第五章 覚醒
シーナはシーツを捲り、ベッドの下を見て、部屋の隅々まで探す。
しかし、どこにもジェイルの姿はなく、嫌な予感が大きくなっていく。
ジェイルは大丈夫だと言っていた。でも、ウィラは状況は変わっていないと言って、ずっと懸念していた。
そう言えば、最近のジェイルは変だった。
魔法が使えなくなり、睡眠時間も増えていた。すでに体に異常が出ていたのだ。そして、それらは全部、悪魔のせいではないか。
そうだ、全部、あの悪魔のせいだ。
シーナは階段を駆け下り、勢いよく外へ出て行く。
「おい、シーナ⁉」
そのデュラインの声はシーナには届いていない。
彼も後を追って外へ出ると、小屋の前でシーナは立ち止まっていた。
「シーナ! ジェイルはどうした」
ようやくシーナが反応し振り返る。
「ジェイルが、…………いなくなった」
「マジか…………」
「おそらく、悪魔がまたジェイルの体の主導権を奪おうとしている」
きっといつ来てもおかしくなかった限界。自我を保つので精いっぱいだったはずのジェイル。
今、再び魔の手が彼を襲っている。
今度こそ、助けたい。助けられるはずだ。
「そうか。…………じゃあ、予定変更だ。ジェイル抜きでレードラントに向かう。今すぐ出発するぞ」
「は? 何を言ってる。ジェイル抜き、だと?」
シーナは耳を疑った。
助けよう、というならまだしも、このまま出発するなど聞き捨てならなかった。彼らはジェイルを連れ帰るためにここまで来たはずだ。それなのに、見捨てるかのような言い方。
「早く荷物取って来い」
デュラインは淡々と告げる。
彼らは助けるという選択を取ると思っていた。そういう人間なのだと。
どうやらそれは彼女の思い違いだったらしい。
「行くならお前たちだけで行けばいい。ジェイルは私が助ける」
「待て、お前じゃ————っ⁉」
「っ⁉ なんだ!」
突如として強い魔力を感じ取った二人。
それは恐怖を感じるほどの圧(プレッシャー)。本能で足が竦む。
距離は随分と離れているように感じられた。
その魔力の正体は、互いに気付いていた。
「覚醒したか…………」
「ジェイル…………」
魔力の発生源。つまり、ジェイルあるいは悪魔の方を見る。
二人の遥か頭上。空中に立つ彼の姿があった。
彼からは膨大な魔力が発せられ、常に押さえつけるような重圧と、ジェイルのものとは違う異様な気配を放っている。
その魔力は徐々に渦を巻いて一か所に集中し、高密度かつ高質量の塊が形成されていく。
「ねぇ、これって……………………っ⁉」
同様に異変を感じ取ったウィラとノアが小屋から外に出てくる。
そして、ジェイルを見上げたウィラが絶句する。ノアもその姿を見て言葉を失った様子で立ち尽くしていた。
ジェイルはそんな彼らに気付いているのか。
いや、そもそもあれはジェイルなのか。
彼らの手が届かない場所で大きく膨らむ爆弾を止める術はなく、ただ見ていることしかできなかった。
禍々しいくらいに強大な赤黒い塊は、レラ樹海の南部に位置する山脈の方へ放たれる。放物線を描いて着弾。
数秒後、轟音がシーナたちの耳に届く。
シーナが小屋の裏手に回り屋根に登り山の方を見やる。立ち上った大きな砂塵の向こうに、地層が露わになった山が見えた。
一山の半分近くもの体積が消し飛んでいた。おおよそ人の成せる技ではなかった。
そう何発も撃てるものではないと信じるしかなかった。
シーナは腰に携帯していた剣を鞘から抜く。
「シーナさん、何を…………⁉」
「駄目だ! 俺たちじゃ止められねぇよ‼」
悪魔に敵わないだろうことはシーナも分かっていた。
しかし、今助け出さなければジェイルが戻ってこないかもしれない。このまま発ってしまえば、もう見つけ出せないかもしれない。
だから、一縷の望みに賭けて悪魔からジェイルを救い出すと決意した。
