第06話 鮮血女王

 上ムスペルのギューキー王が宮殿とする館の中に通された。謁見の広間は板張りで、アザラシの皮が敷かれている。一行は、そこにどっかと座った。

 成り行きを見守るしかないフレイヤ女大公の乳姉妹が、ヴァナン大公国から来た男、シグルズを横目で見遣ってから、――英雄シグルズならば、我が主を救える!――とばかりに、赤くした顔を下に向けた。……レイベルはなんて判りやすい娘なんだ。

 早速本題に入る。

「大窓から見えるスルト火山の裏側に不肖の妹、ブリュンヒルドの館がある。誇り高いエルフ族は、下ムスペルのサピエンス族を蔑視しがちだが、彼女は極端なものだった」アルビノであるエルフ族の王が、「ムスペル島からサピエンス族を駆逐して、フェンサ帝国を復活させると息巻いて、賛同者どもを引き連れ、新フェンサ王国を称するようになった。個人的な戦闘力はともかく、数の上では、サピエンス族の下ムスペルのほうが圧倒的な数だ。悪戯に戦を仕掛ければ、駆逐されるのがエルフ側となるのは自明の理であろう。――出て行った連中は心を闇に支配されている」

 銀色の髪を弄んでいたギューキー王は、双眸から涙をこぼしていた。アルビノの王が、

「同胞同士で傷つけ合うのは見たくない。妹を殺してくれ。儂は妹の通力に及ばぬが、汝ならば――いや、断ってもいいのだぞ……」

 王は途中まで哀願したが、自制するかのように、言い回しを変えた。


               *


「道の途中に桟道がありますわ。戦象をお連れになるのは重すぎますのでお勧めできません。ですから、我らが王の宮殿にお預けなさいませ」

 女神官グズルンの言うように、白き戦象グルトブが桟道から崖下に転落することは容易に想像できた。なのでシグルズは、彼女に素直に従った。

 道案内役は女神官グズルンだった。――フレア女大公に眠りの術をかけた実行犯なので当然、乳姉妹のレイベルは露骨に不快さを表情に出している。

 灰色猫の俺・ヨルムンガンドが皆に、

「上ムスペルから新フェンサに至る一本道か――」

 スルト火山山頂は、空気が薄くて息ができない。そこにたどり着ける者は神や精霊のたぐいのみで、生身の人間が行けるのは中腹までだろう。道の一部は火山の中腹に達していた。

 シグルズが、

「グズルン、空気は美味いが息苦しいな」

「高度が高くなったからだと存じます」

 苔むした岩肌に名も知らぬ花々が咲いていた。涼とした空気の草原を抜けると、氷河の痕跡がある谷間となり、そこから上下する尾根道へと抜ける。途中、雷鳥の親子連れが足元を横切った。やがて草花がほとんど見かけなくなったあたりで、切り立った崖の横腹に、行く万本もの横木を突き刺した桟道が続くようになる。

 耳長の女神官が振り返り、

「桟道から先は新ファンサ王国の領域ですわ」

 大陸から来た男シグルズと俺ヨルムンガント、鴻臚官レイベルが続く。

 褐色の偉丈夫が、

「なあ、グズルン、本当のところ、フレア女大公の眠りをおまえの術式で解くことはできんのか? もとはといえば卿がかけたものであろう?」

「無理ですわ。だってあの術式は使命が達成されるまで解けない呪いなのですもの」

「使命が達成されるまで解けない呪い? 卿は、初めから自分を利用する気だったのか?」

「我らの耳は伊達に長いわけではございませんわ。卿が戦象を求めて大陸のヴァナン大公国を出立し、ムスペル島に上陸したってことも存じておりましてよ」

「港に出入りする船乗りの話しだけの情報ではないな。《草》か?」

 グズルンは思わせぶりに微笑むばかりで応えない。

 シグルズは、

「新フェンサの女王暗殺、――知りもしない女を闇討ち――するのは性分に合わん。出来れば腹を割って話し合いたい」

「ブリュンヒルド様はこちらの動きを察していらっしゃり、罠も張っていらっしゃることでしょう。油断なされば、こちらが危のうございます」

 グズルンが、いつの間にかシグルズに肩を寄せていた。――この男の面倒臭いところは、女を惹きつける体臭だ。――横で見ていた鴻臚官レイベルが、「もう」と頬を膨らませているのが、イタい。


 このとき――

 桟橋前方から、手をつないだ男女二人がこちらに向かって駆けて来るのが望めた。十五、六の少年と、十二、三歳の少女だった。さらに後方から、エルフの戦士五人が、急ぐでもなく楽しむかのように、追いかけて来るではないか!

