エロ本少年 VS. 死神

かぎろ

📖❤

 真夏の太陽の下、ぼくは隣町の本屋を見上げた。

 日曜日の昼前だった。学校の宿題はこの日のためにとっとと終わらせてある。自転車をこいで三十分。夏の炎天下を走るのはきつかったけれど、ここへは必ず来なくてはならなかった。

 大人の階段を上るために。


「行くぞ……」


 自動ドアを通って、冷房の効いた店内に入る。

 本屋の中は広い。いつも通り、話題の本が置かれた棚が迎えてくれて、その奥には、雑誌コーナーや小説コーナー、漫画や文房具などが並んでいる。至ってふつうの本屋だ。

 このくらいの品揃えなら、ぼくの住む町の本屋にも同じくらいのものはある。


 だったらどうして、ぼくはこの隣町まで来てこの本屋を選んだのか?


 ぼくはずんずんと本屋の奥へと歩く。時代小説コーナーをスルーして、一般文芸コーナーをスルーして、そして……ライトノベルコーナーで足を止める。電撃文庫やらガガガ文庫やらの棚をそれとなく眺めつつ、視線を横にやった。

 ラノベの棚の端、僅かなスペースに、その一冊はある……!


 ぼくはあえてタイトルを頭のなかで読み上げる!

 覚悟を決めるために!


『転生したらおっぱいがいっぱいだった件③ ~えちちサキュバスお姉さん~』


 ぼくは目にもとまらぬ速さでそのエロラノベを手に取り、音速を超える動作で別の本を上に乗せて表紙を隠した。

 よし。

 あとは男性店員がレジに来たところを見計らって、買うだけだ。


 ――――隣町の本屋。知人友人が誰も来ないここでなら、安全にエロ本を買うことができる。もちろん女性店員がレジ打ちをしていたら、という危険はあるけれど、今週のこの時間帯はやる気のなさそうな男性店員がレジ係だ。

 今回も楽勝だな。

 ぼくは堂々とレジに向かおうと足を踏み出す。


 そこで自動ドアの開閉とともに、絶望がやってきた。


「あ、涼しいわね!」

「エアコンめっちゃきいてるー!」

「もー汗だくなんですけどー」


 ぼくは素早くラノベ棚の陰に身を隠す。


(う……うそだろ……なんで……)


 なんでクラスの女子三人組がここに!?


 様子を窺う。やはり間違いない。

 滝、相原、小野田。

 ぼくの通う六年一組でカースト上位に位置する、陰では〝クイーン〟と呼ばれ疎まれている三人の女子だ。


「鬼滅の新しいやつあるかしら?」

「なかったらだるいねー」

「せっかく電車でこんな田舎まで来たんだから、あってほしいしー」


 売り切れ続出の人気作を求めてこの本屋まで来たようだ。残念だったな、鬼滅の最新刊はいまぼくが持っている。しかもこれが店内で最後の一冊。エロ本を隠すために使っているぜ……


(……!)


 唐突に思い出して、ぼくは財布を開ける。

 ……ない。

 千円札一枚しか……エロ本一冊分のお金しか、ない!

 つまり……エロ本を鬼滅で隠さず、剥き出しのままレジに持っていくしか……!


「そんでさー、田村がやばくてさー」

「ウケるー」


(ま、まずい。こっちに来ようとしているッ!)


 〝クイーン〟たちに見つかれば確実に絡まれる。そうなればどうなるか?

 ただでさえ面倒くさいのに、エロ本を持っているところを見つかれば、ぼくは社会的に死ぬ!


(……だがッ!)


 逃げるという選択肢はない。

 ぼくは夜な夜なあれこれしながら、転生したらおっぱいがいっぱいだった件③ ~えちちサキュバスお姉さん~を手に入れるこの日をずっと待っていたのだから!


 これは隠密作戦スニーキング・ミッションッ!


