第05話 誓約 

 ムスペル大公国の王侯貴族の多くは、大陸諸公国貴族と友誼や婚姻関係がある。鴻臚官レイベル・カンバンの実家・伯爵家もそうだ。ゆえに浅黒い肌が多い同国人としては、白く見えるほうで、髪を短く切り、男性戦士のような姿だった。この人の案内で、エルフが向かっただろう深い森の奥にある《神陵》を目指す。


 神陵は、神都フェンサを築いたエルフの大神が奉じられている場所だ。

 褐色の偉丈夫が、同じ戦象の輿に乗っているムスペルの鴻臚官に、

「レイベル、神陵とは何だ? ムスペル大公家が破ったという、エルフとの間で交わされた盟約とは?」

「ムスペル大公国の始祖様は、大陸からムスペル島に渡ってこられた方だ。建国のとき、《禁足地の森》に迷い込み、神陵に至られた」

「始祖は、神陵への立ち入り禁止と保護を条件に、エルフの神と契約して《加護》でももらったのか?」

「そういうことになる。――もし大神がお怒りだとすれば、先日の《海の民》侵攻で、禁足地の森に対する監視が甘くなり、あの流民・暴徒どもの一部が、神陵を荒らしたのだろうと愚考する」


 エルフの女刺客が逃げ道は、途中まで、シグルズが象の捕縛に使ったルートだったが、道の体裁を残してはいない藪だ。鬱蒼とした密林のところどころに、剥き出しになった敷石がある。――古代文明時代に街道があった痕跡――女刺客はそこを通っている。

 途中、森に棲まうコモドドラゴンが、白き戦象グルトブの横をかすめては行ったが、それ以外に、大きな支障はなかった。

 戦象の輿に乗った俺が同乗しているシグルズに、

「エルフの女刺客は我らを誘っているようだな」

 シグルズがはにかんだ。


 長弓を携えたレイベルが、

「ここが神都フェンサだ」

 以前に野営した円形劇場遺構をかすめ、スルト火山の麓にたどり着く。失われし帝国の廃都はそこだった。花崗岩の谷間の前後に城門を設け、合間に幾何学文様の市街地区画を築いている。市街地の大半は火砕流に呑まれてはいるが、小高い場所に建てられた施設は残っていた。

 壁には、百柱前後はいるだろう神々の浮彫レリーフがあり、各柱はバルコニーの欄干から身を乗り出したり、奥でひっそりと立っていたりする。一番奥にいるのが大神だ。

「素晴らしい! 町そのものが、岩盤をくり抜いて造営されている。高度な技術だ。今のユグドラ大陸でも、こんな真似はできない――などと旅情を楽しんでばかりはいられぬな」

「まったくだ」

 火山中腹であるため、密林から高原植物に代わって来た。

 天然の城壁をなした尾根の崖上に、百人くらいのエルフ戦士がずらりと一列に並んで、こちらに弓矢を向けている。

「鎧を装着しておくべきだった。つきあわせてすまなかったな、レイベル」

「是非もない」

「奴らと腹を割って話し合えば、なんとかなるだろう」

「期待する」

 二人は戦象を降りて武器を捨てた。すかさず、背の高い耳の尖った連中が二人を取り囲んだ。

 長弓を片肩に担いだエルフ戦士百人隊が、行進する。隊列の中ほどに、捕縛されたヴァナンの全権大使と、ムスペルの鴻臚官レイベルもいた。かくいう灰色猫の俺・ヨルムンガンドといえば、エルフ共に手綱で牽かれた白い戦象の頭に、ちょこんと乗っかって、状況を見守った。


               *


 ムスペルについて、ユグドラ大陸の人は、同名の島と大公国を思い浮かべる。だが実際のところムスペル大公国は島の一部しか領有していない。島の奥には、ユグドラ大陸の名目的な宗主国・アスガルド王国に臣従していない、エルフ族系王国があり、上ムスペル王国を称していた。

 鴻臚官レイベルが、

「ここはギムレー、エルフ族の国・上ムスペルの王都だ」

 エルフ達の城邑は、遺跡からそう遠くない場所にあった。神都フェンサと同じ都市設計思想のようで、家々は岩盤をくり抜いて築かれており、三方を尾根で隠され、周辺からは望むことができない。

 シグルズが、

「レイベル、エルフ達が、あの場で自分らを始末せず、連行したのはわけありだと思わないか?」

「それもそうだな」

 いつ殺されてもおかしくはない状況だというのに、二人は、余裕のある態度で世間話をしながら歩いていた。

 その態度に腹を立てた、エルフ女が、シグルズの頬をぶった。女大公に呪いをかけた刺客で、仲間達からグズルンと呼ばれ、エルフ達の神官職に立っているようだった。

「どうせ殴られるなら、むさい拷問官の親爺よりも、いい女に叩かれたほうが趣き深い」

「シグルズ様と仰いましたわね。貴男、私どもの言葉がお判りになるのかしら?」

 女神官グズルンは、エルフ族に特徴的な、銀色の髪に紅玉色の瞳をしたアルビノだった。――女神官は目を伏せ、耳元まで真っ赤になっている。シグルズに気があるらしい。

「自分の師がエルヘイム出身でね、剣技はもちろん、学問や宮廷作法、そしてエルフの言葉も、その人から学んだんだ」


 エルヘイム大公国は、アスガルド王国に臣従する、大陸に版図を持ったエルフ族の国だ。ガイル男爵家の嫡子を個人指導するのだから、同国の知識人たる貴族階級出自なのだろう。

