第四章 準備期間

 レラ樹海の朝は、非常に穏やかで時間がゆったりと流れているように感じられる。

 シーナは窓から差し込む朝日で自然に目覚めると、ソファーから身を起こし一回伸びをする。そして、コップ片手に小屋の外にある水瓶から水を掬って一杯飲む。

 その後、コップから剣とタオルに持ち替え、今度は小屋を離れてジェイルと出会った小川までやってくると、川の水で顔を洗い眠気を完全に覚ます。

 持ってきた剣を地面に突き立てて、先ほど顔を拭いたタオルを剣に巻き付けると、川に沿って上流の方へと走り出す。その日の気分で下流の方へ行くこともある。

 片道はいつも十分から十五分程度走ったところで折り返し、剣を刺した場所まで戻ってくる。似た景色が広がる森の中では、元いた場所に帰るための目印が必要だったため、剣を刺してそれを目印としていた。

 というのが彼女の朝のルーティーンとなっている。

 小屋に戻って来ると、他の皆も活動を開始しだす。シーナは朝食ができるまで剣の手入れをして待つ。

「お兄様、おはようございます」

「おはよう、ウィラ」

 二階から下りてくるジェイルを見つけたウィラはすぐさま駆け寄る。

「身体の調子はどうなの?」

「もう大丈夫だよ。皆のおかげだね」

 そう言ってジェイルは笑って力こぶを作るポーズを取る。

 ジェイルが目覚めてから数日が経過していた。最初は力が入らないようだったが、よく食べよく寝てよく動いてすぐ調子を取り戻していた。

 あれから特に変わった様子もなく、本人も心配ないと言っていた。

「シーナ、もうすぐ朝食が出来ますよ」

 剣と向き合っていたシーナにノアが声を掛ける。

「ああ、今行く」

 ノアはデュラインを手伝っていた。彼はよく気が回るところがあり、料理以外の家事雑事は彼が率先してやってくれることが多く、分担してはいるもののあまり意味がなくなっていた。

 ちなみに洗濯は男女それぞれで行っているため、ノアは女性陣の洗濯には一切関与していない。

「ノアー。これ、そっちに持って行ってくれ」

「あっ、うん、わかった」

 ノアはデュラインに呼ばれて戻っていく。

 彼らとの生活はシーナにとっては気楽だった。彼らはシーナに深く干渉してこないし、親交を深めようというのもない。

 程よい距離感で接してくれる彼らは、今までにはいないタイプだった。

 ロメオスの屋敷に住んでいた時は、ロメオスは基本無関心であったが事あるごとに呼び出され、侍女たちは朝から晩まで付きっ切りで世話を焼いた。学校でも喧嘩を吹っかけてくる奴もいれば、興味を持ち話しかけてくる奴もいた。何より、魔剣士団は誰も彼もシーナを放っておかなかった。

 でも今は、一人で何をしていようが誰も何も言わない。最低限、狩猟採集を手伝ったり、掃除や洗濯のようなシーナでもできることをやっていればいい。

 とはいえ、ここにいつまでもいる訳ではない。

 彼らは尚更だろう。いつかはレードラント連邦に帰る。

 そうなれば、ジェイルも帰って行ってしまう。

 ここで別れたら次はいつ会えるだろうか。

 そんな疑問が浮かびモヤモヤし始めていた頃、このことが彼らの話題に上がる。

「ジェイルが大丈夫ってんなら、そろそろ帰ろうかと思うんだが…………どうだ?」

「そうだね、そろそろ帰らなきゃね。僕はもう大丈夫だよ」

 ノアとウィラもデュラインの提案に賛同する。

「あ、でも。シーナはどうするの、これから」

「…………それは、まだ何も考えていない」

 シーナの中で未だこの旅の意味を見いだせていなかった。それどころかジェイルと再会し、彼を守るために共に居たいという思いが過ぎっている。しかし、彼の周りにはシーナ以上に長い時間を共にした仲間がいる。

