第〇章
彼と出会ったのは、雨の日だった。
昔から体が弱くって、ずっと入院生活を送っていた私には同世代のお友達なんていなくて。そんな時、彼が現れた。正直彼の正体はわからなかったけれど、そんなことはどうでも良かった。
いつもきてくれた。いっぱいお話をしてくれた。楽しそうな彼が羨ましいなって少し思っていた。私、心の中でちょっとだけ、彼のことが憎らしくなってきていることに気づいて、自分はなんて嫌な奴なんだって泣いてしまったこともある。そんな気持ちが伝わったのか、彼はだんだん来なくなった。私の病気もどんどん悪くなった。きっと彼との会話が、私の薬だったのね。
事件は突然起きた。警報が鳴っているのが分かるのに、体を動かすことができない。意識が朦朧として、私はあっさりと侵入してきたゾンビに噛みつかれてしまった。あっと思った。私、死ぬんだと。ゾンビの歯がうすての上着を貫通し、肌に食い込む感覚が妙に鮮明に分かる。力が抜けて、見慣れた天井がぼやけていく。それは私の意識が遠のいているからなのか、私が痛みで涙を溢れさせたからなのか、きっとその両方とも合っていて、違うような気もした。それからは本当によく覚えていない。みんなはきっと避難して、駆けつけたゾンビ対策係の人たちが、応急処置をして…とかそんな感じだったんじゃないかしら。ただ噛まれた直後、体が熱くなってきて、しんどい気持ちとか苦しい息とかが全部ぐちゃぐちゃになる感じがした。私に噛み付いたゾンビが部屋から出ていく。阻止しなければ、そう思うと足がベッドから降りる。歩くのは久しぶり。だけど私がやらないと。私は後ろからゾンビに掴みかかり、抱きかかえるように引っ張って、思い切り窓から突き落とした。それから私は、自分もここにいてはいけないのだと気づいた。窓の外を見ると、少しだけ高い。だけどもう噛まれているんだから、と投げやりに飛び出した。風の抵抗を受け、一瞬で下まで落ちた。しかし、覚悟したほどの痛みは感じない。恐る恐る目を開けると、さっき落としたゾンビの上に重なるように着地してしまったようだ。驚いて、立ち上がる。ゾンビはそれでも蠢いて、這うようにどこかへ去って行った。心臓の鼓動が今までにないくらい早くなる。私のくだらない日常が突如として一変してしまい、それが私をひどく興奮させた。辺りを見渡す。ジメジメとした空気が外の質感をリアルに感じさせる。いつぶりの外だろう。自分で歩いてお散歩ができる。今はそれが嬉しくて、世界で一番自由な気がした。私は石垣の中に落ちてしまったようで、もう少し勢いをつけて落ちれば、フェンス外の中へ入れたと思い後悔した。そんなことを考えていると、誰かがこちらに来るような足音がした。慌てて建物の影に隠れる。どうやら足音の主はガラスを割って、中へ入ったらしい。私は急いで追いかける。(言っておくが、もしゾンビが残っていたら危ないと思ったからであって、私の中のゾンビが生身の人間を求めたからではない。)傘を振りかざしているその子は何か急いでいるようで、階段を駆け上がっていく。そこら辺から妙な違和感を覚えていた。
ものすごい勢いで、その子がたどり着いたのは
(私の病室?)
意味がわかった。その子は、彼は…。
後を追って一緒に病室に入る。こちらには全く気づいていないようだ。途方に暮れたように数秒間立ち止まった後、開けっぱなしの窓に近寄るその子。窓についたまだ新しい血を手で撫でて、
「僕もいくよ」
と呟く。私は自分の血の気が引くのがわかった。あんなに生き生きと未来を語っていた彼が、こんなことをするなんて絶対にだめだ。口に出すのも信じられない。どうにかして止めなければ、と思った。彼が今にも飛び降りそうなので私は。声をかけることはできなかった。こんな姿で会いたくない、この場に及んで何を考えている。その代わりに、彼の落とした傘で彼の頭を思い切り…。彼は倒れ込んだ。その後私は自分のしたことに慌てた。そしてなにより自分自身にこんなに力があったことに驚いた。私って意外と力があるのか、ゾンビ化が影響しているのか、よく分からない。ただ彼を止めたい一心で…。急いで駆け寄って、息を確かめる。流石に息はある。びっくりして傘を外に投げてしまったので後で探しに行こう。彼の大事な傘なんだ。その前に彼の手当てをして、ベッドに寝かせた。その後、万が一ゾンビが入ってこないように、ドアの鍵を閉める。そして
「本当にごめんなさい」
何度も何度も呟いて、傘を探しに出た。
中途半端な僕たち 一 @ninomae12
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