冬籠もりの魔女と春の王子 ~100年引きこもっていた魔女ですが、元婚約者の王子が転生して追いかけてきました!~

三日月さんかく

短編



 あたしの名前はアールグレイ。

 紅茶ばかり飲んでいたら、ある日知り合いがそんな渾名をあたしに付けた。なんでも、どこかの並行世界にある紅茶の種類だとか。その知り合いはいつも鏡を使ってほかの世界を覗いて遊んでいる。変な子なのだ。だけどあたしはその子をちっともキラってない。だからずっと、あたしはアールグレイと名乗って生きている。


 あたしが百七十歳の頃、とある小国に末の王子が生まれた。

 銀色の髪と黄緑色の瞳をした小さな赤ん坊で、ちょうどそのとき王宮に逗留していたあたしは、王妃ちゃんから「ねぇ、アールグレイ。この子に祝福を与えてやってはくれないかしら?」とおねだりされた。


「魔女からの祝福はべらぼうに高いわよ、王妃ちゃん」

「じゃあ、あなたの好きなときに王宮に逗留していいわよ」

「あらあら、いいの? あたしは人間よりもうんと長生きよ。この王宮を何百年も宿屋代わりにするわよ」

「あなたは『善き魔女アールグレイ』だもの。あなたが王宮に逗留するたびに新しい魔法薬が生まれるから、本当はずっと王宮で暮らしてほしいくらいなの」

「それはイヤ。魔女は自由で気ままに旅を愛するものなのよ」


 王妃ちゃんの腕の中でおくるみに包まれて眠る小さな赤ん坊に、あたしはそっと手を伸ばす。紅く染めた爪はあたしのお気に入りで、指先を動かすたびに目に留まってちょっといい気分。

 赤ん坊のしっとりとした額に人差し指をあて、祝福の文言を唱える。


「芽吹く春、開く夏、実る秋、眠りの冬。幾千の試練を乗り越えて、人生のあまねく幸福をこの子が両手で拾いあげることができますように」


 あたしの指先から光が放たれ、赤ん坊の額に花の紋様が浮かびあがる。祝福の花がきれいに咲いた。

 リダスと名付けられた末の王子は、そうしてのんびりとした小国で育ち、―――きっと幸せに暮らすはずだった。





 あたしは相変わらず旅暮らしで、あっちの鉱山に行っては魔法薬に使うゴールドクリスタルを手に入れたり、こっちの海底に行っては魔法薬に使う千年真珠を見つけて来たり、サラマンダーから炎を貰ったり、ドラゴンの鱗を拾ったり、マンゴドラを育てたりと忙しかった。

 そして魔法薬の材料でマジックバッグがぱんぱんになると、あたしは小国の王宮を訪ね、「王妃ちゃーん! 魔法薬調剤室、貸ぁーしぃーてーっ!」と『王宮逗留タダ券』を振って見せた。

 王宮の使用人たちは「十年ぶりに『善き魔女』様がいらっしゃった!」と大騒ぎで、王妃ちゃんどころか旦那さんの国王陛下まで玄関にやって来て、あたしを歓迎してくれた。


「アールグレイ、こんなに姿を見せないなんて酷いじゃないの。わたくし、とっても心配したのよ」

「たかが十年くらいでしょう?」

「人間にとっては、たかがじゃないの」

「『善き魔女アールグレイ』殿。そなたが十年前に王宮に残していった新しい魔法薬のお陰で、おととし大陸で大流行した『灼熱風邪』を食い止めることができたのだ。あの魔法薬がなかったら、我が小国は本当に危なかった。心より感謝申し上げる」

「『灼熱風邪』なんて流行っていたの? あれって人間にはやっかいよねぇ。最近辺境にいたから全然知らなかったわ。みんな無事でよかったわ。魔法薬のお礼は今夜のディナーでいいわよん。最上級のお肉にしてね、陛下っ」

「はっはっは。『善き魔女アールグレイ』殿は以前と変わらず軽いな。相分かった。今夜は大宴会を開こう!」


 魔女が作る魔法薬の値段は、そのとき魔女がほしいものが対価なのだ。あたしがそう決めた。


 大宴会で久しぶりにご馳走を食べたので、いい気分。魔法薬の材料を探している最中はだいたいそこら辺になっているものとか、生えているものとか、四つ脚で歩いているものとかを食べていた。

 人が暮らしている地域に出れば宿屋や酒場で料理にありつけたけれど、この小国の王宮ほどおいしいものは出てこない。大陸でいちばん大きな国の城に招かれたときもあったけれど、この王宮ほどおいしくなかった気がする。

