放蕩男爵と嘆きのヴィオラ2

蘭爾由

第1話◇シェレトワレ 二つの星が夜空に浮かぶ朝◇

◇シェレトワレ

二つの星が夜空に浮かぶ朝◇


本は好きだ。僕のとぼしい想像力でも、見たこともない世界を覗くことが出来るからだ。


夜になると空に浮かぶ二つの星。

黄色い月と青いたま

月には自由に空を飛べる天女人が住んでいて、碧には巨大なトカゲが跋扈ばっこしていると。

昼には月が白く浮かび、夜になると碧が東から登ってくる。

僕が住んでいる星はくら

人工衛星が映し出したこの星の写真は色んな本に載っている。青い海と白い大地、魔力が膜となって黒く包むためか宇宙からはこの星は見えない。ここに星があると分かっているからかろうじて見ることが出来る。

昔から、月の天女が舞い降りただの、碧のトカゲが人に化けているだの、誰も行ったことがない二つの美しい星への憧れは幾つもの物語を生んだ。


「またソファで寝てる。」


僕は姪っ子の声に起こされた。

読みかけの本を開いたまま胸に乗せて、ソファの肘掛けを枕に、いつものように目覚めたが。


「……まだ暗いじゃないか。」

「暗くても朝です。もうすぐ明るくなります。」


僕は唇をむにんとつぐんだ。子供相手にむっとするのはおとなげないからだ。

僕は大人だから、夜なのに朝だという子供の我儘にも付き合ってあげなければ。

母の弟という親しくもない男と一つ屋根の下、突如共同生活を送らなければならなくなった環境で、姪っ子は寝付けないのかちょくちょく暗いうちから起きてくる。

そしてぱたぱたとハタキをかけて掃除を始めるのだ。そのうちウーンウーンと掃除ロボットが動き出し、カタンカタンと自動でカーテンが開かれ換気も行い、姪っ子はせわしなく拭き掃除でダッダカ駆け回る。

自分の部屋にいると騒音に起こされてとても不快な気分で目が覚める。

それならと、僕はリビングのソファで寝ることにした。

掃除を始める前に姪っ子の可愛らしい声で起こされるからだ。


「ああ、いい香りだ。ありがとう。」

「どういたしまして。」


それに僕は起きてすぐ砂糖抜きのカフェオレを飲むのが好きなんだが、それも姪っ子が用意してくれていて、淹れたての良い香りとともに目覚めるのでとても満足している。ちゃんと僕好みの低脂肪牛乳なのがいい。


最近気付いて購入した防音イアリングのスイッチを入れると、静寂の中で美味しいカフェオレを愉しむことが出来る。

野暮な提案はしないでくれたまえ。僕は姪っ子に起こされる朝のカフェオレがとても気に入っている。そのおかげか早く寝る癖もついて肌の調子も良くなっているんだ。

ふふふ。また僕の美貌に囚われる令嬢が増えてしまうかと思うといたたまれない思いだよ。


とはいえ、いつまでもこのままでいいと思っているわけではない。

姪っ子は十三歳だ。義務教育を受ける歳なのだ。

そう、学校に通わせなくてはならない。

しかし、いきなり通わせるのは良くないだろう。学校で周りの生徒から浮かない為にも、ある程度世間の常識というものを姪っ子に詰め込んでおかなければならないだろうと思う。

姪っ子の生きてきた世界は大人だらけの嫉妬や怠惰が鬱屈した檻の中のようなものだ。


なので僕はこれから毎日姪っ子を連れ出して、世界にはこんなに楽しいことがたくさんある事を教えてあげようと思っている。学校はその後だ。


「ヴィオラ。掃除は適当に切り上げて、今日は連れて行きたいところがあるんだ。」


そうそう、姪っ子の名はヴィオレーヌ。長いからヴィオラと呼ぶことにした。


まずは同じ年頃の友達を作らなければと、ローレン伯爵の邸にヴィオラを連れて行く。



「学校なんてクソよ。」


ヴィオラと同じ歳のローラは「低気圧で少し頭痛が」くらいのトーンで言った。

学校なんて……ゲフンゲフン、令嬢がそんな言葉を使ってはいけないよ、いいねヴィオラ。


「どんな風にクソなの?」


ヴィオラ!

