時計の病心編 第6話


 もう日はとうに落ちていた。 

 あれからどれだけが経っただろうか。

 金髪の男──ラスタは額に汗を滲ませながら、辺りを警戒していた。

 

 ───弱ったな。想定よりもずっと手ごわいぞ。

 ラスタは敵の強さの目測を見誤ったことを後悔し始めていた。

 黒髪の男───セブンスもそれは同様だったようで、ラスタが合わせる背越しに、肩で息をしているらしいことが伺えた。


 ラスタは状況を再度確認する。

 最初にあの二人───ルッツとトポリに接敵した場所から大分離れたところまで来ていた。 

 まず───あの二人は地形を上手く利用して、木々を隠れ蓑にしながらありとあらゆる場所から攻撃を仕掛けてきた。

 だが最も厄介だったのは、その木々を隠れ蓑とした戦法ではなく───どうやってもトポリ=トトホリの姿を捉えることができなかったことだった。

 ルッツが飛び出してきたかと思えば、あり得ない方向から『謎の物体』が突如として飛来してくるのだ。

 その攻防を何度か繰り返した後、ラスタとセブンスは分の悪さを感じて開けている場所を探して走り出したのが、もう随分前のことだった。

 当然、その間もルッツによる死角からの攻撃と、トポリのものと思わしき謎の物体による攻撃は幾度となく加えられ、その間もルッツはともかく、トポリの姿を視認することはできなかった。

