下
日室はどんな奴だったのか。
戸田の話を聞いてから、孝迪は改めて思い出してみた。一番接点があったのは小学校時代だ。中学・高校に入ると生徒数が増えた為、クラスも分かれがちになり、自然、日室と顔を合わせる機会は少なくなった。だから参考になる記憶は、古いか薄いかのどちらかである。――容姿端麗。文武両道。人当たりも家柄も良く、いつでも人の輪の中心にいた。日室について、それ以外のことを孝迪はよく知らない。
親しくはなかったのだ。だが、だからこそ素直に見て取れたこともある。
来る者拒まず、去る者追わず。
幼い頃から一貫して、日室は非情なまでに淡泊だった。魅力的な割に離れたらふつりと縁が切れるタイプの人間で、それゆえ近しい連中は彼を繋ぎ留めようと何かとヤキモキしていたような気がする。戸田の話を鑑みるに、成長するに従って、その気質がいよいよ深刻に周囲へ影響を与え始めたのではあるまいか。その結果がどうして殺人に繋がったのか、孝迪にはとんと理解できないが……
想像しかけ、すぐ面倒臭くなって、孝迪は考えるのをやめた。そうだ。そうだった。と気がついて、眉を顰める。一応昔馴染みで苦手でもないのに、日室とどうして碌な交友がなかったか。その理由が、不意にすとんと腑に落ちたのだ。
日常を円滑に楽しく過ごす。それだけの人間関係があればいい。そう割り切っていた孝迪が、どこをどう見ても面倒事の火種でしかない日室と親しまなかったのは道理だった。相性が悪いというよりは、互いの性格的に道が交わるはずがなかったのである。
午前1時。予定通り、準備を整えて家を出た。エンジン音で家族が気づくかもしれないので車は使えず、かと言ってシャベルが嵩張るため自転車にも乗れない。移動は徒歩だ。
「運ぶのメンドッ」
「がんばれー」
大して重くはないものの、長物の持ち運びは地味に煩わしくて、担いだり、小脇に抱えたり、孝迪はシャベルの扱いに四苦八苦しながら夜道を歩いた。手ぶらの日室は暢気なもので、半ば揶揄うように軽やかな足取りで孝迪の隣を歩いている。
田舎町は娯楽が少ない。深夜ともなるとコンビニ(実家から車で15分)以外の商業施設はもうあらかた閉まってしまって、辺り一面真っ暗だ。時々思い出したように、電柱の上に外灯が設置されている。それ以外の人工的な灯りはほぼ見当たらず、星月の光の方が視界を確保する光源として返って当てになるくらいであった。
人目を忍んでいるからだろう、朝と違って無駄口を叩こうという気もあまり起きない。雰囲気に引き摺られているのか、日室も孝迪と同様無言だった。話し声がないため、辺りの静けさが身に沁みる。静かすぎると不意の一瞬、耳鳴りと虫の音の区別がつきにくくなる――その不思議で頼りない感覚を、孝迪は久しぶりに思い出した。
ひゅう。
口笛。ぎょっとしたが、日室の仕業だったらしい。白い歯を覗かせ、彼はにんまり悪戯っぽく笑んでいる。ガツンと一つ小突けないのがもどかしい。
住宅の建ち並ぶ小路を通る時は緊張したが、幸い一度も人と行き会うことはなく、キタハラさんの敷地に着いた。雑木林に入ってしまえば、月明かりはもう頼れないだろう。片手が塞がるので鬱陶しいが、仕方ない。リュックから大型懐中電灯を取り出し、スイッチをON。ついでにそれでリュックの中を照らしつつ、入り用な物を引っ張り出した。
長袖のシャツ。軍手。手拭い。ラジオ。
半袖Tシャツの上に長袖を着て、ラジオを点ける。音量を適当に調整し、掌大の黒い機械をリュックのサイドポケットにねじ込んだ。
「それ、ここで点けるの?」
「獣除け。お守りみたいなもんだけど。ここまで来たら人と会うより、猪と遭う方がおっかねーや」
夜間だからまだマシだが、長袖だとやはり暑い。首に掛けた手拭いの端をシャツの襟元に突っ込んで軍手を嵌めると、いよいよ息苦しいような感じになった。今すぐさっき着込んだ物を脱ぎ捨てたい気分だけれど、軽装では藪の中を歩いて穴掘りなんてとても出来ない。
「行こう」
早く帰りたい一心で、孝迪は日室に言った。
「うん」
どこか楽しげな様子で頷き、先立って日室が歩き始める。朝見た以上に薄気味悪い雰囲気のキタハラさんの裏へ回って、
「ここ、入り口」
日室が指差したところには、人一人が通れるくらいの小さい藪の切れ目があった。さっさとそこから雑木林に入り込み、日室は振り返って手招きしている。獣道だろうか。だったら最低限歩きやすいのかもしれないが、大型動物と鉢合わせる可能性は高まってしまう。闇雲に歩いて、うっかりスズメバチの巣を踏むよりマシか……
熊のいない土地でよかった。
九州に生まれた幸運をしみじみ噛み締めつつ、孝迪は日室の後に続いた。歩きながら、(あれ)と思わず目を瞬く。横並びに歩いている時は気づかなかったが、日室の姿は闇の中、ほんのり光っているようだった。いや。光っているというよりは周囲の暗さに影響されず、一定の明度と彩度を保っている。そんな印象だ。皆に幽霊が見えるなら、夜間の交通誘導員として
