第二章 仲間の温もり

 レラ樹海南東部レラ湖。

 この森で最大級の面積を誇る湖の沿岸部を、ちぐはぐな三人組が歩いている。

「……」

「…………」

「…………」

 黒いローブを纏い、フードを目元まで深く被った少女。

 居心地が悪そうに顔を顰めている青年。

 二人の様子を窺いながら目をきょろきょろさせている少年。

「……」

「…………この空気、なんとかならねぇの」

「……っ」

 ついにこの沈黙を破ったのは、黒髪短髪の青年だった。

「つーか、なんでお前まで黙ってんだよ」

「あ、えと、しゃべっちゃいけない雰囲気かなって思って……」

 おずおずと答える少年。

 行動を共にする彼らは緊張感を漂わせており、誰もが暗い面持ちでいた。

「お前以外誰と喋ればいいんだよ……」

「そ、そっか。ごめん」

 せめて気を紛らわそうと、雑談を振るもぎこちなさが目立つ。

 先を歩く少女は、二人の会話には見向きもせず森の中を進んでいく。

「俺だってガキの御守なんざごめんだ。……けど、マスターの命なんだからしょうがねぇだろ?」

「あはは……。そうだね。なんにせよ無事だといいんだけど」

「アイツの心配ならいらねぇだろ。アイツに寄ってくる魔物はいねぇんだから」



 暖かく穏やかな空気のおかげか、シーナの目覚めは良かった。一晩経って頭の中も少し整理がついた。

「調子はどう? 昨日は眠れた?」

 ジェイルは悪夢に魘されたことを心配してシーナを気遣う。

「ああ、おかげでな。今日ここを発つつもりだ」

「えっ、もう⁉」

 ジェイルは見るからに残念がっている。そんなに誰かと居たいのなら街に住めばいいのに、それをしない訳があるのだろうか。

「もともと長居するつもりはない。そんなに人恋しいなら、ここから西に進めばラスティア王国に入れるぞ?」

 レラ樹海の中でもやや西寄りの位置にあるこの小屋からは、東のレードラント連邦よりラスティア王国の方が近い。

 ジェイルは妙な間をおいてから答える。

「……うん、でも僕はここから離れる訳にはいかないから」

 目を伏せ物悲しい表情を浮かべたが、一息つくとシーナの目を見てにこやかに言った。

「君は旅の途中だもんね。君の旅に神のご加護があらんことを」

 神——そんな不確かな存在は信じていない性質(たち)だ。全ては己の力次第であると、そう思っている。

 あの時守れなかった少年も、もっと自分に力があればきっと助けられた。

 そうだ、力不足のせいだ。

 では、あの時は……?

 ふと、シーナの脳裏に浮かんだ王都での暮らし、学校、あの任務…………——。

「ご飯は食べていくよね? ……シーナ?」

 声を掛けられたことでシーナは我に返る。

「あ、ああ……。いただく」

 何故かジェイルの誘いを断れず、朝食を共にすることになった。

 黄味がかった豆を煎ったものに、数種類の野草と獣の肉を火を通した後混ぜ合わせる。別皿には今朝採れた果物をよく水で洗い並べる。

 凝った料理はここでは作れないが、まともな食事ではあった。

 食事中は、というより普段から無口なシーナは黙々と食べているが、ジェイルは落ち着かない様子でそわそわと視線を巡らせていた。

「…………どうかしたか」

「えっ、あ、……えーっと、その……」

 何か言いたそうな割には話がまとまっていないのか、それとも急に声を掛けられたからか、ビクッと体を震わせしどろもどろになっている。

 ジェイルはあまり食事が進んでいないようだったが、シーナは果物に手を出し始めていた。

 ジェイルがなかなか言い出さないので、シーナがさらに続ける。

「言いたいことがあるなら言え。食事を終えたら発つからな」

「っ…………じゃあ、一つ聞いてもいいかな」

 ジェイルは神妙な面持ちでシーナを見る。

「なんだ」

 シーナは食事の手を止め、ジェイルの言葉に耳を傾ける。

「九年前、奴隷商人に囚われていたことがあったりする……?」

 シーナは僅かに目を見開いた。

 あの夢は夢ではなく、確かに過去の記憶だ。それもちょうど九年前の。

 偶然にしてはあまりに的確すぎる。あの時、一緒に囚われていたうちの一人、ということだろうか。

「まさか、お前も…………?」

「うん。僕は九年前、奴隷商人に囚われていた。ある日、新たに捕われた女の子が来てね。その子は君のような赤い髪で、最後まで商人の男に抵抗してた。生きることに前向きで、僕を連れ出そうとしてくれた。けど——」