 ラスタは舌打ちしそうになったのを堪える。

 今は一瞬の気を散らすことも恐らくは許されてない。

 そんなラスタの状態を察したのか、セブンスが辺りを見回しながら口を開いた。

「………大丈夫か?」

「………こちらは問題ない。しかし、武器が使えないのはいささか厄介だな。」

 ラスタたちはトポリのものであろう『謎の物体』による攻撃を警戒して、必要以上に攻撃を加えられないでいた。

 相手が何を使っているのか分からない以上、下手に対処をしてしまえば手痛い反撃を喰らう可能性もあったからだ。

「奴の攻撃は見えたのか?」

 セブンスは多少投げやりにラスタにそう聞いてきた。

 ラスタは暗く、何も見えなくなりかけている森の先を睨みつける。

「見えたというわけじゃないが、予測通りなら面倒だな、とは思っている」

 ラスタの返答に、セブンスは「何?」と呟いた。

 ラスタはその小さ呟きを聞きながら、自身の得物──警棒のようなものを構える。

「今から正体を暴いてやるから待っていろ」

 ラスタがその言葉を発した時、突然、ラスタの頭上に不定形の黒い塊が鈍い金属音を立てながら現れた。

 ジャラジャラ、という音を立てて歪な形を取るそれは、ラスタたちを先程から襲っている『謎の物体』である。

 ラスタはそれを見ると、その場から弾かれるようにして走り出し、自らが持っている警棒のようなものについていたスイッチを押す。

 それを見たセブンスもその場から離れ、ラスタの様子を見守った。

 セブンスの視線の先で、ラスタの警棒の先端から光が弾け、火花が散った。

 それをラスタが黒い塊に向けると、激しい火花を散らしながら警棒の先端から今度は鋭い電撃が迸り、中に浮かぶ黒い塊に直撃した。

 黒い塊はそのまま電気を帯びると、放物線を描いて二人がいた場所にぐしゃっ、と音を立てて落ちた。

 その一部が落ちた反動で塊から剥がれ落ち、無数の黒い玉となって飛び散ってしまった。

「おわぁあ!?」

セブンスがそれを見て、自分の方へ飛んできた小さな黒い玉をとっさに避ける。

「なんつー調べ方してるんだ!?」

「死ななかったからいいじゃないか」

「いや、よくはねーよ! よくはないから!」

 あわや、高電圧の電撃を纏ったなにかに接触しかけたセブンスは余裕なくラスタにそう抗議したが、ラスタに返す余裕はない。

 ラスタは自分の足元の近くを転がる、黒い玉に目を向ける。

 まだわずかに電気を放出しながら転がる『それ』は、後から追うように転がってきたもう一つの玉が近づくと、「パチッ」と音を立てて『繋がって止まった』。

 同じく、それを見たセブンスが目を丸くする。

 二人はそれの『正体』を確信した。

 その瞬間、冷静な顔でそれを見ているラスタの影から一つの影が襲いかかった。

 脚を振り上げてラスタを狙い、蹴りを放ってきたのはルッツである。

 ラスタはそれを間一髪で避けたが、ルッツの足先が彼がいた場所を通り過ぎた瞬間、音を立てて光る何かが金髪の男の長い髪の一房の一部を攫った。

 ───こっちはこっちで、『ソルビレト製の暗器』とは……。

 ラスタはルッツがさらに放ってきた蹴りによる追撃を避けながら、ルッツが両手両足に仕込んでいるらしい刃の正体を見抜いた。

 『ソルビレトの暗器』。

 アストサウスから遥か北にある国からどうやって持ち込んだかは全く不明だが、相手が所持しているんだから仕方ない。

 かの武器は、どうやってかは分からないが、任意のタイミングでナイフほどの大きさの刃を専用の装具から飛び出させることができるものであるらしい。

 ただ、その装具とやらも暗器と名前がつくほどなので、決まった見た目はなく、どのような形状をしているかまではわからない。

 ルッツを見る限り、手首辺りと、靴の中に仕込んでいるという予測しかラスタにはつけられなかった。

 一方───セブンスは地面に横たわる黒い塊や、その塊から剥がれてバラバラに落ちた黒い玉がある方向にゆっくりと転がっていくのを目の当たりにした。

 それを追うように見てみた先で───大きな不定形の黒い塊が空中に形成されていくのが見える。


 セブンスは己の手にしているラスタと同じ警棒のような物を構えなおすと、スイッチを切り替える。

 警棒の先端が変わり、黒い面が浮き出た。

 それをセブンスが確認する間もなく、空中に浮かび上がる歪な黒い塊がセブンスに向かって飛来してきた。

 セブンスは警棒の先を向け、起動用のスイッチに指をかけ、それを押し込んだ。

 次の瞬間、黒い塊は硬い壁に当たったかのような音を立てて不可視の何かにぶつかり、残骸となって勢いよく飛び散った。

 黒い塊は無数の黒い玉となって、辺りに散らばり始めたのを見て、格闘を続けていたルッツとラスタがその場から離れる。


 そこで一度、すべての時が止まった。

 ラスタはついに体力の限界が来て、その場に膝をつきかけた。

 ここでそんな姿勢を見せてはいけない、という気力だけで立ち上がっているが、その顔は全く疲労を隠せてはおらず、額には先程よりも多く汗が滲んでいた。

 そんな彼とは対象的に、ルッツは優雅に姿勢を正し、飛び退いた勢いでしゃがんだままだった姿勢から、ゆっくりと立ち上がる。

 

 ───その顔には、ほんの少しの疲労も見られない。

 汗すら全く浮かんではおらず、ラスタは大きく息を吸い込んだ。

 …………『化け物』め。ラスタは心の中で悪態をついた。


 ラスタが動かないのを見て、ルッツはセブンスの方に目を向ける。

 セブンスの顔にもラスタと同じように色濃く疲労が浮かび上がっているのを見たルッツは眉を下げ、困ったように苦笑した。

「…………だから、取引をしましょう……と、ご提案させていただいたのです。私達にしても、今後の為を考えれば……とは思いますが、………出来うるならば、違う今後を検討したいものでして。」

