第5話 芽吹く
その年の秋、俺は1人山を登っていた。
去年山崩れのあった場所は避けつつ、慎重に当たりを見ながら斜面を登る。探しているのは花子の痕跡。そんなもの、あるのかどうかも分からないけれど。
あの日花子が涙を堪えて伝えてくれた言葉に、何も返すことが出来なかった。
伝えたいこと、話したいこと、本当は沢山あるのに。あんな形のお別れになるなんて。俺はまた花子のことを諦めることが出来なかった。
「往生際が悪い、っていうんだよな、こういうの」
山の中腹に差し掛かった頃、俺はふと思いたって山崩れのあった方角へ脚を向けた。まだ地滑りが広がる危険はあるから本来なら避けるべき方向なのに。何故か自然と足が向かう。
ドキドキと胸騒ぎがする。まだ自分の中にある子供の俺が気持ちを急き立てる。確証なんて何も無い。なのに、このまま歩けば花子に会える、そんな予感がした。
それは、崩れた斜面の近く、鬱蒼とした茂みの中にあった。
その小さな小さな石造りのお社は、全体が苔むして周りの景色に埋もれるように佇んでいた。まるで誰にも見つからないよう、隠れているように。
それにしても随分と朽ち果てている。お社は屋根が割れ扉も欠けていた。
辺りを見渡すと頭と同じくらいの大きさの岩がゴロゴロとしていた。これらはあまり苔がついておらず新しい。おおかた去年の山崩れの際に落ちてきたのだろうか。それがお社にあたってしまったのだろう。
俺はお社に近づき、そして、思わず息を飲んだ。
欠けた扉越しに見えた狐の目。
俺は震える手でゆっくりと石の扉を開けた。
そこには、ふたつの狐の面が納められていた。
「……花子の面だ」
それはあの日花子に差し出されたのと同じように、半分に割れていた。俺に貸してくれていたもうひとつの面が、その下に隠すように置かれている。
俺は花子の面をゆっくりと持ち上げた。記憶にあるよりもずっと古く色あせていたけれど、間違いない。花子の面だ。
「見つけた。ここにいたんだね、花子」
俺は花子の面を抱きしめると、はらはらと涙が零れてきた。
笑った顔が大好きだった。物知りな所を尊敬してた。優しさが、手が届かないような不思議さが、とにかく花子の全部が、俺は大好きだったんだ。
「……ふ……っ……、はなこ……、俺も……大好きだよ……っ」
もう届かないかもしれないけれど。あの日伝えられなかった思いを込めて、俺は馬鹿みたいに泣きじゃくった。
しばらく泣き続けて、泣き疲れた俺は、花子の面を見つめた。
「……これどうしよう」
このままここに置いていていいのだろうか。家に持って帰った方が花子も寂しくないだろうか。それに花子との思い出の品はこの面しか無い。俺は持って帰りたい気持ちに駆られた。
その時、ざぁっと強い風が吹いた。
風に煽られて俺は花子の面をおとしてしまった。
「……ここにいたいってことかな」
そうだ、ここはきっと花子のお家だ。俺が家が1番安心するように、花子もここにいたいんだろう。
俺は花子の面をお社の中に戻した。下にある俺の面に重なるように。
「あの日の落石から守ってくれたのかな……なんてね」
結局花子は何者で、なんであの夏祭りの夜に俺の前に現れたのか、何も分からないことばかりだ。
まるであやかしのように、いきなり目の前に現れて、消えていった大好きな人。
それでも花子と過ごした数年間の夏祭りの記憶は本物で、かけがえのない時間であったことは確かだった。
花子はきっともう俺の前には現れない。
もう会えない。
それでも俺は、これから毎年ここに来よう。花子に会いに来るんだ。
もう、寂しい想いはさせないから。
―――5年後
「花子、久しぶり」
俺はいつものようにお社の前に腰を下ろした。
「今日は花子に伝えないといけないことがあるんだ 」
森の中は相変わらず鬱蒼としていて、でもそれでいてしんと静まり返っていた。
「来年の春、村を出ることにしたんだ。都会に出て
そこで働くんだ。次いつ帰れるか分からない……本当はずっとこの村にいたかったけれど、両親に楽させたいからさ」
子供の頃は、大人になりおじさんになり、おじいさんになるまでこの村に居ると思って疑わなかったのに。気づけば俺は青年となり村の同年代と共に都会へ出稼ぎへと行くことになったのだ。
きっとそのまま都会で暮らし、家庭を持ち、この村へはほとんど帰ってこなくなるのだろう。
「花子には寂しい想いさせたくなくて、それでさ……」
一緒に来ない?そう言おうと、花子の面に手を伸ばした。そしてあることに気づき、その手を止めた。
そこには、新芽が生えていた。
そっと面を持ち上げる。新芽から伸びた白く細い根は、俺と花子のふたつの面を繋ぎ合わせるかのようにしっかりと根を張っていた。
俺はそっと面を戻す。
もう寂しくないね、花子。
石の扉は開けておこう。この芽が大きく成長するよう、祈りを込めて。
「さようなら、花子」
――ふたつの面 終
ふたつの面 @suny
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