 いろんな献上品でよい材料を使っていたんだろうけど、晩餐会に並ぶ皇帝や貴族が浮かべる笑顔がうさんくさくて、あたしを皇子の嫁にしたいとか言ってきて気持ち悪くって、あと料理に睡眠薬が入っていた。魔女にただの人間が調合した睡眠薬なんか効くもんか。

 あたしを大国お抱えの魔女にするつもりだったんだろうけど、ヤなこった。あたしは自由気ままに旅を愛する魔女だもん。

 この小国の食べ物にはなんの含みもない。おいしくって、いつも「魔女様ありがとう」の気持ちが込められている。あたしは結構、この小国がイヤじゃない。


「あなたが魔女どの? ほんとうに『善き魔女アールグレイ』どのなのか?」


 もうおなかいっぱいでデザートしか入らなーい、と思いながら、宴会場の壁際のソファーに寝転がって葡萄の粒をチューチュー吸っていると、小さな子どもがやって来た。

 きっちりと整った銀色の髪に、キラキラ光る若葉色の瞳。幼いながらも整った顔立ちに、しわ一つない詰襟のお洋服は細かい刺繍がいっぱいだ。どこかの貴族の子どもかしらね?


「そうよん」


 あたしが胸を張って言えば、子どもは子どもらしからぬ深いしわを眉間に刻んだ。


「十代の少女にしか見えないのだが」

「魔女とはそういう生き物だから」

「賢そうにも見えない」

「あたしの賢さはあたしだけの宝物よ。宝物を他人にそう簡単に見せたりすると思う?」


 あたしはこの上なく適当に答えると、子どもは顎に右手をあて、ますます眉間のしわを深くして「なるほど」と呟いた。子どもとは思えぬ、もはやおっさんくさい喋り方。じつに揶揄いがいがある子じゃない。

 しばらく子どもの質問に付き合い、魔女らしく意味深な雰囲気で適当に答えていると、王妃ちゃんがこちらにやって来た。


「あら、リダス。アールグレイと仲良くなったのね」

「母上」

「……リダス? なんか聞いたことがあるわん?」

「あらいやだわ、アールグレイ。この子はわたくしの末の王子、リダスよ。あなたに祝福を贈ってもらった」

「ああ、あの小さな赤ん坊。もうこんなに大きくなったのねぇ。百歳くらい?」

「私は十歳だ、魔女どの」

「ふぅーん? 人間の成長って早いのねぇ」

「リダスはほかの兄弟より、生真面目で遊び心の無い子に成長しちゃったの」

「母上、まだまだ未熟な私が兄上たちに追いつくためには、たくさん勉強しなければならないのです。遊びなど必要ありません」

「すっごーい、この子、堅苦しーい」

「仲良くしてやってね、アールグレイ」


 魔女なんて生まれて十年じゃまだまだ赤ん坊である。人間とは摩訶不思議だ。これはもう、小さな役人みたいな王子である。


「当分この王宮に滞在するから、どうぞよろしくね、リダス」

「こちらこそ、魔女どの」


 十歳の王子リダスはきびきびした動きで一礼し、あたしはソファーにぐてーんと寝転がったまま、吸いつくした葡萄の皮を皿の上に置いた。





 リダスはとっても馬鹿真面目な子どもで、あたしの嘘八百をすべて信じた。


「魔女は猫の生まれ変わりなのよん」

「なるほど、そうなのか」

「アールグレイって名前はね、あたしがお茶農家の軒先で生まれたから名付けられたのよ」

「なるほど、そういった理由だったのか」

「魔女が作る魔法薬の知識はね、世界樹の根元にある秘密の学校で学んだの。そこに辿り着くのは命がけなのよ」

「なるほど。アールグレイどのも命がけで頑張ったのだな」

「魔女はとっても長生きだけど、生涯に一人の魔女しか産まないの。なぜなら魔女は生涯でたった一度しか恋ができないようにできているから」

「なるほど。魔女にはそのような決まりがあるのか」


 リダスは地道な努力が好きなようだ。あたしが魔法薬作りの合間を縫って会いに行くと、いつでも眉間にしわを寄せて脳みそを使っている。もしくは体を酷使している。

 ある日は家庭教師を質問攻めにし、ある日は図書室で傍らに本を積み上げながら読書をし、ある日は剣術指導を受けて素振りを千回し、ある日は庭師について回って土まみれになりながら植物を調べ、ある日は乗馬の練習のために馬の世話に明け暮れ、ある日は中庭の大きな池で水練をしている。


