指
アンミン
指
「あれは、4年前になりますか。
正確には4年前から、と言った方がいいので
しょうが。
……いや、その、ちょっと聞いて頂けますか?」
―――私は寺の本堂で彼の話を聞いていた。
若い頃に少し仏道修行をし、今は在家だが
時折相談に乗る事がある。
考えながらだろうか、それとも説明の仕方に頭を
悩ませているのだろうか―――
“ここ”はそうした人が来る場所。
年齢は20代後半に見える。
少し太り気味といった印象だが、彼にどのような
“ここに来る理由”があるのだろうか―――
しばらく視線を畳とこちらの間に泳がせていたが、
やがて意を決したように口を開いた。
ここからは、彼が実際に体験したという
回想になる。
―――――――――――――――――――――
その時、僕は最寄の駅を降りて、自宅への道を
歩いていた。
いつもの街灯に、いつもの自販機の光。
たまに酔っ払いが騒いでいたり寝ていたり
する事もあったけど―――
「アレはそうじゃありませんでした」
僕のアパート、2階の自室へと続く階段の下。
そこに何かがうずくまっていた。
動物じゃない、子供じゃない、近付くにつれて
選択肢が減っていって、それが大人の女性だと
気付いた時には、もう目の前にいた。
「どうかしましたか?」
白い着物を着ていた……という事はなく、普通の
リクルートスーツのような格好。
とにかく、階段を上がらなければ部屋に戻れない。
単に気分が悪いだけなら、適当に介抱するか
救急車を呼ぶなりしようと考えていると、
「こう、すっと片手をこちらに
伸ばしてきたんです」
指先―――当然それが目に入るのだが、
その異様さにすぐ気付いた。
若い女性らしい白く細い指。
しかし、どこか違和感があった。
「…………」
よく見ると、全ての指が包帯で巻かれていた。
普通なら「ケガでも?」と聞くところだが、
なぜか僕からも手を伸ばしていた。
そうするのが当然、自然とでもいうように。
「……ひっ」
息を飲み、手を引っ込める。
驚いた理由は彼女ではない。
自分だ。
自分の右手、それが視界に入った時、異常に
気付いたのだ。
「小指が無かったんですよ」
慌てて自分の無くなった小指を握る。
一方の手で隠すかのように。
……ある。
物体としての感触が、そして温度が包んだ指と
手の平に伝わってきた。
そしておそるおそる開いてみると……
あった。
ちゃんと5本の指が見える。
「な、何なんだよこれは?」
そう言いながら両の手の、合わせて10本の指を
手の平を自分へ向けて、何度も確認する。
「コ・ト・ブ・レ」
「え?」
その声に両手から顔を上げると、すでに
女性の姿はそこにはなく―――
むき出しの鉄で出来た階段が、風にうたれて
鳴っていて……
気が付くと、すでに朝だった。
布団の中で天井を見上げ、自分の状態を
確認すると、スーツやYシャツは一応脱いで
寝たようだ。
「何だったんだよ、もう」
洗面台へと向かい、顔を洗う。
ふと、右手に視線が向かう。
……あった。
当然だ。あって当たり前なのだ。
「まぁ、その時までは奇妙な夢でも
見たんだろうって」
気のせいと思うと同時に、自分を納得させる。
ただでさえ朝の時間は短い。
入社してからまだ日の浅い僕に遅刻する
度胸などなく、出社してからしばらくすると、
その忙しさから昨夜の出来事は完全に頭から
抜け落ちてしまった。
昼になり、それぞれが思い思いの場所へ向かう。
社食、定食屋、コンビニ。
僕は社食で食事は取らない。
いつも1人で、外食かコンビニへ行くのだが、
それは一応上司に報告してから行く事に
なっていた。
「ぅぁぅ」
小さく、うめき声が出た。
目の前には僕の上司が書類を縦にして高さを
そろえている。
そして昨夜の事は夢ではないと記憶が告げた。
「あ、食事ね。ん、行っといで」
流れ作業のように、ろくに確認も取らずに
書類と格闘する30代後半の上司。
その彼の右手には―――“なかった”。
「今思えば、それが皮切りでしたねえ」
僕の指はすぐに“復活”した。
しかし、上司の指は昼休みを過ぎようとも、
定時になり仕事の終わりを報告する時になっても、
