『ある旅行者の最後』
小田舵木
『ある旅行者の最後』
手にはランタン。コイツは特別製だ。何が特別かって?
こいつはね、僕の命を燃やして使うんだ。
だから無闇矢鱈と使いたくはない。
だけど。視界の暗さはいただけない。僕はさっそくランタンに火を入れる。
火を入れると辺りが照らされる。ここは洞窟みたいだ。
辺りは岩壁。迷路みたいな道が張り巡らされている。
僕はフラフラと岩壁をたどってみる。左手法ってアレを試そうかなって思ったんだよ。
左手法で道を適当にたどって見たけど…どうやらこの穴には出口がないみたい。
僕はほとほと困る。参ったな。早いことココを出てしまいたいんだ。僕には目指すべき場所があるんだよ。
僕はしがない旅人だ。あちこちを旅して旅行記を書いて、そいつを売ることで生計を立てている。
今回も東の大地の未踏の地を目指していたんだけど…その道すがらに洞窟があってね。思わず潜ってしまったんだ。
その洞窟の中には落とし穴があった。宝でも隠したヤツがいて、その罠にこんなモノを掘ったと思うんだけど。
僕は最初の落とし穴の底に戻る。そして穴を見上げる。
ランタンで照らせば―遠く向こうに落とし穴の入口が見える。
ああ。欲をかくんじゃなかったな。こんな目に遭うなんて。僕は彼らが隠したであろう宝になんか興味はない。元々カネがかからない貧乏旅だ。
僕はその場に座り込む。この穴には出口がないことは分かったからね。余計に歩き回って体力を使いたくはなかったんだ。
ランタンの火を消す。なんたって僕の命を燃やすランタンだ。あまり無駄遣いは出来ないんだよ。
真っ暗になった穴の底。そこには確かな孤独がある。
僕ひとりだけがこの穴に居るんだ、そう思うと。世界にひとりぼっちになった気分だ。
「あーあ」なんてため息を吐く。これは自分が生きてるよって確認だよ。こういう事をやっておかないと気が狂ってしまうからね。
◆
僕は穴の底。暗い底には何もない。
あれからまる一日が経った。僕は諦めて寝ていたんだけど。いい加減寝すぎて寝れなくなってしまったんだよ。
こうなってくると暇だ。とりあえずは出口のない迷路を歩き回る。こうやって身体を使ってないと、精神はあっという間に弱るんだ。
僕は迷路を一周してしまうと。暇になった。やっぱり。
僕は鞄の中身を漁ってみる。こういう時の暇つぶし、何か用意してなかったっけ?
出てきたのは紙束と筆箱、それと非常食の乾パン。
とりあえず僕は乾パンを頬張る。そしてそいつを口の中の唾液でじっくり溶かしながら食べる。
こういう時でもお腹は空くから不思議だ。もうちっと腹の虫が働かなければ、食事代浮くのになあ。
お腹にモノを入れると。少しは気分がマシになる。僕は穴の底から上を見上げる。
仄かな明かりが円形に漏れている。外は朝かな。この落とし穴は洞窟の入口に仕掛けられていたから、外の光が少しだけ入ってくるんだ。
外の世界は僕なしでも回っているんだな。そう思ってしまう、外からの光を浴びていると。
僕は社会的にアウトサイダーだ、この世界においてはぐれものだ。そんな僕でもお
ああ。このまま僕は死んでしまうのかなあ。
だってこの洞窟があった辺りは物好きな旅人ですらあまり訪れない地だ。
希望なんてありはしない。骨になるのを待つばかりなんだ…ああ。短い生涯だったな。
まあ?こんな僕には死んでも泣いてくれる人はいないけどね。
◆
穴の中に横たわっていると安心する人がいるって言うけどあれは嘘だな。
なんて言ったっけ?胎内回帰願望だっけ?とりあえずあれは嘘だ。
こんな穴の中にいてもちっとも安心は出来ない。むしろじわじわ寿命を縮めている感覚しかないね。
僕は穴の底に座っている。両膝を抱えて。その様はまるで死を待つ浮浪者だ。
ほとほと嫌になってくる。
落とし穴の入口を見上げる。そこには仄暗い円形がひとつ。外はもう夜になったらしい。
夜になると。僕はソワソワしてしまう。いつもならこの時間帯が旅行記を書いてる時だからね。
頭の中に文章が浮かんでくる。今回は洞窟の中の落とし穴の記述。
『かの洞窟の入口には落とし穴がある。旅人よ気をつけよ』なんてね。
ああ。この浮かんでくる文章を紙に書きつけてしまいたいな。
僕の鞄は簡易的なライティングデスクにすることが出来る。背中のところに板を入れてあるんだ。
後は。この命のランタンを燃やせば―書けるっちゃ書ける。
でもなあ。命がけで文章をかくのはどうだろう?
