第6話

 その日、皇紫苑は教室に入ってこなかった。前のようにぎりぎりで来るのかと思っていた私は、幾ら待っても入ってこない親友のことが心配だった。


 私は授業の休み時間に教室を抜け出し、使われていないトイレに入る。


 それから紫苑のスマートフォンに電話を入れる。着信音はするのに、出る気配がない。私は一度電話を切り、紫苑の自宅へと電話をかけた。


 暫くすると、紫苑に似た声色の人物が電話に出た。それでも、話し方的に紫苑ではない。つまりこの人は――


「――あの、私、皇紫苑さんの友達の高澤千夏と言います。皇さんのご自宅で間違いないですか?」


『え、ええ……紫苑は私の娘ですが……』


 やはり、母親だった。

 それを確認した私は、紫苑に変わってほしいと頼む。それでも、母親から返ってきた言葉は衝撃的で――


『紫苑なら学校へ向かいましたけど……?』


「えっ……」


 私の身体は固まってしまう。

 向かった……? 学校に……? でも、本人はまだ来ていない。


「そ、れは……数分前ですか?」


『いや、前と同じくらいの時間だったから、一限には間に合ってるはずよ』


「そう……ですか」


『紫苑に何かあったの?』


「いや、実は――」


 本当のことを話した方がいいのか。そう思いながら口を開いたその時――


「人が血を流して倒れてるって! 警察! 警察と救急車! 急いで……!!」


 聞きたくない言葉が、私の耳に入る。


「ま、さか――」


 私は「ごめんなさい、またあとで電話します」と無責任な言葉を紫苑の母親に投げて、電話を切る。それから駆け出した。


 信じたくなかった。

 血を流している人物。頭の中にパッと浮かんだ人物は一人しかいなかった。そんなはずがないと思った。偶々……偶々いないだけで、紫苑のはずがないと……


 声のする方へ必死に走る。

 部活でも出さない全力をここで出す。全速力で走ると、そこは既に人でごった返していた。


 ツン、と鼻を刺すような匂いが、私の鼻を刺激した。


 けれど、そんなことは関係なかった。今はその人物の確認をしなければ……人の合間を潜り、最前列へ出る。目の前に映る光景に私は思わず息を呑む。


 そんなはずはないと、わなわなと身体を震わせる。


 どうして……どうしてどうしてどうしてどうしてどうして……


 私の目に映ったのは、変わり果てた親友の姿だった。


 駆け寄りたい衝動に駆られた。

 それでも、警察がこの後に来て……現場を荒らしたと判断されたらどうしよう。咎められないのなら、今すぐに駆け寄って紫苑の名前を沢山呼んで、それから――


 私がそんなことを考えていると、警察と救急車が到着した。


 生徒たちは強制的に教室に戻された。親友の死を受け入れられない私の足は、前に進まなかった。ドサッと崩れ落ちる。涙が溢れて止まらなくて、警察の人たちも、私が紫苑の友人だと判断し、その場所にいていいと言った。


 それから捜査が始まったが、例の事件と同じく、紫苑のそれは自殺として判断された。そしてあの事件と同じく、遺書が残されていた。スマートフォンを警察が回収する。


 遺書に記されているものを見て、警察が私に訊ねた。


「君は、高澤千夏さんで合っているかな?」


「そう、ですけど……」


 私は頷く。それ以外何も出来なかった。警察の人は悲しそうな顔を見せた。その表情の意図が読み取れず、私は困惑した表情を見せてしまう。


「君の友達は……君のことを守りたかったみたいだ」


「それってどういう――」


「落ち着いて聞いてね。君はこの子がクラスメイトからいじめられていることを知ってたかい?」


「えっ……?」


 私は首を横に震る。そんなこと知らない。聞いたこともない。


「そう。この子はクラスメイトからいじめられていた。けれど、三日前にいじめをやめると言われた。けれど何かあると思ったこの子は、それを相手に問うた。そしたら、次のいじめのターゲットを高澤千夏さん、あなたにすると言われた」