 信じられないが、聞けば聞くほどシーナの知るあの少年が思い起こされた。

「僕はあの男に刺されて一度死んだ、と思う」

 そこで確信した。

「それは、私を庇ったから…………!」

 あの時の後悔と恐ろしさ、今ここで生きていることへの驚きで酷く動揺していた。

「そうか、お前が……っ」

 あの時からずっと言いたいことがあった。

「あの時、助けられなくてごめん……」

 シーナの声と表情には、森で会った時のような凛とした様子ではなく、幼い子供のような弱弱しさが感じられた。

 ジェイルはそっとシーナの手を握る。

 シーナの手は少し震えていた。

 ジェイルが両手で包み込むように握ってやると、安心したのか次第に震えが収まっていった。

「謝らないで。僕は君が一緒に連れ出そうとしてくれて、本当は嬉しかったんだ」

 その言葉はシーナにとって救いだった。

 静かに込み上げてくると、それは瞳から零れ落ちる。

 零れて初めて泣いているのだと自覚する。

 ジェイルがそれを優しく拭うもさらに溢れ出る。

「う……っ、…………うぅ」

「もう、泣かないでよ」

 シーナ自身では止められない涙を、ジェイルが拭い続ける。

 すると、涙を拭っていたジェイルの手が突然力なく下ろされる。シーナの手を握っていたもう一方の手も力が抜け動かなくなる。

 そして、目を閉じたジェイルは前方へゆっくり倒れていき、テーブルに伏して微動だにしなくなった。

「………………え? ジェイル……?」

 シーナは何が起こったのか理解できなかった。

 数瞬の間、硬直したままで、涙はピタリと止まっていた。

 そして、意識がないのだと理解し、身体を揺さぶって声を掛ける。

「ジェイル! どうしたんだ、しっかりしろ!」

 ジェイルからの返事はない。

「ジェイル。なあ、もう…………置いていかないでくれ」

 また目の前で倒れ動かなくなる光景。

 今度は理由もわからず、困惑と不安が迫りくる。

「頼むから、目を醒まして……」

 懇願するように呟く。

 ふとジェイルの魔力が少しずつ膨れ上がっていることに気づいた。意識を集中させ魔力の流れを読み取ろうとする。

 身体全体で魔力が高まっており、まるで魔法の発動動作のような——。

「——っ⁉」

 突然魔力が急激に膨らむと、強い衝撃がシーナを突き飛ばした。

「うぐっ!」

 ジェイルから放たれた謎の衝撃波で、シーナは壁に背を打ちつけ、近くにあった食器棚から食器が音を立てて辺りに散乱する。

 痛みに顔を歪めつつも、ジェイルを見上げると、さっきと変わらずテーブルに伏したまま意識もない様子だった。

 無意識に魔法は発動できない。

 魔法は本来、意識的に魔力を操作し作り出す魔法をイメージしてそれを具現化する作業が必要となる。

 ではさっきのは何だ、という話になる。

 確かに衝撃と同時に魔力が放出されたのを感じた。しかし、それは術者の意図とは無関係に起こされた。

 だとすると考えられるのは魔力の暴走。

 体内に有する魔力が多すぎると、それを発散するために無意識に魔力が溢れてしまうことがあるらしい。人によって発散の仕方は様々だが、よくあるのは破壊衝動のような強い衝動に駆られ、収まるまで暴れ続けるというものだ。