「それでも、私は助けに行く」
幼く力がなかったあの時、助けられなかった。何もできなかった。
でも、今は違う。
力がある。助けられる魔法がある。
今度こそ、助けられる。
もう二度とあんな思いはしたくない。
私が、ジェイルを守る。
「ジェイル‼」
シーナがそう叫ぶと、空に立つ少年が顔をこちらに向けた。
「あぁ、お前か。残念ながら、そいつは戻ってこない。この身体は、今日から我のものだ」
彼はもはやジェイルではなかった。
中にいた悪魔が覚醒し、完全顕現を果たしたのだ。
そして、高所から冷然と見下ろしていた。
シーナは静かに魔力弾を生成し自身の周りに浮かべていく。その射程も威力も今までのものより一段、二段と上がっていた。
それらが一斉に悪魔に向かって放たれる。
悪魔はひらひらと空中を舞って躱していく。
シーナは絶え間なく魔力弾を撃ち続けていく。
「ふん、こんなものでは当たらんぞ」
悪魔は薄ら笑いを浮かべながら、悠々と飛び続ける。
「そうか」
シーナは右腕を上げ、剣を上に掲げる。そして、真っ直ぐ振り下ろした瞬間、悪魔の頭上から魔力弾の雨が降り注ぐ。
「ぐぉっ⁉」
予想だにしなかった攻撃を受けた悪魔は、悲痛な叫び声とともに地面に叩き落とされる。
シーナは屋根から下り、悪魔が落下した場所へ駆け出す。
「待ちなさいよ!」
「なんだ、何を言っても無駄だぞ」
シーナは一人でジェイルを助け出すつもりだった。どんなに悪魔が強くても、この機を逃すわけにはいかなかった。
「違うわよ。あなた、あの魔法を使うつもりでしょ。だったら、わたしも手伝うわ。大して力にはなれないでしょうけど」
そう言ってウィラは、シーナの隣に立つ。
「必要ないが?」
「あなたのためじゃないわよ。お兄様を助けるためだから」
「そうか。好きにしろ」
シーナはそう言い残し、悪魔の元へ駆け出して行った。
ウィラはふぅと息を吐くと、覚悟を決めた様子で拳を握り締める。
「あんたたちも当然来るわよね」
ウィラは振り返らず真っ直ぐ前を向いたまま彼らに問う。
答えは分かっている。その上で意志の強さを確かめる。
「あぁもう、しょうがねぇな。とことん付き合ってやるよ!」
「おれもできる限りサポートします」
ウィラはふっと笑う。
悪魔が恐ろしいのは承知の上だ。それでもわずかな可能性に賭けて助けに行きたいのだ。
それが皆同じだということだ。
「わたしたちは足止めよ。ほんとの意味で救えるのはあいつだけなんだから」
彼女たちもシーナの後を追って駆け出して行った。
木々がひしめく中、木が薙ぎ倒され草花に覆われていた地表も露わになった場所で、激しい戦闘が繰り広げられていた。
シーナは何度も斬りかかり攻めの姿勢を見せていたが、悪魔は軽やかにそれらを避け続けていた。まるで重力の影響を受けていないような動きだった。
「こんなものか、神子(みこ)。それであやつを助けようなど夢のまた夢だな」
シーナは悪魔の言葉には耳を貸さず、容赦なく剣を振り下ろし続ける。
悪魔は大きく後ろに飛び退ると、手を前に伸ばし衝撃波を放つ。
「ぐぅっ…………!」
シーナは咄嗟に腕を前でクロスさせ、防御の態勢を取るも体は宙に浮き、思い切り突き飛ばされる。それは以前、ジェイルの無意識下で起こされたものを上回る威力で、踏ん張って耐えられるようなものではなかった。
シーナは数メートル吹っ飛ばされ、木の幹に背中を強く打ちつけた。その衝撃で剣は手から離れ、あまりの痛みに顔を歪めた。
すぐ立ち上がろうとするも体に力が入らなかった。
「ふん、終わりか」
地面に座り込んで動かなくなったシーナを一瞥し、悪魔は踵を返した。
「ふむ、戦う感覚も戻って来ているな。…………っ!」
