第2話 翠のアルバイトのこと
成し遂げた本日の労役と、課せられた明日のタスク。それらをデスクに積み上げて、立て込んだ一日の仕事がやっと終わった。
なにやら逢魔が時のような、湿っぽく臭う夕暮れの道。
帰り道を駅へと歩きながら、僕はまた翠のことを考えていた。
アルバイトで、クビになるということ。
それは、想像するよりもずっと辛くて、落ち込むことだ。
と、翠を見ていると、つくづく思う。
翠本人は、こちらが想像するよりはるかに、地の底まで落ち込むけど、僕はそこまで不器用ではないから…想像することしかできない。
翠の最初のアルバイトは、舞台機材の搬入出だったけれど、3日目で、
「もう来なくていいです」
と言われて帰ってきた。
その日、
「いっぱい迷惑が掛からないうちに、やめることになって、よかったよね!いろいろ勉強させてもらったから、またなにか頑張ってみればいいよね!」
と、黒い思いを隠したい様子の翠は、へらへら笑いながらべらべらしゃべった。
アパート3階の踊り場は早春の夕闇でけむって、翠は下へと続く階段をじっと見ていた。
2週間後、翠の次のアルバイトが決まった。
僕はそれから毎日、翠の肩までの髪をとかして、丁寧に結った。
毎日、洗濯したてのシャツとパリッとしたきれいめのジーンズを用意した。
スマホ、ハンカチ、マスク、リップ、その他…翠がものを忘れないように、アラームもすべてセットした。
翠が朝食のパンを食べ、歯磨きをして出られるように、朝は定刻に起こした。
そうやって不器用な部分を僕が肩代わりして、きちんとして送り出したら。
そしたら。
多少失敗することがあっても、翠の良いところがアルバイト先にも分かるはずだと思った。
でも、2週間たって、
翠は2つ目のアルバイトのライブハウスから辞めさせられてしまった。
こぬか雨が弱々しく降る木曜日で、帰ってきた翠の髪は、細く湿っていた。
クビになったその夜、翠と僕は、缶チューハイを飲みながらベチャグロのホラー映画を見た。
といっても翠は、もはや笑えるほどの怖がりなので、
「おえー無理ー」
と騒ぎながら、映画は見ずに、分厚い毛布を頭からかぶって、その上からずっと耳をふさいでいた。
小さい頃からずっと、
あまりに忘れっぽく、
あまりに不器用で。
失敗ばかりの毎日だった、と、翠が呟いたことがある。
叱られたり、たまに罵倒されたり、そのたびに自己肯定感を削られて。
惨めさや悔しさを噛み締めて、
夜中になんとか崖を這い上がって。
か細い銀色の杖にすがって、ようやく立ち上がると、
すかさず始まる、重く新しい一日の朝。
翠は何度、
そんな夜を、くぐり抜けてきたのだろう。
翠の暗い夜を支える銀の杖は、
どうやって作られてきたのだろう。
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