。地面から一段高く板が渡された、これはまた簡素な床だ。


ここはどこだ。明らかに先進国、日本に住まう者の住居ではない。

一度深呼吸。


昨夜までの出来事が、なにかの悪い夢のように思い出されてきた。

そうだ。バイトがどうこうの場合ではない。


 昨夜。アルバイトの帰りに寄った公園で、侍騎士に遭遇し、直後、謎の空間に飲み込まれ、現在に至る。

あの時、侍騎士は自分を助けようとしてくれた。

侍騎士が自分になにかをして、こうなっているわけではないのかもしれないが、あの謎の異質なオーラを放つ人物が現状に関わっているのは、間違いなさそうだ。


現状を整理してみたところで、なにかが分かるわけでもない。

もしこれが悪い夢であったとしても、とりあえず行動あるのみか。


「ぬうー…」

立ち上がり、体を伸ばした。


「ぐぬっ、、、!」

と、体中に鈍い痛みが走る。

ふと、自分の身体を見た。着ていたジャージはボロボロに擦り切れ、体の至る所にあざが出来ている。

頭を触ると、布の感触。包帯が巻いてあるようだ。

一番痛みの酷い肩にも、斜めに包帯が巻いてある。かろうじで動かせるが、しびれを感じる。骨が折れているかもしれない。


誰かが自分を介抱し、ここに運びこんでくれたようだ。

気が付くと、体中の節々が悲鳴をあげていた。崖から転落でもしなければ、こうはなるまい。

横になっていたほうがいいのかもしれないが、ゆっくりしている時間はない。


小屋の出口に扉はついておらず、植物で編まれたすだれのようなもので外と仕切られているだけだった。それをくぐり、外に出る。

ずいぶんと久しぶりに外の空気を吸う気がする。濃ゆい自然の、山の香りが鼻をつく。辺りを見回すと、すらっとした木々が視界の奥までが生い茂っていた。

地形に起伏は少なく、地面は緑やこげ茶色の厚い苔に覆われていた。


振り返り、自分がいた小屋を見る。

柱で床が地面に付かないようにされており、ちょっとした高床式住居のような小屋。板張りの三角屋根の上に長い針葉樹の枝葉が積み上げられている。

背後の崖に面するように建てられており、遠くから一見すると、崖のくぼみにつくられた生き物の巣のようだ。

小屋の入口の道なりの地面がけもの道のように短く掘られていて乾いている。

そこに沿って、石で積まれたかまどや、枝で作られた物干し台のようなものなど。生活の形跡が感じられた。

小さくまとめられた、自然が温かみが生かされた良い家だ。

渡○篤史がいつか建物探訪にくるかもしれない。


いったい、ここの住人はどんな人間なのだろうか。

自分を治療してくれた人間だ。すくなくとも悪い人間ではあるまい。

だが、警戒は怠らないでいこう。


 小屋の周辺を少し散策することにした。見てもわからなかったが、歩いてみると、ここらの地形はすこし傾斜しているのがわかる。

かすかに川のせせらぎが聞こえる。もやっていて見えないが、ずっと下ったところに川があるようだ。


丁度よい温度で、風もない。緑々とした木々に見え隠れする灰色の空からは、ほのかに太陽の暖かみが感じられて、心地よく歩ける。


すこし歩いたところで、木々が開け、小さな川に行き当たった。

水の澄んでいる綺麗な川だ。水面をのぞき込む。

そこには、額に包帯を巻いた、角刈り頭の普通の男の顔が映っている。

次に、川の水を手ですくい、一口飲んだ。

体の中を冷たい水が通っていくのが心地よい。乾いた体に染み渡る。

相当喉が渇いていたのか、飲む手が止まらなかった。


『こんなところにいたのか』


がぶ飲みしていると、後ろから女の声がした。おどろいて振り返る。

すこし離れた川瀬に一人の女性が立っていた。


『水を飲んでいたのか?』


こちらに降りてきた。

自分に声をかけているようだが、何を言っているのかはわからない。


美しい長い黒髪、灰褐色の肌、とんがった長い耳、青い瞳。茶色のローブのようなものをまとい、背中にはかごを背負っている。

うるわしくも常人離れしたその外見をみて、自分がいままでと違う、別の世界に迷い込んでしまったことを確信した。


『まだ寝ていたほうがいい』


またなにかを言っている。あたり前かもしれないが、聞いたこともない言語だ。

困った。どのようにしてコミュニケーションをとればよいのか。


しばらく、女性のほうを向いたまま、困りながら地面に座していると、