 シーナがいなくても何の問題もない。

 次の行先は見当が付きそうになかった。

「そっか……。でも、僕たちもすぐに発つわけじゃないから、じっくり考えたらいいんじゃない?」

「ああ、そうする」

 焦りを感じていたシーナは、内心ほっとした。まだ一緒にいられるのだ、と。

「ところで、帰り道はどうします? 行きはジェイルの魔力を辿っていたので、森の中を通って来ましたが…………」

 魔力というのは人それぞれ異なる性質を持つ。

 魔力属性の適性が人それぞれというのが分かりやすい例だ。その他にも人の気配を感じるように、魔力も感じることができ、その区別もできるほど異なった性質を持っている。。

 たとえ遠くにあっても、強い魔力を放っていたり、魔力感知が敏感な人だと感じ取ることができる。普通の人であれば大体、半径数十メートルほどだ。

 彼らの中ではウィラが魔力感知に優れているらしく、ジェイルの悪魔が放つ特異な魔力を辿ってきたのだそうだ。

「そうだな、来た道を帰るのは無理だろうな。西のラスティアの方が近いんじゃねぇか?」

「うん、ここからだとラスティア王国の方が近いから、入国して北の海を渡る正規ルートが安全じゃないかな」

 ラスティア王国の北部は海に面しており、レラ樹海より東の国に行く際には船で海を渡るのが一般的なルートとなっている。

 しかし、レードラント連邦は海に面していないため、港のあるスラッグ公国から南下してレードラント連邦に入る必要がある。

 迂回路ではあるが、レラ樹海の危険性を考慮すると迷わず無事に帰るには、この道が妥当だという結論に至る。

「じゃあ、入国するまで食料はどうするの? 飲み水を確保する手立てはあるのかしら?」

 そう言われ考えを巡らす一同。

「ここで調理したものを持っていく、とか?」

「持っていくとなると、乾燥させて長持ちさせないとな。……あ、でも塩がねぇな」

「塩がないとできないのか?」

「ああ。だが塩がないとなると、…………凍らせるとかか」

 ラスティア王国までどのくらい掛かるかは分からない。その場で調達するにしても、運が悪ければ収穫なしということも有り得る。

 保存食として干し肉や干物が定番だが、森の中では塩もなければ海も遠い北の方だ。となると、冷凍保存という手もあるにはあるが……。

「それだと、持ち運ぶのは大変そうですね……」

 凍らせた肉塊、それも数日は食い繋げる量となると、重量はかなりのものになる。その上、ある程度は溶け出すことを考えると、布でできたものなんかは水が滲んで持ち運ぶのに適さない。

 いい案が出ず皆が頭を抱える中、シーナが一つ提案をする。

「ジェイル、あれは使えないか」

「あれ?」

「お前と川で会った時、水を汲むのに使っていた道具だ」

「あ、そうか!」

 凍らせた肉をバケツに入れ、天秤棒に掛けて担いで行けば濡れるようなことはない。また重量についても、ジェイルの質量変化の魔法があれば問題ないとシーナは考えていた。

「それにお前の魔法で軽くできるだろ?」

「確かにな……! でかしたぞ、シーナ!」

 デュラインが喜びを露わにシーナを称える。

 シーナは何とも言えない心地になり、表情を硬くした。

 だがそれは悪い意味ではなく、良い意味でだ。

 シーナに向けられる感情は、恐怖や嫌悪といった負の感情がほとんどだった。それが当たり前のようになっていて、好意的な感情や肯定的な反応というのは、どうもむず痒い感じがした。