僕はいつも宿で文章を書くようにしているんだ。命のランタンを無駄遣いするのは気が引けるんでね。
うずうずする身体を僕は抱きしめる。とりあえずはこの欲求をやり過ごしたい。
僕はその場で寝転がって、その辺を転がり回る。
書きたいという欲求を動くことで発散しようという訳だね。
ある程度転がり回ると―僕の視界に落とし穴の入口が。
見上げた
僕の精神がその穴に持っていかれそうになる錯覚。僕も大分弱ってきたらしいね。こんな気分になるなんてさ。
落とし穴の底は静まりかえっている。
そこには僕の身体が一つ。それで世界はお終い。
孤独な世界だなって思う。こんだけシンプルな世界だったら、僕はどうやって生きるのだろう?ふと考える。
多分。それでも。僕は文章を書くのだろうな。なんたって僕は文章を書くのが好きなんだ。
小さいころから文章を読むのが好きだった。
元々運動音痴ってのがあるからね。外で身体を動かすより、中で本を読んでいるのが好きだったんだ。
特に夢中になったのは旅行記だ。あれを読んでいると。その場に居ながら世界旅行をしている気分になったものだ。
長じて僕は。昔から憧れていた旅行記作家になるために、産まれた街を捨てた。
あの日をよく覚えている。死んでしまった両親の家財を全て処分して。いくらかのカネに変えた。自分の家財も大分捨てた。この鞄に入らないモノは全て捨ててしまった。
そして。二本の脚で僕は歩き出したんだ。この世界を。
それからの日々は大変だったな。食うに困る日々だった。地図に載っている街を旅して文章を書いた所で売れはしない。
いく街いく街で。僕は人ん
だから、僕はそのうち、アウトサイダーになった。どこにも属さない者。それが僕。
こういう生活をしていると。コミュニティで生活することがだんだんできなくなる。そして更にアウトサイダー化は進む。
孤独なアウトサイダーの僕の旅は―どんどん危険な方向に向かっていった。
地図に載っていない街を目指して、未踏の地に踏み込んでいく日々が始まった。
あれは楽しかったなあ。いやあ。僕の知らない世界はまだまだあったんだな、って思ったよ。
そして僕はそいつを文章に書いて。旅行記の
それを産まれた街の近くの版元に持って行ったら、それが本として売られる事になった。
昔から憧れていた旅行記の作者の末席に座る事が出来たんだよ。あれは嬉しかったなあ。
◆
いつの間にか。僕は走馬灯が如く人生を振り返っていたらしい。
コイツは
そらまあ?こんな落とし穴に
僕は命のランタンに火を灯す。その時には少し心臓が痛む。
コイツは。我が家に伝わる家宝だ。その来歴は謎に包まれているという。
なんたって、僕の祖先から伝わってきているオーパーツのようなものなのだ。
コイツは幾多のモノを照らし。我が一族の命を喰らってきた。
その炎は青白い。普通なら黄味がかった赤の炎が点くところに青白い炎が燃やされる。
その不思議な炎は、よくモノを照らす。白味がかった炎はよく拡散する。
僕は白味がかった光の中で自分の手を確認する。
あまり暗いところに居ると、全身の感覚がおかしくなってくるのだ。
手を握ったり開いたりを繰り返す。まだ、僕は生きている。かろうじて。
照らした明かりで鞄の中を覗く。中には紙束と筆箱。そして乾パンの包み。
そう言えば。乾パンは後どれくらい残っていたっけ?確認してみると、あと2、3日は保ちそうだ。
僕はこの穴に落ちてから二度目の食事をすることにする。うん。さっきまで走馬灯を見ていたからね。ここで何か腹の中に入れておかないと本当に死んでしまいかねない。
