第2話 秋風の噂(2)

 小ぶりだがつやの良いリンゴを買い求め、丁寧に篭の中へと納めていたリタがふと思い出したように笑った。


「それにしても、帰ってきたとたんに『アンティは女の子じゃった!』って叫んで部屋の片づけを始めて。エルってば、しっかりしてるように見えてやっぱりどこか抜けてるのよね」

 リタの手から重みの増した篭を受け取ったラウエルは不思議そうに尋ねた。

「君は驚かなかったのだ?」

「最初に会った時にずいぶん可愛い男の子だなって思ってたから、そこまでは。それよりも、ずっと一緒にいたのに全然気づいてなかったっていうエルの方に驚いちゃった」

 トレンスキーが聞けば少なからず傷つくようなことをさらりと言って、リタは次の店に目を移した。


 そこは干した果物を量り売りする店だった。初夏の頃に採れた杏や野いちご、それに色とりどりの干しブドウなどがずらりと並んでいる。

「アンティ、たしか干しイチゴとか好きだったわよね。焼き菓子に入れてあげようかな……」

 目を細めたリタが並べられた品物をゆっくりと吟味し、その後ろでリンゴの篭を持ったラウエルが静かに佇む。若い恋人たちの買い物だと思ったのだろう、白いひげを蓄えた初老の店主は二人を微笑ましげに眺めていた。


 だいだいの瞳に真剣な表情を浮かべていたリタは、やがてぱっと笑顔を浮かべて店主に声をかけた。

「イチゴを一袋と、こっちの二つを半分ずつ入れてください」

「はいよぉ」

 店主はにこにこと笑いながら返事をすると、ゆるりとした手つきで秤に手を伸ばした。


 品物を量って包む間、店主はおっとりとリタに話しかけた。

「イルルカには久しぶりに寄ったが、やはりここは過ごしやすいね」

「そうですね、特に今はちょうど良い気候で」

「カルバラ行きの客が減ったのは惜しいが、ここにはここの良さがある。うわさじゃあサリエートも退治されたそうだし、来年には客足も戻るといいねえ」

 店主の言葉に、店頭にしゃがみ込んだリタも笑って頷く。

「本当に。招来獣しょうらいじゅうはまだ怖いけど、フィリエル工房のみなさんも私たちのために頑張ってくれたんですね」

 和やかに話す二人の後ろで、ラウエルが秋晴れの空を見上げる。


 ”白のサリエート”がフィリエル招来術しょうらいじゅつ工房率いる招来術師しょうらいじゅつしたちによって討伐されたという触れが出たのは二か月ほど前のことだ。”黒のグラスメア”も遠い北の地で退治されたとの話もあり、五年経ってようやく、人々はアーフェンレイト後の混乱を抜けたという実感を得たのだった。


「まあ、まだ招来獣も全部消えたわけじゃあないがね」

 干し果実を一すくい多めに袋に入れた店主はひげに手を当てながら言った。

「アルニア領じゃあ、今さらになって招来獣の被害が増えてるって話だしなぁ」

「アルニア領で?」

 袋を受け取ったリタが怪訝けげんそうな顔をした。


 クーウェルコルト中部に位置するアルニア領は、アーフェンレイトからずいぶんと距離がある。周囲を他領に囲まれた内陸の土地で、海を渡って招来獣が行き着くようなこともないはずだ。

「変なの。エトラ領ここやクルディア領じゃなくて、そこだけに招来獣が出るなんて」

「うわさだがね、隣のマーレン領からやってきてるんじゃないかって話さ」

 ひげから手を離した店主は声をひそめながら言った。

「なんでも、聖都クウェンティスから逃げた招来術師のシウル・フィーリスがね。恨みを晴らすために、マーレン領主と結託して再び招来獣を創りはじめたとか。そんな話が出てるんだよ」

「やだ、怖い。クウェンもやっと落ち着いてきたのに」


 顔を曇らせたリタの背後で、がたりと荷物の落ちる音がした。振り返ったリタの目に、篭からこぼれて道に散らばるリンゴたちが映る。


「あ、大変……っ」

 慌てて立ち上がったリタはすぐに転がるリンゴを追いかけた。

 さいわい遠くに散ることもなく、リタはすぐに全てのリンゴを拾い上げることができた。大きな傷ができていないかを確かめ、元通り篭の中へと戻そうとしたリタは、ふと不思議そうな顔で顔を上げた。

 いつもなら誰よりも先に反応するはずのラウエルが、篭の側で立ちつくしたままだったのだ。


「ラウエルさん?」


 立ち上がってラウエルの顔をのぞき込んだリタは目を見開く。

 普段は表情の薄い彼の顔に、溢れんばかりの驚きの色が浮かんでいた。

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四精術師と救世の翼 上杉きくの @cruniwve

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