 ところが、ジェイルの場合は眠ったように動かなくなり、魔力だけが勝手に暴走しているようだった。

 そうやって思考を巡らせていると、すぐ側に人の気配を感じた。

 否、側に来るまでそのことに気付けなかった。

 突如として姿を現しシーナの背後を取る。

「おっと、動くなよ」

 首筋に短剣の冷たい感触がし、シーナは力による抵抗を踏みとどまる。

 背後にいる男の声音に緊迫感はなく、本気で殺すつもりはないらしい。

 現に短剣はただ持って見せているだけで、身体も強くは拘束されておらず、目の前にいる二人の仲間の邪魔をさせないよう制しているようだった。

 シーナよりも少し身長の高い青年と、フードを被った魔法使いらしき少女、やや挙動不審な気弱そうな少年。

 彼らは何らかの魔法によって瞬間移動のようなことをしたのだろう。しかも気配が感じられないほどの技術ある術者がこの中にいる。

 ジェイルは未だ意識不明。剣は食事のために外してしまっている。

 守り切れるのか…………? いや。

「お前らは一体何者だ」

 シーナは彼らとの会話を試みる。

 交戦することを選ばなかったのは何も勝ち目がないからではない。ジェイルに危害を加えられる可能性があると考えたからだ。

「それはこっちのセリフよ。お兄様に何をしたのかしら」

 少女の声からは怒りが込められ、それはシーナに向けられたものだった。

 そして“お兄様”というのは、どうやらジェイルのことを言っているらしかった。

 少女はジェイルを背にして、シーナには敵意をむき出していた。

 しかし、シーナには身に覚えがない。むしろジェイルに何が起こっているのか教えて欲しいくらいだ。

「私は何もしていない。お前らこそ、あいつに何かするつもりだったんじゃないのか」

「そんなわけないでしょ。あんたみたいな害虫からお兄様を守っているの。わかったらさっさと出てって!」

 少女はかなり血が上っていた。話をしても聞いてくれそうにない。

 だからといってシーナも言われた通り出ていく気も更々ない。

 ようやく再会できたのだ。今度こそは彼を守ると心に決めている。

「悪いがそれはできない。私とてあいつを守りたい理由がある」

「じゃあなんで今、お兄様は——」

「——待て」

 少女の声を遮ったのは、シーナの背後に立つ青年だった。

「お前、コイツのこと知ってんのか」

「あ、ああ」

 青年は落ち着きのある様子で、シーナを探るように問う。

 シーナも様子を伺いつつ、なるべく穏便に事を進めようとする。

「ジェイルとは昔、幼いころに一緒に過ごした時期があるんだ」

「だから何。わたしはお兄様と——んむっ⁉」

 大人しそうなもう一人の仲間の少年が、少女の口を手で塞ぎ反対の手の人差し指を立てて口元にあてる。

「静かにしていてください。話がややこしくなります」

 優しく諭すように少女を宥める。

 少女はムッとした表情で少年をしばらく睨んでいたが、少女の方が折れて大きなため息を吐くとそっぽを向いてしまった。

 そんな少女のことは放って青年が話を進める。

「そうか。まあ、こっちとしてはジェイルに危害を加えないってんなら、何の問題もねえ。悪かったな、ウチんとこのガキが突っかかって」

 そう言ってちらりと少女を見やる。

「ああ、別に構わん」

 青年はシーナを拘束から解き、これについても謝罪してくれた。

「それで、お前たちは何者だ?」

 事態が飲み込めなかったシーナは、まず彼らの素性について尋ねる。

「俺たちはレードラント連邦から来た、ギルド『LIFE』だ。ジェイルはギルドの一員で、連れ戻しに来たんだ」

 レードラント連邦。シーナがいたラスティア王国より東、レラ樹海を挟んださらに向こうにある。

 その国でジェイルは生きていたのか。

「それで、探して来てみたらジェイルは気を失ってるみてぇだし。……お前、何か知ってんだろ?」

「……それが——」

 シーナは朝食の最中に意識を失い、謎の魔力波に襲われたことを話した。それを聞いた三人の表情は険しくなった。

「ひとまず、横に寝かせましょう」

 少年がジェイルの身体を起こし、シーナが清潔な布を棚から取り出して、顔に付いた料理を拭き取ろうとする。

 バチッ!

