第3話 魔女との生活
こちらの世界に送り込まれてから、数時間が経過しただろうか。
先ほどすこし歩き回っただけだったが、体中の怪我もあるせいか、とても消耗した気がする。
いまは派手な行動はとれない。とりあえずこうして寝ているしかあるまい。
自分を助けてくれた、サヤタというダークエルフのような女性は、さっきまで小屋の入口にあるかまど周辺で食事の準備らしきことをしていたが、いまは、小屋の
魔法の修行だろうか。
みていると、サヤタの周りの床板から、淡い緑色の光の粒子が立ち上り、彼女の呼吸に合わせて、光の粒子が膨らんだり、縮んだりして、灰褐色の肌を透き通るように淡く照らしていた。
火起こしの魔法をつかっていたときも、これに似た光が出現していた。
これはいったい何なのだろうか。
半ば唖然としながら、この幻想的な光景を眺めていると、突然片目を開き、
『ん…なんだ、魔術に興味があるのか?』
なにかを言われた。多分、あまりじろじろ見るなと叱られたのかもしれない。
あわてて目をそらした。
木の壁、天井。目の置き場をさがしていると、この部屋の簡素さと、物の少なさに驚く。隅に積まれた書物くらいしかない。
あとは、自分が使わせてもらっている掛布と枕代わりのひもで束ねた藁の寝具一式がひとつあるだけだ。
収納らしきものも見当たらないが、柱で組まれた天井に一か所、穴が開いており、
あの枝葉で積まれた屋根と、天井の間になにか物をしまうスペースがあるのだろう。
広さは6畳もあるかないかくらいの広さ。この狭い部屋に自分がいては、邪魔者以外のなにものでもないだろう。
怪我が回復するまでは、なんとかここに置かせてもらえないだろうか。
しばらくの間天井を見て時間をつぶしていると、
『そろそろ良いか…』
サヤタが瞑想をやめ、目を見開くと同時に彼女の周りに漂っていった光の粒が、ふっ、と消えた。
サヤタは小屋から出て行った。かまどに掛けてある鍋の様子を見に行ったようだ。
『なにはともあれ、まずは腹ごしらえからだぞ、少年』
サヤタが湯気の上がった鍋を両手に戻ってきた。朝か昼かは分からないが、飯時のようだ。
雑巾を敷き、その上に鍋を置いた。部屋全体に不思議な、しかし悪くはない香りが広がる。
起き上がり、鍋の中身を覗く。もくもくと湯気の上がる白濁したスープのようなもの。底には、木の実だろうか。なにかが沈殿している。
『お食べ』
サヤタはそれを竹を割った食器に木の杓子でよそって、渡してくれた。
白濁した汁からは、栗か木の実のようななんともいえない素朴な香りがする。
渡された木のさじでかき混ぜると、穀物や実のような沈殿物が汁の底で舞った。
「い、いただきます」
おずおずと汁を飲む。口の中に木の味が広がったあと、ほのかな甘み、塩味。あとはお湯の味。とりあえず食べられる物の味がした。美味くも不味くもない。
だが、温かいものが腹を通り、とてもほっとする。
今気が付いたが、相当腹が減っていたようだ。空腹も手伝い、あっという間に一杯平らげた。
そのこちらのようすを、鍋を向かい合うサヤタがにこやかに観察している。
ごちそうさまでした、と食器を置くと、すかさずサヤタがまた汁をよそう。
「あ、どうも…いただきます」
まだ物足りないかんじがあったので、ありがたく頂く。
それにしても、見られながらだと食べずらい。
高確率で目が合って気恥ずかしいので、汁のほうを見つめながら食べる。
それもまた食べ終えると、また汁をよそわれた。
彼女は食べないのだろうか。自分だけ食べているというのは、どうも申し訳ない。
汁の入った椀を、いかがか、とサヤタの方に差し出す。
サヤタはなんだ、とこちらを見て少し考えたあと、
『ふっ、優しいのだな。わたしはいらないよ。人の身であるお前には食事は必要だろう。全部お食べなさい。』
、と首を横に振った。どうやらいらないらしい。
椀の中を食べてはまたよそわれ、いつの間にか鍋の中身は空になっていた。
サヤタはとがった耳をぱたつかせながら、いぜん目を細めてこちらをみている。なんだか変な気分になってくるので、とりあえず笑顔を作り、食事の礼を頭を下げて表した。