一応道が整っていたからだろう。目的地には案外早く行き着いた。何か甘い匂いがする、と思ったところで、
「ここ」
日室は獣道から逸れて藪の中へ入り込み、文字通り草葉の陰から突き出した手をひらひらさせた。その手の辺りに懐中電灯を向けてみる。
大きな白いものがある。
近づいてみて、孝迪は「はあ」と唸った。白い花を無数に咲かせた蔓状の植物が、樹木にとっぷり絡みついていた。
「何これ」
「たぶんジャスミン」
ジャスミン。名前はコンビニの飲料コーナーでよく目にするが、こういう植物だったのか。
「分かりやすいから、ここに埋めたみたいだね」
言いつつ日室はジャスミンに纏わり付かれた樹の近く、自身の足許を指差した。
リュックと懐中電灯を地面の適当な場所に置き、シャベルを地面に突き立てて、掘る、掘る、掘る、掘る―――――……邪魔な石を放り投げ、邪魔な木の根を剪定用ノコギリで切り取って、掘る、掘る、掘る、掘る、掘り続ける。
「全然ないぞ」
「もうちょっと掘ってみてよ」
手拭いで汗を拭って、掘る、掘る、掘る、掘る―――――……ふう。と一息吐いたところで、周囲の音が意識された。ラジオが昭和歌謡らしき歌を朗々と垂れ流している。疲れた肉体でそれをぼんやり聞きながら、孝迪は不満たらたら声を張り上げた。
「おい日室、やっぱりないぞ。お前これ位置がッ
気づいたら、自分を見下ろしていた。頭が変にひしゃげた
「はァ―――――?!」
孝迪が訳も分からずキレたのは、言うまでもない。いつの間にか穴の周囲には人がいて、皆一様に蒼褪めていた。皆。皆だ。一人ではない。六人いる。男女半々。年齢は孝迪と同じくらいか。
「なんで」
呆然と呟いた男の顔には覚えがあった。戸田である。よくよく見れば、全員どこか知っているようないないような面をしている。
「とにかく埋めよう」
努めて冷静に押し殺した声で言ったのは、これも見覚えがある男――日室同様、孝迪と同じ校区に住んでいた辻村だ。戸田、辻村………
「こいつら、もしかして」
「2年3組のクラスメイトだよ」
孝迪の言葉を継いだのは、日室だった。いつからそこにいたのか、隣にゆったり佇んで微笑んでいる。
「毎年、参りに来るんだ。その時ごとに面子は違うっぽいけれど」
「違う…?」
「うん。辻村と眞鍋のどちらかは必ずいるけど、それ以外は違う。バラバラ。ここ数年で同じ顔見たこと、ほとんどない」
つまり、なんだ。日室殺人事件には2年3組の大多数、下手すれば全員が関わっていて、皆で力と口裏を合わせて事件を隠蔽した。で、毎年辻村・眞鍋が主導して、夜中にひっそり墓参りをしているということか? いや、そんなことより、
「日室」
「なに」
「お前、こいつらが来るって知ってたろ」
笑顔は無言の肯定だった。
殴る。横面に拳が当たった。幼児期の喧嘩以外で、初めて人を殴った気がする。すり抜けない。死んだからか。俺が。
「いたぁ」
言いつつ、頬を擦って顔を上げた日室には、殴られた痕はちっとも残っていなかった。さっき日室は「毎年、参りに来るんだ」と言っていた。毎年。事情が事情、場所が場所だ。気易くは来れないのだから、参る日をランダムに決めはしないだろう。節目に来るはずである。この場合の節目はたぶん命日で、毎年の経験から日室はそれを知っていた。知っていたのに、黙っていた。
「―――~~!」
言いたいことは山ほどあるが、咄嗟に言葉が出てこなかった。土台、孝迪は怒り慣れていない。渋い顔で意味もなく手をわきわきさせて、やっと「どうして」という一言を絞り出した。
「どうして俺なんだ」
「言ったろ」
君は運が悪かったって。
悪びれもせず、日室はひょいと肩を竦めた。
「
「……話せりゃ誰でもよかったのか?」
「うん」
「こんな明らかに何か拗らせてる、ちょっと突けばお前のためなら死んでもいいって言ってくれそうな阿呆共がいるのに?!」
「うん」
孝迪は頭を抱えた。肝心なとこでそんないい加減だから殺されるんだ、馬鹿野郎!!
ざっ。ざっ。ざっ。と音が聞こえる。見ればスコップを持った戸田が、凶器らしい血のついた石やリュック、孝迪の死体を一緒くたに突っ込んだ穴へ土を黙々放り込んでいた。
「おい、これ」
よく見りゃ、俺が掘った穴じゃねーか。
最悪だ。墓穴を掘るという慣用句が、これほど骨身に沁みたことはない。
「ま、これから仲良くやろうよ。佐藤君」
「佐原だっつてんだろ、この馬鹿!!」
目の前にいる殺した相手の名前くらい覚えとけ!
命日 白河夜船 @sirakawayohune
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