僕とローレン伯爵は二人の言葉遣いに驚いたが、伯爵夫人は聞き慣れているのかどこ吹く風だ。


ビキ……

僕の中の可愛い姪っ子の虚像にヒビが入る。きっとローレン伯爵も僕と同じ思いだろう。

しかし二人は止まらない。思い思いに語り合って共感し、ここにくる途中に買い与えた携帯で連絡交換までしている。まじかよ。もう使いこなしてやがる。


おじさんにはついていけない。

世間一般の子供にはよくある事と受け止められるが、自分の身内ではこうも感覚が違うのか。それとも男と女では許容範囲が違うのか、伯爵夫人がホホホと和んでいる意味が僕には分からない。

待って待ってヴィオラ。僕を置いていかないで。

君は成長が早過ぎる。あの姉の子らし過ぎて怖いくらいだよ。


「なあに叔父様。もう疲れたの?萎びた顔をしていたら放蕩男爵ファンが泣くわよ。」


帰りの車の中でヴィオラが微笑む。

僕を放蕩男爵と呼ばないで(泣)姉に笑われたような気がして胸が苦しくなる。


「しょうがない叔父様ね。そんな捨てられた子犬みたいな顔は私じゃなくて尻軽令嬢に向けるべきよ。」


ヴィ……ヴィオラ〜(泣)どうか頼むから僕の前でだけは良い子でいてくれ。


そんな願いも虚しく、萎びたアンジュの隣で、携帯電話を軽快に操るヴィオラは笑っていた。


◇◇◇


私が笑っていると、軽薄な感じの叔父様は一変して生真面目な紳士に変わる。

それが面白くて何度も言いたいことを言っていると、涙を浮かべて少女のように顔を手で覆ってしまった。


「僕の前でだけは良い子でいて!」


それじゃまるで私は良い子じゃないみたいじゃない。


叔父様と出会ったのは運命のようだった。

人生を諦めたまま手紙を出さず、一人で生きていたら私は、今こうして笑っていられたかどうか分からない。


少年院の高く聳える鉄の扉が開かれると、

「やあ。ヴィオレーヌ、僕の可愛子ちゃん。」

やっと会えたね、僕は君の見知らぬ叔父様さ。

そう言って抱きしめる大きな背中に、私は腕を回して抱きしめ返した。

母と同じ、ちょっと寂しげな笑顔で、壊れないか心配そうに私の背中に手を回す仕草も、母を思い出して胸がきゅっとなる。

叔父様の背中はとても大きくてまるで届かなかったけれど、ぎゅっとコートにしがみついた私を抱き上げ、

「寒くないかい?」

とコートを広げてその中に優しく包んでくれた。

私のあかぎれた手に気付いて、

「女の子の手はふわふわで好きなんだ。」

と言って握ってくれた。

「これからたくさんの事を見て聞いて驚くだろう。君の世界は大きく変わっていく。けれどこれだけは約束してほしい。僕に嘘はつかないで。それだけ守ってくれたら、僕はいつでも君の王子様になれるんだ。」

絵本に出てくる王子様のような微笑みで叔父様は握った私の手の甲に誓いの口付けを落とす。

「子供って王子様が好きだからいいと思ったんだよ〜恥ずかしいからもう言わないで!」

あの日のことを思い出すと叔父様はお姫様のように恥じらうのでとても面白い。

だから私はあの日のことを絶対に忘れない。



寝坊した!