「じゃ、わたしは小説見てくる。ふたりは漫画探すでしょ?」

「うん、探してるわね」

「あるかなー鬼滅」


 ぼくは後ろ手にエロ本を隠しつつ、棚の陰から向こうを見る。どうやら敵は二手に分かれたようだ。二人は少し逸れて漫画コーナーに行ったが、一人はこちらへ近づいてくる。


 ……いいだろう。見つからずに任務を完遂してみせる。

 レジへはどうやって行く。脳裏に浮かべる、無数の道順。

 導き出した。

 遠回りにはなるが、文房具コーナーの方へ回ってからレジに向かおう。


 ぼくは一旦棚ひとつ分後退して、こちらへ来た一人の方から身を隠す。来たのは小野田だ。く……いきなりクイーンのなかでもやっかいな、一番ねちねちした奴が来た。

 だが……一人ならば問題は……


「あっ、しゅうくん! 勝手に走んなしー!」


 何ィーッッ!?


 幼稚園生ほどの幼子がこちらへ向かってきているッ!?


 思わぬ刺客! 敵は三人だったはずではッ!? 背が低すぎて、最初は棚に隠れて見えなかったとでもいうのかッ!?


「もー、しゅうくん、お店のなかで走っちゃだめでしょー?」


 暴走した園児が小野田に捕まえられて、お世話をされている。

 ……ぼくの、すぐ背後で。


(くッ……なぜこんなことに!)


 小野田が後ろを振り向けば、すぐさまぼくは目撃される。そしてぼくの手の、エロ本も……


「……あれ? そこにいるのって……」


 社会的死神タナトス

 その黒い影は大鎌を振り、そっとぼくの首元に突きつける。


「え、どうしてこんなところに……?」


 手に汗を握る。心臓が早鐘を打つ。死神の鎌が首の皮膚に食い込む。


「どうして、」


 刃が皮膚を裂き、ぼくは目を瞑り――――


「どうしてここに無惨様が!?」


 本棚の平積みの場所に無造作に置かれていた鬼滅の最新刊を手に取り、表紙のキャラを見て頬を赤らめている小野田を尻目に、ぼくは何食わぬ顔でその場を去った。


(鬼滅を囮にしたぜ……。どのみち、エロ本一冊しか買えないし、荷物が減って好都合。さて残るは……)


 漫画コーナーにいる、滝と、相原だ。

 だが文房具コーナーは漫画コーナーとは対角に位置する。ぼくは文房具ルートを使うから、問題はないだろう。

 どうやらぼくの勝利のようだ。

 鼻歌まじりにぼくは文房具コーナーに入る。

 つい、鬼滅のエンディング曲を口ずさんだ。戦いの終わりにふさわしいメロディだ。

 ……?

 なんだ、この違和感は……。

 ぼくの鼻歌の、音程が合わない。

 ふつうにうたっているだけなんだが、なんかこう……不協和音になっている。

 いったい、これは?

 ぼくは足を止めた。


 音痴の相原が、文房具コーナーで、ぼくと同じ曲を口ずさみながら歩いている。


「な……!」

「ん?」


 声を上げそうになって、相原がこちらを向く。その時には既に、ぼくは棚の後ろへ隠れている。

 見つかってない……よな?

 どうしてこいつがここに……

 いや……そうか! 相原は極度の方向音痴でもある。滝と何かの理由で別れた後、店内で迷子になったのではッ!?


「おーい、相原ー!」

(ばかな!? 棚の向こう側から来るのは――)


 滝……! 相原を探しに来たとでもいうのか!?

 油断した……寸分の緩みが生死を分かつ。このままでは挟み討ちにされてしまうッ!


「あ、ななちゃーん! どこいってたのー?」

「どこいってたのーじゃないわよ! 迷子なのはあなたでしょ!?」


 どこに隠れる!? 棚の陰!? 否、ここは本屋の端、有効な隠れ場がない!

 棚の引き出し!? だめだ、中身が入っている! 駆け抜けるか!? 無理だ、リスクが大きすぎる!

 このままでは社会的死神に首を刎ねられる……!

 滝か、相原か、どちらかでも周囲を見回せばぼくは発見されてしまうッ!


「え、ななちゃんどこー?」


 そして遂に、相原の視線が完全にこちら側を向いたッ!


