三本あるいは八本脚

百歳

三本あるいは八本脚

 三階の隅にある手相占い師はアガタとかいう名前のおばさんで、料金も五百円だったのでクラスのみんなに人気だったけど、私はちっとも信じてなかったしなんなら恨んでさえいた。

 実際に占いを受けたことはなくて、でもクラスの子たちや莉緒から聞いた話だといくつのときに恋人ができるとか将来どんな仕事についてるとか、そういう、たいした確証もない、ありふれたことを言われるらしい。なけなしのお小遣いを無責任なおばさんのアドバイスに使うみんなの気がしれないし、アガタはアガタで、こっちが中学生だからたぶんテキトーなこと言ってる。

 それなのに莉緒は目をかがやかせて「アガタさんに才能あるって言われちゃった」とか無邪気にはしゃいでて、でもほんとに莉緒に霊感とか、そのたぐいの才覚があったら、モールをうろついてるあれに気づかないわけないからアガタはぜったいウソ。黄色のワンピースから見える脚は三本だったり八本だったり、髪が床に届いて広がっているかと思ったら眉上のぱっつんだったり、走りまわってることもあればずっと誰かをのぞきこんでいるときもあって、別の日どころか時間によってもぜんぜん見えかたが違うけど、とにかく、あれはもう目のはしっこに映った瞬間あれだってわかる。それくらい、ちゃんと、いる。莉緒も他の人もぜんぜん気づいてないみたいで、アガタはどうだかしらない。


 できるだけ近づかないよう気をつけたって私たちが遊びにいけるとこなんてモールくらいしかなくて、べつに私は、私の部屋で寝っころがってマンガを読んだり動画観てるだけでよかったのに、莉緒から強く誘われたらやっぱり自転車で横並びになってあれのすみかへ向かってしまう。たぶんだけど、あれはこっちが反応しなければただモールをうろついてるだけみたいで、たまに人をすり抜けたりしてる。さすがにそれは気味が悪いし、避けていいかもわからなくて怖いし、出くわしたくはない。でも私だけしか見えてない優越感みたいなものはあって、三階くらいから、誰かの顔をのぞきこんだりサッとすり抜けるさまを見るのはけっこう好きだった。

 あれがいないかぎり、私たちがまわるルートはいつも決まっていた。わずかなお小遣いじゃとうてい手が出ない服屋の並びをゆっくり歩き、店内を回遊し、たまに身体にあわせてみたりもして「高校生になったら」なんて笑う。そのあと二百円ずつ出しあってプリクラを撮ってから本屋でおもしろそうなマンガをチェックする。莉緒は泣ける話が好み。私は気に入りそうなものをみつけるのがけっこう得意だ。莉緒はその逆で、私が夢中になりそうなやつを探してくるのがうまい。

「こないだ買ってみたやつすっごいよかった」

「三津ってばわかりやすいから、私くらいになったらお見通しなのだ」

 両の手のひらをひろげてまゆとまゆの間にシワを寄せる。それは水晶に手をあてがっている真似で、才能があるとアガタに言われてからブームになってる動きだった。どう答えていいかわからずあいまいに笑いながら、さりげなく占いやらオカルトの書棚から遠ざかろうとしてみてもやっぱりムダで、吸いこまれるみたいに莉緒はブ厚い宿曜占星術に指をかけた。その横顔は真剣で、途端に茶化したり口を挟んだりできなくなる。

 熱心になったのはたぶん莉緒のお父さんとお母さんのことで、マンガ雑誌に載ってた仲直りのおまじないをためしたらうまくいったらしい。ふたりの仲をつないだのがそんなテキトーな理由なわけないって言いたかったけど、莉緒の赤くなった鼻先だとか目の奥の強そうな光を目にして、私は口をつぐんだ。もうどうしたらいいかわかんない。そうやって救いを求めていた莉緒に、私は私なりに精一杯のやり方でしか寄り添うことができなくて、けれど、決定的な解決をもたらしたらしいのは子どもだましのおまじないだった。

 莉緒にあわせてそれ関連の本やら図解を読んでみたこともあった。誕生日の、動物の、天体の動きの、そういった諸々から私たちの相性を調べて莉緒は一喜一憂した。はっきり言ってうさんくさいとしか思わなかったし、かすれたインクに私たちの関係を証明されようがされまいがどうでもよかったのに、それなのに、莉緒が「アガタさんが三津は無二の親友になるでしょうだって、生涯のむにだよむにむに」なんて歯を見せて無防備に笑うものだから、私は泣きそうになってしまったんだった。にぶい莉緒は嬉しいでしょとか口にしたけどぜんぜんそうじゃなくて、アガタの言葉なんかで私たちの友情を決めつけてほしくなかった。

 莉緒はしばらく本に目を落としていたけど「やっぱちゃんと買いたいから今日は占いなし」と棚へ戻した。うん、とだけ私は応えた。それ以外の言葉を私は持ち合わせていなかった。


 ふたりともなにも買わずに本屋を出て、角を曲がったところでぶつかりそうになって、アッと声をあげて身体をひねった拍子に尻もちをついた。そこで、気配が明らかにあれだと気づいてしまって、黄色のワンピースが目に飛びこんできて、私は反射的に顔をあげてしまう。深い穴のような真ん丸の目が私を見下ろしている、目があう、丸がゆっくり弧を描いてゆく、薄い唇がおおきくつりあがってゆく。

