第五章
「全部思い出した」
「僕は時雨ちゃんの病気治す人になる」
彼女はゆっくり口角を上げた。
「優太ならなれるよ」
―――
「おはよう」
「おはよう」
13:00。待ち合わせ場所の建物の横からひょこっと顔を出して、彼女が右手を上げる。全然おはようの時間ではないが、気にせずおはようと挨拶を交わす。高い日差しが彼女を照らして、彼女は眩しそうに包帯をした左手を額にかざす。
彼女はワクチンを打った後、だんだん回復して、肌の変色が抑えられていった。それでも後遺症で目の色は失ったままだし、足も腕も変色している部分がある。それを隠すように、包帯や絆創膏をしているのは、今彼女が暮らしているアパートの住人に気味悪がられないためだと言っていた。なぜ症状が治らないのかというと、きっとゾンビになっている期間が長かったからかもしれない。そしてもう一つ後遺症として
「散歩に行こう」
「うん」
彼女はしっかり歩けるままだ。嬉しそうに僕の手を引く彼女を眺めて、ただ一つ心残りを感じてつい
「家族に会いに行かなくていいの」
こういうと、彼女は決まって露骨に鬱陶しそうな顔をする。
「言ったでしょ。前住んでたとこに行ったけど誰もいなかったの」
「それにママもせいせいしてるわよ。私も私から家族を解放してあげたいの」
そんなわけ、ないだろと心の中で呟く。まるで自分をお荷物のように言う彼女に納得がいかない。
「なら僕が医者になってずっと君のそばにいるから、そうしたら家族も安心するよ」
「そうできたらね」
彼女がふふッと笑った。僕はうっと顔を歪める。前は応援してくれたっていうのに。
しばらく歩いて、途中で休憩するのにベンチに座った。相変わらずの日差しを受けながら、それでも彼女は一切の暑さも感じていないように、涼しい顔をして、遠くを眺めていた。
「ところであの時僕がどこにいたか知ってたんだよね」
話題をと思い、話をふる。
「病室の窓の前で気を失っていたので運びました」
彼女が一呼吸おいて答える。
「ショックで気を失ったのかも…」
幽体離脱前の最後の記憶を思い出しながら答える。
「情けないですねぇ」
困った顔をして彼女が言った。
「なんですぐに教えてくれなかったの?」
ふと気になって聞く。
「…」
一瞬の沈黙。焦って付け足す。
「あっせめているわけではなくて疑問で」
「出来心です」
「えっ」
また冗談めかして言って、彼女はふふっと笑った。僕も眉を下げて笑い返す。未だに幽体離脱した瞬間のことは思い出せない。でも思い出せないことは、思い出さなくていいことなんだろう。それに、彼女と探しあったあの時間はきっと僕の人生にとって特別なものだったことに変わりはない。だからこれ以上聞かないことにする。多分、窓から出ようとした時に、床や窓に付着した赤い血を見て彼女のものだと察し、ショックで気を失っただけだろうし。その際に、意識だけが窓の外に落ちてしまったんだろう。
「頑丈なフェンスがあんな壊れ方するなんてね」
彼女が呟くので頷く。フェンスの破壊なんて最近は滅多に聞かないことだ。それに破壊されるのには、その場所に何か理由があったからではないだろうか。
「でも、フェンス外のすぐ側に病院なんて少し危ないよね」
僕は気になっていたことを溢す。立地上仕方がないことだったのかもしれないが。
「昔はよくゾンビウイルスに感染した人が受診してきていたのよ」
すると彼女が少し枯れた声で語り始めた。僕は彼女の言葉を聞き逃さないよう耳をそばだてる。
「だからそんな人たちをすぐにフェンス外に追いやっていた」
昔から、彼女が興味を示してくれるのはなんでも嬉しかった。例えばお母さんに構ってもらっているようで。
「今は治る見込みのない人にゾンビウイルスを注射して外に追い出してる…なんて噂もあったりなかったり…」
そこまで話して彼女は不敵に微笑む。僕はハッとして、集中を解く。また騙されてしまうところだった。いつかこの彼女の冗談が嫌に感じてしまうのだろうか。ならばその日には、今のこのくすぐったい気持ちを思い出してやりたい。僕は怒った顔を作った後、彼女に言う。
「時雨ちゃん」
「なんです?ゆうた」
「大好きです」
「生意気ですね」
「うっ」
「私もです」
「もう」
物知りでからかい好きな彼女のお喋り相手として、僕はこれからも生きていく。
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