「ところで、誰が凍らせるんですか?」

「え?」「「「あ」」」

 ノアの問いにシーナ以外の三人が表情を曇らせる。

「わたし、水属性は使えるけど凍らせるのは無理……」

「へぇ、天才魔法士でもできないことがあるんだな」

「何よ、あんたは水属性も使えないくせに」

「俺は魔法は専門外だからな」

 二人の口喧嘩は今に始まったことではない。大体はデュラインがウィラをからかうのが悪いのだが、ウィラもウィラで言われっぱなしになるのを嫌い、毎度対抗しているのだ。

 シーナも日夜共に過ごしていればこの光景にも慣れ、二人の喧嘩についてはスルーする。

「水属性なら使える。ついでに言うと凍らせることも可能だ」

「なあっ⁉」

 ウィラは、そんな馬鹿な、とでも言いたげな驚きと悔しさの入り混じった表情を浮かべていた。

 一方でデュラインは感心した様子だった。

「へぇ、剣士なのに魔法も達者なんだな」

「魔法戦は基本やらないがな。一通り習ったから使えはする、というだけだ」

「ふぅん、他の属性も使えるの?」

 ウィラは悔しい気持ちはありつつも、興味があるようだった。

「元素四属性は全てだな。強いて言うなら火と土が得意だ」

 基本六属性は、火・水・土・風・闇・光を指すが、元素四属性はその中でも火・水・土・風のことを指す。

「ふぅーん、あぁそう」

 いよいよその差を見せつけられ、ウィラはむくれてしまった。

 シーナは嫌味でもなんでもなく、ただ事実を述べただけだったが、今のウィラにそのことが分かる由もない。

 魔法が得意だというウィラにとって、剣士であるシーナに負けたように感じたのだろう。

 元素四属性を全て行使できる人は少ない。ウィラでも風属性と水属性しか扱えない。

 それに互いに相性の悪い関係の属性は習得が困難だ。故に、使えるのはせいぜい二属性までなのだ。

「じゃあ、シーナにはラスティアに入るまで保存食の管理して貰わねぇと、な?」

 もともと目的も行く当てもない旅だった。

 ジェイルとは道を違えるはずだった。

 しかし、まだ終わらない。今はまだ、同じ道を歩いて行ける。

「ああ、わかった。私も同行しよう」

 シーナは明らかにホッとした様子だったが、本人は無自覚だった。



 昼下がりはウィラの魔法特訓がある。

 ジェイルは目覚めたが、根本的な問題は解決されていない。そして、それの解決にはシーナの持つ力が有効である。だから、ウィラは望みをかけて魔力制御をシーナに叩き込む。

「違うわ。もっと一か所に集める感覚よ」

「…………っ」

 二人は凝縮した魔力の球を作っていた。

 ウィラは拳サイズで輪郭のハッキリとした白い光だが、シーナは顔ぐらいの大きさがあり、輪郭がぼやけ金色の光がゆらゆらと揺れている。

 以前使った魔力弾とは、魔力の濃度も密度もまるで違っていた。

 今回のように多くの魔力を一か所にまとめ上げるには、それ相応に神経を使うし、難易度ももちろん上がる。少し気が緩むと魔力が放出され形も崩れる。

 量も密度も減らせばなんとなくで作っても形にはなるし、魔力弾としての威力には問題はない。

 ところがシーナは剣を使った戦いを主とし、魔力の扱いに関しては家庭教師から初歩的なことを学んだだけだ。

 魔力を流す、魔法を発動させる、はできても自由自在に操ったことはなかった。その上、魔法士でもないシーナに高難度の技術を要求するとなると、そう簡単にいくことでもなかった。

「もういいわ。休憩にしましょ」

 そう言ってウィラは高密度の魔力を分散させていく。これをそのまま放てばクレーターになってしまうからだ。

 シーナも続いてまとまった魔力を散らすと球が消えていく。

「あなた、ほんとに不器用ね」

「だから剣なんだろうな」

「それもそうね」

 女同士仲良く、とはならず、素っ気ない態度のシーナと少々とげのあるウィラの会話。今はジェイルを助けたい、という意見が互いに一致しているからか喧嘩などに発展することはない。

「でも、あんまり待ってられないわ」

「どうしてだ?」

 目覚めた後のジェイルの状態は安定している。本人曰く、コントロールできているから大丈夫なのだそうだ。

 それなのに不安な様子のウィラをシーナは不思議に思った。

「お兄様はああ言ってるけど、実際は何も変わってない。どうして平気でいるのかは分からないけど、あの力は弱まってないはずだし、そう遠くないうちにまた同じことが起こる」

