第4話 大人と子供
花子に会うのは3年ぶりだ。
もちろん、花子が来てくれていればだけれど。その時は俺は花子が来るまで待つだけだ。きっと花子かそうしてくれていたように。
それに今年は会えるような気がしていた。
夏祭りの当日、家を出る時に母ちゃんに呼び止められた。
「あんた背伸びたね。もう子神輿持てないんじゃない?」
「そう?」
後ろに立つ母ちゃんを振り返る。母ちゃんは手でひさしを作るようにして俺の頭と母ちゃんの頭の上で高さを測った。
「ほら。母ちゃんの背なんてあっという間に越しちゃって。今年で一気に伸びたね」
確かに、思い返せば最近は母ちゃんの白髪混じりのつむじをよく見ていた。歳の近い友達の中でも俺が1番背が高いだろう。
「もう子供じゃないんだよねぇ……」
しみじみとそう話す母親になんとなく擽ったくなる。
「……行ってきます!」
嬉しそうな母の顔と、夏祭りに浮かれる自分が何だかちょっぴり恥ずかしくなって、俺はそう言うと足早に家を出た。
山の麓に向かって歩きながら、俺は心臓がバクバクしていくのを感じていた。
はたして花子は来てくれているだろうか。来てくれなかった時ように、置き手紙を用意した。2年も破ってしまった約束を、花子のことを忘れたわけじゃないと伝えるために。少しでも花子が悲しい思いをしないで済むように。
歩きながらふと会場を見やる。
あれ?やぐらはあんなに小さかっただろうか。屋台の数だって昔は無限にあるように感じていたのに。そしてこの草原の草はこんなにも足が短かっただろうか。
――もう子供じゃないんだね、
母ちゃんの言葉をふと思い出す。3年振りに見た景色は記憶と変わらないはずなのに少しずつ変わっているように見えた。ただ俺は背が伸びただけなのに。内面はまだまだ子供なはず。
花子と会うことへの緊張感は、やがて身体と心が噛み合わないような気持ち悪さに変わり、相変わらず早なる心臓の音も、違う意味合いを纏っているような気がした。
どくどくと鐘を打つ心臓。
花子との待ち合わせ場所までもう少し。
俺は急に帰りたくなった。
会いたいけれど、会いたくないような。
会ったら大事な何かを失ってしまうような、そんな胸騒ぎがした。
――俺はまだ花子と友達でいたいのに
花子は、あの森の麓の岩に腰かけていた。身につけている古い麻の着物は丈が足りておらず膝小僧が見えている。
「花子……!」
「太郎、久しぶりだね」
花子は頬を緩めて柔らかな笑顔を向けた。良かった。怒ってはいないみたいだ。
「2年間も来れなくて、本当にごめん。色々と事情があったんだ。ずっと待ってた?」
「うん。ずっと待ってた。太郎来ないかなって、ずっと待ってた」
「やっぱりそうだよね……。寂しい思いさせてごめんなさい。実は……」
俺は理由を説明しようとして、でもそれは花子に遮られた。
「気にしてないよ。2年なんて一瞬だったよ」
一瞬、なのだろうか。俺にとっては長い長い2年間だった。
「花子、立ってみて」
「うん?どうしたの?」
「俺、背が伸びたんだ」
昔は同じ位置にあった顔の場所。今は花子の顔は俺の胸元にある。
背が伸びる時期は人それぞれだと親父は行った。人によっては成人しても背が伸びる人もいると。それでも3年振りに会った花子は、あまりにも何も変わらない。
「……花子は、変わらないね」
「…………」
「……花子、そういえば、なんで毎年着物着ているの?もうみんな洋服着てるじゃん」
「……うん、」
「それに……」
俺は花子の足元に視線を落とした。靴も草履も身につけていない、裸足の足。
今までは何も気にならなかったのに。
先程感じた胸騒ぎが、やがて違和感に変わりじわじわと胸の中に広がる。
「花子って、何者なの?」
その頃の俺は、何もかもを考えずに受け入れられるほど子供でもなくて、でも頭に浮かんだ疑問や言ってはダメな言葉を言わずにいられるほど大人でもなかった。
ざあっと草原から風が吹く。僅かに舞い上がった落ち葉は、俺と花子の間に音もなく落ちていった。
「……太郎は、もう子供じゃないんだね」
ぽつりと落とすようにこぼした声は、俺に話しかける為のものではなくて、花子が自分自身に言い聞かせているようだった。
「ありがとう、太郎。今まで楽しかった」
そう話す花子は、泣きそうなくらい瞳が水分をはっていた。
俺はその言葉にサッと頭から血が引いた。
「ごめん、花子、話したくないならいいんだ。ほら、夏祭り行こう?今年はいつもよりお小遣い多く貰ったから色々沢山食べよう!さあ俺の面を貸して」
必死に取り付くように話しかけたけれど、花子は頷いてはくれなかった。それどころか花子は首を小さく横に降るのだ。
「太郎、俺、もう祭りには行けないんだ」
「……え?」
花子は狐の面を差し出した。目元に赤い朱の入った、花子の狐の面。しかしそれは、ぱっかりと2つに割れてしまっていた。
「今日は太郎にサヨナラを言いに来たんだ」
「……なんで、」
「今までありがとう、太郎。本当に楽しかったよ。毎年太郎と夏祭りに遊びに行けて凄く嬉しかった。大好きだよ」
大好きだよ、
その言葉の意味を理解して花子の顔を見つめると、花子は妖艶に微笑んだ。
「だから、サヨナラ」
花子はそう言うと、森の方へ戻って行った。俺は一瞬呆然としていて、直ぐに後を追いかけた。でも足元の木の根に足を取られて、ずさっと転けてしまう。
「花子、待って!ごめん!待って!」
木の根はまるで邪魔をするかのように足に絡みついて離れない。俺は顔を上げて必死に花子の背中を探した。
「お願い!まだ花子と遊びたいよ……!夏祭りじゃなくても、遊ぼう!行かないで!花子……!!」
どんなに叫んでも花子は振り返る事は無かった。
木々が蠢き花子の姿を俺から隠していく。
「花子……!くそ……っ!」
俺はぼろぼろと涙をこぼした。
俺はまだまだ子供だったけれど、それでももう花子には会えないということだけは分かるくらいには、大人になっていた。
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