我々は苦悩を食らう

浜風ざくろ

第1話



 我々は苦悩を食べている。

 腐り始めた死骸の、血が滲みて細胞が崩れて赤黒くなった肉の中でぐるぐると廻ったり伸び縮みをしたりしながら、歌うような陽気さで、我々は食い続け血を啜り成長してゆく。我々が涌いているのは、首を吊って死んでいる愚かな男の身体である。深く暗く湿り気のある樹海の、樹齢は百年を超えようという古老のごときクヌギの枝に、不敬にも縄をくくりつけ、身体を投げ出し、糞尿を垂れ流す腐れたみかんの如き存在と化した。

 馬鹿者である。人間社会の営みでいうところの会社員という存在なのだと、我々を啄みにきた鳥が嗤いながら教えてくれた。この男に何があったかは知らないし、そんなことに興味もないが、きっと自ら首を括るというのは苦悩に突き動かされたからなのだろう。人間は頭脳が発達しすぎたせいで、生命維持とは関係ないことで常々悩み、自然の営みや循環から外れたところでしばしば命を絶ってしまう。

 組織液を穴という穴から流し、舌をでろりと垂らして、血走った目をむき出しにし、鬱血した顔を紫に染めながら死に至るのだ。愚かである。ハリガネムシに突き動かされ水死するカマキリや、レウコクロリディウムに操られて鳥の餌となるカタツムリの方がまだ、自然の理に適う分賢く感じられる。生物の頂点に立ち食われる心配などない安全な社会を確保しながら、わざわざ我々や鳥獣の餌になりに来るなんて馬鹿げていると言わざるをえまい。飯を食い、糞をして、安全に眠れる場所があれば生きていけるというのに。下らぬことで頭を働かせ苦しむことができるくせに、我々下等な虫に食われることを想像して怖気を感じることはできぬというのか? 我々は身体中に涌くのだ。開ききった口の中にも、だらしのない舌の上にも、鳥に刺された眼球の内側にも、胃や腸の中にも、肛門の中にも。惨めの極みである。楽を求めれば我々を喜ばせることになる。それが、分からぬか? 

 頭が良すぎると馬鹿になると鳥が我々を啄みながら言っていたが、なるほど、たしかにそうなのかもしれぬ。頭の劣る愚者は生きることしか考えぬ。その分無駄がない。すべては生きて子孫を繁栄させることに、自然というサイクルに流れゆくことに集中する。どんぶらこどんぶらこ。命の波に揺蕩いながら、食っては眠り食っては眠り。我々はただ生きて死ぬ。そこに疑問などない。疑問はないから苦悩もない。獣風情なら多少は感情と知恵もあろうからそうしたこともなくはないだろうが、我々虫ごときにそんな感傷は起ころうはずもない。

 ただ、踊る踊る。伸びる縮む伸びる縮む。

 腐れゆく肉塊の中で、我らはただ蹂躙する。

 すべては羽ばたき、空を目指し、交尾をし、繋ぐために。

 それだけだ。

 人間のような無駄は我々にはない。

 我々には、ないのだ。

 ほうら、口の中を我々が踊っているぞ。踊り食いというやらだ。お前が食らった食い物の中でおそらくは最悪の夕食だろう。口の中で食いながら食われる気分はどうだ。死んで何も感じぬことをいいことに、背徳的な食事を楽しむ優雅さを失くしているのは、感傷と創造性に富んだ人間にすれば勿体なき機会損失ではなかろうか。踊る我々は、愚かを笑い愚かを食べる。これを人間は狂気と名付けるのだというが、なにぶん我々は生きているだけで正気も狂気もくそもない。生きるとは無機質な行い。自然のメンテナンス。ある種我々は人間の生み出した機械とやらに等しかろう。

「今日も貰いに来たぞ」

 鳥がきた。小さな小さなモズである。我々より遥かに巨大な小鳥だ。

「知らぬ。我々は食うだけだ。断りはいらん。好きなだけ食らってゆけ」

「ありがたい」

 鳥は嗤いながら礼を言う。なに、そこに殊勝な心がけなどない。逃げられぬ飯に今日もありつけるという、至極単純な喜びしかないのだ。

 捕食者の愉悦。逆らえぬ我々はただ栄養となる栄誉を受け入れ、なんの心もなく餌となる。

 我々の一部が激しく揺れ動くのは、ただの準備運動だ。

「うまし、うまし」

 モズは味わいながら我々を啄む。一匹、また一匹と我々はさらわれ、死んでゆく。これが命の営み、これが自然の摂理というやつだ。我々は餌となる。そうして循環する。

 そこに痛苦などあろうはずもない。

「お前達は、本当に愚かだ」

 モズが、嘴で我々を続きまわりながら言った。

「死肉に決まって湧くだろう。そしてそこから動けぬから、食い放題だ。お前達は我々の餌になるために生まれてきたみたいだ。笑える笑える。俺はお前達を食らう瞬間が一番楽しいぞ。死した人間に感謝せねばなるまい。餌となり餌場にもなる。なんという有効活用か」

 愚かも一周回れば、誰かの賢さにつながる。

 我々が食われるのは謂わばそういうことなのだろう。我々は人間を愚弄したが、その我々も誰かに愚弄され食われてゆく。空を飛ぶことさえ敵わず、童貞処女のまま、ただポン菓子とやらのように潰され味わわれる。思えば誰しもそのサイクルからは逃れられぬのではないか。人間が自ら命を断つのも、あるいはサイクルから脱却しているようで、より賢き他者に食い物にされているという事実に目を向けてしまったがゆえに訪れた絶望があるのかもしれぬ。ああ、ままならぬ。ままならぬ。我々は肉の赤しか知らぬまま死ぬのだ。空の明るさを眺めるだけで、色彩の多彩をわからぬまま、親のように羽ばたき世界を見ぬまま。

 我々もまた、餌という愚かであった。

 それを受け入れることに苦しみなど無い。

 しかし、ただ一つ。

 ただ一つ願わくば。

 せめて、蛹になりたい。


 

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我々は苦悩を食らう 浜風ざくろ @zakuro2439

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