無くなったままだった。
話そうかとも思ったが、説明したところで
解決方法は無いどころか、理解してもらえるか
どうか。
自分にだってそれが何なのかわかっていない。
それに終業時間まで普通に仕事をしている事が、
介入する意志を失わせた。
帰りの電車に乗り、自宅の最寄の駅に降りた
僕の口から、自然とため息が出て……
「疲れてるのかな」
確かに仕事が忙しいとはいえ、
世間で言われるブラック会社のように
追い詰められているような忙しさはない。
一部の指が無くなって見える精神的な
病などあるのだろうか、帰ってから
ネットで調べてみるか―――
そう視線を落としながら足を進めていた。
そこで視界に入ってきたものがあった。
靴。
その造形と細さから女性だという事がわかる。
「……?」
立ちふさがるようにして彼女は立っていて……
顔を上げていくにつれて、スカート、上着、
どれもが闇に映える紺で統一された
リクルートスーツ。
あの包帯で指が巻かれた手が見えた。
そして、肩を少し過ぎたくらいに伸ばされた
セミロングの髪、その始発点となる顔。
年齢は20歳前後だろうか―――
線のように細い目がゆっくりと開かれ、
血でも塗ったかのような唇が開く。
「いた」
―――何が?
わかっているのは、彼女は聞いてはいない。
ただ、“いた”と言ってきた。
「見た」
―――わからない。
彼女が何を言っているのか。
しかし、それ以上にわからないのが、
自分がコクコクと彼女の言葉に反応し、
うなずいている事だった。
「誰」
勝手に口が開いた。
出てきたのは、会社の上司の名前だった。
あの、自分と同じく指が消えた―――
「わかった」
それだけ言うと、女性は自分の横を通り過ぎた。
女性が視界から消えた途端、温度が戻って
きたかのように、汗が一気に吹き出る。
あれは何なのか。
やはり消えた指に関係があるものなのか。
上司の名前を出してしまったが、
報せるべきだろうか。
とにかく家にいったん帰ってから―――
玄関を開けて室内に入ると、また布団の中で
朝までの時間と記憶が消えていた。
「それから?
普通に会社行って……
あの上司も普通に仕事してて。
相変わらず指は4本しかありませんでしたけど。
気にしない事にしたんです。
したってどうしようもないですし」
1ヶ月ほどが過ぎた。
指以外はどうという事もなく、意識的に
無視しなくても良いようになってきた。
結局、何でも無い事なんだ―――
そう自分が納得し掛けた頃。
会社の、あの上司が休んだ。
代理が来たが、休んだ理由については教えて
くれなかった。
その上司はその日以来見ていない。
事情を知る人から、上司には借金があり……
その穴埋めに会社の金を横領していたと
聞かされた。
ただ真偽のほどはわからず、また確かめる気にも
ならなかった。
「でも、それからね」
今までに、上司以外に3人ほど指が4本しか
ない人を見たという。
だいたい、1年に1人か2人のペース。
1人は、ウェイトレスの女の子だった。
「行き付けの定食屋の店員で、ちょっと
気になってた子だったんだけどね……
メニューを持ってきてもらった時に」
気付いてしまったという。
そして名前まで知ってしまっていた。
名札を見て、覚えてしまっていた。
その夜、再びあの“彼女”が姿を現した。
紺の、長袖のリクルートスーツ。
「いた」
―――前の事もあり、あのウェイトレスの
子の事を言っているのだろうと理解はしていた。
「見た」
―――とは指か、その人か。
それから続く言葉が記憶に蘇り、血の気が引く。
「誰」
そして、その子の名前を答えるのと同時に、
罪悪感と後悔が背骨を駆け上がっていった。
「わかった」
女性はそれだけ言うと、無表情で横を通り過ぎた。
振り返りたく無かった。
そのままアパートの自室に転がり込むと、布団を
頭から被った。
1ヵ月後、行き付けの定食屋からその子が
姿を消した。
他のウェイトレスの子から事情を聞こうにも、
無理強いしてまで聞く理由は無い。
しかし、僕はどうしても理由を知りたかった。
あの指とは無関係だと証明したかったのかも
しれない。
警察じゃないでしょうね?