何で目覚ましがならない?!と飛び起きた視界はピンク色だった。

うわ。思い出した少女趣味のフリフリピンク。


染みついた習慣は体から抜けないらしく、叔父様と一緒に住み始めても朝が暗いうちから目が覚めてしまう。

壁には落書きはないけれど、あの頃のような不安も苦しみもここにはない。

いつもなら暗い中で疲れ果てた体を無理矢理起こして、一つしかないつぎはぎだらけの着替えの服を着て、脱いだ服を洗いに行くことから一日が始まる。洗って干しておかないと着替えがなく、洗えずに異臭を放つと臭い臭いと蹴られるからだった。


でももうそんな意地悪をする大人はここにはいない。

女の子の部屋は可愛いうんうん、とピンク色の部屋を見て自己満足に頷く少女趣味の叔父様しかいない。

まぁジメジメした何もない部屋よりかはいい。


ピンクの部屋から出て中二階の踊りパリエからリビングを見下ろすと、壁一面のガラス窓から向こうに見える、夜空に浮かぶ二つの星と、庭園は荘厳な美しさを讃えるようなライトアップで花々が一輪一輪どれも主役のように光っていた。


階段を降りると窓の外が見えなくなった。

カーテンは閉じられていてリビングに出ると真っ暗になった。階段を上がって振り返る。窓の外の美しい景色に感動する。階段を降りると真っ暗なリビングだ。

カーテンは魔道具なのかもしれない。中二階から見下ろす景色はとても美しく、カーテンで隠してしまうのは勿体無い。この趣味だけは叔父様と気が合うわ。


そういえば、掃除は雇っている家政員かせいいんが週三回やって来るからしなくていいと言われた。でも掃除って毎日するものだと思う。

あの美しい景色を見る為には窓を毎日ピカピカに磨いておくべきではないかしら。

床だって汗でベタベタするのは気持ち悪くないのかしら。

一人暮らしの割にはこんなに広い邸だもの、埃だって多いはずよ。

ちょっと待って私、少女趣味のパジャマからワンピースに着替えてどこ行くの?バケツを持ってどうしようとしているの?

掃除する言い訳を探している私は何故こんなにもワクワクしているの?


私、掃除したいんだわ。

そうよ、掃除は悪いものじゃないわ。汚れているものを綺麗にするんだもの。

でも貴族はお掃除なんかしたりしないわよね。フリフリピンクの高そうなワンピースを着て雑巾掛けする令嬢なんて。

叔父様の養子になって名前もヴィオレーヌ・ロアエク男爵のご令嬢って呼ばれるからには、雑巾持って床掃除に駆け回るようなこんなこと!


「どうしたのこんな夜中に騒いで。」


いつのまにか雑巾掛けでダッダカ走り回っていた私はハッと我に返った。

叔父様が起きてきてしまった。

だめだだめだと思いながらも体が勝手に動いてしまった。


「す、すいません。掃除がしたくて」

「いいけどもう少し静かにね。ふあぁ。」


食い気味に叔父様はいいよと言ってあくびした。

えええ。いいんですか?!


「ついでにカフェオレ淹れてくれる?低脂肪牛乳で。」


ふあさっ、とソファに寝転がる。

艶々の黒髪がソファの肘掛けに羽のようにのる。

天使がちょこんと昼寝しているように、膝はソファの背にもたれ、まるで絵画のような美しさで叔父様は目を閉じる。


さすが放蕩男爵。女神に愛されるバロン。


掃除していいって言ったこと、後悔しないでくださいね?今更取り消せませんからね。


雑巾を持った少女は、天使のように美しい男の寝顔を見つめた。


これから二人を巻き込んで世界を騒がせる物語が始まるまで、あと少し。

もう少し。

叔父様と姪っ子のいつもの朝が穏やかに過ぎていく。


ダッダカダッダカダッダカ

「もう少し静かにねー」



Fin



◇簡単に各話の称号の解説とイメージを語るメモワール◇

シェレトワレ

星空 よく物語に月が二つある話が出てきますが月のクレーターの意味とか天女伝説とかかぐや姫とか、全身緑人間とか巨人とか、昔昔にもうひとつ星がありましたなんて話にしちゃえば全部ひっくるめて面白い物語にならないかなと。町でももう少し星が見たいなあ。今じゃドローンか人工衛星かと。

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