「弱まっていない? ジェイルは自力で抑えているんじゃないのか?」

「抑えては、いるのでしょうけど、……一時的なものだと思うわ」

 その口ぶりから推測の域を出ないものなのだろうが、現実に起こらないとも限らない、という予感を感じさせた。

「いや、だが、お前が毎晩魔法をかけていただろう」

「あれはもっと意味がないことよ。気休めでしかない」

 最後の一言を吐き捨てるように言って視線を落とす。

「わたしが使ってたのは光属性の浄化の魔法。アンデッドとかには効くんだけど、悪魔はさすがに無理ね。全然効いてなかったわ」

「じゃあ、何故あんな無茶をしてまで……」

「そんなのお兄様を助けたいからに決まってるじゃない。たとえ気休めだとしても何もしないよりはマシだもの」

 ウィラは唇を嚙み俯いた。

 状況は思わしくないということは、ウィラを見ていれば分かった。そして、打開策として最も期待できるのはシーナの力だということも。

 一刻も早く魔力制御を会得し、ジェイルの中にある悪魔の力を抑えてやらなければ、その力に飲み込まれていくことになる。

「…………私の力なら、ジェイルを助けられるのだな?」

「ええ。でも、制御を誤って悪魔を消してしまえば、お兄様自身に影響を及ぼすわ。だから焦ってはダメ。必ず成功させるのよ」

 ウィラは魔法を行使することの危険性について、念を押してシーナに伝える。

「ああ、分かってる」

「……ほんとに分かってるのかしら」

 半信半疑なウィラをよそに、シーナは立ち上がる。

「休憩はもう十分だ。訓練を再開しよう」

「…………はぁ、わたしの話を聞いていたのかしら」

 ウィラは呆れた顔でシーナを見る。

「焦ってはダメとさっき言ったばかりでしょう」

「だが、何もしないよりはマシだろう」

「あー、そうね」

 これは何を言っても無駄だと察したウィラは、言い返すのを諦めて訓練を再開した。



 陽が傾きだした頃、ウィラとシーナは訓練を切り上げ小屋へと戻ってくる。

「ただいま……って何やってるの?」

 小屋の外ではジェイルとデュラインが何かやっているようだった。

「……ああ、おかえり。いや、さっきね、水を汲んできたんだけど、まだこの距離を往復するのはキツイなー、と思ってさ。ちょっと休憩してたところ」

 ジェイルは息を切らしながら、パタパタと服で扇いでいた。額からは汗が出て頬を伝って落ちていく。

「なんでお兄様に無理させたのよ」

 明らかに疲れた様子のジェイルを見て、ウィラはデュラインを疑いの目で見る。

「ちげぇよ。コイツがやるっつうからやらせたんだ」

「そうだよ、僕が言い出したことだから。あんまり責めないで、ね?」

 ジェイルにそう言われ、ウィラは口を噤む。そして、静かに頷いた。

「そんじゃ、お前は戻って休んでろ。あとは俺がやっとく」

「ああ、頼む」

 デュラインは天秤棒をジェイルから手渡されると、両端にバケツを引っ掛けて川の方へと歩いて行った。

 それを見送ると、ジェイルも立ち上がる。

「お兄様」

 ウィラは力強く呼びかけ、ジェイルは振り返って柔らかく微笑む。

「お兄様は何もしなくていいわ。全部、わたしたちがやるから任せて」

「……うん、ありがとう」

 ウィラはジェイルに心配を掛けまいと、胸を張って言った。

 しかし、ジェイルは浮かない表情のまま軽く笑い、小屋の中へと入っていった。

 シーナは怪訝な顔でその背中を見送る。

「……おかしい」

「……そうね。歩いて五分くらいの小川を少し行き来したからって、そこまで疲れるとは思えないわ」

 二人はジェイルの様子に違和感を覚えていた。

 一週間寝たきり状態だったとはいえ、目覚めてからは食事をしっかり摂り、小屋の中では家事を手伝っても疲れた様子はなかった。日常生活には支障はないように見えた。

 それにジェイルには質量変化の魔法が使える。

 シーナが小川でジェイルと出会った時、バケツいっぱいに汲んだ水を軽々と持ち上げていた。実際のところ、どのくらい軽くなるのかは知らないが、それが重いと感じるほど体が回復していない、という訳でもないだろう。

 となると、原因はやはり——。

「あの悪魔のせいか」

「ええ、その可能性が一番高いでしょうね。何ともない風に振る舞ってたけど、ほんとは辛いんじゃないかしら」

 ウィラも同じ見解であったようだ。

 となると、悪魔を抑えることが体への大きな負担となっている、ということが考えられる。

 おそらくウィラはこのことを懸念して、焦りを募らせていたのだ。やはり、早く魔法を使えるようにならなければいけないのだ。

 シーナにはまだ浄化を成功させられる確信はなかった。可能性はゼロではないが、奇跡と言えるほどの確率しかないと考えていた。



 その日以来、ウィラはジェイルに対して過保護というか、非常に気を遣っていて無理をさせないために世話を焼いていた。

 ジェイルは困惑していたが、デュラインもノアも何も言わなかった。もちろんジェイルも拒否することはなかった。

 シーナも自分にできることがないかと考えてみたが、剣以外のことはからっきし何もできず力になれそうになかった。結局、浄化を成功できるようになるという結論になった。

 しかし、どうにか早く上達する方法はないのだろうか。

 もちろん、ウィラのおかげで上達してきている。だが、急いだほうがいいという気がしてならない。

 ウィラに教わってシーナが思ったのは、彼女はどちらかというと感覚派で、体で覚えているためその感覚を言語化して伝えるのは非常に難しかった。実際、シーナはその感覚を掴みきれずにいた。何かコツがあるのなら知りたい。

