第5話 白猫印―SIRONEKOJIRUSI―
長かった戒壇巡りも、ようやく終わる。
うっすらと、灯りが見えてきたのだ。
兄貴はこれからどうなるんだろうか。
――失われた精気は、もう戻ることはないでしょう。
音無さんは、淡々と言う。
――陰陽師として、生き残れるかどうかは彼次第。才能はあるワケですから。あとは鍛錬を怠らなければば良いだけの話です。ま、過信しすぎた陰陽師あるあるですけどね。鬼に喰われなかっただけ、マシということですね。
クスリと微笑んで。
タッタッタッ。
小刻みな足音。
時々、暗闇に浮かぶ幾つもの瞳。
僕らの横を通り過ぎていく。
社長――白虎を先頭に、猫たちが――化け猫が駆けていく。
社長の背中には音無さん、長谷川さんが挙上して。
夢女にされた女の子たちは未だ、横たわっていて。そんな彼女達を猫たちは担いで、走り、跳躍して。
さながら、化け猫たちの百鬼夜行。
僕は美玖の手を引いて歩く。
美玖は無言で。
光が、僕達の視界に差し込んで。。
まるでレンズ越し。フィルターから垣間見た世界のように、キラキラしていて。当たり前のように見ていた、光射す世界に安堵する自分がいた。
■■■
ざざっー。
波が引いては寄せて。寄せ手が引いて。
すでに満潮。
鳥居までの道のりは、潮で閉ざされていた。
「あ、あの――」
ずっと沈黙を守っていた、美玖が口を広く。その瞬間、手が離れた。
「ごめんなさい」
頭を下げる。
それが何に対してのごめんなさい、なのか。正直、僕には分からない。初恋の夢に取り憑かれている子を、無理矢理、こちら側に目を向けさせようなんて、それこそデリカシーがなかった。今なら、なんとなくそう思える。
そんな初恋を含めて、全部【彼女】なんだと思う。
だから、彼女が悪いと思わないし。
男だから、肯定はできない。
でも、否定はしたくない。
そんな恋をした彼女だからこそ、僕はきっと君を好きになったんだと思う。
(だから――)
いくらでも、待てる。
ざざーっ。
波が足下――靴を濡らす。そんなことも、お構いなしで。
「ムシが良い話だって思うけれど……」
美玖は思い詰めたような。それでいて、意を決したように、唇を開いた。
「え?」
「……友達からはじめたい」
「ともだち?」
「だめかな?」
美玖の瞳が揺れている。拒否する理由なんか、無い。僕は首肯しようとして――。
「安倍さんっ!」
「お-いっ!」
砂浜を、音無さんと長谷川さんが駆けてきて――なぜか、二人が僕のそれぞれの腕に絡めてきた。
「へ?」
「え?」
僕へ目を丸くして。美玖は目を剥くのが見える。
「ちょ、ちょっと何を――」
「やっぱり美味しいね」
口に放り込まれたのは、広島銘菓もみじ饅頭――の派生メニュー。フライもみじ。美味しい、美味しいが――。
「あっちぃぃぃ!」
まさに揚げたてで、猫舌の僕には拷問だった。
「助けていただいたご恩は感謝していますが、ちょっと崇君と近すぎませんか?」
なぜか美玖がむすっと――いや、感情が噴火しそうな勢いで僕を睨むの――え、僕?
言い訳しようにも、現状、口のなかが熱い。熱すぎる。
「近いですか? お友達としてのスキンシップですよ?」
にっこり音無さんが笑う。
音無さんからは巫女服の感触のみだが、長谷川さんは女性らしい柔らかさが……ぼ、煩悩退散。煩悩退散、煩悩退散!
「お友達は、そんなことしません!」
「でも、美玖さんはずっと、手をつないでいましたよね? お友達だから、これぐらい許してくれるでしょう?」
「ダメです! ダメ! 絶対にダメです!」
「そうなんですか? 私はともかく、安倍さんは、瑛真ちゃんの下着をコレクションにする仲みたいですけど?」
「「「はぁ?!」」」
僕、美玖、そして長谷川さんの声が重なる。
「ちょっと失礼」
いつの間にやら、僕のスマートフォンを手に取って、ロックを解除――?
