第4話 おみやげのフラペチーノ

 アパートに帰ると、2人のテーブルには何の記念日でもないのに、チョコレートクリームたっぷりのケーキが、しかもホールで、どんと乗っていた。

 もちろん、部屋の鍵や折れ曲がったダイレクトメールやシルバーリボンマークの付いた書類など、すべてがその横に置きっぱなしだ。


 少し溶けかけたイチゴのフラペチーノを見て、

「おー、かわいー、美味しそう」

と、翠ははしゃいだ。


 消毒して着替えて手を洗ってついでに洗濯機を回して、ようやくラグに座れた。


 僕は、帰り道でババと会ったこと、言われたことを、なにか悔恨を感じながら、ボソボソと翠に話した。


「…俺は、偏見を持ってるのかもしれない。

障がいっていうものに」


「そうかな?

違うと思うよ」


 翠は、ズーとフラペチーノをすすりながらテレビを点けた。


「私、障害の張本人じゃん。

小さいころから専門の療育も受けて、自分が発達障害で、どういう特性があるか、自分で分かってる。

 自分は障害がある、って、ちゃんと受け入れてるつもり。


 なんだけどー。

 改めて人から言われると、やっぱりモヤるよ。


 モヤモヤするし、ムッとするよ。

 ツムグくんのモヤるの、なんか分かる」


 空きっ腹に飲み込んだコーヒーは、黒い固まりのように引っ掛かりながら、食道を降りていく。


「…そっかな」

「いやホントに、言われることは正論なんだけどね~。

 障害あって、特別な才能があるんじゃ?とか言われるけど。

 そんなの、普通ないし。

 人よりできないことばっかりだし。

 クローズで仕事して、結局そのお店に迷惑かけちゃったり。


 助けてもらって、生きてる。

 だから、せめてできることを、まずはやらないとね、ってね。

 そうやって社会貢献しましょー、って」


 閉め忘れた窓から、夜のとばりが爪を立てるように染み込んでくる。


 僕は立って、薄汚れている掃き出し窓を、そっと閉めた。


「ババさんもね。

私のためを思って、言ってくれてるんだよ。

めっちゃ分かる」

「…。

 そんなもんか」


翠は、ガシガシとストローを差し直していた手を、ふっと止めた。


「分かるんだけどね。


じゃあ。

私のやってみたいことは?

私の可能性は?


ってね。

思っちゃうんだよね」


プラカップの中のピンク色のミルクが、ゆっくりと平らに沈んだ。


「私の人生なのに、全部正解が決まっちゃってて。

私の気持ちは、そこにない、みたいな。


障害があって、支援受けるなら。


やりたいことをやってみたい、って。

思っちゃいけないのかな。

そんな権利、ないのかな。


言っちゃいけないのかな。


 みたいな。

 モヤるんだ」


 ふいに喉がぐっと詰まり、瞼の裏が熱くなった。



 僕が、どうにもできないこと。


 誰のせいでもなく、誰も取りのぞけない、翠の内側の鉛色の核。


 僕が、翠の髪を結って、

 服も持ち物も忘れないように管理して…


 支えてきた、と思っていたことは。


 もしかしたら。


 結局、僕がモヤモヤしたババの言葉と、大差ないことだったんじゃないだろうか。


 翠のやってみたいことを、細かく奪っていたかもしれない。

 失敗する権利すら、奪っていたのかもしれない。


 翠のために、と思い。


 そうやって、お互いに気が付かないうちに、僕も。


 翠が自分で、生きたいように生きていく羽を、少しずつ折って、奪っていたのかもしれない。



「…みーちゃんのやりたいことを、やってみていいんだよ」


 翠の生きたいように、生きていいんだよ。



 僕は、埃の積もった棚に乱暴に手を伸ばした。

 そして、とっておきにとっておいた伝説のチェーンソー系ホラー映画をガサガサ引っ張り出して、翠の意向は聞かずに即プレイボタンを押す。


「ちょっとー。

なんでそれー?

なんで今日ー?」

「これホントにすごいから。あんまりグロくないから。必見だから」


 翠は、フラペチーノ飲めないじゃーん、とケラケラ笑いながら丸まっていた毛布にもぐりこんでしまった。


 僕はそれから、恐怖のチェーンソーのエンジン音とこってりしたチョコレートケーキとストロングゼロ2本でべろべろに酔っぱらってしまい、そのまま眠ってしまった。



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