第5話
家に帰り、私は考える。
屋上で葛城に言われた言葉を。
「――三日の猶予しか与えてくれないなんて、本当に悪魔みたい」
いや、三日の猶予をくれるなら、悪魔としては優しい方か。私はクスリと笑う。
色々と準備をしなければならないのに、直ぐに行動に移すことができない。徐にXを開く。
「――あ、この子……例の事件の加害者とされてる……」
プロフィール画面を開き、スクロールしていくと、批判のコメントが殺到していた。アカウントを消してしまいたくなるほどの罵詈雑言。それでも、その人物……御剣星那はアカウントを消すことなく、ただ自分の意見を百四十字に綴っていた。
『報道されている内容は全くのデタラメです。私と中務さんの間に、いじめというものはありませんでした。どうして自殺してしまったのか。それを聞きたいのは私の方。私と麗奈は親友です。親友の突然の死を受け入れられないのは私の方です』
『私に暴言を吐きたいなら吐いていればいい。罵りたいなら罵ればいい。それでも、私は真実を知りたい。だから、それを知る時まで死ぬ訳にはいかない。これはただの……私のエゴだ』
「なるほど……二人は親友だったんだ。千夏の言葉通り……」
それなら、もしかしたら中務さんは……今の私と同じ状況に立たされていたのかもしれない。多分だけど……
真相は分からない。それでも、私はマスコミの言葉よりも、この子本人の言葉を信じたい。二人が親友だったという言葉を。
コメントには、そんなものはデタラメだと、自分の罪から目を背けて言い逃れしようとしているだけだと、批判的なコメントばかり書かれていた。
けれど、きっと違う。
彼女の言葉が本物だ。
確証はない。それでも、何となく分かる。この文章は、いじめに追い込んだ子が書けるものではないと。
「――書くか」
御剣星那の言葉を見て、直ぐに行動しなければ、という気持ちになった。この気持ちを忘れてはいけない。
一時間ほど考えた。こんなもの、書いたことなんてないから。いや、本来ならば書かないはずだ。書かないで終われる人生の方がいい。
「…………」
最後まで書き終えた時、ポタポタと涙が零れ落ちた。
実感すると身体が震える。
「まだ……死にたくないよ」
まだ千夏と一緒にいたい。それでも、私がこれをしないと、千夏がいじめられてしまう。それなら私は、この命を持ってそれを阻止する。
「……三日後、かな」
三日間の猶予がある。
それなら、残り二日間は千夏と一緒にいよう。だって、これが最後だから。
「紫苑ー! お風呂入っちゃってー!」
「はーい!」
グイッと涙を拭うと、私は部屋を出てお風呂場へ向かった――
それから二日間、なるべく早起きをして千夏と一緒に行動した。部活動があるため、放課後は一緒にいられなかったけど、それでも充実した二日間だったと思う。葛城は気を遣ってなのか、いじめてくることはなかった。
千夏からは少し珍しいね、と言われた。それでもその表情に笑みが宿っていて、良かったと思った。この笑顔を守りたい。私が居なくても、ずっとずっとその笑顔を絶やさないで。ねぇ、千夏――
「私と……ずっと友達でいてね」
私の突然の言葉に、千夏はとても驚いた様子だった。目を大きく見開く。
それから千夏は意地悪そうに笑う。
「えーどうしようかな」
「えっ……」
「私たち、友達っていうよりも……親友じゃない?」
予想外の言葉に、今度は私が驚く番だった。
親友……
その言葉が私の頭の中で谺する。
「――私と親友じゃ嫌?」
千夏が少し困ったように眉を下げて訊ねるものだから、私は思い切り首を横に振ってそれを否定した。
「そんなはずないよ!! 千夏と親友になれて嬉しいよっ!」
「ほんと? ありがとう、紫苑」
満面の笑みを浮かべる千夏のことを、ぎゅっと抱き締める。
「――紫苑?」
困惑した声色が、上から降ってくる。それでも、私は離すことが出来なかった。
ここで離したら、もう千夏とは――
あーあ。死にたくないなぁ。
そんな気持ちを抱く。それでも、明日は必ずやってくる。これ以上は……本当に死ねなくなってしまうから……
だから――
「大好きだよ、千夏」
私はスっと離れる。
千夏は困惑した表情を私に向けた。笑った顔を……最後に見たかったけど、仕様がないよね。
私は自分のカバンを手に取り、千夏の横を通り過ぎる。
「これから部活……でしょ? 頑張ってね」
「ねぇ、紫苑――」
「――ごめん、千夏。バイバイ」
私は手を振って、その場を離れた。千夏の言葉を最後まで聞かなかった。聞けなかった。きっとその言葉を聞いてしまったら、止めていた涙が溢れてしまっただろうから。
私は溢れる涙を手で拭いながら、家へ帰った。
次の日、いつもと変わらない私でいた。母には言っていない。心配させたくないから。それを言ったら止められることが分かっているから。
「それじゃあ、行ってくるね」
「今日は遅いのね。早く行くことに疲れちゃった?」
「あはは。前までずっと遅かったからね。その通りかも」
「そう。まあ、気をつけて行ってらっしゃい」
「うん、逝ってきます」
それが母との最後のやりとり。
私が最後に見た母の姿。
その日、私は千夏とは会わないように時間をずらした。前までの時間帯なら、千夏はもう既に学校に着いているだろう。
案の定、通学路で千夏と会うことはなかった。遅刻寸前の生徒たちが、走って学校へと向かう。私はゆっくりと歩いているけれど。
学校に着いた私は、教室へは行かずに屋上へと向かった。三日前、屋上の鍵を職員室に戻さずにそのままパクった。
その方が都合が良かった。もう一度……この場所に来ると分かっていたから。
私はゆっくりと進む。
それから柵に掴まり見下ろす。
これから私は――死ぬ。
ここから飛び降りて。
三日前、葛城がこの場所で私に提示してきた条件は、私がここから飛び降りて死ぬこと。ただそれだけ。私の死が確認出来れば、千夏をいじめないであげる、というものだった。
結局、私に死んでもらいたかっただけのようだが、それでも千夏がいじめられる確率が減るのなら、私の命など安いものだろう。私の命で親友を守れる。天秤にかける必要すらない。私の命より……千夏から笑顔をが失われてしまうことの方が、大問題だ。
クラスメイト全員からいじめられる中、千夏だけは私の友達でいてくれた。親友になってくれた。そんな親友を守れるのなら……本望だろう。
私は靴を脱ぐ。
書いてきた遺書を一枚置く。
それから、私のスマートフォンも。
百四十字じゃ収まらなかった。
だから、少しだけ……小説として書かせてもらった。この物語が、貴方に届きますように。
私はゆっくりと柵を乗り越え……その身を投げ出した。
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