しかし、背後からの殺気に足を止め振り返る。すると、その瞬間に光の矢が二本横切り、遅れて真正面に一本の矢が飛んでくる。
それを手で掴み止める。
「クク…………ッ。そうこなくては」
悪魔は掴んでいる矢をへし折る。
手を前に伸ばし魔力を練って光の矢を創り上げる。
「神の力はこうやって使う」
そう言うと光の矢は悪魔の手から離れ、シーナに向かって飛んで行く。
シーナは僅かに体をねじり、急所を辛うじて免れるも、光の矢は左肩に深く突き刺さった。
背中を打った時よりも激しい痛みがシーナを襲う。傷口は痛みと熱の両方が神経を痛みつけ、服にじんわりと生温かい血が広がっていく。
「シーナッ⁉」
ウィラたちが追いつき、その惨状を目の当たりにする。
「大丈夫ですか! すぐに治しますから——」
彼らはシーナのところに駆け寄り、ノアが魔法で治癒を施している。
悪魔の力は想像以上だった。今までこれほどの力を蓄えたまま、完全復活を果たす機を窺ってきたのだろうか。
いや、ジェイルがマスターと呼ぶ人物に抑えてもらっていたと話していた。その人がずっと覚醒を防いでいたのだろう。
ジェイルも一時は抑えていたが、とっくに限界だったはずだ。
奴を抑えるものがなくなった今、絶好の好機であるのは間違いない。現にシーナを凌駕する力を発揮している。勝算はかなり低いだろう。
しかし、それが諦める理由にはならない。
以前は助けたくても助けられなかった。もう一度会いたくても会えなかった。
だがそれでも、再会という奇跡が起こった。
シーナはそれを手離すわけにはいかなかった。
今度こそ助け、守る。
そう決意したのだから、もう一度立ち上がらなくてはならない。
魔力が湧いて体を巡る。
「あっ、シーナさん、まだ動かな…………」
シーナは体を起こし、肩に刺さっている矢を引き抜く。傷口の出血はすぐに止まり、溢れ出る魔力が体の傷と痛みを治していく。
そして、一瞬にして光の矢を数百本生成し、悪魔目がけて一斉に発射する。
「ハハ、アハハハハッ! ついに覚醒したか!」
戦いを愉しむように悪魔は笑って、軽快に避けては再び空へと躍り出る。すると、矢は角度を変え悪魔を追尾する。悪魔は重力や風の影響を感じさせないくらい上下左右に飛び回る。
その動きはまるで空を泳ぐ魚のように自由自在だった。
悪魔は時折高度を下げ、木々の合間を縫っていく。
光の矢は全て通り抜けることはできず、木に衝突しては一本ずつ減っていく。
再び上昇し、下から束になって追尾してくる矢を魔力弾で一気に減らす。
しかし、その時すでに悪魔の上部には大粒の矢の雨が今にも降らんとしていた。
「……甘いな」
矢は轟音を立てて降り注ぐ。
だが、シーナに撃ち落としたという感触はなかった。
「同じ手を二度も喰らうと思ったか」
悪魔はその攻撃を無傷で躱(かわ)しきって、シーナたちの頭上で語り掛ける。
「よく喋る奴だな」
シーナはそう言って、悪魔の周りに新たな光の矢を生成し包囲する。
悪魔はそれを魔力の衝撃波で吹き飛ばす。
先ほどまでとは違い、シーナの魔法の精度は格段に上がっていた。聖属性で作られる光の矢は悪魔には相性が悪いからか、当たるまいと必死に避けているのが見て取れる。
しかし、シーナにとって矢を当てることが目的ではない。浄化で悪魔の力を弱らせて、ジェイルを救い出すことだ。
やはり、魔法発動のための時間と隙が欲しい。
「ウィラ、頼みがある」
その悪魔は、名をアドラウスという。
その身が死しても尚、生きる魂は器となる人間を求めていた。脆弱な人の子は異なる魂や魔力が入り込むことを拒絶する。アドラウスの強い自我と膨大な魔力は、器となる人間の存在を消してしまいかねない。
もし仮に、器となり得る人間がいたとしても、寿命がきて新たな器を探さなければならない。