 ウィラ以外にも魔法が使える人はいる。

 例えば、ジェイルは無属性の魔法以外にも火と土が使えるそうだ。しかし、教わるには魔力を使うし、また無意識に浄化の力が働いてしまう恐れがあるため却下。

 あとはノアだが、まだあまり彼のことを知らない。魔法士ではあるそうだが、適性のある属性などは聞いたことがなかった。使った魔法で言えば最初に見た鑑定魔法くらいだ。彼の性格上、分からないことを聞けば丁寧に説明してくれるだろうし、教わるとしたら彼だ。

 その日はもう陽も落ちていたため、翌日聞くことにした。

「シーナ、ちょっといいか」

 シーナが寝支度を始めたタイミングで、デュラインが話しかけてきた。その隣にはノアもいた。

「ああ」

 シーナは手を止めて二人の方へ振り向く。

「明日なんだがノアと魔物を探しに行って欲しい」

「探しに?」

「ああ、今回はどのあたりに魔物が生息してるのかを調査するだけでいい」

 シーナはてっきり狩りに行くよう言われるかと思ったが、どうやらそうではないらしい。

「狩ってこなくていいのか」

「今回は、って言ったろ。保存食用に多く狩ってきて欲しいからな。群れがどこで生活してるとか、どこによく現れるかとか、調べて欲しいんだ」

「なるほどな」

 いきなり狩りに出ても魔物に出くわすかどうか分からない。見つけても一匹だけだと足りない。だから、予め魔物の生活圏を調査し、ポイントを絞っておくのだ。

 群れでいるところを一気に狩ってたくさん持ち帰る、という算段だ。

「お前は行かないのか?」

 ノアと行くよう言ってきたあたり、デュライン自身は同行しないと言っているように聞こえたのだ。

「ああ、護衛するならお前の方が適任だろうからな」

「護衛?」

「ノアのだよ」

 シーナはいまいち話が読めていなかった。

 確かにノアは男性としては華奢な体躯で、ここの魔物に襲われたら一溜まりもないだろう。しかし、魔法士だというのなら戦うことも出来そうなものだが。

「それならお前が行けばいいだろ」

「何言ってんだよ。俺をボコボコにしておいて」

 先日、デュラインが手合わせしたいと言い出し、ジェイルやノア、ウィラを観客兼審判として行った時のことである。

 互いに真剣は使わず、代わりに木の棒を小屋周辺で見繕い戦った。

 シーナは片手剣のような太さで長い木の棒を、デュラインは短剣のように短く湾曲した木の棒を二本選び、それぞれ得意な戦闘スタイルで臨んだ。

 デュラインは男三人の中でも明らかな武闘派だ。主に短剣を扱い、その長身と鍛えられた肉体によって、鋭い刃で殴るような強力な斬撃を見せた。しかし、シーナという女はそれを上回った。

 剣術あるいは体術といった、戦闘技術はほぼ互角であった。しかし、フィジカル的な意味での力の差はシーナが勝っており、受け身を取った時点でデュラインは攻めの手が出せなくなっていた。

「俺なんかよりお前の方がよっぽど安心だろ」

 そう言ってわざとノアに視線を向ける。

「い、いや、そんなことないよ」

 ノアが焦っているのを見て、デュラインは声を上げて笑った。

「はははっ。冗談だって。シーナの実力は認めてる。だからこうして頼んでんだ」

 再び、デュラインの視線がシーナに戻り、協力の可否を問う。

「……わかった」

「ありがとな」

「よろしくお願いします」


  *


 翌日、シーナとノアは魔物が多く現れる場所を探しに調査に出た。と言っても、小屋からは数キロ以上離れている場所に、だ。

 その理由は、例の悪魔による力が魔物を寄せつけないためである。今、シーナたちはその力を感知できていないが、森に棲む生き物は本能的に感じ取っているのか、小屋の周辺には一切の痕跡がなかった。