 ラスタはその穏やかな口調から放たれた言葉の意味を理解せざるを得なかった。

 ───端的に言えば、『殺そうと思えば殺す』と言われたようなものだ。

 しかし、それをしないでも良い、という提案には流石に疑問を覚えた。

「………それは、我々が一考するに足るものか? こちらが苦し紛れの一言を言うくらいなら、そちらにとっても続けたほうがいいのは目に見えているだろう?」

 ラスタは首を小さく横に振った。

「……私も多少の覚悟はしてこの場に立っているものでな」

「覚悟、ですか……」

 ルッツは目を細める。

 ルッツの足元を黒い小さな玉が同じ方向へ向かっていくつも流れていき、一つの塊を形成していくと、それは歪な大きな塊を作り出す。

「………覚悟、ねぇ。」

 小さな手がその黒い塊を手に取った。

 今まで姿を見せていなかった、トポリである。

 トポリは怪訝そうな顔をラスタとセブンスに向けた。

「ボクには分からないなぁ。そこまでしてボク達が───」

 ルッツがトポリの方へ顔を向けた。

 トポリはそれに気がつくと、外方を向いて黙り込む。

 ………どうやら、ルッツは彼が余計なことを言おうとしたのを黙らせたらしい。

 睨みつけてこそいないし、顔は穏やかな笑みを浮かべたままであったが、トポリにとってはそれだけで意味を理解できるものだったようだった。

 ルッツは改めて、微笑みを変えないままラスタたちに向く。

「……………考えていただけるのなら、順番として私達の方から提供しましょう。」

 ルッツはわざとらしく人差し指を立てて見せる。

「あなた方の目的はおおよそ見当がついています。…………『端末』のことでしょう?」

 ラスタは動かない。

 だが、ルッツには彼の瞳がわずかに動き、セブンスの口が驚くように少しだけ開いたのが見えた。

「私共にも立場はありますので、大々的というわけにはいきませんが……いかがでしょう?」

 ルッツは綺麗な微笑みを浮かべる。

「…………」

 ラスタは無言で頭を振ると──セブンスを目掛けて横に飛んだ。

「───おぉおっ?!」

 ラスタはその勢いのままセブンスを抱えあげると、そのまま森の中に姿を消した。

 ルッツはそれを黙って見送り、彼らの姿が見えなくなると、緊張を解くように息を吐いた。

「………ふぅ、逃げられてしまいましたか」

「追っとく? 簡単そうだけど」

 黒い塊をどこかへしまい込んだトポリが、ルッツに近寄る。

「必要ないでしょう。恐らく彼らは今後、私達に接触してこないでしょうから。」

「んんー……」

 トポリは顔を顰めた。

「おや、不満そうですね。」

「だって、ボクの手の内が知られちゃったし……。仕方ないって分かってるんだけど、持ち帰られるのも癪なんだよね。」

「それは申し訳ないことをしました。」

「んや、いいよ、別に。」

 トポリは手のひらを振ってみせた。

「それより、何か分かったんでしょ?」

「ええ、勿論。トポリさんのおかげです」

「さっすがぁ! それで、どうなのさ?」

「彼らはおそらく……『テイオン教』の信徒たちで間違いないでしょう」

 ルッツの言葉に、トポリは笑顔のまま固まった。

 トポリの顔から徐々に笑みが消えていく。

 その目には何も映らず、感情を殺したような色が広がっていた。

 ただ、

「……ふーん、そう。」

 とだけ、呟いたトポリをルッツはただ見つめた。

「………でもなんでそんなのがここにいるのさ? ボクら、恨みを買うようなことしたっけ?」

 あからさまに不機嫌そうな声でトポリがそう問いかけてくるのを、ルッツはいつも通りに受け止めた。

「関係ないからこそここにいる……とは考えられませんか?」

「それはまた、何でさ?」

「私達が誰かのささくれにイタズラをしてしまったから……という妄想はいかがでしょうか?」

「………個人的な恨み?」

「……かと。」

 トポリは今度は困ったような顔をした。

「…………よりわからないなぁ。」

「………私に考えがあります。一先ず戻りましょう。それに……」

 ルッツはトポリの衣服を指さしながら、微笑む。

「血の匂いでも嗅ぎつけられたら、後が大変ですよ?」

「げ……」