アドラウスが思う存分力を揮うことは今までなかった。
しかし、転機は訪れた。運命と言っても過言ではない。
アドラウスは器となり得る人間を見つけた。
まだ幼いが生きたいという強い意志、人よりも多い魔力量に魔法の素質。それらはアドラウスという存在にも対抗できる武器であり盾であった。
そして、ちょうどその時、死の淵にいた幼子に契約を持ちかけた。
その子どもはアドラウスの提案に乗った。さらにアドラウスへの適応性が高かったため、その身を滅ぼすことなく受け入れたのだ。
時間をかけてでもその身体を自分のものにしたいと思った。
しかし、一つ想定外のことが起きた。
何者かが神の力を行使し、アドラウスの力を抑えていたのだ。それも峰打ちで存在が消滅しないよう加減し、アドラウスを生かしたままにしていた。
少なくとも神ではないが、神の息が掛かった人間だということは分かった。
おそらくその者は、器となった人間の協力者だ。アドラウスとの契約を知っていて、その人間を死なせないようにするため、またアドラウスにその身体を渡さないために、アドラウスを生きたまま捕えているのだ。
おかげで魔力はほとんど使えないし魔法も使えなかった。意識はあるが乗っ取ることができず、ただその人間の様子を眺めることしかできない。
実に退屈だった。
しかし、何一つできないという訳でもなかった。残された微量の魔力をあの人間に流し続け馴染ませる。そして、時が来たら完全顕現を果たす。
これは、その時に拒絶反応が出ないための下準備だ。いつかやってくる好機に向け、できることはやってきた。あとは待って、機を窺い続けた。
そして、九年待ってその時は訪れた。
半年の間、あの人間は神の力を受けていなかった。それによってアドラウスの力は回復していき、およそ四割の力を取り戻していた。
あの様子だとしばらくは家に戻ることもないだろうと踏んでいた。
ところが、あの人間が神子と出会った。
神の力を授けられた選ばれし子。それが神子である。
悪魔であるアドラウスとは魔力の相性が悪かった。神の力の本質は邪悪の浄化である。
アドラウスは自身を邪悪だとは思っていないが、浄化の力はアドラウスに作用し命を脅かす力であるのは確かだった。
状況としては芳しくなかった。アドラウスの存在を神子が知ったら、おそらく浄化の力によって消されるだろう。
そこでアドラウスは、ついに動き出すことにした。
完全顕現によって意識ごと身体を乗っ取り、その場で神子を葬り去ろう、と。
しかし、それは叶わなかった。
一度目の完全顕現は失敗し、アドラウスの存在だけを知らせてしまった。何よりあの人間に抵抗され、身体の主導権を奪われるなどとは思ってもみなかった。
器となり得るだけあって一筋縄ではいかないようだった。
だから、魔力を封じ奪った。
すると、九年もかけた甲斐があったのか、アドラウスの魔力と入れ替えてやっても拒絶されることはなく、しっかりと馴染んでいると分かった。
幸い、神子は自身の力を使いこなせていないようだった。
形勢逆転。ここが好機。
他にも器の人間の仲間が増えたが、雑魚ばかりでアドラウスの敵ではないと認識していた。
そして、二度目の完全顕現は、ちゃんと器の人間の力を削いで抵抗されないよう慎重にタイミングを図った。多少警戒されているのは織り込み済みで、数日掛けてその警戒心を緩ませた。
あの人間の仲間が他のことを考え意識が分散された時。そして、レラ樹海という孤立無援の状況下で実行する。
意識の乗っ取りはあっさり成功した。まだ誰も目を覚ましていない早朝の奇襲だった。
器の人間の様子を覗き見ていた時とは違って、視界ははっきりとしていて体の制御も思い通りにできた。
ところが人間の身体は、失う前の自身のそれと感覚が異なっていた。