乾パンを口に運ぶけど。口の中がパサつきすぎていて。パンは一向に硬いままだ。
ああ、水分が不足している。幸いここは洞窟で。ある程度湿気っているから水滴が落ちるところにコップでも置いておけば水分は確保できるだろう。飲める保証はないけど。
僕は水滴が滴るところにコップを置いて。
その間口の中に乾パンを入れたまま、ぼーっとしていた。
だが。考える事がないと言うのは苦痛だ。
◆
しばらく苦痛に耐えているとコップに水が溜まりきる。
僕はさっそくそれを口に運ぶ。少しだけ飲み込む。
そして横になっておく。これは毒見だ。これでお腹が痛くなったら、この辺の水はアウト。
しばらく横になっていたけど。お腹は痛くならない。良かった。これで水分はある程度確保できる。
僕は口の中の乾パンと共に水を一杯飲む。そしてまた水滴が滴るところにコップを置いておく。
しばらくすると大分気分はマシになって。
精神が動き出すのを感じる。そうすると―暇になってきて。
ああ。このまま僕は死ぬんだろうけどさ。このまま何もしないのもどうなんだろうか?
命のランタンは輝いていて。僕の辺りを照らしている。その光の中には鞄があって。開きかけのそれからは紙束と筆箱が覗いている。
…そうだ。遺書でも書こうかな。せっかくの機会だ。ここでいっちょ名文でも書いて後の世に残ろうじゃないか。
僕は鞄を裏向ける。そして板を仕込んである方を上に向けて。簡易ライティングデスクを作る。
紙束から紙を一枚引き抜いて。デスクの上に置いて。僕はペンを取り出す。
『私は洞窟の中の落とし穴に
◆
私は今や死ぬしかない。それを思うと憂鬱か?案外そうでもない。
と、言うのも。私には家族が居ないからである。
私は旅人になるにあたって故郷を捨てた。そこに残されていた自らの家族の歴史を売り払った。そのカネで旅をしていた。
旅は過酷なものであった。
食うに困る人生。コイツは経験すると分かるが、実に惨めだ。
だが。私は働く気にはならなかった。慎ましく生活していれば困らない程度にはカネを持っていたからだ。
いく街いく街で私は人の家のゴミ箱を漁った。路銀をケチる為である。
そうしていると。街の住人は私を奇異の目で眺める。コミュニティ外の人間がそういう事をしていると、
気がつけば私はアウトサイダーになっており。どこにも属せない生き物になっていた。
どこにも属せない者は、ひたすら旅をするしかない。何処かに安住の地を求めて。
だがしかし。何処に行っても私が属せそうな場所はない。
私は―旅という行為の中にしか存在出来ない生き物になっていたのだ。
それは酷く孤独だ。コミュニティを捨てた私でも、人が恋しくなることはある。
だが、仲間外れの私は何処の街でも爪弾きにされる。
そうして孤独を深めていき。
私は地図に載ってない街を旅するようになった。
地図に載ってない大地を歩いていれば、いつかどこかの街でコミュニティの中に入れてもらえるような気がしていたのかも知れない。
だが現実は甘くなく。遠くの地から来た私は訪れる街訪れる街でアウトサイダーだった。旅人としては歓迎される。だがコミュニティの中には入れてもらえない。
私は旅をしながら文章を書いていた。
私は昔から旅行記の作者に憧れがあり。旅を始めた理由の一つが旅行記を書くためだった。
最初の頃は書いた原稿は売れなかった。当然である。地図に載っている地域の旅行記に需要があるだろうか?
