赤い着物の女
めへ
赤い着物の女
野洲川で、夜になると赤い着物の女の霊が現れる。そんな噂を聞いて、僕は夏休み期間中に野洲川の畔でソロキャンする事にした。
普通は複数人で来るものなのだろうが、僕は心霊やオカルト関係の話が好きなのに、友人は皆そうした話に眉をひそめる者ばかりなのである。
類は友を呼ぶと聞くが、僕には類友ができたためしが無い。
そういうわけで、元々趣味でもあるソロキャンを兼ねて、ちょっとした心霊スポットで冒険する事にした。
野洲川の畔に夕方頃到着し、テントを建てあれこれしていたら、気付くと空が赤く染まっている。
真夏でも日の落ちる夕方、特に水辺は涼しい。川と木々の瑞々しい香りと、山岳の冷たい風が心地良かった。
椅子に座り、珈琲を飲みつつ夕焼けを眺めながら、僕は野洲川に現れるという赤い着物の女に関する情報を思い出していた。
昔、野洲川の氾濫で度々酷い被害を受けていた頃の話である。宣託にて、この川の氾濫は大蛇が引き起こしていると出た。そして村の地主の娘、愛を差し出せば川は治まると言う。
村は愛を人身御供として差し出し、それ以来野洲川は治まり、人々の暮らしに危害を加える事にならなくなったという。
そして野洲川に夜、現れる赤い着物の女は、その愛ではないかと推測されているのだ。
周囲は日が暮れ、蝉の鳴き声も静まり、川のせせらぎと葉のざわめきのみとなった。
焚火に木をくべながら「そろそろかな?」と思って、しかしどうせ何も無いだろうと思いながら川の方へ目を向けると、そこには思いがけず人影があった。
川の中央から後ろ辺りに立っている、一人分の人影だ。遠いのでよく見えないが、長い髪に着物姿である事は分かる。そして着物は赤く発光していた。
どう考えても、この世の者ではない。
霊はそこから動き出す気配は無く、しばらくすると少しずつ濃度が薄くなるようにして消えていった。
「愛だ…まさか本当に出るなんて。」
僕は早々にテントを畳み、荷物を車に積むとそこから離れた。向かった先は自宅ではなく、愛が祀られている「愛の方明神社」である。
守山市にある神宮神社という、わりと大きな神社の裏の、民家の中にあるその神社は夜闇のせいか不気味に感じられる。
ここへわざわざ足を運んだのは、愛の祟りが怖かったからだ。
愛の怨霊を目撃した事で、ひょっとしたら憑かれたりするかもしれない。なので、ここでお参りし勘弁してもらおうと思った。
小さな祠に向かって手を合わせ目を閉じ「すみません、すみません、憑かないでください…」と呟いていると、祠の裏から何かが這うような音が聞こえてくる。
「まさか愛?!貞子みたいに這いながら、こちらへ向かってきているのか?!」
恐怖のあまり凍り付いていると、やがてそいつはニュッと祠から姿を現した。
それは愛ではなく、大蛇の首だった。頭はおそらくサッカーボール以上もある大蛇が、こちらを見ている。鱗が月明かりに照らされ、白く光っていた。
――あああ…食われる…
固まっていると、大蛇が小さく口を開き言葉を発した。
「何だお前は、見ない顔だな。ユーチューバーか何かか?」
――ユーチューバー?!大蛇がユーチューバーとか知ってるのか?!そして喋れる?!
「ぼ、ぼ僕は…愛さんの祟りが怖くて、それでお参りに…」
「愛?ここで祀られている愛の事か?何でお前に祟るんだ?」
「ひょっとして、昔愛さんを所望された大蛇ですか?あなたは。」
「…何かそういう事になっとるねえ…」
大蛇はやれやれという風に溜息をつくと、体をもう少し前に出した。大蛇の体長はどれくらいあるのだろうか、先が背後の竹林まで続いており、闇に隠れて見えない。
「違うんですか?」
「違うに決まってる。そんなもん貰ってどうすんだ。そもそも川の氾濫だってわしがやった事じゃなかった…わしにそんな力は無い。」
「それは…とんだ濡れ衣ですね。でも、愛さんを人身御供に捧げた事で、川の氾濫は治まったんですよね?って事は大蛇さん以外の誰かが川を氾濫させて、愛さんを所望したって事ですか?」
「治まらんかったよ。だから村人達は愛の祟りだと言って、この神社に祀ったんじゃ。
川の氾濫はわしでもないし、誰によるものでもない。愛を所望したという宣託も、占い師だか宮司だかが幻聴でも聞いたんじゃろ。」
「そうだったんだ…そりゃ、愛さんも祟りたくなるだろうな…」
「いや、愛の祟りでもないね。愛はあの後、堺の方へ奉公にいったからね。結婚して子供が産まれたとか言ってたな…まあ、もちろんとっくに死んではいるが、祟ったりはせんだろうよ。」
「えっ?!何で?!人身御供として埋められたんじゃ…」
「わしのせいではないとは言え、気ぃ悪いからな。掘り出して助けてやったんじゃが、村に帰っても居場所は無いと言うし、里に帰るわけにもいかないと言うからな、友人に頼んで堺へ奉公に出したんじゃ。」
「里?愛さんは当時ここの地主であった奥野忠左衛門の娘なんじゃ…?」
「そんなわけないじゃろ、愛は美濃から奉公に来ていた奥野家の使用人じゃよ。」
「あ、そういやそんな説もあるって書いてあったな…そりゃそうか、地主の娘が人身御供になるわけないよな…そして、よそ者の女であればスケープゴートになり易いだろう。
それにしても、大蛇さんて大阪にそんな友人いたんだね。」
「長生きしとるからな、それなりに顔は広い。」
「じゃあ、僕が見た赤い着物の女は愛さんじゃなかったんだ…何だったんだろう?」
「さてな、それに愛は赤い着物なんぞ着ていなかったぞ。」
大蛇も、僕も首を傾げるばかりだった。
☆
数日後、今度は2人の友人を連れて前と同じ場所でキャンプをした。
友人は2人ともオカルトに興味が無かったが、キャンプは好きなので、心霊現象の事は伏せて連れて来たのだ。
日が暮れて、バーべーキューの片づけを終え焚火を囲みながら珈琲を飲んでいる時、僕は2人に心霊現象について話した。
「おい、やめろってそんな話…」
「いやいや、出るわけないじゃん、大丈夫だろ。」
3人でいる心強さからか、2人にはそれほど怖がっている様子は無く、それは僕も同様だった。
そして、ふと川の方を見た2人の友人は表情を凍り付かせた。
「お、おい…あれって…」
「あ、ああ。」
朝になってから、落ち着いた様子の2人に何を見たのかを尋ねると、2人とも「軍服姿の男が突っ立っていた」と言う。
やはりそうか、と僕は確信した。
友人2人には心霊現象について「川の中で佇む、日本軍兵士の霊が現れる」と言っておいたのだ。
因みに僕の目には、野洲川の景色しか見えなかった。
この川ではきっと、見えると思い込んだものが見える仕様になっている。それが一体、誰のどのような力によるものかは分からない。
赤い着物の女 めへ @me_he
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます