第三章 少女の罪

 シーナは奴隷商人の男からどうやって逃れたのか全く覚えてなかった。

 気がついたら、包み込まれるようなフカフカのベッドに寝かされていた。

 まだ瞼が重くウトウトしていたが、見知らぬ天井に自身の置かれている状況が分からない不安で、無理やり体を起こす。身体は汚れ一つないほど綺麗になっており、穴の開いた服もレースが施された肌触りの良い寝衣に着替えさせられていた。

 頭が冴えずボーっとしていると、サファイアブルーを基調としたメイド服の女たちが、シーナを見てパタパタと動き回っていた。

 しばらくすると、ノックの音がして両開きの扉が開いた。

 入ってきたのは見た目が三十代半ばくらいの男で、凝った刺繍があしらわれたコートを身に纏っていた。男はロメオス・エドラ―と名乗り、シーナを養子として受け入れることになったのだと言った。

 言われた当の本人は、呆然とした様子で状況を飲み込めていなかった。しかし、ロメオスは言いたいことを言うと、踵を返して部屋から立ち去った。

 ロメオスはラスティア王国で公爵位を賜っており、王都の西オヴェスト区を統治している。王都に建つ壮麗な豪邸が彼の権力の大きさを物語っている。

 そんなところにシーナは住むことになった。

 端の見えない廊下には赤いカーペットが敷かれ、壁には誰が書いたのかはわからないが、絵画が数メートル間隔に飾られている。反対側は天井まで届きそうなアーチ形の窓から陽の光が差し込み、昼間は明るい雰囲気だ。

 それからは、数人の侍女たちに付きっきりで世話をしてくれた。

 朝は目が覚めるころにやってきてカーテンを開け、着替えもシーナが腕を上げたり下ろしたりするだけで着せられ、ボタンを締めたり襟を正すのも彼女たちがやってくれる。フリルやらリボンやら装飾の多いドレスは、シーナには邪魔くさく窮屈でもあった。

 食事はやたら広い部屋で一人ポツンと座り、フォークやナイフの使い方——そもそもフォークやナイフを使って食事すること——を知らず、手づかみで食べると侍女に注意され使い方を教わりながら食べる。

 全てが上質で贅沢で快適で、退屈だった。

 かと言って他にやりたいことなど何もなかった。ずっと心のどこかが欠けているようでやる気が起きないし、少年の最期が脳内で永遠繰り返されるばかりだった。こんな気持ちになるのは初めてで、部屋で一人泣いていることもあった。

 スラム街では誰が野垂れ死にしようが心底どうでもよかった。でも、あの少年だけはどうでもよくなかった。

 少年が刺された時、今まで感じたことのない怒りが、身体中を駆け巡って熱くて、湧き上がる力が抑えられなかった。激情に身を任せたその後のことは覚えていない。

 気付けば少年の姿はなく、残ったのはどうすることもできない喪失感と無気力感。

 ただただ何もしない日が過ぎていった。

 ロメオスも世話をしてくれる侍女たちも、何もしないでいるシーナに何かをやらせたり言ってきたりすることはなかった。

 そして、心の傷も時間とともに痛みが和らいで気持ちの整理がついてきた頃、ロメオスから家庭教師を紹介され、勉強を始めるようになった。

 勉強自体が面白いとか楽しいとは思ったことはない。しかし、集中している間は他のことを忘れていられたため、殊に熱心に打ち込んだ。


  *


 それから、シーナが十歳になった頃、ロメオスに呼び出され王立魔剣士学園への入学を勧められた。

 ラスティア王国の教育は、基礎教育、分野別学部教育、専門別学科教育を経て社会へと飛び立つ。七歳から十歳までが初等学校での基礎教育、十一歳から十三歳までが中等学校での分野別学部教育、そして十四歳から十六歳までが専門学校での専門別学科教育となる。

 シーナはその時学校に通っていなかったが、家庭教師をつけてもらっていたおかげで基礎教育は身についていた。

 ロメオスが勧めた王立魔剣士学園は、専門学校に中等学校が附属した名門校で、魔剣士と魔法士の育成に特化した学校だ。卒業後はこの国の防衛を担う騎士団や魔法士団へと入るものが多く、“王立”と名のつく通り、そのパイプは太い。

 ただロメオスがここへの入学を勧めたのは、単に公爵家の子として相応しいから、などというつまらぬ理由ではない。彼女の持つ類い稀な才能を見抜いてのことだった。

 シーナは、お義父様がそう仰るのなら、と学園への入学をあっさりと受け入れ、今度は剣と魔法の習い事に集中して取り組んだ。

 勉強もそこそこにやればできるタイプだったが、剣と魔法においては、同年代で彼女に勝る子どもはいない、と講師が断言するほど秀でていた。

 その後、入学試験も無事に合格し、晴れて王立魔剣士学園中等魔剣部の生徒となった。


  *


 登学には専門学生と同じ正門を通る。まっすぐ進めば円形の噴水があり、その先に専門学校の白い壁に青い屋根が特徴的な校舎が建っている。中等学校は正門をくぐって左に曲がってその道を進んだところにある。壁は白で統一されているが、屋根の色は赤で規模もやや小さい。

 シーナが教室に入ると既にグループの輪ができていて、それぞれ楽しそうに喋っている。中には知り合いなのか親しげな様子も見られる。

 それもそうだろう。ほとんどが貴族の子どもが通うこの学園で、家同士の付き合いで見知った顔も多いはずだ。シーナにはそういう相手はいなかったが。

 そして、魔剣部は魔法と剣を組み合わせた戦い方を主に学ぶコースで、もう一方の魔法部は戦闘に関わらずあらゆる魔法を学ぶコースだ。

 魔力量や魔力操作が重要で女子生徒が多い魔法部に対し、魔剣部は剣術を中心としたフィジカルが重要となる。そのため男子生徒がほとんどで、シーナは教室の中でも非常に浮いた存在だった。

 もちろん他に女子生徒が全くいない訳ではない。ただ、彼女たちは代々騎士の家系であったり、身体能力に優れた血筋であり、名の知れた家柄だったりする。

 それに対して、エドラー家というのはそのような家系ではない。オヴェスト公爵としての名は広く知られているが、学園の、しかも魔法部ではなく魔剣部に入ったシーナというのは特異な存在なのだ。

 当然突っかかってくる男子生徒もいた。女子だからと馬鹿にしたり、実技授業がある時は戦いを挑んできたりもしたが、シーナはそうした相手を返り討ちにし叩きのめした。それでも複数人で挑んでくる者たちもいたが、数が増えたところでシーナが負けることはなかった。