「ちょっと、待って。なんで、スマートフォンを解除できちゃうの?」
「陰陽師ですから」
「意味わかんねぇーし!」
でも、大丈夫だ。あの写真は断腸の想いで削除したのだ。あれは幸福な真夏の夢。童貞の僕は、そう念じて削除した――はずの写真が、液晶画面に映っていた。
「安倍さんも、分かりやすいですよね。美玖さんの誕生日をパスコードは安直です」
「だから、なんでそれを――」
「陰陽師ですから」
ニッコニッコ笑う音無さん。今や彼女が鬼にしか見えない。
「それと、写真は削除しただけじゃダメですよ? ゴミ箱フォルダーから完全に削除しないと。救済措置として、期間内バックアップできる仕組みですから。どうして、それをって? 陰陽師ですから」
「聞いてな――」
僕が絶叫するより早く、女子達の怒号が響く。
「「ばかぁぁぁぁっ!」」
両頬に打ちつける、真っ赤な紅葉。
(なんで?)
理不尽すぎないか?
砂浜を舐めたんだろうか。
やけにじゃりじゃり苦かった。
■■■
残念やなぁ。
あんさん、夢女になれる素質あったのになぁ。
初恋やったんやろ?
初めて、好きになった人が。
初恋なんて、けったいなもんに奪われて。
本当は逃げたかったんやろ?
ウチが慰めようと思ったのに。
弁天はん、ほんま容赦ないなぁ。
また、おこしやす。
あんさんなら、大歓迎やわ。
■■■
ちゃぷん。
何かが、僕の足下からすり抜けて、鳥居の向こうへ泳ぐ。
そんな錯覚を夢見た。
――私、負けませんから。
ここで美玖の声が、脳裏に響いたのはどうしてなんだろう。
■■■
頬が痛い。
目の前の二人を見やりながら――。
音無さんは、長谷川さんの上で抱きついて、安定の恋人スタイルだった。
小さく、息をつく。気付けば、美玖はもういない。
波の音だけが、やけに耳につく。両頬は痛いわ、右肩には社長さんが乗って、肩が重いやら。
(……何をやっているんだろう)
結局、自分がしたことは骨折り損以外の何ものでもなかった気がする。
「おぁー」
社長さん、ありがとう。
なぜか、猫に同情された気がして、余計に心が抉られる。
と、クルッと音無さんが視線を僕に向けた。
「……手荒だったとは思っていますよ」
クスッと音無さんが微笑む。高嶺の花だからって、微笑めば解決すると思ったら、大間違いだからな。8割しか許していない。
「一つは、夢女に呑まれそうだった、安倍さんを助けたいという荒療治です」
「へ?」
目をぱちくりさせる。
「いつからが初恋、なんて愚問を口にするつもりはありませんよ。だって、初めて本気で好きになった瞬間こそ、初恋と言っても差し支えないと思いますから」
どうしてだろう。口が渇いて、思うように言葉が出てこない。
「もう一つ、私達は安倍さんと末永くお付き合いしたいと存じます」
「はい?」
その言い方――って、音無さんの顔が笑っている。この短い期間のなかで、ちょっとだけ性格が掴めた気がする。この子、見た目の清楚さ以上に、いたずらっ子だ。
「音無ちゃん、言い方がひどい?」
「そうですか?」
「そうとしか言いようがないよ」
「おあー」
長谷川さん、そして社長にまで同意されて、音無さんは頬を膨らました。が、それも一瞬のこと。どうやら気を取り直したようで、すぐに微笑を讃える。警戒すべき、ビジネスライクな笑顔で。
「弊社、白猫印の祓屋さんの社員に、安倍さんをお迎えしたいと思います」
「へ?」
「あ、ご安心ください。コーポレートカラーはホワイトですが、ワークスタイルは、陰陽師あるあるで、かなりブラックですから」
「なに、それ?!」
「給料はちゃんと保証しますから。あと、アットホームな職場です」
「それ、ブラック企業の常套広報! これ内定辞退させてもらって良いですか……?」
「別に私は良いですけれど……」
しゅんと、落ち込む音無さんを見て、ちょっと申し訳ないと思う。でも、この人達に関わるくらいなら、地道に陰陽師をしていた方が良い気がするんだ。
「――陰陽寮の決定を安倍さんが覆せるのなら」
「ぶはっ」
予想だにしない言葉に、思わず吹き出してしまう。
「やだ、汚いって。唾つけるのは美玖ちゃんでしょ! あ、もうつけたのか」
「いや、ごめん。でも、え? つけてない、全然つけてない!」
思考が追いつかない。陰陽寮の決定ということは、安倍家、音無家を始めとした陰陽師四家が、裁定を下したということだ。一介の陰陽師が、陰陽寮の決定を覆すなど、個人が国政を変えるレベルで困難だ。