 三津どうしたの。莉緒の声が降ってきて私はとっさにその手をとって走りだす。家族連れの脇を抜け、カップルの横を通りすぎ、高校生の一群のすき間を縫うように、足の裏には床を踏みこむ感触がちっともないのに景色は後ろへ後ろへ流れてゆき、やがて身体じたいが宙に浮かんで吹き飛んでしまいそうで、左手でつかんだきゃしゃな莉緒の手首だけが現実だった。肩ごしにふり返るとあれは左右におおきく揺れながらこちらへまっすぐ向かってきていた。脚はすくなくとも二本以上ある。誰もあれには気づいていないみたいで、あれも、人間を家族をカップルを子どもたちをすり抜けてまっすぐまっすぐせまってくる。

 なに、三津、なに。事情を飲みこめていない莉緒は立ち止まろうとする。私はそれ以上に強い力でもって前へ踏み出そうとしたところで「痛いってば」思いきり手をふりほどかれた。大きく肩を上下させる莉緒のその奥に、まだあれが見えた。

「うらない、うらない、いこ」

 私は祈るような気持ちですぐそばにあった手相占いの館を指さす。莉緒もいくらか穏やかな顔になって、なんだあ、なんてやわらかな声をだす。「こんなあわてなくたってアガタさんは逃げないよ」笑いながら手のひらで顔をあおぐ莉緒の背中をとにかく押して、でもなかなか動いてくれないから一瞬、ほんの一瞬だけあれの方向へ莉緒の身体を押してしまいそうになる。視界のはしっこにずっとあれが映っている。

 ようやく莉緒は足を動かしてくれて私たちは紫色のアーチをくぐる。薄暗い待合室はお香の濃いにおいで満たされ、座り心地の悪いイスはすべてあいていた。「てか三津めずらしいじゃん」私はいつもここで莉緒の占いが終わるのを待っているばかりだった。重そうな木製のドアが開かれるほんの一瞬だけ、向こうに座っているアガタが見える。おばさんと老婆の中間くらいの、シワが深く刻まれたその顔を私はいつもにらみつけた。

「おごる、おごってあげるから先いいよ」

 私は出入り口から視線をそらさないまま、なかば叫ぶように言った。あれが他の人に影響を及ぼさないなら、もしあれの狙いが目のあった私だけだとしたら。莉緒は関係ないなら。ほとんど泣きそうになって「お願い先に」口にしたところで木製の扉が開いて奥から人が出てくる。

「あのーもうちょっと静かにしてもらえるかな」

 アガタの声は想像より低かった。莉緒はすみませんと駆け寄り、アガタは手で制しながら私をじっくり見たあとで視線を出入り口にうつした。あの、莉緒、莉緒を、どう説明していいかわからなくて呪文みたいに名前を唱えていたら「ここには入ってこれないから」と目を細めた。

 途端にひざの力が抜けてイスに座りこむ。息を吐きながら、やっぱりぺらぺらなクッションが痛くて、そんなこと考えられるくらいアガタの言葉で安心した自分がみっともなく思えてきて、いやそんなのぜんぶウソ、ほんとは怖くておそろしくて鼻の頭が熱くなってくる。まばたきをくり返すたび莉緒の姿がコマ送りになって、困ったような顔でアガタと私を交互に見てるのがわかった。

「難儀ね」

 つぶやいたアガタはしゃがみこんで私の顔をのぞきこむ。薄暗い照明が落ちたアガタの瞳は一瞬あれの洞窟みたいな目のようで、思わず肩を震わせる。彼女はじっと目をみつめながら「これからたいへんよ」私のひざに手のひらをのせた。

「わかってると思うけど、もうきてはだめ」

 アガタは目をそらさないまま言った。あなたはみつけられてしまったわ。低い声はすこしかすれていた。こなければ大丈夫だから。憐れまれているのが私だということは、ちゃんと、わかった。


 アガタの言いつけを忠実に守る私に、莉緒は「あんなのウソっぱちだよインチキだよ」と吐き捨てて変わらずモールへひとりでいってたけれど、高校にあがる前に、莉緒のお母さんと一緒に町を離れてしまった。私もこれまで通り、アガタは中学生相手にテキトーなこと言ってると一笑にふせられたら、いまでも横並びになってふたりでモールへ自転車を漕いでいたかもしれない。ほんのすこしでも莉緒を身代わりにしようとした自分を許せるかもしれない。でもあれを、あれの目を見た瞬間のことを思い出してしまったら、もうどうしようもなかった。

 ここらで遊びにいくとこなんてモールくらいしかなくて、私は高校の友達に誘われるたびなにかと都合をつけて断っている。私たちが高校生になったらって思い馳せた服屋たちがどうなったのかはしらない。こないだ部活の後輩たちが料金の安い手相占いの話をしていたから、たぶんアガタはまだ同じ場所にいるんだと思う。もちろん彼女には感謝しているけどやっぱり恨めしい気持ちもすこしはあって、あんたが莉緒にテキトーなこと言わなければって詰め寄る私の姿を、たまに想像してしまう。

「学校帰りにサーティーワン買って帰りましょうよ先輩」

 私は笑いながら首をふる。

 モールにいってる誰からも、あれの話を聞いたことはない。

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