だが。私が地図の外を旅し始めると、地図の外でも受け入れられずにいると。
原稿は売れた。奇しくも産まれた街の近くの版元である。
私は憧れの旅行記の作者になっていた。それ自体は嬉しかったが―どこにも属せていない感覚は拭えないままだった。
孤独な私は旅に生きた。
地図の外をうろついて。文章を書き続けた。
いくつもの本を世に送り出した。世間的に少しは認知されるようになったのではなかろうか?旅先でサインをねだられた事もある。
だが。私はあのどこにも属せていない感覚が抜けきっていない。
常に孤独と共に旅をしている。その道を照らすのはランタン。命を燃やすランタン。
命を燃やすランタンは我が一族に伝わるもので、私が唯一売り払わなかったものだ。
そのランタンの由来は不明だ。昔祖父に尋ねた記憶があるのだが。彼は何も知らない、と言うばかりであった。
命のランタンは青白い光を灯す。その光は拡散性が高く。旅のお供にはぴったりだ。命を燃やすってところだけが難点だろうか。
私は命のランタンと共に地図の外を歩き回る。世界との唯一の結節点、旅行記を書くために。
そして東の大地を旅していた。ここは―私達が訪れない辺境の地である。
一応遊牧民がポツリポツリと住んではいるが、定住している者は限られている。
私が旅を急いでいると―洞窟があった。
私はそんなものに心奪われている場合じゃなかったが。
「まあ、こういう寄り道も旅行記のスパイスになるか」と思い。その洞窟に脚を踏み入れ―この落とし穴に
この落とし穴はかなり掘り進められている。岩壁の迷路が張り巡らされている。
…かつては坑道だったものを転用したものかも知れない。
だが。出口は私が落ちた穴一つで。そこにはハシゴが掛けられておらず。
私はここで死を待っている。
死ぬこと自体は怖くない―というのは嘘だが。ある
どうせ。どこにも属していないアウトサイダーなのだ。
それに。旅の途中で命のランタンを使いすぎている。どれだけの命を光に変えてきただろうか?それを思えば。そろそろ寿命なのかも知れない。
この文章も命のランタンの光で書いている。
だから。私はこの文章を書き終える頃には寿命を迎えるかも知れない。
…短い人生。生きたいように生きた人生。
ただ。寂しさはある。旅を始める時に故郷の物を売り払った事を今は後悔している。
あれで私は世界への根を失ったのだ。根なし草になってしまったのだ。
それで得たものは?
少しの名声と肩書、いくつかの作品。
…私は故郷を捨てなくても、別の方法で幸せになれたんじゃなかろうか?
死ぬ間際にはこういう迷いもでる。
この迷いを持って死にいこう。
ある旅行記作者記す。
◆
命のランタンの炎が揺らめいていた。
僕は痛む心臓を抑えながら、『遺書』を書き上げた。
…拙い文章だ。要点が掴み辛い。
だが。死にいく僕の感情が綺麗に出ている、という点では評価できる。
これで。死ぬ準備はできた。
もう、この世に思い残す事はない。
僕は最後に乾パンの残りを一気に頬張り。コップに溜まった水で流し込む。
そして。その場に寝転がる。命のランタンは燃やしたまま。
命のランタンの青白い炎は揺らめく。僕の命の最後を喰らう炎だ。
これでコイツに
惜しむらくはこれを見つける者はいないだろう、と言うことだ。
僕は宙を見上げる。そこには落とし穴の入口。
よく目を凝らしてみると、暗い中でも仄明るい。
どうやら月明かりがこの洞窟に差し込んでいるようだ。
ああ。最後に月明かりを見たかったな。そう思う。
旅をする僕は太陽よりも月と仲が良かった。命のランタンで夜道を照らして歩いたものだ。
月夜。それが僕の最後。旅路の果。
孤独に生きる者は孤独に死す。
もし。僕の遺体を見つける者が居るならば。
孤独に生きるのは止めよ。そこに希望はない。
命のランタンの火の揺らめきが激しくなってくる。
もうすぐ消えそうだ。
さらば。旅の人生よ。
◆
後年の事である。
極東の民は資源を求めてこの大地に降り立った。
そこには洞窟があり。その洞窟の入口には落とし穴があり。
その穴に極東の民は潜った。何か天然資源があるのではないかと。
しかし。見つかったのは。
ひとりの旅人の死骸と、遺書。そして命のランタン。
だが。そのランタンは。
もう役目を終えていた。
二度と自然に炎を灯す事はなかった。
今は。資源採掘の明かりの一部として使われている。
旅人の遺書は―ある大学に送られ分析されていると言う。
◆
『ある旅行者の最後』 小田舵木 @odakajiki
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