重力に抗えず、骨や臓器をぶら下げた重りの集合体は、嫌でも体重というものを自覚させられる。俊敏性や腕力も筋肉の練度の影響を大きく受け、動きに支障をきたしていた。
魔法を使ってそのあたりの問題は解決できるが、慣れるには時間を要する。
とはいえ、そんなハンデを負っていても人間を凌駕するだけの力は持っていた。最盛期の頃にも程遠いが、ただの人間ではアドラウスの敵にもなり得ない。
アドラウスはようやく手に入れた身体で実験をした。
外に出て飛行の魔法を使った。少々重いが特に問題なく飛べていた。
治癒魔法、基本四属性、光属性、闇属性。
そして聖属性。
どれも申し分ない性能だった。予想ではもう少し使い物にならないかと思っていた。
あとは神子を確実に葬るのみ。
その後はまだ考えなくていいだろう。
滾る力に高鳴る胸。こうして自由に動き力を揮うのは何百年ぶりだろうか。
高揚感を感じるのも、楽しみで胸が躍る感覚も懐かしく感じられた。
存分に叩きのめしてやる……!
「……っ! なぜだ! 急に—————ぐあっ‼」
覚醒したシーナは、アドラウスを圧倒する程の力を見せていた。
空中に立つアドラウスのもとにシーナは接近していて、腕をしっかりと掴むと地面へと投げ落とす。
落下地点からは砂埃が舞い上がる。
アドラウスが身体を起こそうとするも、シーナが上から降りてきて手足を拘束する。
「い、いいのか。この身体を痛めつけて……!」
「お前を封じれるなら何でもする。傷などあとで治してやればいいだけだ。…………そんな心配をする余裕があるようだな?」
シーナはアドラウスを押し倒したような状態で、魔力を込めた重圧をかける。地面はそんな重圧に耐えかねひびが入り、アドラウスは地面にめり込んでいく。
「ぐぅぅあああああ!」
端で待機していたウィラたちは、顔を顰(しか)めその狂気と凄惨を見ていた。
全てはジェイルを救うため。好機を作り出さなければならない。
今シーナが悪魔を弱らせている。あの魔法はシーナしか使えないため、ウィラたちが一時的に抑えられるように、ジェイルの身体を傷つけることは仕方ないかもしれない。
しかし、黙って見ているというのは、なかなかに辛いものであった。
「…………っ」
「大丈夫。おれも同じ気持ちです。あとでいっぱい謝りましょう」
ノアの言葉にウィラは少し落ち着きを取り戻す。
「……うん、そうね」
「アイツ助けねぇとそれもできねぇぞ。気抜くなよ。」
「分かってるってば」
デュラインが発破をかけていつもの調子へと戻る。
ウィラが再びシーナの方に視線を向けると、悪魔を一方的に押さえつけていた。
シーナがウィラに視線で合図を送る。
「今よ」
合図を受けてウィラとノアはそれぞれの魔法を展開する。
シーナはすぐその場を離れ、一瞬だけ拘束が解かれる。
しかし、痛みで動けないアドラウスは回避することができず、ウィラとノアの魔法を受ける。
ウィラは光属性でできた檻で囲み、ノアは土属性の魔法で木の根をいくつもアドラウスの身体に巻き付ける。
アドラウスが身動きが取れなくなったのを確認すると、シーナは魔法の詠唱を始める。
「聖なる力は神の力。邪を滅し、清らかな光を授けん」
しかし、アドラウスは火属性の魔法で木の根を焼き払う。
「な……っ。…………まだだ!」
再び地面から木の根を伸ばすも、すぐ灰になって消えていく。
「そんな!」
「……まだ、わたしの魔法があるわ」
光を放つ檻の格子は、アドラウスの弱点属性である光だ。そう易々と突破は出来まいと踏んでいた。
アドラウスはシーナがいる方を向き、格子に手を伸ばす。
その瞬間、バチッと音を立て触れた箇所が火花のように光る。手は弾かれ痺れるような痛みが走る。
「————最高神レイウス、の、名のもとに」
シーナは一瞬だけ声が揺れ、アドラウスを見る。詠唱は止めずさらに続ける。
