第7話:幸せの終わり
その日、空は分厚く薄黒い雲に覆われ朝からジメジメとした天気だった。
だがこの
弟は今日も村のすぐそばの草原で八歳上の姉に見守られながら木剣を振っている。
「えい!えい!……えーいっ!」
「うーん……惜しいんだけどなんか違うのよねえ……レガリオのは」
ひたむきに剣を振る弟に対し姉は白いガラスで作られた花の髪飾りを触りつつ、首をかしげながら曖昧なダメ出しをする。
「なんかってなんだよ!どう違うのさ!」
「もっとこう……堂々とした感じでー……隙があるようで無くて……」
「お姉ちゃんが言ってるようにしたらどうやったって隙だらけだよ!変だよあの構え方!」
「変じゃない!そこから必殺技を使うのよ!強い騎士っていうのはそういうものなの!」
「えぇー……そんな騎士さん見たことないよ……。ほんとにその人は強かったの?」
言った後に彼はしまったと後悔した。
これを聞いたところで姉の反応はいつも同じだからだ。
その強い騎士とやらの事を思い出しているのか青い目を輝かせ、長く茶色い髪を振ってキャアキャアとはしゃいでいる。
「とっても強かったわよ!悪い人たちをズバーッ!って!」
「お姉ちゃんは魔法士を目指してる人だから剣士のこと良く分かってないだけじゃない?」
「そんなことないッ!もーッなんで分からないのよー!……ほら、もう一回行くわよッ!足は肩幅!剣は――――――……」
姉の指導に熱が入る。
やはりこの問いかけはするべきじゃなかったと反省するとともに、彼は幼いながらもしみじみと、姉は本当にその騎士の事が好きなんだなと理解した。
………………
…………
……
「おーいっ!二人とも!そろそろ帰って来るんじゃ!日が沈むぞー!」
数時間後。
村の入り口から村長のエルガンザが杖をついて現れ、白い髭を揺らして二人を呼んでいた。
空も見えずすっかり時間を忘れて夢中になっていたが、もう夕方らしい。
「はーい!!今行きまーす!!ほら、帰るわよ。レガリオ。急がないとオルナさんとメリルが倒れちゃうわ」
「うん!わかった!」
忘れ物のないよう確認すると村に向かって走る。
彼らは『泊まり木』というトポロ村の有名な宿の一室に住んでいるが、店主の好意で宿代の代わりに業務の手伝いをすることを条件にしてもらっている。
両親のいない二人にまともに金銭でやり取りする余裕がないことは村の皆が知っていることだからだ。
その宿は夕食時にはとてつもない混雑となるため、帰宅が遅れると大変なことになってしまう。
大急ぎで宿の裏の水道で汗と泥を落とし、服を着替えて中に入った。
「オルナさん!メリルお姉ちゃん!ただいまー!お店混んでるね!」
食堂は早くもドアベルの音がかき消されるほど酒と料理で上気した客で賑わっていた。
ごった返す客席の間をスイスイと移動する恰幅の良い女性が両手に大きなトレーと料理を乗せたまま二人を迎える。
「あらお帰りレガリオ!マリーナも今日はすぐ帰ってきてくれたわね」
「今日は週末でお客さんが多いですから!私たちもいつもより頑張らないと間に合わないかなって!」
「まぁ!まだまだ見くびってもらっちゃ困るわよ?それに最近はメリルも頼もしくなってきたからあの通り、満席でも問題なしよ!」
「は、はい!お待たせしましたッ!デブ
泊まり木に訪れる客層は様々だ。
料理の味や店の雰囲気どれをとっても王都の宿泊施設に引けを取らない上に値段も安いため、わざわざ防壁外にあるトポロ村まで足を運ぶ商人や観光客、旅人など噂を聞き付けた者が自然と集まるのだ。
「オォイッ!さっき頼んだ酒はまだかァッ!!いつまで待たせんだコラァッ!!」
…………それゆえに、少々行儀の悪い客が見受けられることもしばしば。
