第3話 ババと話したこと
駅の向かいのカフェに寄った僕は、ババと出くわした。
ババは、僕の幼なじみの女だ。
ババさんちの娘さんは、駅近のマンション住まいでバリバリ仕事をしているらしい、と、実家にいるときに聞いた。
そして、僕の勤める会社の最寄り駅が、ババのマンションの最寄り駅だった、と後で知った。
2年前から、障碍者就労支援の仕事をしている…と、半年ほど前にババ本人から聞いた。
ババはいつも、その仕事の専門性から、幼なじみの僕の近況より僕のルームメイトである翠のことが気になる様だった。
それで、2度ほど会ったことがあるだけの翠のことを、いつも詳しく聞きたがった。
翠は、その普通ではない困り感で、精神の障がい者手帳を持っている。
「翠ちゃん、その後バイト始めたの?」
「…いや、ちょっとやってみたけど、やめたらしい」
テイクアウトの黄色いランプの下で、ババが非難がましい目で僕を見た。
「ねえ、翠ちゃんさ…せっかく手帳も持ってるんだしさ。
やっぱり、クローズじゃなくてオープンで、障碍者枠でちゃんと働いた方がいいよ。
そしたら、職場で合理的配慮もしてもらえるし、無理せず長く働けるし。
ツムグから言ってあげなよ。
彼女のこと、大事に思ってるんでしょ?」
「…」
僕は詰まり、持ち帰りのミルクに手を伸ばした。
「クローズで働いて、怒られたり失敗したりして、精神病んで鬱とかなったら、その方がほんとに大変だし。
実際そういう人いっぱいいるよ」
「…うーん」
カウンターからにこやかに突き出された手提げ袋を、僕は目をそらして受け取った。
「ツムグは、障碍者就労に、もしかしたらイヤなイメージがあるかもしれないけど…。
でも、結局、仕事に失敗して傷ついたりすれば、余計にすごい遠回りになるんだよ。
働くこと自体が怖くなって、対人恐怖症になったり。
鬱になっても無理して悪化させたりさあ。
そしたら社会復帰だって難しくなっちゃうし。今、私が担当してる人たち、ほんとそういう人、多いから」
「…」
「そういう二次障害にならないように、ツムグが失敗させないようにしてあげた方がいい。
今は、企業でも少しずつ障碍者雇用の理解も進んできてるから。
事務の仕事とかなら、結構いいのが増えてきてるんだよ」
せっかくのコーヒーの香りが、鼻が慣れて薄まっていく。
「進むべき正解の道が、もう分ってるんだから。
そっちに進むのが、やっぱり絶対いいと思うな」
僕はふいに、怒りを感じた。
包んでもらったドリップコーヒーを、ババの頭にぶっかけてやりたい、という衝動に駆られた。
紙袋の中、コーヒーの隣のイチゴのフラペチーノが目に入った。
ぶっかけるのはやめることにした。
夕闇が押し寄せる。
そんじゃ、と手を上げて、僕は足早に、発車時刻が迫っている駅に急いだ。
◇◇◇◇◇
電車に揺られながら、僕はどんよりと、車窓の外に流れる夜を見ていた。
僕は、翠のことを、一緒にいる時間が長くなればなるほど、とても愛おしく思っている。
翠が手帳を持っていると聞いたときも、なにかショックには思った。
けれど結局、そんなことは僕の気持ちとは関係ない、と思った。
いろいろと本を読んでみたりして、翠の、はたからは分かりにくい障がいや特性について、勉強もしてみた。
障がい者手帳なんて、結構たくさんの人が持っている、ありふれたものだ、と知った。
知識をつけて、翠を支えたい、と思った。
自分の中には、もう、偏見はない、と思っていた。
ババの言ったことは、多分正しい。
専門家だし。
じゃあなんで、こんなにモヤるんだよ。
車両の中のくたびれた人々は、みんな押し黙ってスマホをさわっている。
支えたいってなんだよ。
どんだけ上から目線なんだよ僕は。
…必要とされたいだけ、なんだろ?
…僕に、翠を大事に思う資格は、あるのか?
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