アドラウスは痛む手をいろいろと動かし、何ともないような顔をする。
さっきと同じように手を格子に近づけると、今度は触れずに寸前で止める。すると、手に近いところから格子がボロボロと崩れていく。
「な、なんでよ!」
焦ったウィラは慌てて新しく檻を作り、外側からさらに囲むが、急いで作ったせいかいとも簡単に壊される。
そして、シーナとアドラウスとの間に障害物がなくなり、詠唱中で無防備なシーナが危険に晒される。
「————我が神光で闇を払い、如何なる邪悪も封印せよ」
「シーナ! 逃げ…………っ⁉」
もう無理だ、と思ったウィラがシーナに退避を促そうとする。
それとほぼ同時にデュラインがアドラウス目がけて走り出していた。
「行かせるかッ‼」
勢いよくアドラウスに突進し、二人はその場に倒れ込む。
デュラインはアドラウスの上にのしかかり、力づくでシーナに危害を加えないよう取り押さえている。
アドラウスは必死に抵抗するが、先ほどまでの戦闘で力が削られているようだった。そのため、デュラインでもなんとか押さえられていた。
「どけぇぇぇぇぇ!」
アドラウスは渾身の一撃をデュラインの腹部に見舞う。
「がはっ! ———ぐっ、ぅ」
弱っているとはいえ、凄まじい打撃が内臓を痛めつける。
デュラインの身体から力が抜け拘束が緩むと、突き飛ばして起き上がる。
そして、シーナと目が合い—————。
「————ホーリークロージャ」
一帯が眩い光に包まれる。
シーナ以外、反射的に目をぎゅっと瞑った。
「やめ——ぐあああああアアアァァァァァ‼ ……………………—————」
アドラウスの断末魔が皆の耳を劈く。
光の中ではアドラウスの魔力と存在がジェイルの身体から浮き上がり、ある一点に吸収されていく。
そして、次第にアドラウスの声が弱まりぷつりと途切れると、一気に静まり返った。
アドラウスは小さな光の球体の中に封じられ、ジェイルの身体へと収まった。
気づけば穏やかな森の囁きだけが聞こえ強い光も収まっていた。
皆がそっと瞼を上げる。
すると、力なく倒れ込むジェイルをシーナが抱き留めていた。
「終わった、の?」
ウィラは呆然と立ち尽くしていた。
「ああ、終わった」
シーナはジェイルを抱き上げ、どこかへと歩いて行く。
「ちょっと、どこ行くのよ」
「小屋に戻る。さすがに疲れた」
ふっ、とウィラは思わず笑みをこぼす。そう言われると確かに疲れたなと思った。
時間はそんなに経っておらず、まだ昼前といったところだ。
疲労を自覚した身体をなんとか動かして小屋に向かおうとした。
「おい、……たす、けろ」
悲痛な声は足元から聞こえ皆が下の方を見ると、うずくまった状態でデュラインが横たわっていた。
息が浅く、汗が額や首筋を流れていた。
「だ、大丈夫ですか⁉」
ノアが慌てて駆け寄って身体を起こそうとした。
「うっ、痛てぇ…………。っ、たたた…………」
「ああっ、ごめんなさい」
ノアは腹部を押さえ痛みを訴えるデュラインの身体を起こすのを止めた。
「さっき殴られた時のか。診せてみろ」
シーナは抱えていたジェイルをノアに突き出すと、ノアは合点がいった様子でジェイルを抱き取った。
そして、シーナはデュラインの横にしゃがみ込むと、手のひらを腹部の上にかざし魔法をかけた。
しばらくすると、デュラインの呼吸は落ち着き身体の力みも緩んでいった。それから恐る恐る上体を起こした。
「痛……くない」
信じられないと言った様子でお腹をさすったり、身体をひねったりしてさっきまでの激痛が消え失せていることを実感する。
さらには突き飛ばされた時に打ちつけた場所も傷一つなく完治していた。
「すげぇ。完全に治ってる……! ありがとな、シーナ」
「ああ。…………助かった」