 トポリは苦虫を噛み潰したような顔をしながら、自分の衣服を見た。

 彼自身は先程の戦いの最中では殆ど接敵をしなかったが、その前にササラギにつけられた怪我があったのだ。

 衣服のお陰もあって傍目から見れば怪我をしているかどうかなどはわからないが、僅かな血の匂いがしている。

 かつ、おそらく相手のものと思われる血の跡のようなものが、ルッツが指を指したあたりに存在していた。

 ───洗って落ちるかなぁ、この匂いと血。

「突然お風呂が恋しくなったよ……」

 真っ先にこれに食いつきそうな『獣』の顔を思い出し、トポリは心底嫌そうな顔をした。

 だが、そのトポリの顔は今度は呆けたようになった。

「……………」

 ルッツが何かを考えるように、唇に指を当てて立ち尽くしていた。

「…………どうしたの? まだなにか気になることがあったりする?」

「…………いえ、どちらにせよここでは答えが出ないことです。」

 ルッツは首を横に振る。

「………全く『ノムレス』とは、どこまでも厄介ですね。」

「? ………」

 ルッツの言葉の意味を捉えあぐねて、トポリは首を傾げた。





 森の中。

 

 月明かりも雲に隠れがちで、いつもよりも暗く、人が進むには適さないそこを、一人の男が歩いていた。

 その顔にはある種の険しさと緊張が浮かんでおり、『いつもの軽薄さ』はない。

 抜き身の刃をその手に構え、ただ歩き続けている。


 やがてその足元に、黒い斑点が現れ始めた。


 男が更に進めば進むほど、それは夥しいほど広がる黒い染みになっていく。

 男から見えているだろう足元の半分以上が、その謎の黒い染みに侵されていた。


 様子が違うのは、それだけではない。

 あたりの木々は所々割られ、不自然な穴を形成しているものすらある。

 まるで大型の動物でも怒り狂って暴れたのだろうか、それとも機械の固まりがこのあたりを蹂躙していったのか。

 そんなことを思いたくなるような光景が、進む男の周りを取り巻くように存在していた。


 雲が一時的に晴れ、その男の顔を浮かび上がらせる。

 ───その男は、イーハイ=トーヴであった。


 イーハイは、迷いなくその足をさらに暗闇の森の奥へと進めていく。

 だが、その足は見た目に反して、彼にとってはとてつもなく重いものだった。

 疲れているわけでも、暑くてだとか、運動をして、とかでもないのに───彼は手に収めた得物や、靴の中の足が汗で滑っていくような感覚を覚えた。

 その度に、彼は力を込めてそれらの存在を強く感じ取った。

 彼の体は震えていた。

 彼自身、その震えが何なのかを全く理解できていなかった。

 ただただ、『衝動』にも似たものに身を預け、足を動かしているだけである。


 その振戦がなぜ起こっているのか。

 それは、彼が全身に力を込めているからだろうか?

 それとも、恐怖か、武者震いなのか。

 何一つ、彼は理解していなかった。


 やがて、イーハイは一つの場所にたどり着く。

 もはや、イーハイの足元を支配しかけていた黒い染みは、そこにたどり着く頃には地面そのものの色と化していた。

 初めからそのような色だったかのように───黒一色となっていた。


 彼は、『音』を聞いてそこに立ち止まった。

 

 鈍い濁音、水音のようなもの。

 小さな風切り音、金属音。


 それが何度も、何度も彼の耳に届いた。

 

 イーハイは、ゆっくりと顔を上げる。

 イーハイの視線の先には、その足元に転がる『何か』に刃を突き刺したまま、佇む影が一つ。

 月明かりが二人の人物を照らし出す。

 影の足元にあったものは、『人のような何か』、だった。

 影は──その刃を至極適当に振り、物言わぬ躯の欠片を投げ捨てた。

 影は呆れたように肩を落とすと、今度はその躯に近寄り、徐ろにその躯に出来た穴に手を突っ込む。

 耳を塞ぎたくなるほど乱暴に、何かを引きちぎるような音がした。

 その音が終わると、影は自分の前にその手をやった。

 影の手には一つの、その影の手のひら程の大きさの石が握られている。

 影はそれをただ興味無さげに見つめたあと、自らの衣服についたポケットにしまった。

 

