滝ヲ見ル。

あるまん

無題

 死のうと思って山に入った。

 ……嗚呼、心配しなくていい。この文を書いてるという事は無論死んでいないし、そしてその当時も、過去から今現在に至るまで本気で死のうなど考えた事もない。

 学生の頃苛めに会い、社会人になってからも上司に詰られ、精神を病んで職を辞してから親兄弟に遠回しに責められても、何故か死のうと思った事はない。

 理由は単純至極、痛いのが嫌だからだ。身体を傷付けるなど以ての外、首を吊ったり飛び降りたりするのも、死ぬまでのほんの数瞬の苦しみすら我慢出来そうにない。薬や練炭、瓦斯を使う自殺も……つまりは死という物が限りなく怖いのだ。


 そんな自分が何故死のうと思って山に入ったのか……死にたくはないが自分を痛めつけたそれらに鬱屈とした恨みはある。その恨みを晴らす為、自分が死ぬ事で相手を破滅させる為に、死に場所候補を探しに行ったのだ。

 今冷静に思えば、死ぬ事で相手を破滅とか馬鹿げている。そんな方法をとるのなら現在は殺傷力の高い道具はいくらでも手に入る。それを使って相手を直接殺せばいい。実際恨みを持つ相手を何度も何十度も殺す方法を考えるなどどんな奴でもやっていると思う。

 車に乗り適当に流す。といっても新しい土地とか開拓するつもりはなく、更に夕方に用事がある。

 死を考えてるのに用事の事を気にしてるのかよと思われるだろうが、何度も言う様に本気で自殺を考えてなどないというのがこれで判るだろう。

 だがその時は、少なくとも家に閉じこもって練る程度じゃこの抑圧された恨みは晴らせないと思ったのだ。


 適当に山道をゆたりとした速度で走る。山道といっても数千m級の山がある地域の様なぐねぐねと曲がりくねった場所ではない。まぁそれなりの田舎町だ、狐や鹿、もしかして熊などが出て来るやもしれぬが。

 隣町のカントリーサインが見える。時刻は午後3時頃、早秋の涼し気な曇り空の下ゆっくりと境界を越える。何度も通った道だが、境を越えたというだけでいくらか気晴らしになる。

 始まりかけた紅葉を見つつ、曲もかけず窓も開けず独り言も言わず、ただ淡々と車を走らせる。やがて山道はとある方向に分岐する……候補の一つに挙げた場所への道。


 落差3,40m程になるという滝がある筈だ。


 車で僅か30分弱、自分はその様な近い所にもある観光地にすら行ってなかった。

 勿論観光という事自体に興味があまりなかった。最近まで、そこを調べるという事すらしていなかった。家族もそういう場所に興味がないのか、子供の頃に連れて行って貰った記憶もなかった。

 恋人が出来子供が生まれたりしたら、あるいは興味がなくてもネットで調べ、子供の笑顔を見たくて連れて行ったかもしれない。そういう近くの名所に詳しい知人がいたら案内されたかもしれない。だが自分にはどちらも居なかった。


 自分は精神を病み、死を考えた段階になって初めてこういう場所に行けるのだな……。


 道の突き当り、ネットで調べた駐車スペース(とはいえただの道幅が広くなった所だ)に車を止め、砂利道を滝に向けて歩き出す。

 こんな歩き辛い道なのに裸足に突っ掛けサンダル、正直言って舐めている。まぁ流石は観光地なので体力のない自分でも特に問題はない筈だが。

 ……薄暗い森を冴えない髭面の男が、手に何も持たず薮蚊対策もせず、買って数年のぼろぼろの青いTシャツ、太った腹でもずり落ちないゴム付きのイージーパンツ、そして裸足に突っ掛けサンダル……カップルでもいたらさぞかし奇異な目で見られただろう。幸い平日午後、しかも雨が降りそうな曇天でこんな所に訪れる人は皆無だったが。


 静かだ……蝉の時期もとうに終わり、町からも離れた森奥……偶に遠くから何の鳥か判らないが鳴き声が聞こえる程度だ。

 他に聞こえるのは太った自分のハアハアと荒い吐息と、いつの間にか砂利道から湿った土になった地面の枯葉を踏みしめるサンダルのぬちゃぬちゃという音だけ……。

 だが5~600mほどか歩くとそれらの音が漸く滝の音に掻き消され始めた。割と大きい滝だと思うが木陰のせいで近くに行かないと視認出来ないみたいだ。

 僅か1kmに満たない距離でも運動などしてない身体に堪える……早く見えて欲しい、と思った瞬間に……


 その威容が姿を現した……


 とドラマティックに言ったが、正直……そこまで迫力もなかった。

 落差40mというが滝の始まりから滝壺までの長さ、といった方がいいだろう。何時かのニュースかバラエティで見た「華厳ノ滝」の様に判り易く高い所から低い所に落ちているタイプでもない、それなりの斜面を何段かに分かれて落ちるタイプだ。

 見て物の高さを判るような技能は持ち合わせていないが、せいぜい15~20mといった印象だ。

 大雨が降った訳でもないので音はともかく水量もそれほどでもなく、滝の横から見る構図なうえ変に曲がっているので全体像も掴み難く、更にどこからか流れ着いた倒木がその流れを邪魔していた。紅葉も始まりかけなうえ、こんな曇天の滝の近くの木々は色の変化もない。

 腐っても観光地としては半端で、外れかけた案内看板・心許ない安全ロープ……来る道も少し大きな岩が落ちていたり、倒木があったりもしたので、もしかすると町の観光課に頼まれた業者が整備に来る直前だったのかもしれない。

 正直に言うと「しょぼかった」。


 だがそのしょぼさでも、自分の心はそれなりに満足していた……この規模の滝を見る、というのが初めてだったのもあるし、特にこれといった目的……死に場所を求めるという名分はあったが、そこまでの打算もなく「観光」をした、というのが自分的には大きな「一歩」だった。


 時間にして2~30分ほどだろうが、自分は少しでも滝が綺麗な所を探したり、大きく息を吸ったり、天気の悪さを惜しんだり、凡そイメージする「観光客」の様な行動をした。カメラを持ってないのを残念がったくらいだ。

 その30分ほど、そして車までの帰り道の15~20分ほども、一人もすれ違う事もなかった。その孤独もまた気持ちがよかった。

 車に乗り込み、その足でそのまま用事へと向かう……その道筋で、忘れていた事を思い出す……


 そう、その滝から飛び降りて、目立つ様に死にたかったのだと。


 まあ言った通り高さ的には15~20mほどで、飛び降りたとしても死にきれないだろう滝だ。マンションの屋上からの方がよほどましだろう。

 だがそれでも、自分のささくれ立った心から死に場所を探すという負の感情を忘れさせるくらいの力は確かにあった。


 単純と笑えばいい。今となってはこの単純さも、自分的には誇れるようになった。

 そしてこの後、安いデジタルカメラを通販で手に入れ、ブログを開設するほど風景・廃墟写真撮影にはまっていく事になるのだがそれはまた別の機会にでも。

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