「リダスはクソ真面目ねぇ」

「淑女がクソなどと口にするべきではない」

「あたしは魔女よ。好きなように言うわん。でもお望みなら言い直してあげる。うんこ真面目ねぇ」

「悪化したぞ、アールグレイ殿」


 リダスは飽きずに何年も何年も努力ばっかりやっていた。

 そのうちリダスの努力は実力になり、もう頑張らなくてもその能力を失うことはないだろうというところまで成長した。だけどリダスはやっぱり努力を止めなくて、毎日頭を使って体を酷使して、いつのまにか青年と呼ばれる生き物になった。


「そんなに頑張ってなにになりたいの、リダスは? お兄ちゃんたちから王位を簒奪しちゃう?」

「そんなことを、するわけがないだろう」


 十歳の頃はあんなにキンキンした高い声だったのに、たった数年でこんなに低い声になっちゃうなんて、人間って不思議ねぇ。


「なにになりたい、というわけではない。私の王族としての努力に日の目が当たらないまま私の人生が終われたら、それはこの国が平和だった証だろう」


 リダスはそう言って、穏やかに口元を緩めた。


「リダスが笑顔だわ! めずらしーい」

「私だって、笑うときは笑うぞ。機会がないだけで」


 末の王子であるリダスには、順当にいけば王の座が回ってくることはない。そのことを『平和』と喜ぶことの出来るこの子は、なかなかワルくない子に成長したじゃない、とあたしは思った。





 あたしはリダスを揶揄うのがおかしくて、気がついたらもう八年くらい王宮に逗留しちゃってた。

 その頃には以前の旅で集めた魔法薬の材料が底をつき、新薬も作りまくってしまって、そろそろ新しい旅に出ないといけない気がしていた。


 いつものあたしなら、思い立ったが吉日とばかりに旅へ出てしまうのに。なかなか王宮を出ていくことができない。

 それは王妃ちゃんとのお茶会が楽しすぎるせいでも、陛下からのもてなしが心地よすぎるからでも、使用人や国民からの「魔女様、魔法薬をありがとう」の感謝の気持ちが嬉しすぎるからでもなくて。

 なんだかなぁ。なんだか、この王宮から離れられないのよ。





「アールグレイ」


 王宮を囲う城壁の上で寝そべっていたら、リダスがやって来た。

 剣術の稽古をしていたのか、革の簡易鎧をつけ、腰に長剣を差している。彼の銀色の髪が風に揺れ、春の新芽のような黄緑色の瞳が陽光にキラキラと輝いていた。まるで雪の間から顔を出すフキノトウみたいな色合い。リダスはあんなに小さな子どもだったのに、もう立派な大人だ。

 あたしはぐてーんと寝転がったまま、リダスを見上げる。


「隣に腰掛けてもいいか?」


 相変わらず生真面目に尋ねてくるので、イヤだと断ったらリダスはどうするのだろう、とあたしは思う。

 なので思ったままに「イヤよん」と答えてみた。


「では仕方がない。私もアールグレイの隣に寝転がってもいいか?」


 そう来たかぁ。

 真面目過ぎるリダスのそのおばかな結論に、あたしは降参した。


「それならいいわよ」

「では、隣に失礼する」


 リダスは腰に差した長剣を外してから、少し離れた場所で寝転がった。

 あたしは仰向けだった体勢からぐるんと俯せになり、頬杖をついてリダスを眺める。

 いつの間にか青年になっちゃったリダスは、年頃の女の子たちにとても人気があるのらしい。王宮にやって来るご令嬢ちゃんたちがリダスの前でとっても緊張してモジモジしたり、侍女たちがリダスにお茶を運ぶのを楽しみにしていることを、あたしは何度も見かけてきた。そのたびにあたしはなんだかソワソワしちゃって、女の子といっしょに居るリダスの前に「やっほー、リダス!」と突入して行ってしまう。無駄に明るい笑顔、無駄に明るい声、そして本当にどうでもいいような話のネタを広げてしまう。

 あたしが突入して行くと、女の子たちはガッカリした表情をするけれど、リダスの表情は変わらない。あたしの前でも、女の子の前でも、キリっとした生真面目な顔をして、「今日はいったい何事だ、アールグレイ?」と尋ねるのだ。

 そして女の子たちはいつの間にか退散しちゃって、あたしはいつまでもリダスを揶揄う。そんな毎日。


「魔法薬の材料が底をついたと聞いた」


 リダスは寝転がってもちっともリラックスしていない顔で、そんなことを言う。この子、夜寝る時も仏頂面してるのかしらね? ぷぷぷ、簡単に想像出来ておかしい。


 あたしは頬杖をついたまま頭を左右にふらふら揺らし、リダスの質問に答える。


「ええ、そうよ」

「また旅に出るのか、あなたは?」


 もちろん決まってるじゃない、と答えようとして、何かが喉の奥に引っかかる。

 仕方なく、無言でニンマリとした笑顔を浮かべることで、あたしは肯定を示した。


「アールグレイ」


 リダスは大きくて無骨な手のひらを伸ばし、初めてあたしの髪に触れた。

 あたしのウェーブがかった紅茶色の髪を一束手に取ると、くるりと指先に絡める。


「旅から帰ってきたら、私と結婚してほしい」


 なに言ってんの?