 そして、そのまま影が立ち去ろうとしたところを見て───イーハイは影の主を睨みつけた。


「………待て」


 低い声が、イーハイの喉から出た。

 ……しかし、そんな声が聞こえているのかいないのか───影の主の足は止まらない。

 イーハイは今度は、全身に力を込めた。


「待て!」


 森に響き渡るかのようなイーハイの大声に、影はようやく止まり………酷くゆっくりとした動作で、それはイーハイの方へ向いた。

 イーハイは、肩で大きく息をする。


「アンタを……逃すワケにはいかないんだ。…………『それ』、オレにくれるかな………?」

 イーハイの、剣を握る手に再び力が込められ、唇はある言葉を繋いだ。

「……兄さん」


 イーハイの問いかけに一瞥をくれた影の主は、その表情を変えないまま、影は再び前を向いて歩き出そうとする。

 イーハイの手が震える。

 今度は、間違いなく怒りの感情が彼に乗った。

 彼は両の手に持っていた得物を逆手に持ち変えると、影に向かって突進する───。


「ッ!?」

 イーハイの刃が影の背に届くかと思った瞬間、その刃は突如、彼の目の前に現れた別の刃に防がれていた。

 彼からは、本当に突然目の前に刃が映えたようにしか見えず、目を見開いて驚いた。

 背筋に嫌なものを感じたイーハイは、咄嗟に後ろに飛んで距離を取る。


 ………彼は、影の全身を再び見た。


 影は後ろ姿のままだった。

 イーハイが足を止めさせた時の姿勢のまま。

 その男は立っていた。


 一つだけ違うのは───影の主は刃を抜き、逆手に構えていた。

 影はゆっくりとイーハイのいる方へ体を向け始め、自分の獲物を握る手を見つめてから、イーハイに目を向けた。

 胡乱げな目がイーハイを捉える。

「……………」

 イーハイはもう一度構える。

 己の手が『震えている』ことに目を向けないままに。


 影の主───イーハイの兄。

 アストサウス警備隊が恐れる、『獣』。

 『イーギル=トーヴ』は口元を歪めて、嗤った。


「………足りねぇ。」

「………は…?」

「足りねぇ。」


 イーギルは、ただ嗤う。


「牙が足りねぇ。」


 一瞬。

 その言葉が、何よりもふさわしいだろう。

 己の発した言葉と共に───イーギルはイーハイの懐まで入り込んでいた。


 イーハイは、何もできない。

 己の認識よりも早く動くそれを、どう捕らえろと言うのだろうか。

 イーハイの目に、歪んだ『獣』の笑みが見えたと思った時。

 ───甲高くも重い、金属音が鳴った。

 

 イーハイの目の前に、見慣れた刃の先が、一つ。

 イーハイの腹に『獣』たるイーギルの牙が届く前に、それが受け止めていた。

 それは少しの間の鍔迫り合いのような状態を見せたあと、弾くように舞い上がった。


 イーギルがそれを迎撃するため、一度少し後ろに下がったと思うと、再び一陣の風を思わせるような動きで、『もう一人の妨害者』の相手をし始めた。


 一撃、二撃……三撃。

 金属音が、連続で森の中に木霊していく。


 影の男は奇襲してきた人物の繰り出す攻撃を難なく受け止めている。

 一方、奇襲と妨害を行った何者かは、何度かイーギルとの打ち合いの後にイーハイに攻撃や意識が向かわないことを悟ると、後ろに飛んで距離を取った。

 イーギルの目線はその人物に向けられた。

 イーギルは面白いものを見つけた時の子供のような顔で、その人物を見ていた。

 ………イーハイには、それが誰なのか。

 心が痛み、口が乾くほど理解していた。

 