 ただ闇雲に探しても見つけられないため、まずは生活の痕跡を探すところから始まる。足跡、食痕、巣などの有無によって、魔物の生活圏を絞っていく。

「どうだ、何か見つかったか」

 腕を組んで木に凭(もた)れかかっているシーナが、地面を注意深く観察するノアに声を掛ける。

「いえ、どれも古い痕跡ばかりで新しいものはありませんね」

「そうか、じゃあ次だな」

 何もないと分かるとすぐさま移動しようとするシーナ。それをノアが止める。

「ちょっと待って下さい」

「……? まだ何かあるのか」

 ノアは手で木の幹に触れると、目を閉じ何かに耳を澄ます。

 シーナにはただ風が木々の葉を揺らす音が聞こえるだけだったが、ノアは時折相槌を打ち、まるで木と会話しているようだった。

「……そうか、ありがとう」

 昨晩、ノアには動植物の声が聞こえるのだとデュラインは言っていた。


「魔物の索敵はコイツがやるから、任せておけば大丈夫だ」

「そうなのか?」

「多分、索敵なら力になれるかと……」

「お前なあ、もっと自信もって言えって。コイツな、出身が地方の自然に囲まれたとこでさ、狩りとか採集は頼りになるんだ」

「そうは言っても、村の中では役立たずでしたし……」

「でも動物とか植物の声が聞こえるってすげぇじゃん」

「声が聞こえるっていうか、彼らのコミュニケーションを理解できるっていう感じで……。それに、それが理解できるのは気味が悪いでしょう」


 でもそれだけではない。ちゃんと知識と観察眼を以て情報を得ている。

 本人は大したことじゃないと謙遜していたが、少なくともシーナにはできないことだった。おそらく、デュラインやウィラ、ジェイルにも。

「シーナ、次はあっちに行ってみましょう」

「ああ、わかった」

 シーナはあくまでも護衛。調査に関してはほとんどできることがない。そのため、ノアに任せっきりになっていた。

 周囲を警戒するも、特に何事もなく進んでいた。

 ノアは着々と魔物の足取りを掴み、生活圏を捉えんとしていた。

 彼の適性は土属性で、土や石、木や草花に作用する魔法を得意としている。中でも特殊な能力は、動植物特有のコミュニケーションを理解できることだ。

 彼らは独自のネットワークを持ち、危険や情報を共有する。そういった言葉を介さないものたちの発するメッセージの意味をノアは読み取り理解できる。

 地元では気味悪がられたその能力も、一歩外へ出てみれば特別なことでもなく、変わった能力を持つ人は他にもいた。そして何より周りからの評価が全然違った。

 『LIFE』が彼の居場所となった。ここでは誰にも気持ち悪いと言われないし、山中で野宿することになればその力は皆の役に立った。

 そして、シーナも仲間と同様にその力を知っても尚、態度や見る目を変えなかった。

 ノアにとってそれは自信にも繋がった。この力を仲間のために役立てたいと思った。

 今は皆でラスティア王国へと無事に辿り着けるように。

「あっ。あった」

「何か見つけたのか」

 シーナはノアの横にしゃがみ込み、地面に目を凝らす。

「……どこだ」

「これです」

 見ても分からなかったシーナが尋ねると、ノアは地面に落ちている割れた木の実やその欠片を指差した。

「……これは、木の実か?」

「ええ。これは魔物が木の実を食べた跡だと思います。おそらくは小型の草食と思われますが、その場合近くに肉食の大型も生息しているかもしれません」

 シーナはノアがたったこれだけの手掛かりで、どんな魔物がいるのか分かることに感心した。

 彼自身が過小評価をするので、あまり期待をしていなかったが、ちゃんと役に立っていた。

 シーナだったら闇雲に探し回って何の収穫も得られないまま終わっているかもしれない。仮に見つけても、そこが生活場所でなければ、翌日にはもう姿はないだろう。

 ノアの知識と行動は、確実に魔物の生活圏へと近づいていた。

 シーナはノアの後をついて行く。すると、次第に魔物が残したと思われる痕跡が増えていく。

 さらに歩を進めていくと、ようやく生き物たちの気配を感じ取る。

「止まれ」

 息を潜めて小声で制止する。

 じっと耳を澄ませていると、魔物の鳴き声と水の音が聞こえてくる。

 二人は足音を立てないようそっと近づいていく。

 シーナは剣を抜き、臨戦態勢を取る。

 徐々に魔物の姿が複数と、木々があまり密集しておらず光が差し込み反射する水面が確認できた。

 この時、シーナとノアの存在には気づいていないようだった。

 突然、後ろから服を引っ張られ足を止めて振り返ると、ノアが服を掴んで首を横に振り、何かを訴えているようだった。

 今の場所から声を出せば魔物が気付く可能性があるため、ノアが何を伝えようとしているのか確かめる術がなかった。

 すると、ノアはポケットから緑色の紐を取り出し、木の幹に結び付けた。それは微弱な魔力が織り込まれた紐で、対になっているもう一本の紐がその魔力の場所を教えてくれる魔道具だ。