 突然すぎやしない?

 あたしとリダスのあいだには艶めいた何かが生まれたことなんて一度もなくて、ただ毎日揶揄って遊んでいただけで、だってリダス、ほかの女の子に対してもあたしに対しても同じ態度じゃない。急に結婚とか言われたって。あたしは魔女よ。自由気ままな旅暮らしが好きなの。根を下ろして暮らす生き物じゃないの。というか、あたしとリダス、魔女と人間じゃない。寿命が全然違うわ。あなた、たった百年ぽっちの命なんでしょ? それなのに魔女と結婚? なにそれ、おかしな話ね。


 あたしはそんな感じのことを口にしようとした。はずだったのに。


「じゃあ、あたしのこと好きって言って」

「好きだ、アールグレイ」


 リダスのきっぱりとしたその一言は、すとんとあたしの真ん中を貫いた。

 自分からねだった言葉だったのに、リダスの言葉の真剣さがいつも通りすぎて、『ああ、この子、本気であたしを愛しちゃっているんだわ』、と彼の言葉を信じてしまった。疑う余地なんか、なんにもなかった。


 あたしの心はリダスの想いを受け入れて、もうどこにも行けなくなってしまった。

 ううん、ちょっと違う。

 あたしの心は見つけてしまったのだ。リダスの隣こそが、あたしの心が一番自由でいられる居場所だということに。


「ところでアールグレイ。魔女は生涯に一度しか恋ができないと、以前あなたから聞いたが。私があなたの初恋ということでいいのだろうか? 私とあなたのあいだに、魔女は生まれるのだろうか?」


 そんな適当なこと言ったかしらん? あたし、覚えてないわ。


 リダスが初恋であることが恥ずかしくて、あたしはすっとぼけて見せた。





 リダスのもとに帰ったら結婚だわん、と思うと旅に出たくなって、あたしはまた魔法薬の材料を探す旅に出た。リダスは「待っている」と手を振って見送ってくれたので、俄然やる気が出てきた。


 あたしは虹の滝で綺麗な水を汲み、夜行の森で光るキノコを採り、紅の砂漠でまぼろしの鳥の卵を手に入れて、巨人が暮らす山でたくさんの薬草を採取した。


 そしてマジックバッグはまだ半分以下だけどリダスのもとに帰ろうとしたら、小国が戦によって滅んでいた。





 リダスや王妃ちゃんがのんびり暮らす小国に戦を仕掛けてきたのは、いつだったかあたしを専属魔女にしようとして睡眠薬の入りの料理を食べさせた大国だった。

 あたしが居ない隙に、小国の王宮にある魔法薬を手に入れたかったそうだ。あたしが作る魔法薬はとっても価値があるものばかりだし、新薬も多かった。小国の民たちが必要なときにだけ分け与えていたので、国外には滅多に出回らなかった。大国はそれが腹立たしかったみたい。

 それで大国は大軍を率いて、とつぜん小国に戦を仕掛けたらしい。

 ……リダスは、いつもばかみたいに真面目に王族としての役目をまっとうしようとしていたあの子は、勝てる見込みもないのに軍を率いて戦場に向かって行ったんだって。それが自分の生まれた意味だから、と。

 どこまでもクソ真面目ね。リダスらしい。あなたらしさを愛していたけれど、あなたらしさがこの上なく憎い。


 これは全部、生き残った小国の人たちから聞いた話だ。

 王宮はめちゃくちゃで、どこもかしこも血がしみ込んでいて、天井にまで血痕が飛んでいる。王妃ちゃんも陛下も、ほかの王子ちゃんたちもみんな死んでしまった。あたしの魔法薬はすべて回収されて、研究資料も道具もすっからかん。


 こんなの許せないわよねぇ?

 許す必要もないわよねぇ?