シーナはいつものハッキリとした声よりも、少しくぐもった声で言った。
「ねえ、わたしは? わたしも役に立ってたわよね?」
「…………ああ」
「なにその間!」
ウィラが元気よくツッコミを入れると、クスクスと笑いが起き和やかな空気が流れた。
シーナもまた、苦笑しつつ役に立ったと改めて伝えた。
「あれ? お兄様の傷の治癒は……?」
「ジェイルが戻ってきたらちゃんと治す」
「…………そう」
一抹の不安が残るも、事態の鎮静化には成功したことにひとまず安心した。
そして、皆で共同生活をしたあの小屋へと帰って行った。
同日の夕刻。
シーナは小屋の二階で休息を取りつつ、ジェイルの様子を見守っていた。どちらかと言えば見張っている、というのが正しいだろう。
ジェイルが今生きているということは、悪魔の力を消さずに抑えることに成功したのだろうと考えている。
だが、次に目を覚ました時、ジェイルがちゃんと戻ってくるかはまだ分からない。警戒しておくに越したことはない。
そもそもあの魔法も成功したのか。
シーナの中でいまいち感触が掴めていなかった。
また悪魔の方の意識が目覚めるかもしれない。そんな疑心が居座っていて、ジェイルのもとを離れられずにいた。
そして、悪魔との戦いの中でつけた数々の傷もまだ癒していなかった。
例の封印の魔法はもう覚えた。ウィラから教わったのとは違うが、無力化するという意味では目的に合った最適な魔法だった。
その魔法は使うその時までシーナも知らなかった。
戦いの最中、頭に響いた銀の鈴のような女性の声がそれを教えた。
姿はなく声だけであったが、麗しく可憐な女神のような人物が思い起こされる声だった。
その女性がジェイルを助けるのを手伝ってくれた。
主に力の使い方を教えてくれていたのだが、言われたことを実践していくと内側にある力が湧いてきて、魔力をどう扱えばいいのかを感覚的に理解していった。
まるで操り人形のように糸で引っ張られ、勝手に動いているようだった。だから、ウィラたちはシーナのおかげでジェイルが助かったと言われたが、シーナは正体不明の女性に言われた通りにやっていただけで、あの人の助けがなければ事態を収拾できたかどうか分からない。
ひとまずはこの結果を、喜ぶべき、か…………。
睡魔が襲い始め心身ともに疲労が蓄積したからか、シーナはあっさり眠りに落ちていった。
それからどのくらい寝てしまったのか。
浅い眠りの中、ぼんやりと思考する。
ジェイルが眠る横に椅子を持ってきて座っていたのは覚えていた。それからは、おそらくウトウトしているうちに眠気に抗えず眠ったのだと思い至った。
そろそろ起きなければ、と頭の中では思っていても、微睡みの心地よさがシーナの身体を動かしてくれなかった。
もう少しだけこのままでいようと思った時、肩や膝に何かが触れ、包まれるような感覚と重みを感じた。
それによりシーナは目を覚ました。
「んぅ…………」
シーナの上に乗っていた物の正体は毛布だった。辺りはすっかり暗くなっていて、蠟燭の橙色の光が部屋を照らしていた。
そして、シーナの目の前には誰かが立っている。
「……あ、起こしちゃった?」
シーナは聞き覚えのある声と口調にハッと飛び起きる。
「ジェイル! ジェイルなのか……⁉」
シーナの前には、穏やかな笑みを浮かべたシーナの知るジェイルがそこにいた。
「うん。……心配かけてごめん。それと、助けてくれてありがとう」
そう言ってジェイルは深々と頭を下げた。
それは真剣さの籠もった声音で、シーナは返す言葉を探す。
「…………私は別に。その、私だけではどうにもならなかった」
謝罪も感謝もウィラやデュライン、ノアにこそ言ってやって欲しい。
一人じゃできないことはシーナにもあった。