 その結果、噂を聞いた上級生に絡まれることも屡々(しばしば)あったが、戦いを挑まれて一度も負けることなく卒業したシーナは、いつしか“最強”と呼ばれ、無謀な戦いを挑む者もいなくなっていた。


  *


 そして専門学校の入学式の日、シーナに大きな転機が訪れる。

 ホームルームも終わり、中等学校より少し広くなっただけの専門学校の教室を出て、中央階段を下りるとすぐ出入口まで行ける。行動を共にするような友達もいないので、学校が終わるとまっすぐ家に帰る。

 もう当たり前になったいつもの行動パターン。

 しかし、今日はそうならなかった。

「君は学年“最強”と謳われる、シーナ・エドガー君、だね?」

 シーナの前へ歩み出て話しかけてきたのは、銀髪で眼鏡をかけた男子生徒だった。その後ろには、男女二人組の生徒。

 もう暫くはこうした絡みはなくなったと思ったが、物好きもまだいるもんだと思った。

「ああ、そうだが。何か用か?」

 さっさと済ませようと、すぐ用件を尋ねた。

「貴女、団長に向かってその口の利き方は何です!」

「そうですよ! 我々が先輩だということが見て分かりませんか」

 後方にいた二人が口々に言ってネクタイを指す。

 学園の制服は男女ともにネクタイを着用する。そしてその色は学年によって異なり、シーナ含む一年生は赤色、シーナを注意した二人組は青いネクタイをしており、二年生であることがわかる。団長と呼ばれていた銀髪の生徒のネクタイは緑色、つまりは三年生である。

「それは大変失礼致しました」

 言葉だけの謝罪に二年生が睨むようにシーナを見ていたがこれ以上は何も言わず、銀髪の生徒が話を進める。

「いいよ、私は気にしないから。……それより、自己紹介がまだだったね。私は魔剣士団団長のダイヤ・アルカノンだ。今日は君をスカウトしに来たんだ」

 魔剣士団——それは騎士団に来る依頼の中で危険度の低い案件を請け負う、王立魔剣士学園の専門学生によって構成された小さな騎士団。

 国防を担う騎士団の多くは、この魔剣士団での経験を経て入団する者が多く、双方の繋がりが強いため、騎士団に入るために学園へ入学し、魔剣士団へ入る者も少なくない。

 ただ、シーナはこういった事には興味がない上、組織に所属するというのは、そのしがらみが面倒であるが故に避けたいと考えていた。

「すみませんが、お断りします。では、失礼します」

 そう言うと足の向きを変え、すぐに立ち去ろうとした。

 しかし、ダイヤがシーナの腕を掴み、その足は止められる。

「待って! 君のような逸材を放っては置けない。それに魔剣士団に入れば、騎士団へも入りやすくなる。君にとっても悪くない話だ」

「そういうことなら尚更興味がないですね」

 シーナがこのように突っ撥ねても、ダイヤは腕から手を離さない。

「……そうか。なら、手を変えようか」

 ダイヤは意を決した様子でシーナと向き合う。

「シーナ・エドガー君。君に決闘を申し込む」

 決闘——確か、闘技場で剣を交えその勝敗によって物事を決定するもの、だったはず。基本的に敗者が勝者の条件を呑むというのが決まりだ。

 この場合、ダイヤが勝利すればシーナは魔剣士団に入ることになり、シーナが勝利できればそれを阻止できる。

 しかし。

「お言葉ですが、あなたがわたしに勝てると?」

 この発言に二年生が目をむくのが視界の端に見えたが、シーナは思っていることを述べただけで、そこに皮肉を含んだつもりは一切なかった。

「ふふっ、あははっ。そうかそうか、大した自信だ。……笑って悪かったよ。もちろん勝てると思っているよ。いや正しくは、君は私に勝つことはできない、だろうか」

「……っ!」

 ダイヤの瞳には、絶対的な自信があるのを感じた。己が勝つことを信じて疑っていない。

 それはシーナも同じだった。

 ならば尚更、この決闘を断る理由はない。

「この決闘、わたしが勝ちます」

「……そうこなくては」

 両者ともに自身の敗北はないと自負していた。



「……っ。はぁっ、はぁ」

 決闘が行われる闘技場は、三六〇度が観客席で囲まれており、中央に四角く窪地になっている。今日は観客はいないが。

 勝利条件は先に五点を取ること。

 決闘で用いられる武器は特殊で、柄までしかなく剣身がない。使う際は魔力を一定量流し続けることで、淡く光った剣身が生成される。それ自体に殺傷力はなく、当たった時の衝撃はあるものの、あくまでも疑似的に再現されたものだ。剣に通した魔力が相手の体に触れると得点が入る、というのがこの剣の性能である。

 その剣によって得点板に示された得点は——三対〇。

 それもダイヤが優勢だ。

 シーナが持ち前のパワーで押し切ろうとするのに対し、ダイヤは相手の動きを見て冷静に対処し、隙を間(うかが)うように立ち回っている。単純な力であればシーナの方が勝っているだろうが、それがわかっているからか真っ向から受け太刀はしない。

 角度を変え後方に下がりながら、強力な一撃を確実に往なしていく。

 一見、受け身に見えるが、何度かそれを繰り返したのち、シーナが大きく踏み込んでくると、それを躱し体勢を崩したところで一本。

 長引けば長引くほどシーナの動きは見切られる。攻撃をし続けた分、シーナの体力は消耗する一方だ。

 そうしてまもなく決闘の勝敗が決まった。

「……わたしの、負けだ」

 シーナは肩で息をするほど疲労困憊だった。それに対してダイヤの方は、息も上がっておらず依然として悠然たる態度のままシーナに向き合う。

「でも“最強”って呼ばれてただけのことはあったよ。まさか一矢報いるとはね」

 シーナとてただ負けたわけではなかった。ダイヤの策の裏をかいて、大きく振りかぶった後一撃振り下ろすだけに見せかけ、すぐさま二撃目を打ち込んだのだ。しかし、通用したのはその一回きりである。

「君はもっと強くなれる。今はまだ荒いところが多いけど、いつかここまで登っておいで」

 ダイヤは身をもってシーナの強さを体感し認め、期待を込めて言葉を贈った。

「言われなくても、すぐにあなたを追い越す」

「うん、楽しみにしてるよ。……そうそう。私の勝ちだからね、君には魔剣士団の一員となって共に活動してもらうよ。今日のところはしっかり体を休めておくように」

 そう言い残しダイヤと二年生の二人は闘技場を後にする。

 シーナは今より更に強くなることを誓った。


  *


 それからシーナは剣と魔法の鍛錬に力を入れた。

 毎日、体力と筋力を上げるトレーニングを行い、魔剣士団が受ける討伐依頼を通して、実践的な強さを身につけていった。以前は力任せだった剣筋も、無駄を省いた隙のない動きで他を圧倒するようになった。

 しかし、問題だったのは単独行動が目立つ点だった。

 本来、依頼には五人一組の小隊単位で動くのが基本で、シーナも三年生が率いる隊の一員として出向くのだが、とりわけ戦闘においては連携というものがまるでなっていなかった。

 対多数であれ対少数であれ、小隊の中で互いをカバーし合いながら戦うのが一般的かつ安全だ。ところがシーナときたら、味方などまるでいないかのように一人で戦うのだ。

 それでも彼女の実力ともなれば、傷一つなく平然と帰ってくるものだから心配はされていなかったが、連携を取って戦えと上級生から何度も注意されていた。ただ本人は聞く気がないし直す気もないので、お手上げ状態という訳だ。

 ある時、一度だけ団長から直接の指導もあったが必要がない、の一言を吐き捨ててこの話は終わってしまった。

 そんな日々を過ごし、雪が降り積もる冬のある日、シーナは卒業を間近に控えた元魔剣士団団長、ダイヤ・アルカノンに再戦を申し込んでいた。

 そう、あの日の雪辱を晴らすために。

 決闘の噂はどこから漏れたのか。密かに行うはずだったそれは、闘技場の客席を埋める一大イベントと化していた。

 更衣室で準備をしていたシーナのところにも歓声は届いていたが、だからといってどうということはない。

 ブレザーやネクタイは外し、ブーツの靴紐を結び直す。伸縮性のあるブラウスにプリーツスカートは、学園の制服で運動にも適した造りになっている。

 気分は非常に穏やかで冷静で、いつにも増して感覚が研ぎ澄まされたような気がしていた。

 そして、決闘用の剣を握り、更衣室を出て決戦の舞台へと上がる。

 シーナとダイヤが揃うと、鼓膜が破れんばかりの声援が湧き、凄まじい熱気が闘技場に満ちる。

「団長‼ 頑張ってください!」

「俺はあの一年に賭けるぜ!」

 そんな声も集中する二人にはもう届いていない。張り詰めた空気は、外よりも凍てつくかのような緊迫感に包まれていた。

 剣に魔力を流し、淡く剣身が光る。

 剣を構え、互いをじっと見据える。

「……始め‼」

 審判の合図で双方同時に地面を蹴り、激しく剣はぶつかり合う。

 魔力でできた剣なので金属音のような派手な音はしないが、二人の気迫に観客の誰もが息を呑む。そしてまた、実力者同士のハイレベルな戦いに興奮し、感情のままに歓声を上げる。

 シーナはパワーのある重たい一撃はそのままに、隙を生まない連続した攻撃を叩き込む。

 以前のように簡単にはやられない。

 ダイヤは自身より力の強いシーナの剣を躱し往なし、崩れる瞬間を窺狙う。ただ依然とは違い、攻防の両方を意識した動きを見せるシーナの成長を嬉しく思うと同時に、本気を出して戦えることへの高揚感が沸き立つ。

 大きく一歩後退、それを見たシーナは次の一歩を躊躇う。その一瞬にダイヤは前へと踏み込み、強力な一太刀を打ち込む。

 シーナはグリップを両手で握り右に傾けて受け止める。

 もちろん、すぐさま次の攻撃が襲いかかる。だが、それは先程よりも早く、空いていた左脇下へと当たる。

 一点。

 ダイヤに先取されるも、二人の実力差は大きくはなかった。

 シーナはふぅ、と息を吐くとすぐ走り出す。

 ルールは前と同じ五点先取。一点入ると双方は一度距離を取ってから次ラウンドへと突入する。

 そしてルール上、魔法の使用は禁じられていない。

 シーナは左手で拳程度の大きさの魔力弾を複数個生成、走りながら間合い外から魔力弾を散らして放つ。同時にダイヤへと接近。

 ダイヤも魔力弾を練って向かい来るそれを相殺する。その間に右手に持っている剣は次の攻撃の構えの姿勢を取っている。

「……っ!」

 剣に更に魔力が流され剣身が伸びるのが見え、シーナはすぐさま接近するのをやめ跳躍。

 その下で伸びた剣身が過る。

 透かさず魔力弾を生成、発射。再び接近。

 ダイヤは横へ飛びずさり魔力弾を避ける。そして間合いの中で振り下ろされる剣を、元の長さまで収縮させた剣で受け止める。

 しかし、万全の体制ではない状態で受け止めたダイヤの身体は、バランスを崩し後方へとよろめく。

 シーナはそのまま更に踏み込んで一突き。

 一点。

 シーナ本人は気づいているかは分からないが剣で突いた時、ダイヤの目には彼女が口角を上げて笑う顔が見えた。今まで何事にも無関心で無表情だったシーナが初めて見せたその顔に、ダイヤは体を強張らせた。

「っ…………ふぅ。ここまでやるとはね……」

 闘技場内の熱はより高まる。

 元団長が一年生と互角の戦いを繰り広げている。その光景に誰もが目を奪われ、未だ観客席に来る者が後を絶たない。ついには立ち見する者まで出ている。

「……これは本気でかからないと危ういな」

 ダイヤはシーナへの評価を改め、剣を構え直す。

 シーナはダイヤが纏う空気が変わったのを感じ、更に気を引き締める。

 両者は互いに譲らず交互に得点を重ねていく。

 その戦いは休憩を挟みつつも三時間を超える長丁場となっていた。それも四対四となり、次で完全に決着がつく。

 余分な魔力はもう残っていない。あとは剣と剣を交えるしかなかった。

「今度こそは勝つ‼」

「元団長として負けるわけにはいかない」

 決闘の行末を観客が固唾を呑んで見守る中、二人の剣は激しくぶつかり合う。

 ただの一瞬でも隙が生まれれば勝負が決まる。だからこそ一心不乱に全力をぶつける。

 何度も鍔迫り合いの状態になり、一進一退の攻防が続く。二人の体力と魔力の限界も近づいていた。

「はぁっ、はっ。これで、終わりだっ!」

「ぅぐ……っ。悪いけど、勝つのは……っ、私だ!」

 再び剣が交わる。

 シーナはダイヤの一撃を受け止めることに精一杯で反撃にまで至らない。

「ぐぅぅ……っ。ぬぅうぁぁあああ————————————あっ」

 シーナは最後の力を振り絞り、押し返そうと踏ん張った。

 ところが、突如シーナの剣身が消えて体勢が崩れ前方へ倒れていく。

 眼前に迫るダイヤの剣身。わかっていても体がもう動かなかった。

 そのまま肩が剣に凭れかかるように触れ、ゲームセット。

「おぉぉぉぉぉぉぉおおおおお—————————————————————‼」

 全方位からの大歓声が、闘技場内を埋め尽くし、あまりの大きさにダイヤはぎょっとする。噂が広まっているとは聞いていたが、こんなにも集まっていたことに今気づいた。

「はぁぁ……。もう、動けないや。…………ははっ、こんなになるのは初めてだ」

「…………わたしの、負けだ」

「うん、でも惜しかったよ。私も限界だったから。魔力切れでしょ、大丈夫か?」

 剣身が消えた理由、それは魔力切れを起こしたことで剣への供給が途絶えたからだ。

 魔力も一つの体内エネルギーだ。体力も魔力を使い果たしたシーナの身体は鉛のように重く感じられる。

「……全く動けない」

「ふっ、そうだよね、その格好のまんまだもんね」

 試合終了と同時にその場へ倒れ込み、うつ伏せの状態で話していた。ダイヤもまた、仰向けに寝転がった状態である。

 文字通り全力を尽くした。尽くした結果、魔力が尽きるならそれが今の自分の実力だ。

 もちろん悔しさはあるが、それよりも身体中を駆け巡る熱が気持ちよく、胸の高鳴りがしばらく収まりそうになかった。そして、負けたにもかかわらず不思議と苛立たしさがなかった。

「もっと強くなりたい……」

「なれる。いやなるよ、君は。そうしたら、また手合わせ願いたいな。……うかうかしていると追い越されそうだ」

 ダイヤはそう言いつつも笑みを浮かべていた。

「必ず追い越す。…………まだ力が足りないな」

 最後、独りごちた言葉は喧噪に掻き消されて誰の耳にも届かない。そして、シーナが笑う顔もうつ伏せていて誰も気づかない。


  *


 シーナが二年生に上がってからも問題児ぶりは相変わらずではあったが、戦闘においては群を抜いて強く、上級生でも敵う者はいなかった。

 そして変わったことと言えば、新入生が入ってきたことだが、その中には変わり者もいた。

「シーナせんぱ~い!」

「なんだ、ランか。そんなに大声でなくとも聞こえる」

 にこにことご機嫌な様子でシーナに話しかける後輩のラン。黒髪のポニーテールを揺らしながら近づいてくる。

 彼女も例の元団長との決闘を観戦した一人で、それ以来シーナに憧れを抱いており、入団してからはこうして懐かれていた。

「聞いてください! 私、ついに任務に行かせてもらえるんです!」

「そうか、良かったな」

「はいっ! で、しかも、しかもですよ? シーナ先輩と同じ隊なんです~! えへへ」

 ランに対するシーナの対応は素っ気ないが、それでも慕い続けてくれる数少ない後輩だ。当のシーナ本人は無関心で、決して向けられる好意を無碍にはしないが、深く関わるつもりもないといった態度だった。

 またダイヤとの決闘以来、力試しに挑んできたり不用意に絡まれることもぱったりとなくなっていた。

「ランー! やっと見つけた。またシーナ先輩にべったり……。すみません、お邪魔して。ほーら行くよ」

「えぇ~~。…………またね、シーナ先輩!」

 ランと同級生で友人のムイナが腕を引っ張っていくのを見送る。別に迷惑とは思わないが、もう少し二人とも静かにしてほしいとは思う。

 これが今の日常だ。



 シーナと別れた後、ムイナはランにある疑問を尋ねる。

「てか、シーナ先輩のどこがいいわけ?」

「えぇ~、それ聞いちゃう? そうだな~、どこから話そうかなあ」

「いや、結論だけ言ってよ」

「ゴホン。えー、シーナ先輩の魅力! それは、カッコ良くて超強くて、多くは語らなくて、…………ほっとけないところ」

 ムイナが足を止めたランに振り返ると、悲しそうで苦しそうな表情を浮かべるランに呆気にとられる。ただ憧れているだけだと思って聞いたのに、予想だにしない答えと意外な表情を見せられ戸惑う。

 しかし、もっと気になって更に問う。

「ほっとけない、ってどういうこと……?」

「最初はね、あの決闘を見てカッコいい、ってそれだけだった。でも実際に隣で見てるとさ、先輩は人と距離を置いて深く関わらないようにしてるみたいで。それなのに、私が一方的に話しかけても突き放さずに聞いてくれるんだ。……でも、私がそうしなかったらシーナ先輩いっつも一人で……。時々寂しそうっていうか、ちょっと辛そうにも見えて、……ほっとけないの」

「……そう」

 ムイナはランがシーナのことをよく見ていて驚いた。彼女から見れば単に話し下手で不愛想な先輩で、一人でいることを好んでいるものだとばかり思っていた。

 でも、なぜそこまでしてシーナのことを気に掛けるのか、あんな何考えてるか分からないような、周りに迷惑ばかりかけている一匹狼の先輩がそんなに——。

 そこまで考えて首を振った。ランの想いを否定するような真似はしたくない。本当は関わりたくないし、関わってほしくないけど、……あんな風に笑うんだから。

「でもやっぱり、あの人は怖いわ……」

 戦う姿は何度か見たけれどなんというか、何かに憑りつかれたようなあるいは、執着しているかのような狂気。およそ人の業とは思えない。

 ムイナ以外にもシーナを恐れている人は少なくない。

「ねぇ、ラン。……あなたは、ああはならないでね」

「…………? 心配しなくても大丈夫だよ」

 ムイナの言葉に首を傾げるランだったが、不安そうな表情を浮かべるムイナを見てそっと抱き締めた。

 しかし、ムイナの顔の曇りは晴れなかった。


  *


 王都の西隣の地域には平野が広がっており、農業が盛んに行われている。一面が青々とした葉に埋め尽くされ、人気もないその一帯は、王都のすぐそばであるとは思えないほどのどかだ。

 本来なら心安らぐであろう風景の中、武装し警戒の糸を張り巡らせている集団がいた。

「これより任務を開始する。依頼の内容は農作物を荒らすフォレストラビットの討伐だ。奴らは普段、森の中にいる魔物だが、ここ最近は人里までやって来て農作物を荒らされる被害が複数件報告されている。各隊は事前に通達した配置につき討伐に当たれ。以上、解散!」

 タンデリック団長が号令をかけると、各人は動き出しその場から散っていく。シーナも担当する場所へと向かう。

 そこは収穫を控えた野菜が育てられる畑で、周囲の視界は開けている。

 フォレストラビットは、背の高い草花に身を隠しながら行動する。一目見ただけではその姿を確認することはできない。

 シーナは茂みを見下ろせそうな木を探し近づくと、軽々と上へ登った。

 すると、白く丸い背中がいくつも露わになる。

 シーナはそれらに悟られるよりも早く斬りかかり、瞬く間に一掃してしまった。他の者たちは、すばしっこいフォレストラビットに苦戦し、複数人でやっと仕留めていた。

 シーナのいる隊は、予定よりも早く任務が終わると、討伐したフォレストラビットを運んでいく。それらは後で地元の人たちの手で調理され魔剣士団の面々に振る舞われるのだ。

「シーナ先輩、お疲れ様です。す、すごい……!」

 シーナの下に後輩の少女ランが駆け寄ってくる。

 ランはシーナの腕に抱えられた大量のフォレストラビットを見て、目を丸くしていた。

「お前は、……それだけか?」

「もう! 先輩が異常なだけで、二匹取れたら十分ですよ」

 さも当然のように言ったシーナに対して、ランが苦笑しながらツッコミを入れた。

 ランの言う通り、普通は一人当たり二、三匹程度である。それを何匹も狩ってくるシーナは、異常な強さだということだ。

 しかし、シーナの強靭さは周知のことであり、今更狩ったウサギの数が一桁違っても、誰も驚きはしない。ただし、その町の者は非常に驚き、調理するのが大変だったらしい。


  *


 秋の終わり頃、三年生はその役目を終え後輩に託す。

 そして、新たな魔剣士団長が発表され、各小隊の再編成も行われる。

「次、第八小隊——アッシュ・ハイドフェルト、シーナ・エドラー、イライ・コーウェン、ムイナ・レイダルト、ラン・シエ」

 名前を呼ばれた新たな小隊メンバーは、元団長ドレウス・タンデリックと元副団長イリア・ロンドのいる部屋へと入る。

 本来、資料室であるこの部屋を今だけは面談室として、先輩から後輩への引継ぎや助言を伝えたり、逆に後輩から先輩に質問や感謝を伝えたりする場となっている。

「明日からはこのメンツだ。で、隊長はアッシュ、副隊長はシーナを任命する」

 ドレウスはそう言って視線を向けると、アッシュの身体にわずかに力が入る。

「はいっ、任命いただきまして有難うございます。このアッシュ・ハイドフェルト、団のため学園のため精一杯努める所存です」

「はい、謹んで拝命いたします」

 任命された二人は、それを受け返事をする。

「うむ、面構え心構えともに良し。では、堅苦しいのはやめにして、……お前達はそれぞれが個性的だ。それ故に衝突することもあるだろうが、俺は嵌まると強いチームだと思っている」