 木の幹に巻き付けておくことで、マーキングとしての機能を果たす。

 ノアは手招きしてシーナに撤退の合図を送る。

 シーナは一瞬、不満そうな表情を浮かべたが、目的を果たし歩き出したノアの後を追っていった。

 周囲に魔物がいないことを確認すると、シーナは剣を鞘に収めノアに尋ねた。

「あれでよかったのか」

「うん。見つかるリスクを考えれば、引き際だったと思います。それに目的は果たせましたし」

 そう言って満足げな表情を浮かべ、さっきの紐の対になっている方をシーナに渡す。次、狩りに出る際はノアは行かない。戦闘向きの魔法ではないからだ。

 シーナは釈然としない様子で紐を受け取る。

「もしかして、物足りませんでした?」

「っ……!」

 そう言ってノアは、身につけていた腕輪に付いた円盤を上に向け回す。すると、赤い光が空へ向かって高く伸びていった。



 小屋の屋根に登り留守番兼待機をしていたウィラは、空に昇った赤い光を確認する。そして、手に持った腕輪の円盤を回し赤い光を空に放つ。

 こうすることでシーナとノアに帰路を示すと同時に、調査から戻って来ることを知らされる。

 やがて向こうの光が消えると、ウィラも円盤を回して光を消す。そうやって魔力消費を抑えることで、複数回にわたって使用が可能になる。

 しばらくすればまた光が昇るはずなので、ウィラはそのまま待機する。

「二人、帰ってくるのか」

 ウィラは声がした小屋の外にあるテラスの方を見下ろした。

「……そうみたいよ」

 ちょうどデュラインが汲んできた水を水瓶に移しているところだった。

「まだ怒ってんのか」

「別に怒ってないわよ」

 いつにも増して素っ気ない態度を取るウィラ。

 シーナとノアが調査へ赴いている間、ウィラはデュラインに問い詰めた。

 ジェイルは昼食後、昼寝をしていたため、外へ連れ出し二人で話すことができた。

 ウィラが聞きたいことは、もちろんジェイルのことで、デュラインは何か知っていると睨んでのことだった。

 しかし、デュラインは一貫して知らないと主張し、最後まで口を割らなかった。

 デュラインは普段のからかうような調子はなく続ける。

「じゃあその不機嫌そうな声、もとに戻しとけよ」

「…………」

「それと、アイツには聞くなよ」

「分かってるわよ」

 今度は明らかに苛立ちを含んだ声で答える。

 ジェイルはきっとウィラたちを頼ろうとはしない。例え本人に直接聞いても、大丈夫だと言われて終わるだろう。

「なら、あんたが教えてくれればいいじゃない」

「俺は知らないって言ったろ。知らないものは知らないんだから答えようがないだろ」

「…………」

 ウィラはそっぽを向いて、そのまま口を利かなかった。

 デュラインは一つ溜息を吐くと、いつのまにか止まっていた手を動かし始めた。

 それから一時間ほどでシーナとノアが帰って来ると、ウィラは何事もなかったようにいつもの調子に戻って話していた。

 二人が見つけた狩場は、小屋から約五キロ南に進んだところにある水場。

 明日、シーナとデュラインが狩りに行くことになった。



「なんで一人で行く、なんて言ったの?」

 その日の夜、テラスの椅子に座って夜空をぼーっと眺めていたシーナに、ジェイルは声を掛けた。

「なんでって、私一人でも十分だからだ」

 先刻、狩りに行く人員と行動作戦について話し合いを行った。

 ところが、シーナが一人で狩りに行くと言い出し、四人はなんとかして説得しデュラインを同行させることができたのだった。

「でも一人では限界があるし、……持って帰れないんじゃない? 腕は二本しかないし、いざというときに動けない。人手は多いに越したことないでしょ」

 ジェイルも隣の椅子に腰掛け、暗闇に広がる数多の星を見上げる。

「そう、なんだろうな」

「…………?」

 ジェイルはシーナの方に顔を向ける。

 すると、シーナは視線を落としぽつぽつと語り始める。

「以前、似たようなことを言われた」

 そして、シーナは自身の過去を搔い摘んでジェイルに話した。

 ジェイルはそれを静かに最後まで聞いていた。

「未だに分からない。協力とか連携とか、他人に頼ったりするのは…………。私は、一人で十分だ」

 そこで言葉が途切れ、沈黙が流れる。

 シーナはジェイルも他の人と同じなのだと思った。

 彼の周りには仲間がいて、互いに支え合っている。それが普通で当たり前のことなのだということは知っている。

 しかし、スラム街で過ごし染みついた考え方は、そう簡単には変わらない。

 きっと分かってもらえないだろう。

「…………強いんだね、シーナは」

「え……?」

 予想外の言葉にシーナは呆気にとられる。

「僕は一人じゃ何もできない。悪魔の力はマスターに抑えてもらってて、頼るのをやめていざ一人になってみたら皆に迷惑をかけて。……でも、皆を頼ることは悪いことじゃないって、最近分かったんだ」