悪魔という強敵に打ち勝つことはもちろんだが、生活の中でも料理はデュラインみたいにできないし、ノアのように狩猟採集もできない。ましてや、ウィラのように繊細に魔力を操り魔法を行使することは、非常に難しく敵いそうにない。
彼らがいたからこそジェイルを助けられた。
「だから、それは彼らに言ってくれ」
「もちろん。ちゃんと伝えるよ」
今のシーナなら理解できる。
人と力を合わせることで成せることがあり、人にはできて自分にはできないこともある。それらは決して悪いことではなく、互いに補い合えばいいのだ。
そんな誰でも分かる当たり前のこと。
アッシュはずっとこのことを伝えていたのかもしれない。
シーナは戦いにおいては誰かに劣ることはなかった。それ故に協力することの意味を理解できなかったのだ。
でもそれが分かるようになったのはジェイルたちのおかげだ。
「それと……、こちらこそありがとう」
「? …………!」
シーナは柔らかく微笑んだ。
おそらく、そういった表情は今まで見せてこなかったし、ジェイルは初めて見た。
シーナは陽気さや無邪気さとは無縁で、口を引き結び凛とした姿こそ彼女らしかった。
しかし、この時は年相応に顔を綻ばせた少女であった。
ジェイルはその言葉の意味が分からなかったが、シーナの肩の力が抜けた様子を嬉しく思った。
「そうだ。まだ、怪我の治療をしてなかったな」
シーナは治癒の魔法を展開し、あっという間に治していく。
もう悪魔の心配はいらない、とシーナは判断した。もし、また悪魔の脅威が襲いかかろうとも、何度でも救うと心に決めていた。
そして、これからの旅はジェイルとともにあろう、と。
悪魔襲来から一夜明け、戦いで受けた傷も疲労も完全に回復していた。
覚醒したシーナの力は、攻撃だけでなく治癒にも絶大な効果を発揮した。おかげで、すぐにでも旅立てるほど快調だった。
「お前ら、忘れもんねぇかー。忘れても戻らねぇからな」
朝食の後、最後の荷物チェックをする。
「完璧よ! いつでも出られるわ」
「あれ、これウィラのじゃない?」
ジェイルは小さな置き鏡の前にある櫛を手に取る。
「あっ、わたしの! さっき使って荷物に入れるの忘れてたわ。お兄様、ありがとう」
賑やかな会話は彼らの日常だ。
シーナもこうした光景は見慣れて、どこか居心地の良さを感じていた。
「いつもうるさくてすみません」
ノアは冗談っぽく苦笑交じりに言った。
「いや、もう慣れた。あれが平常なのだろう?」
「ふふ、そうですね」
遠巻きに眺めながら飛び火が来ないことを願った。
「あの二人、僕がいない間に仲良くなってない?」
ジェイルがシーナとノアの会話に入りつつ、ウィラとデュラインにも聞こえるように言う。
「「なってない(ねぇ)‼」」
あまりにも息が合ったので、ジェイルは噴き出して笑い、シーナとノアもクスクスと笑う。
それに顔を赤くして怒るウィラ。デュラインも恥ずかしそうに背を向け、準備できたなら行くぞ、と言って荷物を背負う。
ジェイルたちも揶揄(からか)うのを止め、荷物を持って小屋を後にする。
この日は快晴で汗ばむほどの陽気だが、旅に出るにはもってこいの季節。
青々と生い茂る緑の中にちらほらと紅い葉が見え始める。熟した木の実を求め、動物たちが颯爽と木の上を駆け回っている。
木々の合間を縫って吹く風は、彼らの背中を押しているようだ。
彼らが目指すのはレードラント連邦。
そして、これからの長い人生に辛く苦しいことが待ち受けていることは知る由もない。
しかし、きっと神は願ってくれるだろう。
その長い旅路に神の加護があらんことを————。
クリムゾン 卯月里斗 @mariko0424
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