エピローグ

エピローグ

 真白は再び、父親の墓前を訪れていた。以前は様々な人間を引き連れて騒然とした墓参りだったが、今回は真白一人だった。ただ静かに、墓前で手を合わせていた。

「お父さん、ありがとう。きっとこうして今もお天道様の下を歩けているのは、お父さんが守ってくれたからだよね。名前も変わっちゃったし、一時はお父さんの願いを無視してしまったときもあった……でも、見捨てなかったんだね。ありがとう」

 真白は、父親が書いた遺書の一節を思い出していた。


“お前だけは、何にも染まらずに生きてくれ。悪意の黒に染まらず、復讐の心も持たず、ただひたすらに、自分の人生を生きてくれ。お父さんはいつでも、空から見守っているからな。”


 この父親の願いを忘れないように、改名するときにわざわざ“真白”という名前を選んだ。なにものにも染まらず、復讐などという暗いものも跳ね返して、自分の人生を生きられるように。そう思って、この名前にした。

 でもその結果は、散々なものだった。人殺しを計画したうえに、あまつさえそれを本気で実行しようとした。ましてや、最大の親不孝とも言うべき自殺まで考えていた。父親から見放されたとて、おかしくなかっただろう。

 それでも、今の自分には見上げればどこまでも続く空が見える。燦燦と輝く太陽の日差しも、冷たい空気を運ぶ北風も、日常に溢れる雑多な音も、すべてが五感を通して訴えかけてくる。

 生きていてよかった。人殺しにならずに、信じられる人に出会えて、よかった。そう、語りかけてくる。今の真白は、その問いかけに胸を張って同意できる。正当な罰は受けていないが、それならこれからの人生で人を助け、社会に貢献していけばいい。それが、自分にできる平凡だが、最大の罪滅ぼしだと考えた。

「巻き込んじゃった新田君は、本当に警察官になろうとしてるんだって。サッカーの日本代表にもなったのに……勿体ないよね。東君の方は、まだ私に言い寄ってきてるよ。すごいよね、人殺しを企てた人間に求愛できるなんて……」

 真白はしゃがみ込み、父親にしか聞こえないほど小さな声で呟いた。

「お父さん……私は、人並みに幸せになっていいのかな。私は――」

「コラッ! 走り回ったら危ないでしょ!」

 そんな真白の耳をつんざく鋭い声が、少し離れたところから聞こえて来た。そちらの方へ目を向けると、小さな四歳くらいの女の子が元気に霊園の中を駆け回り、それを必死に追いかける母親の姿が見えた。父親の方は少し離れたところからただその光景を見て笑うばかりで、特に何かをしようとはしていない。

 真白はその光景に、かつての自分を重ねた。思い起こせば、父親もあのように自分と母の織り成す日常を笑って見るばかりで、躾という躾をされた覚えはない。今となっては無責任な父親だったと見えるが、当時はそんな優しい父親のことが大好きだった。

 ――そうして思い出に浸っていると、先ほどの小さな女の子が真白の方へ駆けてきた。そして目の前で足を取られて転び、盛大に泣き始めた。真白は母親の方に目をやるが、息も絶え絶えといった様子で、こちらに来るまでには時間がかかりそうだ。父親の方は論外。途方もなく離れたところに居て、娘が泣いていることにさえ気づいている様子がない。

 真白は笑顔でその女の子に近づき、痛いの痛いの飛んでいけ、という呪文を唱えた。女の子は突然現れた見ず知らずの人の奇行に驚いたのか、呪文後すぐに泣き止んだ。すかさず真白は、畳みかけるように話す。

「ほら、痛くなくなったでしょう。お姉さんはね、魔法使いなんだよ。あなたの痛いのは、どこか遠くに飛ばしたから、もう大丈夫だよ」

 そう言って真白は、カバンから取り出した絆創膏を女の子の擦りむいた膝に貼ってあげた。

「うちの子がすいません」

 遅れてやってきた母親が、子どもが迷惑をかけた母親が言う定型文を口にする。真白は笑顔で答え、当然のことをしたまでだと答える。

「ほら、桜。ちゃんとお姉さんに、ありがとうって言いなさい」

「うん。ありがとう、おねえちゃん!」

 かわいらしい感謝の言葉に心温まったのも束の間、真白は女の子に名前を訊き返していた。女の子は元気に、自分の名前を答えた。“桜”と。

「桜ちゃんか……かわいいお名前だね」

「うん。さくらちゃんね、このおなまえ、すっごくだいすきなの」

 無邪気な笑顔を見せる初対面の女の子に、真白は昔の自分を重ねた。その後のんびり歩いてきた父親に母親が罵声を浴びせる時も、真白はかつての家族の面影を重ねた。

「おねえちゃん、どうしてないてるの? ままがおっきなこえをだしたから、それがこわかったの?」

 気付いたら真白は、涙を流していた。桜ちゃんに指摘されるまで、そのことに全く気付かなかった。慌てた母親と父親が取り繕って謝罪を述べるが、真白はただ手を横に振って受け流すことしかできなかった。二人が原因ではないのだから、当然だ。

 やがてその一家は自分たちの墓参りに向かうからと真白に背を向け、歩き始めた。だが、突然桜ちゃんが振り返り、真白の方へ駆けてきた。

「おねえちゃん、これあげる。ここにくるまえにみつけたんだ。もってると、しあわせになれるんだよ。たいせつにしてね」

 真白は、桜ちゃんから四つ葉のクローバーを受け取った。再び真白の目に、涙が溢れた。桜ちゃんはその涙を見て、「ごめんなさい、さくらなにかわるいことした?」と心配そうに声をかけた。

「ううん。大丈夫、桜ちゃんは何も悪くないよ。ありがとう。これ、大切にするね」

「うん! やくそくだよ」

「うん。だから、桜ちゃんもひとつ、おねえちゃんと約束してくれない?」

「いいよ!」

「お父さんとお母さんを、大切にしてね。きっと桜ちゃんのことを怒るときもあると思うし、嫌いになるときもあると思う。でも、忘れないで。お父さんとお母さんは、絶対に桜ちゃんの味方だからね」

「うん! 分かった!」

 そう言うと桜ちゃんは、また元気に駆けていった。そして両親と手を繋ぎ、嬉しそうに歩いていった。その背中が見えなくなるまで、真白の視線は桜ちゃん一家に釘付けにされていた。

「私も、もう少し元気に過ごしてみるね」

 真白は父親の墓前でそう言い、桜ちゃんからもらった四つ葉のクローバーを片手に、日常へと戻っていった。


(完)

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表と裏 佐々木 凛 @Rin_sasaki

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