スカーレット
@Kamias_novels
第1話 邂逅
この世界には五つの大陸が存在する。
それぞれが元素を司り、大陸によって景色も人の営みも様々にある。
そのうちの一つ「緑の大陸」グノシナーダは、大陸の約七割が森林地帯となっており、神秘的でどこか薄気味の悪い世界を昼夜問わず見せるのだが、そんなグノシナーダ大陸のすべてが、今にも燃え尽き灰燼に帰そうとしていた。
大陸の中心部に位置する神秘の森を、若き考古学者ウェント・ウィアが駆ける。
ひと時の隙も休息も許さないといわんばかりに目を開き切り、努めて体勢を崩さないようにと懸命に、しかしそれでも今にも手足がもつれ絡まり、大地に投げ出されそうな危うさを感じさせる文字通り必死の状態だ。
何がウェントをそこまでさせるのか。その原因はウェントを追いかける存在にあった。見目恐ろしい「魔女」である。
酷く古めかしく邪悪で、畏怖をそのまま服にしたかのようなボールドレスを着こんでいる。およそその者の顔は見えない。ただ深い深い陰りと闇の中に、血煙を彷彿させる煌々とした紅い二つの光が浮かび、ウェントをまっすぐにとらえて追跡する。
ウェントも魔女も相当な速さで動いている。にもかかわらず、魔女のドレスは空気抵抗を無視し、不自然にゆっくりと揺らめく。まるで、ここには存在しないかのようだ。ふと、魔女が右手をゆっくりとウェントの方へ伸ばした。
ウェントはその動きを気配としてとらえ、まずい!と心の中で叫ぶ。続いて喉奥から"呪文"を絞り出す。
「ハイプロテクション!ループ!デュアル!」
ウェントの周りを半透明の球体が二重に包んだ。ウェントは間髪入れずに続く呪文を唱える。
「ムーブ!フロート!」
ウェントが身体一つ分左へ移動した。その直後、魔女の右手から紅い光線が放たれ、先ほどまでウェントがいた場所へと着弾。それは膨れ、弾け、天まで伸びる巨大な火柱と轟音を立ち上げた。ウェントの回避はわずかに間に合わず、吹き飛ばされ、大木へと打ち付けられる。ウェントの身体を地へ放り、遅れて大木が灰へと変わる。真夜中の森は昼に思えるほどに眩く赤く燃え盛り、煙と人や動物たちの阿鼻叫喚が昇る。緑の大陸、神秘の森はもはや地獄と化したのだった。
ウェントは地獄の中心で横たわっていた。魔女の一撃を躱しきれなかった右半身は焼け焦げ、手足のいたるところが欠け落ちている。もう、一歩も動けないどころか、指一本さえ動かすことはできないだろう。
虫の息となっているウェントのもとへ、魔女がゆっくりと近づいてくる気配を感じた。足音はない。その姿を微かにしか見ることしかできないが、魔女が近づくにつれ、共におぞましい死の空気が全身を強く押さえつけるように感じる。
ウェントは生まれて初めて抗いようのない恐怖を感じた。
研究のための調査。そのためにはと幾度となく危険な目に遭ってきた。死と危険は覚悟していたつもりであった。しかしそれは思い上がりだったのだ。自分は大馬鹿者だとウェントは自身を強く責める。
過去の記憶から死から逃れる術を模索するウェントの目を、ついに魔女の両目が捉えた。全身の血と肉が一瞬で凍り付いたようだった。魔女が右手をウェントへと向けた。もう逃れられない。俺は死ぬのだと、ウェントは最後の覚悟を決めたが、魔女の一撃はいくら待てども来なかった。恐る恐る魔女の方へ眼を向けると、そこには信じられない光景があった。
"魔女が、泣いていたのだ"。
両目の端に涙を溜めて、苦悶に眉根を歪め、小さな嗚咽を鳴らして、"少女"は静かに泣いていたのだ。
ウェントはひどく混乱した。あれほどまでに憎く恐ろしかった魔女の姿はそこになかったのだ。伸ばされた右手は彼の命を奪う凶器ではなく、助けを乞い伸ばされたものに見えた。
この時はじめて、ウェントという一人の人間を認めたのか。魔女は先ほどとは違い、わずかに生気を宿した目でウェントを見つめて、静かに、絶叫した。
「わたしをたすけて」
ウェントは最後の力で短く呪文を唱えて無理やり手を動かし、血反吐とともに言葉を吐き出した。
「まってろ」
ウェントの命の火が、ふっと消える。
ウェントと魔女の間を、紅い血が巡っていた。
スカーレット @Kamias_novels
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