 シーナは理解できても納得はできなかった。

 たとえジェイルの言う通り、人に頼ることが悪いことじゃないとしても、その選択をするのは何か許せないような気持ちになった。

 しかし、ジェイルに対しては、彼の力になりたい、頼られたいと感じていた。

「シーナにも一人の限界はあるよ」

「…………っ」

「例えばさ、デュラインとの手合わせも、ウィラと二対一だったらシーナは勝てないと思うよ。そりゃあ数では不利だけど、それだけじゃあシーナには勝てない。二人がそれぞれで戦えばシーナが勝つ。けど、連携を取って戦うなら話は変わってくる。もちろんシーナが勝つ可能性もあるけど、二人が勝つ可能性もある」

 たしかに、魔法の中・遠距離攻撃が加われば面倒ではあるが、二人に負けるイメージがシーナには想像できなかった。

「シーナ。連携は足し算じゃないよ、掛け算だ」

 シーナはジェイルが言った意味が全く理解できなかった。

 一人増えようが二人増えようが、戦力が倍増するわけでもない。その程度はシーナの敵ではなかった。

「複数人でも個々人で戦えば足し算だ。掛け算は味方の得意を活かして戦略的に戦うんだ。そうすると、格段に強くなる」

「得意を、活かす…………?」

 もし、その戦い方のデュラインやウィラと手合わせをすれば、どんな結果になるのだろうか。

 連携による強さがどのようなものかは分からないままだが、非常に興味を持った。

「そう。今度、試してみたら?」

「そうだな」

 昼間は暖かな陽気でも、夜は肌寒いと感じるくらいには気温が下がる。

 シーナとジェイルは長話をしたせいで、腕に鳥肌が立っていた。中へ戻ると体をしっかりと温めてから眠りについた。


  *


 ノアと見つけた水場は推測通り魔物たちの水飲み場だった。

 シーナとデュラインは、身を潜め魔物たちが集まるのを待ち奇襲を仕掛けた。そして、ほぼシーナが戦利品を勝ち取り、食糧難の心配は無くなった。

 狩った後はデュラインが血を抜き皮を剝いで食べる部位を取り出していく。カットされたものをシーナが凍らせてバケツの中へと放り込んでいく。

 出立の準備は順調に進められ、三日後には発てるだろうと見込んでいた。

 ウィラとの特訓はこの数日行えていなかった。シーナは早朝のランニングとともに、魔力制御の練習も行った。

 ただし、方法はノアから教わったやり方で、だ。

 土属性魔法で手のひらサイズの石を生成。そこから硬度をできるだけ高めていく。硬度を確かめるために剣で斬ってみる。

 最初は剣でも辛うじて斬れる程度だったが、始めてから三日目、ついに斬れなくなった。

 石には亀裂が入るだけで、剣は魔力で覆っていなければ刃毀れしたかもしれない。

 魔力という実体の曖昧なものより、石という形あるものの方がイメージしやすかった。そのため、魔力制御の感覚もよりはっきりと掴んでいった。

 食料調達を終えてから三日後、ようやく出発の用意が整った。

 調理器具や寝袋、食料などとどうしても荷物が多くなってしまうが、レラ樹海を抜けるまでは仕方のないことだった。

 重い荷物はデュラインやノア、そしてシーナが交代で持つということで話はまとまった。ジェイルの質量変化の魔法でという話にもなったが、試しに魔法をかけようとしたところ、魔法を発動することができなかった。

 どうやらこの頃、魔法が使えないとのことで、原因は例の悪魔だろうと推測した。その上、ジェイルはこの二、三日寝ている時間が増えていた。

 この日も皆が出立に向け身支度を整えている中、まだ起きてこなかった。

 声を掛けにシーナが二階へと上がった。

「ジェイル、もうすぐ出発す、る……………………………………………………え?」

 そこにジェイルの姿はなかった。



  

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る