といぶかしがるその店員に、僕はレシートと
一緒に1万円札を渡した。
目を丸くして驚いていたが、彼女はそれを
受け取って―――
次に来る時にでも話してくれればいい、
そう思っていたのだが、店を出た後、
彼女が追い掛けてきた。
「お客さん、忘れ物です」
営業スマイルと共にやってきた彼女は、
僕に店のチラシを渡すと話し始めた。
「あの子ね、ああ見えて男関係が
激しかったみたい。
それ絡みのトラブルがあって、実家に
戻されたって店長が言ってた。
アタシが知っているのはこれくらい。
これでいい?」
それだけ言うと、また営業スマイルに戻り
「ありがとうございましたー、またのご来店を
お待ちしています」
と言って彼女は店へと戻っていった。
―――――――――――――――――――――
「その2人は……まあ言っちゃ何ですけど、
結局原因はその人自身にあったわけで。
後の2人も似たようなものでしたけど」
その中に、幼馴染がいたのが一番辛かったですね、
そう彼はうめいた。
「4人、ですか。
しかし……
その指を包帯で巻いた女性はいったい?」
「わかりません。
会おうとも思いません」
彼は首を左右に振った。
指が1本無い人を見つける―――
すると彼女が現れる。
そして、自分がその人の名を答えてしまう。
その人は1ヶ月ほどで姿を消してしまう。
例外無く……
「4年も経って、どうしてお話をしようと
思ったんですか?」
「誰かに話して、少しは楽になりたかったのか、
罪悪感を薄めたかったのか……
おかげで、ちょっと肩の荷が下りたような気が
します」
彼は語り終えると頭を下げ、いくらかの寄進を
渡して寺を出て行った。
「気に入らない」
隣りの部屋で話を聞いていたであろう、私の
師にあたる人が入ってきた。
「何がです?」
「罪悪感がどうってなぁ、話聞いてみれば
どれもこれも“悪さ”背負っているヤツ
ばかりじゃないか」
それはそうかも知れないが、気弱な人なら―――
そう口を挟もうとするが、師は話を続ける。
「それにな、名前を知っているのがどうもカギに
なっているようだが……
何でその“指の無いヤツ”の名前をいつも
知ってる?」
「それは、上司とか、
気に入っている子とか……」
「4人全員か? 例外はいなかったのか?」
―――不自然、という事を言いたいらしい。
言われてみれば、である。
例外をあえて言わない……それもまた不自然だ。
「でも、4本指というのは何でしょう?」
「鬼だ」
明確に答えが返ってきた。
「人間の5本の指は、3つの罪悪と2つの美徳で
成り立っている。
“知恵”と“慈悲”が美徳だが、鬼には
“慈悲”が無い」
だから“4本指”なのだという。
「あの、指を包帯で巻いた女性は―――」
「『コトブレ』、って言っていたか。
多分“
『鹿島の事触れ』……
春ごとに鹿島神宮の神官が鹿島明神の
前もって知らせる“者”。
「包帯の意味は?」
「“鬼”に気付かれるからだろう。
同類かそうでないか、見分けをつかなく
させているんじゃないか」
話を聞くに、指は見えなくなるだけで“ある”。
彼は自分の指が無くなった事に気付いた。
そして、他人の“それ”も見る事が出来る。
「その包帯の女性が言触れという事は……
彼女は神官?」
「関わりがある者ではあるんだろうよ。
4人が姿を消したのと無関係とは思えんし」
ふーむ、と納得し理解しようと努めていると、
「本当にニブイな。
まだ気付かないのか?」
「え?」
師はボリボリと頭をかきながら、ため息をつく。