 ユグドラ大陸における貴族子弟の教育は十歳から始まる。その方法方は、貴族に弟子入りして個人指導を受ける方法と、主君や本家筋の城で小姓になり、そこの若君と机を並べて学ぶという方法がある。

 ――ゆえに貴族達はただ無骨な兵士というものではなく、有識者だった。シグルズが、エルフ語や、古代フェンサ帝国の古代文字〈ルーン〉を習得していても、不思議なことではあるまい。


               *


 エルフ戦士百人隊と捕虜達は、王都の市門前で足を止めた。

 ムスペル島の低地にあるサピエンス族系の大公国は、高温多湿な気候に適した、木造モルタル系建築が主流だ。

 これに対してギューキー王の都城と宮殿は、崖を削った神殿のような造りだ。恐らくは、スルト火山の中腹にあるため気温が低く、湿度も、密林の多い低地よりは、抑えられているためなのだろう。

 エルフの王が、城門の上に姿を現すと、一行は片膝をついて一礼した。王はギューキーと名乗った。サピエンス族ならば四十歳くらいに見えるが、長命な種族のことだから、実際には二百歳を超えるのだろう。

 ギューキー王も、種族的な特徴である、銀髪・紅玉色の瞳をした双眸だった。その人が、

「シグルズ卿だったな。その気になれば、卿を縛った縄なぞ、簡単に解いてしまうことだろう。あえて捕縛されたのは儂に会うためなのだろう?」

「なんだ、バレていたのか」

 シグルズとレイベルは後ろ手に縄で縛られたままだ。シグルズが顎をしゃくり上げる。白き戦象グルトブの頭に乗っていた灰色猫の俺・ヨルムンガンドは、地面に飛び降りる際、爪で二人の縄を切ってやる。

 アルビノのエルフ王が、

「それでシグルズ卿よ、なんの用だ?」

「麾下の女神官が、ムスペルのフレイヤ女大公に術をかけ、眠らせました。解いて戴きたい。それだけのこと」

「上ムスペルを統べる我らエルフ族と、下ムスペルを統べるサピエンス族とは、かつて、不可侵の契りを結んだ。いかなる理由があろうとも看過できぬ」


 ユグドラ大陸諸国の大半は、今では名目上となったものの、アスガルド王国に臣従しているというのが建前だ。ところが、上ムスペルを称するエルフ族の王国は、初めからアスガルドに属していない。


 ヴァナン大公国の全権大使シグルズが、

「恐らく《神陵》に土足で踏み込んだのは《海の民》でしょう。――賊はムスペル大公国のフレイヤ女大公が討ち取りました。何の問題があると?」

「《海の民》が賊であれども、サピエンス族であることに違いはない。下ムスペルの統治者たる女大公は、我らが領域に同胞の賊が踏み込むのを、許してしまった」

 地べたに座っていたシグルズは腕を組み、心底困った顔になった。

 ギューキー王が、

「大陸から大海ニョルズを渡って来たシグルズよ。何ゆえに我ら上ムスペルのエルフと、下ムスペルのサピエンスとの揉め事に首を突っ込む? 戦象を受け取り、さっさと国に帰ればよいではないか?」

「そうは参りません、ムスペル大公国には、一宿一飯の義理がありますので――」

「単純な理由だな。並みの人間が単純な道理を貫くことはかなわず、すぐに綻びが生じてしまう。それが嘘というものだ。シグルズよ、卿は嘘をつく必要がない、規格外の人間のようだな。それゆえに、あらゆるものが卿の強さを慕う。――人や象はおろか、栄光あるフェンサ帝国の末裔たるエルフの女達までもがな……」

 褐色の偉丈夫が、アルビノの王に、

「それで、どうします?」

「卿は、我ら上ムスペルのエルフ族を族滅する力を有するが、その意思を持たない。道理がないからだ。禁忌を破った《海の民》を抑えられなかったフレイヤ女大公に代わり、罪を償うというのであれば、一つ試練を果たしてもらう」

「それはどんな?」

 ギューキー王の言葉は高飛車ではあるものの、水かけ論を終わらせることが出来そうだ。シグルズが断るはずもない。




王国志:設定書(人物・地図)

https://kakuyomu.jp/users/IZUMI777/news/16818093075593255049


主要登場人物イラスト;集合図

https://kakuyomu.jp/users/IZUMI777/news/16818093075606792966


図解:神陵

https://kakuyomu.jp/users/IZUMI777/news/16818093076140700645

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