「だからこそ、ですよ。安倍さんとは、長いお付き合いになりそうですし。美玖さんにも、お友達として知ってもらいたかったんです。うかうかしてたら、取られちゃうぞって。だって、安倍さん。明らかに女難の相が出ていますからね」
「はい?」
「音無さん、占いもできるの……?」
「どうでしょうか?」
クスクス笑う。
「えー? それなら私にも恋占いしてよ?」
「瑛真ちゃんにはこれで十分です」
――ちゅっ。
そんなリップ音が響く。
「ちょ、ちょ、ちょっと、音無ちゃん、何を――」
「さしずめキス占い。私は幸せです」
「私の幸せを占って欲しいんだって!」
そんな他愛も無いやりとりを聞きながら。
潮の満ち引きに耳を傾けながら。
砂浜に足跡をつけて。
それが、波に攫われ消えてしまうとしても。
誤魔化せない想い
全部、抱きしめたら良い。
ちゃぷん、ちゃぷん。
波間から、手招きする手――。
(だから、大丈夫)
夢じゃない。
全部、自分のリアルだ。
小石を海に投げ放つ。
三回、小石が跳ねて。
紅い大鳥居の方向へと、消えていった。
▧ ▦ ▤ ▥ ▧ ▦ ▤ ▥ ▧ ▦ ▤ ▥ ▧ ▦ ▤ ▥
帰りの電車に揺られながら。
僕は夢を見ていた。
音無さんと、長谷川さんの二人に肩を寄せられて。
心地良い、振動。
まるで、ゆりかご。
暖かい温度。
それは、例えるのなら。
記憶には無いけれど、まるで胎内にいるかのようで。
深い海の底。
まるで水晶のような外殻をもつ卵。
いくつも積み重なって。
透ける卵から、赤子が手をのばす。
コポコポコポコポ。
気泡が漏れる。
「パパ、パパはドコ?」
ポコポコポコポコ。
気泡。
それが、まるで卵のように。
産卵するかのように。
散乱させるかのように。
言葉を垂れ流す。
受信したのだろうか?
夢とも。
現実ともつかないまま。
あふれ出る、気泡に飲み込まれて。
「パパ――」
▶次章 水子―MIZUKO―の章
to be continued
________________
ここまでお読みくださった皆様、本当にありがとうございました。
当初、2023年カクヨム自主企画に参加予定でしたが、尾岡のヘタレ具合で、締切間に合わず。断念(笑)
でも最後まで書くぞという勢いだけで、ココまできましたが。
はてさて(笑)
もともとホラー好きだったのですが、これをホラーと言えるかどうかは別問題として(笑)
当方、楽しく執筆できました。
次章とうってますが、特に更新の予定はありません(笑)
ご要望や、尾岡の気が向いたら、また書きたいなぁって思ってます。
ちょっとだけ、作品語り。
●音無雪嬢
もともとは拙作「君がいるから呼吸ができる」に登場する、生徒会副会長さんでした。
まったくプロットにもなかったキャラなのですが、初期から応援してくれたフォロワー
音無雪さんをモデルにしてみました。
一応、それまでにもらったコメントから、キャラ作成をして。弓道、薙刀、お茶を嗜み。どうやら本当にお嬢様らしい才女。ただ、恋に憧れていて……。
良いキャラだ(笑)
ちなみに彼女の陰陽師のとしての能力は【七福の加護】
すなわち七福神に愛されています。
●長谷川瑛真
彼女も「君がいるから呼吸ができる」に登場するヒロインの一人。主人公である後輩君に恋をして……。
面倒見が良いお姉ちゃん。
音無さんと瑛真ちゃんが、コンビを組んで、陰陽師なんかしたら楽しいだろうなぁ、と。
まぁ瑛真さんは、まるっきり物理ですが(笑)
●安倍君
陰陽師と言えば、安倍家でしょ、って。そんな安直な発想で生まれた崇君です。
陰陽師としては【感知】に秀でています。
あと、ちょっとエッチ。女難の相があるらしいです。毎話、新たなヒロインと何かしてくれると思います。
●美玖ちゃん
安倍君の片想いの相手。でも初恋に囚われて……。
当初、兄貴に無残に求魂されて、老婆になり果てて。崇君を追いかけ回すというスプラッタが、どこに消えたんだろう……。
今回はこのへんで。
お読みいただき、本当にありがとうございました。
一時、完結です!
乙女専門(株)白猫印の祓屋さん ―丹來 Nikiの章― 尾岡れき@猫部 @okazakireo
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