「うるさいよ!!順番に持っていくから待ってな!!」
しかし店主オルナはそういう輩にも全く怯まない。
女手一つで荒くれ者集まるこの宿を切り盛りしてきた貫禄の表れだ。
こうなれば酒で気の大きくなった無作法者の頭にはさらに血が上るというもの。
「ぁんだとババアッ!!いいから先に俺の酒を持ってこいや!!!」
「この店でそんな態度をとるんならあんたの酒は一番最後だよ!!それが嫌なら黙ってその肉の切れ端でも摘まんで大人しく待ちな!!!」
「なんだとおい……もう
付け合わせのトマトのように顔を赤くしたその男は周りの客の視線が全て自分に集まっていることに気付く。
先ほどまでの賑わいはどこへやら、体温がスッと冷えていくのが分かるほど静かで冷たい目つきに囲まれていた。
「な……なんだよ……なんか文句あんのかッ……!お、俺はリビカニア王国じゃ名の知れた魔法士だったんだぞ!その俺を……そんな目でっ……」
「…………ふぅ」
「あ、お姉ちゃん……」
男が動揺を露わにして口ごもっている所へスタスタと近付く姉を、レガリオは目で追いかける。
やがて男の正面で立ち止まった彼女は下から真っ直ぐに目線を合わせて男に問う。
「あの。魔法士の人ですか?」
「あ、ああ?なんだよガキ……だったら何だってんだ」
「…………はぁ……」
困惑した男の言葉を聞くと彼女は俯いて大きなため息を吐いた。
気の強い姉の事を良く知るレガリオは、その反応を見てすぐに彼女が怒り半分、呆れ半分の感情を抱いていると分かった。
「私は魔法士を目指してるんです。あなたみたいな人が魔法士だって言いふらされたら、魔法士がみんな常識知らずだって思われちゃいます。それ以上私の夢を汚さないでくれませんか?」
「なッ――――――!?このガキッ……!!」
男は全身をワナワナ震わせて狼狽えている。
何か言い返してやろうと口を開くがそれは静まり返っていた店内がドッと沸き立つ声で押しつぶされてしまった。
「いいぞーッ!マリーナちゃん!」「さすが未来の魔法士様だぜ!」「どこの国の誰だか知りませんが、お帰りくださいってなあ!」「お代は忘れんなよ!」
「チ……チクショォッ!!」
いたたまれなくなった魔法士の男は乱暴に金を投げ捨てて飛び出していった。
その後ろ姿を見送った後の酒場の雰囲気と言えば、さながら祝勝会だ。
「はっはっはっは!この宿でオルナさんに逆らうなんて、怖いもの知らずかバカだけだからな!」
「なーに!どんなバカが来てもマリーナちゃんもいれば、俺たちだっている!メリルちゃんは俺らが守るぜ!」
「メリルちゃん!怖かっただろ!俺の胸に飛び込んできてもいいぞー!」
「あ、あはは……ありがとうございます……気持ちだけ受け取っておきますね……」
これが泊まり木の日常。
オルナが次々と料理を作り、娘のメリルは見習いとして注文を取る。
マリーナとレガリオ姉弟が配膳を手伝う。
そしてその店を守る村人や常連客。
「いやーメリルちゃんはこの村の癒しだよなあ。オルナさんの血を引いてるとは思えねーよ」
「マリーナちゃんも見た目は美人なんだけどな……あんな性格じゃ男も寄り付かない──────」
「何か言いました?」
「うおっ!?マ、マリーナちゃん!?……いいい、いやなんでもねーよな!」
「そ、そうそう!ただ相変わらず綺麗だなって話を……」
「ふーん?ならいいです」
魔物のようなオーラを出していたマリーナが立ち去ると、男性客二人は冷や汗を流しながら顔を見合わせる。
性格の穏やかなメリルは男の客に人気があり、内面において対極ともいえるマリーナはよく比較されていた。
「そういやマリーナちゃん、魔法の練習は順調か?あと二年だろ?