 シーナの手はジェイルに触れる寸前で、先程の魔力に阻まれた。威力は弱いものの、触れることはできなかった。

 それに対して他の三人は問題なく、普通にジェイルに触れることができた。

 そのため、シーナに代わって青年がジェイルをソファに寝かせる。

 呼びかけても身体を揺すっても何の反応も返ってこないが、どうやら生きてはいるらしい。微かに呼吸の音は聞こえるし、脈も異常は見られないようだ。

 こうして見ると、ただ熟睡しているだけに見える。

「なんであんただけ触れないの?」

「…………さあな」

 シーナにも心当たりはなかった。

 さっき少女が言ったように本当に何かしてしまったんじゃないか、そう思わずにはいられなかった。

 少女は苛立ちを隠すことなく、腕を組んだり手を腰に当てたりと忙しない。眉を顰めてうーんと唸っている。

 すると、突然パッと少年の方を向いた。

「ノア、あなたなら見れるんじゃない?」

「どうだろう、でもやってみましょうか」

 ノアと呼ばれた少年は、懐から小さな杖を取り出し構えた。

「彼の者の内に秘めたるものをここに示せ、アプレイザル」

 そう言うと、対象となっているジェイルの身体の周りが淡い光に包まれる。

 しかし、その光は突然消え、また小さな魔力波が起きる。

「——うっ。…………何かに妨害された?」

 当の本人も困惑した様子で、何かおかしなことが起こったということは分かった。

「どうだったの?」

「それが、何か別の力が魔法を妨害してるみたいで……。干渉できなかった」

 シーナだけが何の魔法を使ったのかを知らなかった。

「今、何をした?」

 そう尋ねると、ノアは丁寧に使った魔法のことを教えてくれた。

 能力鑑定(アプレイザル)——それは術者が指定した対象の魔力的な能力や、魔法的に付与された状態を見ることができる魔法だ。

 例えば、対象の魔力量や得意な魔法属性が分かるのはもちろん、魔法によって受けた状態異常を発見することにも役立つ。

 今回、ジェイルの魔力に何らかの異常があるとみて鑑定を試みたが、何故か魔法の干渉を拒まれたのだ。

「ですが、どうしましょう。これでは対処のしようもありません」

 シーナは別の方法を思案し、あることを思いつく。

「…………それなら、私を鑑定しろ」

「……なるほど。やってみる価値はありそうですね」

 シーナの言葉に頷き、ノアはシーナの鑑定を試みる。

「——アプレイザル」

 ノアが魔法を発動すると、シーナの周りを淡い光が包み込む。

 今度は魔法が途切れることなく、光はゆっくり消えていく。

 鑑定されている間は特に魔法で見られている感覚もなく、気づいたら終わったとノアに告げられた。

 しかし、ノアは驚いた顔をしているのが気になった。

「どうだ」

「えっと、鑑定は出来たんですけど、それが、……あなたの魔力属性は非常に珍しいものでして。……間違いでなければ聖属性かと」

「はあ⁉ 聖属性って……。やっぱりあんたの仕業じゃないの!」

 少女がシーナを睨みつけるが、シーナには何の話をしているのかさっぱり分からなかった。

「うるせぇな。ちょっと黙ってろ」

 シーナに掴み掛かろうとした少女を青年が取り押さえる。

 少女はじたばたと抵抗していたが、青年が続けろと促した。

「……その、聖属性というのはなんだ?」

 シーナは聞きなれない単語についてノアに尋ねる。

「基本の六属性とは異なる特殊な属性の一つです。世界的にも使える人はごく僅かですが、そのほとんどが高位聖職者だと言われています。……聖職者の方だったんですか?」

「いや? 私は聖職者ではない」

 そんな風には見えない格好のはずだが、それだけ聖属性=聖職者というイメージがあるのだろう。

 なぜシーナが聖属性であるかというのも疑問だが、この聖属性というのが問題でもあるような口ぶりだったのが引っかかった。

「では、ご両親が聖職者だったということでしょうか」

 ノアの問いをデュラインが遮る。

「今はそんな話はいいだろ。それよりコイツが本当に聖属性ってんなら、ジェイルを助けられるんじゃねぇか?」

「……っ!」

 その言葉にシーナは目を見開く。

「いいえ。そうとは限らないわ」

 一瞬、希望が見えたと思った。しかし、真剣な表情をした少女の発言によって不穏な空気が漂い始める。

「マスターが言っていたでしょ。これは“契約”。無理やりに解消させた場合、お兄様の身に何が起こるか分からない」

「…………」

 少女の言葉に青年は押し黙る。

 シーナだけが理解できない、彼らだけの会話が進められる。

「……でも、方法がないわけでもないと思うわ」

 そう言って少女はシーナの方に目を向ける。

「あなた次第になるけど」


  *


 その少女——ウィラはシーナにジェイルを取り巻く魔力の結界を解く魔法を教えてくれると言った。その結界を解くことができれば、ジェイルに触れられるのだという。

 しかし、その魔法は教えられてすぐにできるものではなかった。

 というのも、シーナの魔力は多く魔法の発動には問題はなかった。それを細かくコントロールする技術が皆無に等しかったのだ。

 何せ戦闘に特化した威力重視の扱い方しかしてこなかったため、繊細に調整するということがシーナにとっては非常に難しいことだった。

 だからといって、このまま諦めるということはしない。魔力の扱い方をウィラから教わり、ひたすら練習する。

 ウィラは容赦なくダメ出しをしてきたが、シーナは一つ一つ受け止めてコツを吸収しようとする。

 ウィラとの特訓が終わった後も、一人で練習を続けた。

 他の雑事なんかはデュラインとノアに任せっきりだった。そして、そのことを咎めたりはしなかった。

 そんな日が数日続いた。

 その間、ウィラ、ノア、デュラインの三人がジェイルの様子を見てくれていた。ただ、一度も目を醒ましていなかった。

 次第に疲労の色が見え出し、顕著だったのはウィラだった。

 日中はシーナに魔力操作の指導、夜はジェイルの下へ行きシーナが掛ける魔法の代わりを掛けていた。明らかに後者の方の疲労が現れていた。

 二階の寝室から降りてくるウィラの顔色は悪く、肩で息をするようになっていた。

「ウィラ、代わった方が——」

「ダメよ。…………はぁ、まだ、制御が上手く、いってないんでしょ。……あんたじゃ、効き目が強すぎるんだから、……加減できるように、なってよね……」

 語気も最初会った時よりも弱弱しく、最低限のことだけ言うと寝袋に入ってすぐ眠りについてしまった。

 今、状況が好転してはいないが、悪化もしていないのは間違いなくウィラのおかげだ。シーナ自身、焦りを感じてはいた。だが、このままではウィラの方が先に力尽きて倒れてしまうことは想像に難くなかった。

 とはいえ、ウィラの言う通り魔力の扱いは合格点にも達していない。

 もし、今のシーナがジェイルに魔法掛けると、結界だけでなくジェイルが契約しているという悪魔も消え、契約ごと解消されてしまうかもしれない。そうなれば、契約破棄の代償を課せられる可能性が高いらしいのだ。

 契約違反でさえ全身の激痛に襲われたり、失明するようなケースがあるという。それが強制的な契約破棄ともなれば、どんなことが起こるか分からないのだ。

 もどかしいが、とにかく早く魔力操作を上達させること。それが今シーナにできる最善の行動だということは理解していた。また、近づいたり触れたりすることも禁じられていた。それはシーナの魔力属性が聖属性だからだ。