『ふふ、良い食べっぷりだったぞ』
食事を終えると、また横になって、天井を見つめていた。
何から何まで悪いと思い、さきほど食器の後片づけをしようと立ち上がると、サヤタに寝ていろ、というふうに制されたので、仕方なくまた横になった。
サヤタは、威圧的なほどの長身とは裏腹に一見少女のような顔をしているが、
自分よりもずっと年上なのかもしれない。いや、彼女の醸し出す不可思議な雰囲気は、千年生きていると言われても不思議ではない。
ふと、今は何時だろうと、いつもの癖でポケットにいつも入っている携帯電話を探すが、どこにもなかった。
元の世界で落としてきたか、こちらの世界に転移した拍子に失くしたか、いずれにせよ、この辺りにドラゴンやフェアリーが飛んでいても、Wi-Fiは飛んでいなさそうである。
通信機能はなくとも、保存されている妹の写真や、故郷を思い出させる大切なフォルダが沢山入っている。失くしてしまったのはとても悲しい。
つらいとき、幼かったころの妹の写真を見て、よく活力を得ていた。今はあんなだが、昔は純情で可愛かったのだ。
いや、もしかしたら自分が転送された場所あたりに落ちているかもしれない。いったいどこで自分はサヤタに発見されたのだろう。
この負傷具合をみると、おそらく崖か、川上から転落してきたのだろう。回復してきたら、さっそく探しにいこう。
さっき飯を食べたからか、なんだかもう眠くなってきた。
エルフのお姉さんに世話をされながら、食っちゃ寝をする生活。悪くない。最高だ。
だが、自分はこんなファンタジーの世界を生きる住人ではない。
泥臭く、残酷で、そしてどこまで優しい。現実世界を生きなくてはならない。
自分の人生は、俺だけの人生ではない。置いてきた人がたちいる。
大切なひと。守らなくてはならない人だ。
帰らなくては。どんな手段を使ってでも。
だがいまはとにもかくにも眠い。体は休息を求めている。
とにかく今は休むのだ。
目が覚めたら、
いつもの天井で、いつものうるさい目覚まし時計で。
母が入院したのも全部悪い夢で。もしかしたら父も昔みたいに縁側でコーヒーを飲んでいて。
今日くらいは一葉といっしょに学校へいこう。
いつもの日常が、そこにはあるのだ…。
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サヤタの日記
ウオーレス歴1582年。夏の67日目。今日はくもり。
角刈りの人間を拾った。
変化もなく平坦な悠久の時を過ごす私だが、この森でヒト族の人間を見たのは、数えるほどだ。
なにがあったのか知らないが、川に上半身を半分突っ込んだ状態でいたので、死体かと思ったが、引き上げると、奇跡的にまだ心の臓が止まったばかりだったので、再生魔法で蘇生してやった。
すると、数時間後には目覚めて川で水を飲んでいた。こいつの生命力はどうなっているのだ。
クリターと名乗るこの人間。
変わった素材の服を着ていて、若者に珍しい角刈り頭。起伏が少なく、生まれたころからこうだったのではないかというような顔立ち。どこの大陸の人間かわからない。
マナの言葉が喋れないようで、謎の言語をときおり発してこちらを驚かせた。
独特の礼儀作法をわきまえているので、良い家の出かもしれない。
まあ、知ったことではないが。
魔法使いになってから、料理は実に百年ぶりくらいだったが、私の作った飯をうまそうに食っていた。よかった。
クリターは私のことを物珍しいように見てくるが、こちらが見ると、顔を赤らめて目をそむける。ういやつだ。
明日からクリターに言葉を教えていってやろう。話を聞いてみたい。
これも何かの縁、なんだったらこいつを弟子にしてやってもいいかもしれない。近頃のエルフは面白みに欠ける。
まあ、まだ早計か。
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つづく
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