「そうか、受験資格は十八歳からだもんな!まぁ今受けたって絶対合格するだろうよ!」
「そんなに甘くないから!……でも、今はちょっとお休みして弟の剣術見てるの」
「おおー?どうしたレガリオ。お前、騎士にはなりたくないって言ってたじゃねえか」
「……うん!騎士にはならなくてもいいんだ!僕は、お姉ちゃんと、この村の人達を守れたらそれでいい!僕を育ててくれたみんなを守れるくらい、強くなりたいって思ったんだ!」
「レガリオッ……。まだ
常連客は突然目頭を押さえて涙ぐみ、流し込む様に酒を煽る。
彼らがなぜ泣き出したのか分からずレガリオは首をかしげていた。
………………
…………
……
「今日も大繁盛っだったわねオルナさん。いつも時間をずらして申し訳ないわ」
「良いんだよシスリー。あんたは金払いがいいからね!学者さんとして成功してるのかい?」
毎日、わざわざ一般の客が出払った後に夕食を摂りに来る者がいる。
二年前にトポロ村にやってきたフリー魔法学者、シスリーだ。
「まあそんなとこね。この世界は興味が尽きないわ……本当に」
「はい、今日の定食はお祭りウルフのどんちゃん焼きですよ」
「ありがとうメリル!……うーん今日も美味しい!」
彼女が毎回頼むのは日替わり定食。
もはや何も言わずとも料理が運ばれてくるのは、この二年間の信頼の証でもある。
泊まり木が閉店となりオルナが明日の仕込み、メリルとレガリオが洗いものをそれぞれ始めたときだった。
残っていた食器を下げ終えたマリーナが、感情の読み取れない表情をしながら隣の席に腰かけた。
「ほんとは悪いことして稼いでるんじゃないの?」
「あはは。言ってくれるわねマリーナ。あたしはしがない旅の学者。悪いことなんて出来ないわ」
「シスリーはなにか隠してる感じがするのよね……。魔法学者だって言うくせに子供でも分かる下級魔法を知らなかったり。何故か身体能力は無駄に高かったり。怪しむなっていう方が無理よ。それに…………自分に似ている人の考えって何となく分かるものでしょ?」
思慮深いマリーナは昔からシスリーが只者でないことに勘づいていた。
遠回しに腹を探ろうとする彼女と、それをのらりくらり躱すシスリー。
「マリーナはなんで峰騎士団じゃなくて
「また話を逸らして……まぁ世間的にはそうかもしれないけど、私の目標にしてる人は国を守るために戦い抜いたバダロンの騎士なの。その人を追いかけて麟王騎士を目指した。でも私には剣の才能が無かったから、騎士じゃなく魔法士として大切な人を守ろうって思ったのよ。……それに峰騎士もそんなに好きじゃないし」
「へぇ……立派ねー。峰騎士も無条件で好かれてる訳じゃないんだ」
零峰園に仕え、零峰園を崇拝する世界中のあらゆる場所を分け隔てなく守護するのが峰騎士。
それに対して自分の国に仕え、自分の国のために戦うのが麟王騎士だ。
彼らは国の名前を冠して呼ばれることが多く、バダロン王国の麟王騎士団を例にすれば『バダロン騎士団』となる。
「あたしもここに来る前は王都に住んでたから麟王騎士団の魔法士も見たことあるわ。……マリーナならあっさり合格するんじゃない?」
「お客さんと同じ事を言うのね……。魔法士の試験なんてとんでもない倍率なのよ?十八歳から毎年受けて二十五歳の……最後の年まで受からなかった人だってたくさんいる。油断はしてられないわ」
そう言ってマリーナは、厨房のシンクで泡だらけの食器と格闘するレガリオをチラリと見た。
「私は強くならなきゃいけないの。実力も無いくせに優しさだけは一丁前で……誰かのためにって決めたら何でもやろうとするどうしようもない弟が……無茶をしなくていいように」
不格好なガラス細工の髪飾りが揺れる。