 ドレウスは雰囲気を変え、ラフに話しかけた。

「……チームですか。それって、オレが隊長に任命されたのは……」

 嵌まれば、その先の意味は解るがそれを実現させる難易度というのは極めて高い。その上でピースを繋ぐ役目、それが——。

「そうだ、お前が手綱を握れ。というかお前以外に適任がいないだろ」

「やはりそうですか……。正直、自信はないですけど何とかします」

 アッシュは小さく溜息を吐いて首の後ろを触る。ちらりと目を向けた相手は平然と仁王立ちしている。

「……お前のことだからな」

「ふん、揃ってじゃじゃ馬扱いか」

 ちゃんと解っているじゃないか。

 あとは自重することを覚えれば、文字通り嵌まるのだろうが、この調子だと無理だろうということは分かった。

 アッシュは責任感が強く面倒見がいい性格のせいか、面倒ごとというか難題を任されることも屡々あり、苦労は絶えなさそうだ。

 他の後輩たちはというと、目を輝かせるラン、嫌だと思っていることが表情に出ているムイナ、シーナを怖がっている様子のイライ。

 上手くやっていけるか不安でしかない。しかし、先輩が考えて決めた割り振りだ。きっとこのメンバーに意味があるのだろう、と言い聞かせるしかなかった。

「自覚があるのは何よりだが、冗談で言ってるわけじゃないぞ。……これは忠告だ。いくらお前ひとりが強くとも、連携が取れない魔剣士など使い物にはならん」

 元団長がはっきりと告げた言葉は、一瞬でその空間の空気をひりつかせる。

「……そうですか。肝に銘じておきます」

 淡々と返すシーナにドレウスは嘆息する。

「本当に頼んだぞ、アッシュ」

「ええ、分かっています」



 緊迫の面談が終わり一同が退室すると、一斉に息を大きく吐き出す。

「はー、どうなるかと思ったぁ。でも、これから楽しみだなぁ。シーナ先輩とも一緒だし!」

 重苦しい緊張感を打ち破ったのはランだった。シーナにべったりとくっつく様子を見てムイナは俯く。

 離れたいと思えば思うほど関わることになってしまう。ついには同じ小隊にまでなって、いよいよ不安が押し寄せ苛立ってくる。

「……もう話も終わったことですし、失礼します。行こう、ラン」

 ムイナはランに腕を絡めて半ば強引にその場を離れる。

「えっ、ちょっ、引っ張らないで! ……皆さーん、これからよろしくお願いしまーす!」

 ランは振り返って空いた手を振る。

 イライが小さく手を振り返し、シーナが視線を少しだけ見やる。しかし、アッシュは全く目を向けず佇んでいた。

 残された三人の内一年生のイライもばつが悪そうに、ぺこりとお辞儀をしてその場を去った。

 シーナも足の向きを変え歩き出そうとすると、アッシュに腕を引っ張られどこかへ連れられる。

「ちょっと来い」

 その声はピリピリとしていて静かな怒りが感じられた。

 適当な空き教室に入ると、ピシャリと戸を締めた。

 シーナは眉一つ動かさずアッシュを見据える。

「……なあ、さっきの言葉は本当なんだろうな」

 一瞬、目線が左の方へ向く。

 そして、意味が分からず怪訝な表情を浮かべる。

「さっきの言葉とは?」

「団長に忠告されたこと、守る気はあるのかって聞いてんだ」

 責任感に満ちた目、冷厳な声音。

 その奥にある熱さが、かえってシーナの心を冷たくする。

「……慣れあった結果、“戦闘狂”の巻き添え喰らっても文句言うなよ」

 これまでシーナと任務を共にした団員が密かに口にする異名を、たっぷりと皮肉を込めた言葉で突き立てる。

 今までの無関心な感情のない目とは違う、冷めた嗤うような目がアッシュに向けられる。しんと静まり返った教室で自身の鼓動の音がいやに聞こえる。

「はっ……、答えになってねぇよ。それじゃあ、連携とは言わないだろ。オレが言ってんのは——」

「ならこの話は終わりだ」

 背を向けたシーナの肩をアッシュが掴む。

「待て。お前が協力してくれればこのチームは強くなれるはずだ。団長が言ってた嵌まれば、ってそういうことだ」

「ああ、理解はしている。だが、それは私がお前らに合わせてやれば、の話だろう?」

 その時、アッシュの中で何かが切れる音がした。

 肩を掴むその手に力が入る。ぐいと無理やり体の向きを変えさせ、正面を向いたシーナを今度は胸倉を掴み背後の戸に叩きつける。

 その紅き双眸は動揺の色を微塵も見せず、ただ冷ややかに見下すように眺めていた。

 それがまた余計に腹立たしく、眉間に皺を寄せ目を細める。

 それでもシーナは臆することなく続ける。

「合わせてやるつもりは毛頭ない。それに、はっきり言って足手まといだ。だから——」

「だから、お前の勝手を許せってか。どんだけ我儘なんだよ」

 理性で堰き止めていた怒りが一気に溢れだす。

「足手まとい? ああ、そうだろうな、お前からすれば誰も彼も弱くて邪魔なんだろ! けどな、皆が皆お前みたいに強くねぇんだよ。個じゃ弱い、だから数で連携でお互いをカバーし合いながら戦う。それが結果的に生存率が上がることに繋がるし、依頼の達成率も上がる。何度も先輩が、団長が言ってきたことだ。なのに、お前はっ、……どうしてやろうともしない!」

 互いに視界は相手の顔しか見えない。だからこそ、今どんな表情をしているのかよく分かる。

 シーナの感情がこんなにも滲み出ている表情は初めて見た。目を見開き歯を食いしばって、胸倉を掴んでいるアッシュの腕を強く握っていた。痕が残るくらいに。

 この一年半、深い付き合いはないが同じ魔剣士団の仲間で、時には依頼を遂行するチームメイトだった。だから、どんな奴かどう戦うかは見てきた。けれど、それでも面と向かって話さないと分からないことがあった。

 何も抱えず生きてる奴なんていない。けど、何人もの仲間が差し伸べた手を悉く振り払って、こうしてタイマンで話してやっても尚、心を閉ざして開こうとしないのが気に食わなかった。

 仲間じゃないのか。そんなに頼りないのか。

「…………何とか言えよ」

 するとアッシュは腕と肩を強く押され突き飛ばされる。よろけて数歩下がったところにある誰の席にぶつかり、ガシャンと大きな音が鳴る。

「ぐ……っ!」

 ちょうどお尻のあたりが机の縁に当たり痛みに顔を歪める。

 そして視線をシーナへ戻すと、服を強く握り締めて苦痛そうに顔を歪めていた。

「……そうだとしても。お前たちに何ができる……? …………すくい上げても零れ落ちるなら、いっそすくわない方がいい。…………他人を当てにして戦うなんて、到底理解できないな。自分を守れるのは自分だけ、他人など信用できない」

 アッシュはこの瞬間に理解した。

 あの、他人に興味を持たない冷淡な瞳も、周りと一線を画す態度も、強い懐疑心によるものなのだと。それは奥深くまで刻まれていて、完治不可能になるほど心を歪ませてしまっている。

 今だって、強く拒絶されている。

 こんなの、どうしてやればいいのだろうか。…………オレの手には余る。

「…………」

 返す言葉が見つからなかった。それでも何か、何か、と言葉を探そうとするが頭の中は真っ白で、そうこうしているうちにシーナは戸に手をかけて、フラフラと教室を出ていった。

 足音も聞こえなくなるとアッシュはその場に頽(くずお)れる。

 頭の中ではさっきのシーナの言葉が繰り返される。

 想像以上に傷を負い闇を抱えている。それは簡単にどうこうできるものでもなければ、安易に踏み込むべきものでもないだろう。

 結局は更に傷つけ、孤立を深めてしまうだろうから。

 ただ、このまま放っておいても良いという話でもないから、余計に苦慮する。それでも今日、彼女が話したのは偽らざる本音で、おそらく誰にも話したことのない辛苦。

 それを吐き出してくれたことは、とても重要なことで大きな収穫でもあった。


  *


 魔剣士団の活動は多岐にわたる。難易度の低い討伐や採集などの依頼、学園周辺地域の巡回、日々の訓練とたまに騎士団との合同訓練などなど。

 隊ごとにその日の活動内容は異なる。巡回は予め日程が決められており、それ以外で依頼や鍛錬を行う。

 シーナたちは巡回の割り当てで、学園を出て街へと繰り出していた。しかし、彼らにはどこか気まずい空気が流れており、それはシーナとアッシュからなのだが、一年生の間にも伝染しているようだった。

 再編成の日以降、二人はあまり会話をしていなかった。本当に必要最低限のことだけで、互いに目も合わせない日が続いていた。

 何かあったのだということは明らかだったが、それを聞き出すことは誰も出来ていなかった。

「あ、あの……アッシュ先輩」

「ん?どうした」

 勇気を振り絞って声を掛けたのはラン。

「あ……いえ、その」

 切り出し方に迷って言葉がうまく続かない。

 それを見たアッシュが代わりに言葉を紡ぐ。

「アイツと何があったのか、だろ?」

「あ…………、はい」

 アッシュは静かな声音であの日にあったことを話した。

 並んで歩く彼らから距離を置いていたシーナに聞こえているかは分からない。仮に聞こえていても無反応なのだろうが。

「それでオレは、アイツにどう接してやればいいか分からなくなった」

 こんな弱音を後輩の前で吐いていいのかとも思ったが、彼らの協力は必要だろうとも思っていた。だから正直に思ったことを打ち明けた。

 ランたちは思いのほか驚いていないようだった。それが逆に安心できた。

「私も、私たちも協力しますよ」

「あたしは別にあの人のためじゃないけど、ランが言うから仕方なく協力します」

 乗り気じゃないにしろムイナも手を貸してくれるという。

「ぼくは、ちょっと怖いですけど……」

 そうは言いつつも前向きに考えてくれていることが伝わってくる。

 アッシュは悩んでばかりいてもしょうがないと思えた。彼らの気持ちにも応えてやらねば。いずれ良いチームとなるために。


  *


 それからアッシュは、シーナとの距離を縮めるためにあれこれ試みていた。

 たわいもない話を振ってみたり、鍛錬を共に行い剣を交えたり、あとは共闘するための戦術を考え直してみたりもした。

 しかしながら、そのどれもが手ごたえのない結果にとどまっていた。もちろん、一年生たちも積極的に交流を試みてくれていた。が、やはりある一定の距離感を置かれてしまって、それ以上は進展がなかった。

 一方でシーナ以外の四人は、互いに親交を深め、戦闘における連携も様になっていた。

 そんな状態から月日だけが経ち、ついにシーナは三年生となった。


  *


「本日、お集まりいただいたのは先日通達した通り、レーレン山岳地帯に出現したワイバーンの群れの討伐依頼についてです」

 大広間に集まった三十人弱の団員たちは、今しがた団長が言ったワイバーン討伐に参加意思のある者だ。参加は任意だが隊での参加が条件だ。

 そこにはシーナたちの姿もあり、全会一致の結論だった。

 ワイバーンは多くが山岳地帯に生息しているモンスターだ。見た目は全身が鱗に覆われた飛竜で、前脚は翼と一体化しており、後ろ脚は筋肉が非常に発達している。群れで行動する上、統率力も高い。