 あたしは何もかも壊された王宮の跡から飛び出すと、その足で大国に向かった。

 そして大国のお城で、あたしは殺したい人間を好きなだけ殺した。戦を仕掛けたやつも、それを許可したやつも、みんなみんな消してやった。

 結果、あたしは『善き魔女アールグレイ』ではなくなり、『悪しき魔女アールグレイ』として人間から畏怖される魔女になった。





 びゅおおおおおお。びゅおおおおおお。

 塔の外はもう百年くらい猛吹雪で、荒れに荒れている。

 あたしが大国の人間たちを五十人くらい血祭りにしてから、あたしの魔力は狂ってしまって、今では自分の周囲を氷漬けにしている。毎日が冬だ。


 あたしはもはや旅にも行けず、人間の側でも暮らせず(というかもはや暮らす気にもなれない)、大陸の端っこの険しい山脈にそびえ立つ高い塔で、自分の狂った魔力がもたらす雪から冬籠りをしている。魔法薬なんてもう作ってない。

 一日中パジャマ姿で暖炉の前に寝転がり、もう何千回も読み返した本をまた読んだり、串に刺したマシュマロを焼いて食べる日々だ。「寝ながら物を食べるな」と生真面目に言うリダスはもうどこにもおらず、「新しいドレスを作りましょう」と言ってくれる王妃ちゃんもいない。あたしのことを「アールグレイ」と呼んでくれる人もいない。

 昔あたしには、異世界を覗いてばかりいる知人がいた。あたしが紅茶ばかり飲むから、アールグレイと渾名を付けてくれた。あの知人だって、とっくの大昔に亡くなっている。

 人間は弱っちい。どうせあたしより早く死んじゃう。そのくせ強欲であたしの魔法を羨んで、奪おうとして、けっきょく返り討ちに遭って死んじゃう。どうせ死んじゃうんだからもっと愉快なことだけしましょーよ、とあたしは思う。

 もう頭の中はずっとぐちゃぐちゃだ。復讐してスッキリした部分はあっても、けっきょくリダスたちを失った悲しみはなんにも癒されない。ああ、大国のあのクソ皇子、ケツの穴に人喰いウナギでも突っ込んで、もっと苦しめてから殺せばよかったわ。

 そういえばあたしの本名って、なんだったかしらん?


 孤独はあたしの自由な魂を凍らせる。動かないのにずっとマシュマロばかり食べている。ずっと眠っている。最近掃除をしていないから、部屋の隅にわたぼこりが見えるわん。名前を付けたらペットになるかしら。


 ゴォォォォォンッッッ!!!!


 物凄い音が窓の辺りから聞こえてきた。雪がすごいから窓には木の覆いがされているのだけど、なにかが猛吹雪と一緒に飛んできたのか、窓が木っ端みじんに破壊されていた。

 破られた窓から雪と風のパレードが押し寄せてくる。暖炉の炎が吹き消され、わたぼこりちゃんも吹っ飛ばされて、あたしは仕方なく体を起こした。もう塔が破壊されないと、床から起き上がれないレベルなのね。


 二重に履いた靴下でもそもそ窓辺に近寄ると、大きな氷の塊が床に落ちている。これが窓を壊したのね。


「……アールグレイ!」


 猛吹雪のあいだから、聞こえるはずのない声が聞こえてくる。

 びっくりして塔の外を見下ろすと、一面の銀世界の中にぽつんと立っている一人の人間が見えた。人間の側には氷の塊が大量に積んであって、どうやらあたしの塔に投げつけていたらしい。

 人間は雪猪の毛皮のコートをもこもこと着込み、長毛山羊の毛糸で編まれた帽子と襟巻で完全防備をしていて、その顔はほとんど見えなかった。

 でも寒さに真っ赤になっている額とか、帽子の隙間からちょろっと覗く銀色の前髪だとか、フキノトウみたいな黄緑色の瞳だとか。―――世界海溝みたいに深い眉間のしわだとか。


 忘れようもない人間が、この永遠の冬の山にやって来ていた。


「いい加減、私のもとに帰って来い」

「……はーい!」


 あたしの知らないうちに、長生きな魔女と生きるために自身に『転生の呪い』という禁術をかけていたらしいリダスが、本当に呪われて生まれ変わって会いに来た。そしてあたしに向かって、大きく両手をひろげる。

 あたしはパジャマに二枚重ねの靴下姿という、好きな人に会うにはあんまりにもあんまりな格好だったけれど、お洒落している暇もないし、そのままのあたしで塔の壊れた窓から飛び降りた。

 ぴょーんっと飛び降りているあいだに猛吹雪は止んで、みるみるうちに雪と氷が解けて、山は一面若葉におおわれる。久しぶりの青空はとても眩しかった。


 あたしの世界にまた、春が巡って来た。

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