 悪魔にとって聖属性は不利属性にあたる。そして、聖属性の大きな特徴は“浄化”の力を持つという点にある。

 聖職者に多い魔力属性だというのも、魔を浄化するために神から与えられた力だと言われているからだ。

 つまり、シーナがジェイルに近づくあるいは触れると、その浄化の力で意図しなくとも悪魔を消し去ってしまう可能性があるという訳だ。

 ウィラによれば、悪魔が浄化の力から身を守るために結界を作ったのではないか、と言っていた。しかし、なぜ意識を失っているのかまでは分からなかった。

 ジェイルを助け出す手は一つ。

 シーナの聖属性で魔法『ピュリファイ』を成功させることだ。

 それを頭の中では理解していた。



 夜も深まり皆が寝静まった頃、シーナは浅い眠りから目を醒ました。ソファーから身体を起こし、掌に魔力で作り出した球体を浮かべる。

 すると球体から発せられた光が周囲を照らす。

 基本の六属性のうち、光属性は元を辿れば聖属性である。魔力を具現化すると光を発する特徴がある。

 その性質を利用して、シーナは自分の周りが見える程度の明かりを作った。

 もちろん、ウィラたちが起きないよう光は弱めている。細かな調節はまだ難しいが、単純な調整や大雑把な調節くらいは出来るようになっていた。

 ソファーから立ち上がると、足音を立てないようそっと歩く。

 そして、階段の前で一度立ち止まり、寝ている彼らの方を一瞥すると、二階へ上っていく。

 上がったところから近づくのは憚られたが、その場所でも十分にその様子は確認することができた。

 穏やかに眠るジェイルの顔を見てシーナは安堵する。この数日、一切姿を見に行くことができなかった。というより、二階には上がるなと釘を刺されていた。

 三人が代わりに世話をしてくれていたし、様子も彼らから聞いていた。

 しかしそれでも、自分の目で一目見ておきたかった。苦しんでいるのではないかという不安を解消したかった。

 もう少しだけ様子を見てから下りようと思った。

 すると、掌の上で光っていた球体がゆらゆらと揺れ出す。

「…………ん?」

 魔力の供給は一定で乱れていないはずだ。なのに何故こんなにも不安定なのか。

 原因もわからず球体を見続けていると、今度は細かな泡の気泡が割れるように、小さな光の粒子が次々と弾けて消えていく。

「え…………?」

 その速さは一瞬だった。でもわかることはあった。

「魔力が相殺された……?」

 球体の魔力に干渉する別の力が消した。シーナはそう感じた。

 シーナはハッとして目線を上げ、ベッドの方を見る。

 ジェイルは依然として眠っており、さして変わった様子は見られない。

 けれど恐ろしくなってシーナは急いで階段を駆け下りる。

「はあ……っ、はあ…………っ!」

 あの一瞬にして鳥肌が立ち、何が起きたのか理解した。

 近づいただけでああも簡単に“浄化”してしまう己の力の危険性をようやく実感した。何より無意識だということが、自分で制御できないことが不安を一層強めた。

 悪魔が消えるほどではなかった。と思うが、それを確認するために近づけばまた同じことが起こるかもしれない。

 ジェイルへの影響は大きくないと信じて、とにかく距離を置くしかなかった。

「きっと、大丈夫だ……」

 シーナはソファーへと戻り、横になって目を閉じる。

 そのまま時間だけが過ぎ、長い夜は明けた。


  *


 食事の準備はデュラインが担当している。この日も台所で一人、四人分の朝食を作っていた。

 彼はこの中では最年長であるが、その風貌はやんちゃな不良といった感じで、よくウィラをからかっている意地悪なところがある人物だ。ウィラは彼を嫌っている節があるが。

 しかし、やることはちゃんとやるタイプで、身の回りのことはそつなく熟すし、年下の仲間二人の面倒も見ていた。

 料理は三人の中で一番上手らしく、シーナも世話になっていた。時折、ノアが手伝ったりしているが、シーナとウィラは一切手出しすることはない。

 シーナは今まで料理なんてほとんどやったことがなかった。剣の扱いなら手慣れたものだが、包丁を持った時にはデュラインが切っ先で切るなとか、反対の手は猫の手だとか言って怒られた。そして、台所には立ち入るなと禁止令まで出されてしまったのだ。