「奴らは毒を持っているため、解毒剤は必ず携帯するように」

 この依頼は、王国騎士団との合同で行われる。任務開始は明後日。

 ブリーフィングを終えると各々立ち去っていく。シーナもそのまま帰宅しようと踵を返す。

「おい、シーナ」

 アッシュに呼び止められ、顔だけ振り向かせる。

「いつもは自由にやってても何も言わないけど、今回はお互いに危険だ。あんまりオレたちから離れないでくれよ。……さすがに、お前の力が必要だ」

「自分の身は自分でしか守れない。他人を当てにするな」

 アッシュは相変わらずだな、と思った。

 しかし最近では、他人を信じるのが怖いのだろう、という仮説が立っている。だから、人を頼らないし頼るなと言うのだろう、と。

「分かってる。けど、一人には限界ってものがあるだろ。支える仲間は多い方がいい。それに、人死になんて出したくないからな。お前だってそうだろ」

 その言葉に僅かに瞳孔が揺れる。

 シーナとて悪人という訳ではない。見知った人間が怪我をしたり、死んでしまうようなことが起こるのは、本意ではないはずだ。

「今回は、というかワイバーンはそれぐらい危険だから、……頼むぞ、シーナ」


  *


 どうやらその言葉の効果はあったらしい。

 レーレン山岳地帯の麓。比較的傾斜が緩やかで木々も立っている。

 空中戦を主とするワイバーンに開けた場所での戦闘は悪地でしかない。林を利用し木を盾にしながら戦うのは、集団攻撃を避けるという狙いがある。

 その木々の合間を縫って駆け抜けるシーナ。その上空でワイバーンが後を追って滑空しながら、好機を間(うかが)っている。

 枝葉が寄り集まった場所では、奴らは仕掛けて来ない。だから、敢えてそうではない場所、木間へと誘導し好機を作り出す。

 罠とも知らずシーナへ向かって急降下する。前脚の鋭い爪を突きだし、落下速度の勢いと合わせて叩きつける。

 しかし、シーナがその鉤爪を剣で受け止めたことにより、ワイバーンの動きも止まる。

「今だ、撃て!」

 その声を合図に、潜んでいたムイナとイライが魔法を放つ。

「「ファイアボール!」」

 気づくのがもう少し早ければ避けられていたかもしれないが、そちらに目を向けた時には火球が直撃していた。

「ギィエエエエエエ——————————!」

 ワイバーンは絶叫し翼を広げて飛翔動作を見せる。しかし、それをアッシュとランが翼に斬りかかって阻止する。さらにシーナがとどめの一撃を喰らわせ、ワイバーンはその場に頽(くずお)れた。

 一同が胸を撫で下ろす中、シーナだけは上空を見上げる。同胞を討たれ、その敵対心はシーナたちに向けられる。

 次第にワイバーンがシーナたちの頭上に集まってくる。

「まずい……。数が増えてきた。一旦引くぞ!」

 アッシュは対処しきれないと判断し、一時撤退の指示を出す。その瞬間、ワイバーンたちが逃がすまいと降下してくる。アッシュも急いで走り出すが、その方向とは逆に走り出す一人の影。走り出したのを急停止して振り返る。

「おいっ、シーナ戻れ!」

 そう叫ぶアッシュの声を無視して、単身ワイバーンの群れに飛び込む。降下してきたワイバーンを迎え撃ち、次から次へと斬り伏せていく。

 剣筋には一切の迷いがなく、複数が相手でも危なげもなく退けており、ワイバーンたちの動きを見切っているようだった。

 とはいえ、一人では危険だ。ここは一度引いて体制を整えるべきだ。

 アッシュは何度もシーナを呼ぶが、聞こえていないのか聞くつもりがないのか、全くこちらに意識を向けない。それどころか、うっすらと笑みが浮かんでいるのが垣間見える。

 背筋が凍った。

 ワイバーンの群れでの強襲にも怖気づかず、立ち向かっていくその無謀。そして、洗練され鮮やかに振り下ろされる剣は、まるで踊っているかのように軽やかで、恍惚とも見えなくない微笑を浮かべる様は彼を戦慄させた。