 二人とも比較的身なりはいいが古着で、裸足だった。

 女神官グズルンが、

「脱走奴隷みたいですわね」

 膨れていたレイベルがとっさに長弓を構え、弓矢を放つ。すると追手のうちの一人が桟橋から谷底に落ちた。

 女神官はシグルズに、脚力を倍にする〈奇跡〉を施した。元々筋力のあるシグルズだが、これにより剣歯虎並みの跳躍をして、残る追手に躍りかかる。――瞬殺だった。

 そこで俺は、一羽の烏が、谷の向こう側からこっちを見ているのに気づいた。

 俺達の様子は、烏の目を通して、主に見られているはずだ。

 俺は、あまり知能が高くなければの話しだが、たいていの鳥獣を眷属化させる通力がある。――ゆえに、かの烏を眷属化して奪い、逆に、元の主の元へ飛ばしてやった。

 新フェンサ王国の同名都城は、エルフ族特有の岩盤をくり抜いて築かれた街だ。


               *


 ――ここが新フェンサ女王の館だな。窓の内側は工房か?

 俺の意識と同調した烏が、部屋の窓辺に、羽音を消して停まり中を覗く。

 近隣諸国を襲いさらって来た少年奴隷を使役し、王宮も一枚岩をくり抜いている。そこの一隅に、工房があり、忙しそうに少年達が働いていた。

 女王ブリュンヒルドは紅玉の双眸で銀色の髪、異様に白い肌をしたエルフ族特有の容姿をしていた。女としては長身の七十ソイ(百七十センチ)くらいで、王冠を被り、腰まで髪の毛を伸ばしている。

 水銀というのは、熱すると赤色になり、また熱すると銀色になるということを繰り返す性質がある。コップのような形をした素焼きの土器をしているのが坩堝で、これに液体化した金属を溶鉱炉から流し込むのだ。

 ――あの女がブリュンヒルドだな!

 女王は、坩堝るつぼを覗き込み、夢見るような瞳となって、「美しゅうござりんす」と呟いた。

 そこで――

 別棟の工房で爆発が起こった。

 ブリュンヒルドと取り巻き達が、噴煙がまだあがっている部屋に駆け込む。すると、実験にあたっていた少年が倒れているではないか。

 女王は膝を折り曲げて床に座り、彼の頭を太腿に乗せた。その人が目を細め、

「どうしてこんなことに?」

「炭と硫黄と硝石を調合して熱したところ、爆発したのです。比率は、一対一対二でございます」

「炭・硫黄・硝石……」

 夢見るような瞳をした女王は、まるで童女が何かを発見をしたかのように、大きく目を開いたと同時に、嘲笑したのである。

「なんて愚かなの。それは火薬の調合法でありんせんか!」

 そこに、宰相とおぼしき黒衣の貴紳がやって来て、

「我が従魔烏が何者かに奪われました。――旧王国から男女三名と猫一匹が越境して来ております。旧王の放った刺客かと存じます」

 新王国の人々は、上ムスペルのエルフ族王ギューキーとその版図を、旧王・旧王国と呼んでいる。

「ほおっ。では宴の準備を――。わっちは肌のお手入れをしておきんしょう」

 女王は立ち上がった。爆風で死んだ少年の頭が床に叩きつけられた。

 ブリュンヒルドは、颯爽とした足取りで浴室に向かう。女王が入浴する様子だ。

 〈下ムスペル〉からさらって来た娘達が、首を引っ込め、ガタガタ震え出した。

「私達の中から誰かが殺される……」

 女王が指名した少女が裸にされ、棺のような形をした箱に押し込められ蓋をされる。蓋には数百本もの針が装着されており、閉めるとそれが刺さる仕掛けだ。残った娘達が流れ出した血液を容器に集め、山羊乳と混ぜて浴槽に注ぐ。

 ――入浴剤ってわけか、酷いものだな。

 浴室は床から浴槽まで岩盤をくり抜いたものだ。

 女王は、少年奴隷に着衣を預け、浴槽に浸り、ハミングをし始めた。水面には色とりどりの花々が浮かんでいる。




王国志:設定書(人物・地図)

https://kakuyomu.jp/users/IZUMI777/news/16818093075593255049


主要登場人物イラスト:集合図

https://kakuyomu.jp/users/IZUMI777/news/16818093075606792966


主要登場人物:ブリュンヒルド女王

https://kakuyomu.jp/users/IZUMI777/news/16818093076115510624

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