 ウィラの方はというと、単に才能がないとのことだった。これにはノアも苦い表情を浮かべ、料理だけはさせてはいけませんよ、と声を震わせて言っていた。

 一体どんなものを作るのかは想像できないが、二人の様子を見ればやらせてみようという気にはならなかった。

 ノアが食器を並べている横で、シーナは武器の手入れをし、ウィラは二階のジェイルの様子を見に行っていた。

「お兄様っ⁉」

 突然、二階の方からウィラの声が聞こえる。シーナたちは手を止め、互いに見合わせる。

 デュラインがシーナを手で制し、ノアと二人で階上へと上がっていく。

 上がった先で二人が見たのは、ベッドの脇で涙を流すウィラと、ベッドの上で起き上がり座っているジェイルの姿だった。

「……ジェイル!」

「目が覚めたんですね……!」

 二人もジェイルの下に駆け寄る。

 ウィラのように泣くほどではなかったが、緊張の糸が切れほっとしたのは確かだった。

「デュライン、ノア、ウィラ……」

 ジェイルは申し訳なさと困惑の入り混じった複雑な表情を浮かべる。

「お前な、どんだけ心配したと思ってんだ」

「うん」

「ギルドの皆もジェイルのこと、探してたんですよ?」

「うん」

「…………見つけたと思ったら、ぐすっ、倒れてて……。全然、動かないし……。…………死んじゃったらどうしようって、思っ、ううぅ、うあぁぁぁぁぁん」

 人一倍、気丈に振る舞っていたウィラは再び泣き出し、ジェイルが頭を優しく撫でてやる。大人とはまだ言えない年相応の子供らしさが垣間見えていた。

 二人も思っていたことを吐露され、彼らはこれ以上何も言わなかった。

「…………本当に、ごめん」

 そして、ウィラが泣き止むまで黙って待っていた。その間もジェイルはウィラの頭を撫ででやった。



「もう大丈夫?」

「ええ。……あー、もぅ。絶対酷い顔してるわ」

 それからしばらくしてウィラが落ち着くと、デュラインが明るい雰囲気に切り替える。

「そんじゃ、飯にするか! お前、寝たきりで腹減ってんだろ?」

「ああ、デュラインの作ったご飯が食べれるのか」

「おう、持ってくるから待ってろ」

 そう言って振り返ったデュラインをジェイルが止める。

「待って、僕も下に行く。一緒に食べよう」

「いや、それは……」

 それは聖属性の、浄化の力を持つシーナがいるから来るな。

 そう言うつもりだった。

「シーナのことだろう? そのことは問題ないから」

「えっ……?」

 まるで全てを知っているかのような口ぶりだった。

 デュラインが何故、ジェイルが階下へ行くことを恐れるのかを。シーナが持つ力が何なのかを。

 何が問題ないのだろうか。

 それを問おうとしたが、ちょうどジェイルが立ち上がろうとしてバランスを崩すところだった。

「おっと……。まだ無理するな」

 前方へと倒れるジェイルをデュラインは抱き留めた。

「ごめん、けど病気とかじゃないし、単に力が入らないだけだから手を貸してくれないかな」

 そう言ってジェイルはデュラインの肩に手を回す。

「お兄様、ダメ! 下には今シーナって女がいて、浄化の力を持っているから近づくのは危ないわ」

「うん、わかってる。けど、ウィラが心配しているようなことはないから安心して」

 ウィラが二人を隔離しようと訴えかけるた。それでも、ジェイルは彼女の心配事を分かった上で言っていた。

「本当に大丈夫なんですか……?」

 ジェイルは、不安そうにするノアを安心させようと微笑む。

「その辺の話もちゃんとするよ。だから一先ずは僕の言うことを信じて、皆で、ご飯にしよう」

 そうは言われても、といった様子で困惑の表情を浮かべる三人。

 そんな中、ウィラが毅然とした態度を取り、ジェイルに一つの約束事を提示する。

「分かりました。一度、お兄様の言うことを信じてみます。………‥ですが、また同じようなことがあれば、シーナにはここを発ってもらいます。いいですね?」

 彼女とて不安がない訳ではない。その保険として、こうして約束を取り交わそうとしている。

 しかし、ジェイルの気持ちも尊重したいという思いもあり、譲歩した形を取ったのだ。

「うん、わかったよ。それでいいよ」

 ジェイルもそれに納得し、デュラインとノアの手を借りて階下へと下りる。

 階段の下ではそわそわとするシーナが彼らを待っていた。

 シーナはジェイルを見て一瞬だけ硬直すると、後退って警戒心を強めた。

 ジェイルはそれでも尚シーナに近づく。

「だ、駄目だ。こっちに来るなっ」

 ジェイルはデュラインとノアの手から離れ、壁や机に手をつきながら一歩ずつ歩み寄る。

 一方で、自身の力を知ってしまったシーナは、必死にジェイルにその場で留まるよう訴えかける。

 走って逃げれば、あるいはこの小屋を出て行けば。そうすれば確実に離れられる。遠くへ行ってしまえば、その足取りを掴むことは困難だろう。

 しかし、そうしないのは。いや、そうできないのは。彼女自身の迷いや欲、固めた決意が足を鈍らせているからだ。