 止めようにも彼女の間合いにはアッシュとて入ることができないため、物理的に止めることができない。

 アッシュが立ち竦んでいると、背後から誰かが横切る。

「行っちゃ駄目っ、ラン!」

 ムイナの叫び声が響きハッとする。ランがシーナの下へ、ワイバーンの群れに飛び込もうとしていた。

 止めなくては。

「や…………ろ。……め、だ」

 止めないといけないのに足は動かず、声も掠れて言葉にならない。

 ランはシーナに襲いかからんとする右翼を斬り落とす。

「シーナ先輩…………っ!」

 そして、シーナの剣を受け止め、動きを止める。ようやく意識の対象が変わる。

 ワイバーンにはムイナが魔法で追い打ちをかけている。

「シーナ先輩。お願いです、戻ってください」

 なんとか受け止めた剣は重く、ランの全力を以てしてもギリギリだった。力一杯にグリップを握り歯を食いしばる。

 すると突然、伸し掛かっていた重圧から解放される。ランがシーナの顔に視線を移すと、彼女はどこか違う方を見ていて、一瞬思考した。

 だがその刹那、背後から衝撃と激痛が走る。

「うぐっ……⁉ …………ぇ……?」

 シーナはランの左側に立ち、大きく一歩踏み込んでワイバーンと刺し違えていた。 しかし、ワイバーンの爪はランの背中に突き刺さって大きなダメージを与えていた。

 シーナは剣を横には振れず突き技で迎え撃ったが、致命傷とまではいかない。

 シーナはぐっと踏み込んでワイバーンを押し返し、刺さった爪がランの背から離れる。そのままランは倒れ込み動かなくなる。

 戻って来たムイナとイライが駆け寄り、イライが治癒魔法をランにかける。

 呆然と立ち尽くしていたアッシュもランを守るため、追撃に来るワイバーンと対峙する。一刻も早くランを連れて戻らねば。ワイバーンの中には毒を持つものもいる。

 解毒剤は自力で飲んでもらう必要がある。だが、今のランは意識がなく、傷の治療はできても解毒ができなかった。

 ならば他者に治してもらうしかない。解毒の魔法もあるが、それを使える者はこの場にいない。

 さらには出血も酷かった。治癒魔法で応急処置は施したものの重症であった。

 それにしても、数が多い。というより、他に分散しているはずの集団の一部がこちらに集まってきているらしかった。

 どう考えてもこの人数では切り抜けられそうになかった。

「詰み…………か」

 そう思った時——。

「アイシクルランス!」

 その声と同時に氷の矢がワイバーンたちを貫き無力化する。

 アッシュが声のした方を振り向くと、他の隊がいくつも加勢に来ていた。

「みんな…………」

「ワイバーンが少ないと思ったらここに集まっていたか」

「私らに任せてその子早く連れて行きな!」

 彼らが来てくれたおかげで一気に形勢逆転する。アッシュはこの場を任せ、ムイナとイライとともにランを連れて行くことに決める。

「ああ、ありがとう」

 ランを背負い拠点に向かって歩き出す。後ろを振り返ると、一心不乱に剣を振るうシーナが見えた。



 集合地点には治癒魔法を得意とする騎士団の人が配置されている。

 アッシュはすぐさまランの傷を見せ、その時の状況を伝える。そして、解毒の魔法をかけてもらうと、ランの呼吸は徐々に穏やかになり汗も引いていった。

 ひとまずは大丈夫だろうと聞き、アッシュたちは胸を撫で下ろす。

「良かった…………、本当に良かった……」

 ムイナは涙目でランの手を握り、無事であることを喜ぶ。

 アッシュもランが刺され、ワイバーンの群れが迫って来た時はどうなることかと肝が冷える思いだったが、大事に至らなかったことにほっとした。

 思い返せば今日のシーナは、一時的に連携が取れていたように思う。やはりまだ独断専行するところがあるが、とりあえず一歩前進したと思いたい。

 安心して緊張の糸が切れると、急にシーナたちのことが心配になり落ち着かない気持ちになる。

 先ほどいた場所の方角をチラチラと見ながら、皆が無事に帰ってくることを祈る。

 そうしてしばらく待っていると、話し声と足音が聞こえてくる。

「シーナ、みんな! 良かった、無事そうで」

 アッシュは皆を出迎える。

「向かってきた奴らは全部返り討ちにしてやったぞ」

「安心して、こっちは皆無事よ」

 不安な様子のアッシュに団員たちは任務の成功と無事を伝えた。

「…………そっちはどうだ?」

 おずおずとシーナがランの容態を尋ねる。

「ああ、こっちは——」

 大丈夫。そう言いかけた。

「どうしていつも、そう自分勝手なんですか!」

 鬼気迫る勢いでやって来て怒鳴り声を上げたのは、ムイナだった。こんなに声を荒げた、いや怒ったムイナを見るのは誰もが初めてだった。

「あなたが指示を聞かないせいで、ランが怪我をしたの! あなたがすぐに引き下がっていれば、ワイバーンが集まって襲われることもなかった。……どうして、ランが怪我をしないといけないのよ…………っ」

 ぼろぼろと涙が零れ落ち、そこで言葉が途切れる。

 他の者も困惑した様子で互いに顔を見合わせる。

 アッシュが顔の前で手を合わせると、同級生の一人が察してその場を離れていく。それに倣ってそれぞれが解散していく。

 その場にはムイナとアッシュ、そしてシーナの三人が残った。

 涙は出尽くしたのか、ムイナは泣き止んで鼻を啜っていた。

 長い沈黙のあと、次に口を開いたのはシーナだった。

「逆に聞くが、なぜあの時ワイバーンの群れに、私の間合いに入ってきた」

「そんなのあなたがアッシュ先輩の指示に従わないからに決まってるでしょ⁉ 撤退するように言われたのに引かないから、ランが止めに行っちゃったんじゃない! そもそもあなたが素直に撤退していれば、ランは怪我なんてしなかった!」

 ムイナは矢継ぎ早に言葉で怒りをぶつける。シーナは若干、眉を顰めているように見えたが、ほぼ無表情でなんとも思っていないようだった。

「そんなもの、私を置いていけばよかったのだ。あの数を相手取れる力もないのに割り込んでくるなど、……無謀だ」

「ランがあなたを慕っていると分かってて言っているのかしら」

 ムイナは怒り心頭だった。握り締めた拳は小刻みに震えていて、沸点ギリギリのところで堪えているようだった。

 少し間をおいてから答える。

「…………もう私に構うなと伝えておけ。あいつが思っているほど高邁ではない」

 それだけ言うと再び歩き出す。

「開き直るつもり⁉」

 頭に血が上ったムイナが今にも掴みかかりそうだったのをアッシュが止める。ムイナは一瞬はアッシュを睨みつけたが、目配せすると発言権を譲ってくれた。

「シーナ。今日の途中までは良かったよ。オレが思い描いていた“連携”ができていたように思う。…………だからこそ、ムイナの言っていることを理解しようとしてほしい。オレたちが共に行動する意味を分かってほしい」

 シーナは足を止め、徐に振り向く。その時の目は、諦観に染まった突き放されるような視線だった。

「だったら、前に言ったことに変わりはないな。やはり他人に頼る戦い方は理解しがたい」

「…………そう、か」

 届かなかった。理想も、思いも。

 孤独な一匹狼の心は、目の前にありながらも遠かった。

 ああ、振り出しか。いや、もっと離れてしまった気がする。

 アッシュには次の打つ手が思いつかなかった。


  *


 依頼から数日経ったある日、シーナはロメオスに呼び出され執務室へと赴いていた。

「それでどういったご用件でしょうか、お義父様」

「先日の依頼で起きたこと、聞いたぞ」

 どこから聞いたのか、なんて疑問は疾っくの疾うに湧かなくなった。情報網は至る所にあるし、学園関係者の知り合いも当然いるはずだ。

 問題は、だからどうしたのか、ということだ。

「まずは謝罪されてくれ。お前の抱えるものの重さを理解していなかった。そのせいで道を踏み外さんとしているのは、私の責任だ」

 シーナは無表情のままキョトンとした。なぜ謝られているのか、何に謝っているのか見当がつかなかった。

 あの依頼で起きたことは、シーナのせいだ、ということなのだから、ロメオスは関係ない。関与していないのだから当然だ。

 しかし、ロメオスはシーナを置いてけぼりのまま話を進める。

「そこで、外の世界を見る旅に出なさい」

「……………………は?」

 そこでも何もないだろう。

 文字通り、シーナは開いた口が塞がらなかった。

 外の世界とは、旅に出るとは。

 家を出て行けと言いたいのか?

 しかし、スラム街の孤児を養子にするなんて、モノ好きにもほどがあると思っていた。

 そんな義理もないだろうに。

 きっとちょうど良かったのだ。

 あの件を理由にできるから。

 そう考えると納得もいったし、ある決心もついた。

「分かりました」

 そうしてシーナはエドラー家を出た。



  

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