目の前の君を。

ぺとり。

誰よりも。


「似合わな過ぎ…」

 目の前に居る七瀬陽奈が、何度目か分からない溜め息をつく。こっちが黙って聞いてあげるのを良い事に、あたしと顔を合わせる度に溜め息をつくの、本当に辞めて欲しいんだけど。笑顔が似合うあんたは、馬鹿みたいに笑ってれば良いのよ、なんてあたしのアドバイスはあんたには聞こえないんでしょうね。

「もう、こんな時間!?メイク間に合わないよ~…中途半端な顔で、先輩に会いたくないな~」

 時計は陽奈の気持ち何かお構い無しに、午前8時を告げる。あたしの前にメイク道具を散らかしたまま、ドアを乱暴に閉める陽奈の後ろ姿は、何だか昔よりやつれて映った。


 可愛らしいピンクのメイクが好きだったあんたが、オレンジのリップを買って来た時、本当に驚いたわ。でも、あたしが本当に驚いたのは、恋愛より友達が大切だ、なんて言ってたあんたが、恋する乙女の顔をしてた事よ。勿論、最初は応援してた。あんたが泣く事が増える迄はね。

 今だって、学校を早退して、泣くのを必死に堪え、あたしを睨むあんたを見たら、その恋を反対せざるを得ないじゃない。

「可愛く、ないもんね、仕方ない、よね…」

「私には、好きになる資格、無かったんだ」

 堪え切れなくなったのか、あたしを見つめて、ぽろぽろと涙を溢す陽奈。辞めて、泣かないで。泣いたらあたし迄泣かなくちゃいけないじゃない。お願いだから笑ってよ、そんなあたしの願いは届かない。当たり前よね、だってあたしは鏡の中のあんただもん。あんたの真似しか出来ないあたしは、陽奈の傷ついた心は癒せない。何も出来ない無力さに、物には無いはずの心がぎゅ、っと痛んだ。


 暫くの間、泣き顔の陽奈とあたしが睨めっこしていると、突然スマホに通知が入った。

 陽奈も、あたしもびっくりした様にスマホの方を見る。どうやら、友達から連絡が有ったらしい。早退した陽奈を心配し、体調が良くなれば遊びに行こう、というメール。そのメールを見た瞬間、あたしの涙は止まって、頬が緩む。

 どうやら、陽奈を心配する様子は無いようね。あんたの事だから大丈夫、とは思ってたけど今回はヒヤヒヤしたわ。まったく、人騒がせな子ね。

 

 バタバタ、と部屋を出ていった後、タオルで顔を拭きながらあたしの前に座る陽奈。ファンデーションを塗って、ピンク色のアイシャドウを塗る。前の誰かの好みに合わせたメイクより、あんたの好みを全面に押し出した様なメイク、あたしは好みよ。だって、表情が全然違うんだもん。今のあんた、笑顔で可愛い。


「目腫れちゃった…けど超良い感じ」

 何時もより満足そうに微笑むあんたを見て、あたしも目を細める。誰よりも可愛いあんたの笑み何か見たら、誰でもころっと恋に落ちちゃうわ。安心して、世界一可愛いあたしが保証してあげるから。だから、あんたは馬鹿みたいに笑ってれば良いのよ。


 あたしの前に散らかしてたメイク道具達を片付けて、丁寧に部屋のドアを閉める陽奈の横顔は、誰よりも輝いて映った。


 


 

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目の前の君を。 ぺとり。 @Petrichor_

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