三年前にレガリオから貰った自作の誕生日プレゼントだというそれをマリーナは肌身離さず身に着けている。
ふとした暇があれば指先で優しく撫でるのはもはや彼女の癖である。
「マリーナは違うの?」
「なにが?」
「誰かのためにって決めて突っ走ること、ないの?」
「…………強くなれたら……なくなるかもね」
「お姉ちゃんッ!ねぇー!お姉ちゃんも片付け手伝ってよー!」
質問をはぐらかすマリーナのもとへ、不満げなレガリオがメリルと共にやってきた。
「あら、もう終わったの?」
「うん。お姉ちゃんが来ないから僕が二人分やった!」
「レガリオ君すごく頑張ってくれてたよ。お母さんも褒めてたし」
「もっとこき使っていいわよメリル。この子は将来泊まり木の皿洗いとして働くんだから」
「ちがーうッ!僕は強い剣士になってみんなを守るのーッ!」
「マリーナ……あんまりいじめちゃダメだよ……?」
メリルは
仲睦まじい穏やかな時間が流れるなか、マリーナは窓から僅かに
「レガリオ。もう遅いし先に寝てなさい」
「ええー……まだみんなとお話ししてたい!お姉ちゃんはまだ寝ないんでしょ?」
「私はお姉ちゃんだから大丈夫なの」
「ええー!そんなのズルいよ!」
「明日もいっぱい剣の練習するためにはちゃんと休まないとだめよ。ワガママ言わないの」
「…………はーい……。じゃあお姉ちゃんも早く来てね」
「分かった。少ししたら行くから。おやすみなさい、レガリオ」
「うん!おやすみなさーい!」
パッと明るい返事をしてレガリオは二階へと駆け上がっていく。
ドアが閉まる音が聞こえた後、残った三人は真っ直ぐに成長する彼に思いを馳せていた。
「ほんといい子ねーレガリオ君は。剣の練習も毎日やってるんでしょ?」
「もう三年になるわね。剣士になりたいって大工のダズロおじさんに頼んで木剣を作ってもらって……最初は村長の家の剣術指南書を読もうとしてたんだけど難しかったみたい。だから私が知ってる範囲で実際に振らせることにしたの」
「一人で村を出て迷子になっちゃった日から……なんだか顔つきが変わったんです。それまではずっとマリーナの後ろに隠れてるような子だったんですよ」
「ふぅん……。それはレガリオ君なりに何か思うことが—―――――……ん?」
そんなことを話していると店の外から何やら言い争うような声が聞こえてきた。
まだ村を出ていない酔っ払いが暴れているにしては、その声にははっきりとした警戒色の輪郭が残っている。
「誰か喧嘩でもしてるのかしら」
「なんだろう……?もうみんな明かりも消し始める頃なのに……」
メリルがドアを開け恐る恐る顔だけを出す形で外の様子を窺う。
すると村の入り口で、見張り番の村人が十数人の粗暴な男たちに向かって必死に何か訴えている所であった。
集団の先頭に立つ大男は背中に自分の背丈ほどある大剣を担ぎ、顎を触りながらニヤついている。
「だからなんなんだお前たちはッ!門を閉めるから村には
「そうはいかねえなぁ……。こっちにも予定があってよ。今日中にケリ付けなきゃならねえんだ……。—―――――どけえッ!!!」
「ぐあぁッ!!」
男に突き飛ばされた村人は放物線を描いて背中から地面に打ち付けられた。
騒然とする門周辺の人間を黙らせるように男は両腕を大きく広げて叫ぶ。
「ダァーッハッハッハッハァ!夜分遅くに失礼するぜぇ!!俺は崩賊『チャッドテイル』のボス、ギーガー・フルスイング!!この村のすべてを支配しに来たァッ!!!」
不気味に響く高笑いにより、眠りにつきかけたトポロ村は叩き起こされた。
プラス・ワン~原初の少女は魔法の世界をぶっ壊す!~ リンちょみ @newsb
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