「……あ!」

「こっちよ相原!」

「いたー! ななちゃん!」

「……まったくもう。ところで……」

「んー?」

「さっき、ふつうに私服の人がスタッフオンリーの部屋に入っていかなかった?」

「そうだった? 私服けいびいんの人とかじゃない?」

「そうかしらね。まあ、だったらいいのだけど。ちなみに鬼滅はなかったわ。小野田と合流しましょ」

「うん!」


 ……相原の視線がこちら側を向いた時、ぼくは既に、関係者用出入り口に入っていた。すぐに扉は閉まったから、気づかれてはいまい。


 急に入ってきたことでそこにいた書店員の人が驚いていたが、なんとか適当に説明して事なきを得た。しばらくそこで待ち、頃合いを見計らって、関係者用の部屋から出る。


「……まずいな」


 三人組を見失った……。


「ああ、やっぱり新島じゃない」

「新島くんだー」

「新島、なにしてるし?」


 ……?


 何……だ?


 ぼくは横を振り返る。誰もいない。そのまま下を見る。


 滝。

 相原。

 小野田。


 三人がしゃがんで、棚の下の方に陳列された文房具を手に取って探しながら、こちらに気づいていた。


 ぼくは、エロ本を持ったままだ。


 血が噴き出す。


 社会的死神の鋭利な鎌が、ぼくの首元を半分、抉っている。


「新島もここにきてたのね。鬼滅探してるとか? ……ん? でも、その本は漫画じゃないわね。何? 『転生したら……」


 死神が今一度、大きく鎌を振りかぶった。

 ぼくは動けない。何もできない。

 もうできることは、何もない。


〈終ワリダ。……死ネ〉


 死神は血まみれの鎌を振り下ろす――――


「なぁ、死神……」


 そして――――


「『転ぱい』シリーズは……」

〈……ナニ?〉

「ぼくに、初めての感動をくれた本だ……。シリーズの第一作目、最初のもごもごシーンでヒロインのリルルが優しく手ほどきをしてくれる姿を見て、一生をこのヒロインに捧げようと誓った。それくらいに、大切なんだ……」

〈何ダ……!? 我ノ体ガ……動カナイ……!〉

「舐めるなよ……!」


 ぼくのブラウンの瞳が、死神を射抜く!


「リルルちゃんへ捧げたぼくの愛を。執念を! 舐めるんじゃあ、ない……ッ!」


「お客様、ちょっといいかな?」


 人影が現れ、クイーンたちに話しかけた。それは、ぼくがこの時のために呼んでおいた存在。クイーンたちは「は、はい……?」と戸惑っている。


「ええと、私は見ての通り書店員だけど、小学生の女子三人が何か困っていることがあるって聞いてね。それはお客様たちでお間違えないかい?」

「え? い、いえ別に……」

「そう? さっきスタッフの部屋に勝手に入ってきた男の子にそう言われたんだが……何だったんだろう?」

「し、知りませんよ。それより新島は……あれ? 新島?」


 声は遠ざかり、もう聞こえなくなった。

 店員を使った時間稼ぎは成功したようだ。


〈馬鹿ナ……! 我ガ、敗ケル、ダト……!?〉

「眠れ。欲望と羞恥の狭間でな……」


 死神が塵になって消えていくのを見届けて、ぼくは、振り返る。

 そこには本屋のレジがある。

 いろいろあったが、クイーンたちに見られた時にエロ本のタイトルは指で隠していたし、エロ本を買うことはバレないだろう。隣町の本屋に来ていたのはどうとでも誤魔化せる。


 ぼくの、勝ちだ。

 あとは凱旋を楽しもう。


「これください!」

「はい。カバーはお付けしますか?」

「つけてく、」


 ?


 ……ッッ!?


 ぼくはそのまま喋れなくなった。


 声が出せない。体が硬くなる。


 何だよ、これ。……嘘……だろ。


 どうしてだ。だって、さっきも確認した。安全なはず、だったんだ。


 何度も下見に来て、パターンを知って、だって、それで、だから。


「カバーお付けしますね。……ふふっ」


 ここにきて、どうして、どうして女性店員になっている……!?

 頭が真っ白になり、あたふたしているぼくに、女の店員は微笑みかけた。


「ほんとはキミみたいな子どもにこういうの売ったらだめなんだけど……」


 黒髪で片目を隠した、眼鏡の女性店員が、屈んでぼくに顔を近づける。

 こそこそ話をするように口元に片手を添えて、ぼくの耳元で囁いた。

 清楚な声が鼓膜をくすぐる。

 甘い吐息。


「特別、だよ?」


 そういうことがあってから黒髪メカクレ眼鏡女性上位ものしか使えなくなったんだよね。

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