 ジェイルはシーナから目を逸らさず、躊躇う様子もなくシーナの前に立つ。そして、手を取り肌と肌が直接触れ合う。

 シーナの手は震えており、怯えた目をしていた。

 当然だ。

 無理もない。

 ジェイルは大丈夫だということを伝えたくて、また大丈夫だということを確認するために、大きな賭けに出たのだ。

「ね? なんともないでしょ?」

 シーナは唖然としたままジェイルを見つめることしかできなかった。無論、あの三人も半信半疑だったために非常に驚いた表情をしていた。

 確かに何ともなかった。

 魔力を相殺する別の力を感じなければ、ジェイルに触れても弾かれるような衝撃もない。

「……なんで…………?」

「その辺もご飯食べてから話そう」

 ジェイルはシーナの手を引き席に着く。続くようにウィラとノアも着席する。

 食卓には少々冷めてしまった朝食が四人分並べられていく。

「……あ」

 ジェイルはあることに気づき声を上げ、デュラインの方を向く。

「大丈夫だ。おかわりはできねぇが一人前はあるんでな。俺はそっちのソファーで食うから、お前らはそこで食べろ」

「……そうやって、毎食一人分多く作って、僕が起きた時に食べさせてくれようとしてたの?」

 ジェイルが嬉しそうに微笑みながら問うと、デュラインは照れ臭そうにそっぽを向いた。

「なんだよ、悪いかよ。クソ…………っ」

「ふふっ」

 さっきまでの不安や戸惑いも薄れ、温かい空気が流れる。

「さあ、食べよう。いただきます」

「「「「いただきます」」」」

 森で採れるものだけを使った質素ともいえる食事だが、この時は格別に美味しいと感じられた。



「ふぅ、美味しかった。デュライン、ごちそうさま」

「おう。お粗末様でした」

 いつもなら食後すぐに洗い物をするところを、今日は流し台に重ねて置いたまま再びテーブルを囲む。

 食事中の和やかな空気から一変、真剣な眼差しがジェイルに集まる。

「いろいろ聞きてぇことはあるが、まずお前が意識を失ってた理由を聞かせてもらおうか」

「うん。その話をする前に、僕の中にいる悪魔について皆に話しておくよ」

 ジェイルは静かに語り出した。

 幼き頃、運命を変えたその日について。

「僕がギルド『LIFE』のマスターに出会う前、シーナと一緒にいた。その当時、僕たちは奴隷として売りに出される道中だった」

 この記憶はジェイルにとってもいいものではなかった。しかし、シーナと過ごした時間は穏やかで安らぐものであった。

 他愛もない話をしていたおかげで、暗い気持ちを紛らわせられた。

 でも。

「ある日、奴隷商人がいない隙に脱走しようとした」

 違う。それは私が……。

「けど見つかって、僕は刺されて死にかけた」

「それは私を庇ったから——」

「うるさい、横やりを入れないで頂戴」

 つい口を開いたシーナの言葉に、ウィラが被せ沈黙させる。

「それ、あなたが言います?」

「う…………」

 ノアが的確な指摘をすると、ウィラはばつが悪そうに口を噤んだ。

「ははっ、違いねぇ。……で、つまりお前ら二人で逃げ出そうとしてそれがバレてジェイルは死にかけたって訳か。でも、お前の背中に傷があるなんて、聞いたことも見たこともなかったぞ?」

 同じギルドで同性、裸の付き合いってものもあったかもしれない。そのデュラインが傷について何も知らないという。

「そのことなんだけど、あの後意識を失って、頭の中で僕に語り掛ける声が聞こえてね。そいつは悪魔で、生きたければ契約を交わせ、って言ってきた。得体は知れなかったけど、それでも生きたいと思った。……シーナのおかげでね」

 そう言って、自責の念を感じていたシーナに笑いかける。

「そして、契約を交わして傷を治してもらった。けれど、目が覚めたらシーナはいなかった。全然知らない場所で、ベッドに寝かされて、知らない女の人がいた。……それがギルドマスターだった」

 これはデュラインたちも初めて聞くことで、ハッと息を呑んだ。

「そこからは知っての通り、『LIFE』の一員として活動していたって訳だ」

 ジェイルは記憶の中にある当時の出来事を語った。それは皆が詳しく知らなかった過去であり、ジェイルにとって辛い過去であり、そして重大な秘密でもあった。

「……良かった、本当に。どんな形であれ、生きてて良かった」

 あの時、死んでしまったのだと思い込み生き続けてきたシーナは、噛み締めるようにその言葉を繰り返す。

 そして、今度はシーナがジェイルの手を取り、しっかりと握り締める。

「うん。僕もシーナが生きていて嬉しい。また再会できたのもね」

 ウィラは立ち上がると、二人の間に立って自分の手を上に重ねる。

「今回はあたしたちもすっごく心配したんだから、ちゃんと説明してもらうわよ」

「ああ、もちろんだ」

 それからさらに、シーナの聖属性の力に反応した悪魔が防衛のために結界を張ったことや、その際に身体の支配権を奪われ何もできなかったことを説明した。そして、今朝ようやく体の支配権を奪還し、目覚めることができたのだと言った。

 その結果、聖属性を弾く結界が生成されることもなくなった。ただし、聖属性魔法による作用は、体内の悪魔に影響を及ぼすらしく、近くで魔法を使うのはやはり禁じられることとなった。

「それじゃあ、普通に過ごす分には何ともないのね?」

「うん、問題ないと思う」

 ウィラはその言葉に安堵し、緊張の解れた柔らかな笑みを浮かべる。

 彼女はこの中では幼い。深い森を移動するのも、同じ屋根の下で素性の分からない女と生活し、魔法を教えつつジェイルの様子も見るのも、心身ともに辛いことだったはずだ。

 それも心配事が一つ消え、つんけんとした態度やピリピリとした雰囲気はなく、ジェイルを慕う様子なんかは妹のようだった。

「それじゃあ、もう一つ聞くぞ。……なんで突然出て行ったんだ」

「……?」

 こんな森の中に一人で暮らしているのはギルドを出て行ったから、というのは察することができた。しかし、出て行く理由は謎であった。

 不仲、という感じではないし、トラブルを起こすような性格ではなさそうだ。だとすると、悪魔に関係することではないかと推測できる。

「…………僕は、マスターの負担になりたくない。マスターが身を削ってまで僕を助けようとするのに、僕自身が耐えられないんだ……」

 ジェイルの声は暗く、思い詰めた様子で語った。

「…………やっぱりな。マスターからお前の中にいる悪魔のことも、ソイツの力をマスターが抑え続けてたことも聞いた。けどな、お前がいなくなればそれで解決ってのは間違ってるからな」

 決して声を荒げたわけではない。

「ここへ逃げて、お前だけ消えて悲しむ奴がいないとでも思ってんのか。マスターの苦労は何だったんだ、気持ちはどうなるんだよ」

 しかし、穏やかな声音の中に苛立ちや心配する気持ちが込められ、ジェイルをどれだけ想っていたかが窺える。

 ジェイルは暗い面持ちでしばらく黙っていた。

 彼だって分かっている。仲間が大切に思ってくれていることも、マスターが親のように愛情を注いでくれたことも。けれど、その温かさは手放しがたいものであり、それを壊してしまうかもしれないという恐怖は、葛藤を強いてきた。

 そして、選んだのがギルドを去ることだった。

「…………ごめん。言いたいことは、分かる。でも、僕だってどうすればよかったのか……」

「そんなもん、俺たちを頼ればいいだろ」

「え…………」

 至極当然だと言わんばかりにあっさりと言い切られてしまい、呆気にとられるジェイル。そう思っているのはウィラもノアも同じで、デュラインの言葉にうんうんと頷いている。

「で、でも悪魔なんて」

「言われても信じねぇかもしれねぇな。でも、困ってんのを放っておくほど薄情だと思ってんのか?」

「いや、そんなことは……」

「先に言われたのは癪だけど、わたしも同意見よ。お兄様のためなら何だってするわ」

「もし、話すのが怖いなら、マスターを介して打ち明けるとか、他に打つ手がないか探してみるとか、方法はいろいろあったと思いますよ?」

 ジェイルの仲間は、それぞれにジェイルのことを救いたいと思い、手を差し伸べていた。

 その手は温かく、互いの信頼の証拠だということはシーナにも分かった。

 それは彼女も知っているものだからだ。

 ジェイルと離れている間に、彼の周りにはたくさんの仲間と呼べる人ができたのだろう。

 それは嬉しくもあり、寂しくもあった。

「ありがとう、皆。少し考える時間を貰ってもいいかな……?」

「ああ、もちろんだ。けど、あんまり時間かけすぎるなよ」

「わたしたちだけではもしもの時、できることは限られてるからね」

「うん、分かった」



 数日後、ジェイルはギルドへ帰り、悪魔への対処について他の方法を模索することを決めた。

 ジェイルを探しにやってきたギルド『LIFE』は、アクシデントに遭遇しつつも、無事に話し合いによって問題を解決した。

 彼らは仲間思いだった。

 ジェイルは悪魔についてギルドマスター苦労を掛けまいと。

 デュラインたちは彼に頼って貰わんと。

 互いに譲ることのできない意思は、相容れないものと思われた。

 しかし、彼らは互いの意思を尊重し、納得のいく答えを導いた。

 ジェイルは悪魔について一人で抱えるのを止め、デュラインたちはギルドマスターに負担が掛からない別の対処法を見つけることで折り合いをつけた。

 それは互いの信頼あってこそであり、数年共に過ごした時間は彼らの関係をより強固なものとしていた。

 相手に凭れ(もたれ)るのも、相手から凭(もた)れられるのも、信頼がなければできないことだ。

 信頼。

 それは築き上げるのに大変な時間を費やすも、崩れるのは一瞬である。そして、明確な線引きなどもなく、その実態は曖昧で不確かなものだ。

 特に幼少時代に人の善意に触れていなければ、尚更、その目には怪しいものにしか見えないだろう。



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