「よく話の中身を整理しろ。
一番近くで聞いてたんだろ。
まず彼は4人とも、“偶然”にも
名前を知っていた」
「はい」
「4人とも消えた指は“復活”していない。
復活したのは彼だけだ」
「……はい」
「その怪しげな包帯の女性にストレートに、
何度も会っているのに、彼だけは無事」
「それは、すでに“4本指”ではなくなったから」
私が答えながらも要領を得ないでいると、
師は話を続け、
「事触れがいる鹿島神宮に
言い伝えでは、鹿島のあたりに昔、
恐ろしい鬼がいて村を襲っていたとある」
ある時、その村の若者の1人が鬼退治に
出掛けたが、結局戻っては来なかった。
村長は近隣にも依頼を出し、力自慢の若者たちが
鬼退治に向かったが―――
結局、誰1人として帰る事は無かった。
村長が鬼退治を諦めようと言い出した矢先、
他の村々でも鬼が暴れ始めてしまった。
そこに来たのが武甕槌命という神様で、
見事鬼退治に向かい首を討ち取り、
その神様は鬼のために『鬼塚』を、
人々は鬼と戦って死んだ若者たちのために
『社』を作った。
そして武甕槌命は守り神として祀られ、
その『社』が鹿島神宮なのだという。
「それが何か……」
「この話だけだと、鬼が1人だけなのかどうか
わからん。
若者たちは戻って来なかったというが、
後に他の村々―――
被害を受ける場所が拡大している。
まるでどこかから補充されたように」
加算がある、という事だ。
「そこに来た神様……
武甕槌命と個人名で名指しされている事から、
こちらは1人なのだろう。
鬼の方も鬼たちとは呼ばれていないから、
1人と見るのが妥当だろうが―――
被害が大き過ぎる。
鬼退治を依頼したのは村長1人。
そして後に複数の村々が被害にあっている。
普通ならその村々合同で依頼を出す
流れだろう?
なのにそこで村長が諦めるって、
おかしくねぇか?」
「確かに……
出せない、もしくは諦める理由があった、
とか―――」
と言いかけて、口の中の息が肺に戻った。
やっと気付いたか、という師の視線に
押されるように。
帰って来ない若者。
拡大する被害範囲。
鬼退治を諦める村長。
それはつまり……
「そういうこった。
でまあ、鬼が増えているのならいくら神様と
いえど、多勢に無勢だわな。
なら今度はその逆をやればいい」
どういう仕組みで増えるのかはわからないが、
増えたのなら減らせばいい。
そして“鬼”には“鬼”が見えるのだと
したら―――
「自分1人じゃ限界もあるし、それなら
最初に見つけた1匹を見逃す代わりに、
自分以外の鬼を差し出せ、と」
「事触れか、鬼か、どちらが先に
取引を持ちかけたか、そこまでは
知りようも無いがな。
しかし、自分を見逃してもらう代わりに
身内でも他人でも売り続けているとしたら……
そいつは、“鬼の中の鬼”だ」
今度はこちらが頭をかきながら、
いつ気付いたんですか?
と師に
「頭を下げて帰った時だ。
普通なら、“どうしたらいいでしょうか”とか
解決策を聞くもんだが、それが無かった」
つまり―――続けるつもりなのだ、『彼』は。
『彼女』に言われるまま……
「罪悪感うんぬんってのは本当だろう。
だが、鬼とはいえお仲間を売っちまって
いるんだ。
もう元には戻らんだろうな」
彼の出て行った境内を見ると、すでに
降り始めていた。
指 アンミン @annmin
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