 ───ナギサだった。


 ナギサはイーギルに向かって己の得物である薙刀の切っ先を向けながら、鋭く睨みつけていた。

 そんなナギサの瞳を、イーギルはただ見ている。

 ややあって、イーギルはまたニヤリと不気味な笑みを浮かべた。


「……ハッ、女の方が牙を持つなんてなァ。」

「…………畜生には畜生が相手をして欲しいものですが、……躾は人の手が必要のようですね」


 イーギルはナギサの言葉には反応せず───、唇を歪めてただ嗤う。


「────二人でも足りねぇ。」


 聞こえてきた『獣』の唸りにも似たそれに、ナギサは薙刀を持つ手に力を込める。


「まだ育たねえのか。」


 イーハイは、唇を引き結んだ。


 ───分かってる。……まだそう言われるって。

 ………いつもそうだ。

 いつもそう言って、オレに『何も無い』って顔をする。


 力を失いそうになるほど力んだ腕と手を動かし、イーハイは自らの持つ刃をイーギルに向けた。


「………今更、兄さんに……いや、お前なんかに言葉が通じるなんて思ってないよ………。………だから尚更、『それ』を持って行かせる訳にはいかないんだ………!」

 イーハイは唇を噛む。

「おかしいと思ったよ。いくらなんでも『回収が早すぎて』さ……!! お前なんだろ? ……ルッツさんに回収を命令したのはッ!!」

 イーハイは叫びながら、得物を持つ手に力を込めた。

 ………イーギルは冷めた目で、そんなイーハイを見る。

 イーギルはそのまま───飽きてしまったようにあくびをすると、己の武器をしまい込んで、二人を無視して歩き出した。

「……ッ!」

 イーハイは自分の頭に血が上るのを感じてすぐ、イーギルの背を追って飛び出そうと足を動かそうとしたが───止めた。

 彼の前に、両手を広げてナギサが立ちはだかったからだった。


「ナギサちゃ……」

「文句ならその手の震えを止められたらにしてもらえますか」


 イーハイは、そう言われて目を見開く。

 己の手に目を向けると、どうしようもないほどに震えていた。

 今や、冷静さを欠いて怒りに支配されていた彼は、目に見えた『現実』にその戦意を徐々に失わせた。

 次に彼は、もう一つの『現実』を目の当たりにした。


 ナギサの表情は歪んでいた。

 ………その顔が浮かべていたのは、紛れもない苦痛であった。

 ナギサが彼を止めようと広げた両の手は、片や酷く擦れて赤くなって、もう片方は血が滲んでいる。

 

 ───イーハイは、今度こそ自分の中からすべての力が抜け落ちたのを感じた。

 残ったものは、『後悔』だけだった。

 

 オレは、何をした。

 何をしようとした。

 教えろよ、『今、何ができたんだ』。

 オレには今、何が見えていた………?


 彼はゆっくりと、少しおぼつかない足取りで、ナギサの前に立った。

 そのまま彼女に腕を回し、彼女を胸の中に収めた。

「……ごめん、…………ごめん、ナギサ……」

 そう呟きながら、彼はナギサの肩に顔を埋めた。

 ナギサの赤くなった手が、イーハイの頭を優しく撫でる。


「本当に、貴方はバカです。史上最強に、バカです」

「……うん」

「今回は私達が間に合わなかった。そう考えましょう」

「…………」

「チナミが次の情報を掴んでいないか確かめましょう。どちらにせよ、時間がないことだけは確かなんですから」

 

 ───ああ。

 私こそ、酷いバカだわ。

 この人に負けず劣らず、私は………。

 この人を、駄目にしてはいけないのに。

 この人はきっと私の心配なんか、受け止める気がないのに。

 だから、だから……私は、この人を甘やかすのはしちゃいけないのよ。

 この人は、そんなことを……望んでない。

 

「………私達はようやく腰を上げたんです。しっかりしてください」


 ナギサはイーハイの背中を強めに叩いた。

 自分の傷だらけの手が傷んでも、ただただ彼の背を叩いた。


「……痛い。」

「……まったく。こんな時にこんなだから貴方はモテないんですよ」

「………だったらさ、ナギサちゃんが貰ってよ、オレのこと」


 ………ほら、今だって……。

 この人は、私のことを試してる。

 本当に、酷い人だ。

 きっと、分かってやってるんだもの。

 でも、私の答えは、決まってる。


「死んでも嫌です」


 私があなたの弱さになってはいけないから。




(続く)

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These Stones 小説版 @nixtians64

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