向こうもこちらに視線をあわせるためか、かがんでこちらの目を見る。

もっと、困った。緊張して声も出せない。


『もしかして、耳が聞こえないのか』


何かに気付いたのか、立ち上がると、ついてこい、というように手を招いて歩き始めた。あわてて立ち上がり、彼女について歩く。

来た道を戻るように森を進む。途中何度か振り返り、こちらを気にしつつ歩いている。怪我人だからと、案じてくれているのかもしれない。


すこし歩くと、先ほどの小屋についた。

やはり、彼女がこの家の住人で、自分を助けてくれた人間のようだ。

小屋の前にあるかまどの近くにかがんで、背負っていた籠を置くと、慣れた手つきで火かき棒でかまどの中の灰や炭をかき出し、籠のなかに集めた枯れ枝を雑多に放り込む。


すると、彼女はかまどに手をかざし、なにやら呪文のようなものをささやている。

低くもなく、高くもなく。さらさらと聞き心地の良い声で、つい聞き入ってしまう。


短く唱え終えると、細かな光の粒子が枯れ枝に集まるようにして現れ、次の瞬間、ぼうっと高温の炎がかまどから吹き上がった。


もしやと思ったが、彼女は魔法使いなのだ。


とんでもない世界に迷いこんでしまった。


だが、不思議と落ち着いてこれまでの現状を受け入れてる、自分に驚いている。

もしかしたら、いまだ自分は夢のなかにいるのだと思っているのかもしれない。


一連の魔法での火起こしを当然のように終えると、小屋の中へ入っていき、入れ、というように入口の簾を持ち上げたまま、こちらを見ている。


 「おじゃまします…」

彼女が開けてくれた横を通り、中に入る。

その間も、ずっとこちらを見下ろして、観察されていた。

警戒しているのだろうか。勝手に出歩いていたのが怪しいのかもしれない。


若干、驚いた顔をしている。自分が言葉を話したからだろうか。

このとき気づいたが、自分よりもずいぶん背が高い。180はあるのではないだろう

か。それも相まって威圧感あった。


彼女が床にあぐらで座ったので、自分も向かい合って正座する。

すこし間があったあと、


『わたしの名前は、サヤタ。おまえはなんという?どこからきた?』


何かを言う。こちらを配慮しながらか、ゆっくりとしゃべっている。

しかし、もちろんわからないので、首を横に振った。通じるだろうか。


彼女はうなずいた後、少し考え、自らの顔を指さしながら、

『サ・ヤ・タ』

と言った。


もしかして、名乗っているのか。サヤタ。それが彼女の名。

「サヤタ」

と、自分がまねて発音すると、サヤタがうなずいた。名前で間違いないようだ。

続けて、自分も同じように、「クリタ」と名乗った。

とりあえず、友好の証として笑ってみせる。


サヤタは、クリター、と復唱してうなずいた。

ちょっと伸ばし棒が後ろに付いている気もするが、まあ良しとする。


『ふん、よい名ではないか…』


・・・

お互いの自己紹介と思われるものがすんだあと、


『まだ大人しく横になっていろ。人なんて、ちょっとしたことでも死んでしまうからな。』

サヤタは自分を、部屋のすみの、自分が寝かされていた所に背中を押して誘導すると、また小屋から出て行った。


仕方がないので、また寝床に入り、掛布にくるまって横になった。


すぐ外では、入口の隙間からなにやらかまど周辺で忙しくしているサヤタの姿が見える。飯の準備をしているのだろうか。

助けられた上、世話になってしまって申し訳ない。だが、いまはサヤタに頼るしかない。

未開の地にやってきて早々にサヤタのような人に出会えたことは、幸運以外のなにものでもない。

だが、果たしてどうやって元の世界に帰れば良いのか。そもそも帰る手段があるのか。

まずは、とにかくこの世界を知らなくてはならない。

そう考えると、いますぐにでも行動を起こさなくてはと思う。


サヤタは時々、外から顔をのぞかせ、こちらがちゃんと寝ているか確認している。


どうやら、彼女はなかなか過保護な性格らしい。




     


                          

                                つづく



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