「……へっ?」


「この子はそれは阻止したいと思ったらしい。だから、どうすればやめてくれるのか聞いたら、自殺して死ねばいじめない、と口約束したらしい。だから彼女は自殺した。君のことを守るために」


「そんなことって……」


 私は何も言えなかった。


 ――私たちはもう、高校生なのに。


 喉が痛かった。呼吸が出来なかった。誰かの叫び声が遠くから聞こえた。あまりに喉が激しく痛むので気がついた。叫んでいたのは私だった。


 それからしばらくして、警察の人が気を遣ったように声をかけてきた。


「これ、最後に彼女が君に宛てて書いた文章。手に取って読んであげて。回収するのは、その後でも間に合うから」


 私はその好意に甘えることにした。


 ――こんなことになってごめんね。混乱してるよね、ごめん。だけど、私にはこれしかできなかった。彼女の言う通りにする以外の方法が思いつかなかった。


 ――千夏には生きていてほしいと願った。だから、ごめん。わがままだって分かっているけど、仇討ちとかそんな事しなくていいから、ずっとずっと、笑っていて。その笑顔を絶やさないで。私は……千夏の笑う顔が大好きだから。ずっとずっと大好きだよ。私のたった一人の親友へ。


「そ、れは……呪いの言葉だよ……紫苑」


 けれど、紫苑が私に生きてほしいと願ったのなら……笑っていて欲しいと願ったのなら、笑わないと。


 けど、ごめん……今だけは泣かせてほしい。明日からは……紫苑が好きな高澤千夏でいるから。


「私のせいで……ごめん。私も大好きだよ、たった一人の大切な……親友だから」




 その事件は大きく報道された。例の事件と同様に。


 けれど、その事件が報道されたことによって変わったことは、御剣星那に対する視線だ。


 関係のないように思われる二つの自殺。

 けれど、大きく関係していることがあった。そして、皇紫苑がそれを遺書に遺していた。


 皇紫苑はこう綴っている。


 ――きっと、中務麗奈さんも私と同じだったのだと思う。御剣星那さんを守りたくて、自分を犠牲にして助けた。遺書に書かれていることは、きっと嘘。無理やり書かされたか、別の誰かが書いたか。これは私の推測だけれど、きっと御剣さんは中務さんのことをいじめてなんていなくて、寧ろいじめられていたのは御剣さんなんじゃないかなって、思った。違ったらごめんなさいだけど。


 けれど、二人が親友だったのが事実なら、そこに友情が働いていたのなら、私と同じでただ守りたかっただけだと思う。自分の命を犠牲にしてでも、大切な友を守りたい。それだけだったんだと思う。だから……赤の他人の私が言うのもおかしいと思うけど、生きて。


 世間の目とか声とか……そんなものに負けないで、生きてほしいと願う。きっと、中務さんもそれを望んでいたと思うから。



 そこで御剣星那に対する言葉は終わっていた。その言葉が御剣星那に届いたかは分からないが、紫苑の言葉が、世間の目を変えた。それは変わらない事実だった。



 ――人をいじめる。それはしてはいけないことだ。だけど、だからってその後に誹謗中傷をすることも違うと思う。正義の味方気取りで相手を批判することを正当化させてはいけないと私は思う。傷付く人が増えるだけだから。


 まあ、いじめがなくなることが一番の理想だけど、私たちは人間だから、難しいだろうね。それでも、一人でもこんな辛い思いをする人が減ることを祈る。


 そして、私たちの大切な親友がこれからも笑顔でいられる世の中であることを祈るよ。


「ごめんね、ありがとう」


 それが誰の声だったのか。風に流されてゆっくりと消えた。それでも、その声の持ち主は、小さく笑った。


                 〈終〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

君のことを守りたいから 花蓮 @hualien0624_e

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