第4話 丹來―NIKI―


「ちょ、ちょっと待って! これはどういう――」

「安倍さん、まずは一つずつ整理をしましょう。まず、夢女ですが。これは平成になってから、誕生した怪異です。安倍家は陰陽学に精通してますから、そこはご存知ですよね?」


 音無さんが、巫女装束の袂から呪符を取り出し、彼女たち――美玖にも、呪符を貼っていく。


「ちょ、ちょっと待って――」


 僕は焦った。音無さんのように、霊力が強い人が夢女に呪符を行使したら、それこそ彼女達が消滅しかねない。

 呪符の効力は作製者の呪力に、使用者の霊力を乗じた形になる。音無さんレベルなら【蛍光】すら、その霊力で夢女を――。


「今、失礼なことを考えませんでしたか?」


 やんわりと微笑む音無さんの笑顔が怖い。


「これは、沈静用のあるです。記憶が錯綜して、暴れられたら困りますからね。瑛真ちゃん、貼るのを手伝ってもらって良いですか?」

「はいはい〜」


 軽いノリで長谷川さんは、呪符を貼っていく。さながら、宅配のアルバイトのようで。白猫印の宅配便があれば、きっとこんな感じで、荷物にラベルを貼られていくのかと思ってしまう。


「夢女子とは、二次元キャラクターの相手役を自分に置きかえて、夢見る子達のことです。趣味の範疇のうちは、まだ良いのですが……自分の夢に取り憑かれて起きられなくなる――それが問題です。多くの場合、自分から目を醒まします。でも、今回は意図的に夢女を生産してくれた御仁がいらっしゃいました。夢が、彼女達を離さなかったのですよ」


 ビクン。

 兄貴の体が震えて、僕は目を大きく見開く。灯籠の灯りが、まるでスポットライトのように、照らしていた。


丹來ニキについて調べてくれましたか?」


 僕は首を横に振る。スマートフォンを取り出し、指を滑らせた。

 フリック。

 そして、フリック。


 ――ニキ。ネット用語スラングで兄貴。偉そうにしてくる人、得意気にひけらかす人間に対して、皮肉をこめて言う。


「陰陽寮的には、また意味合いが違ってきます。隠語を当てはめなくても、安倍さんならご理解いただけるんじゃないのでしょうか? 外れてしまった陰陽師のことを」


 ゴクリと唾を飲み込む。

 陰陽師は、基本的に陰陽寮が――陰陽師四家が統率する。表に出ることは、あり得ない。陰陽術を個人が私利私欲で使うことも。


 だが、時々いるのだ。

 陰陽寮の方針にあわず、脱落してしまう【ハグレ】が。


「最近の傾向としては、高い学力と資質をもちながら、現場では融通が利かない学力エリートが顕著でしょうか。国家規模怪異対策省は、そんな陰陽師を【丹來】と呼んでいます」


「……お、俺は違う! 俺はエリートだ! 俺は――」


「貴方の陰陽術は目を見張るものがありました。麒麟児と呼ばれ、安倍家期待の星と、もて囃され。しかし、どうでしょう。貴方は努力を怠った。陰陽大学を卒業すれば、陰陽寮で活躍をするのは、百錬錬磨。経験の浅い、高校生――つまり、私ですよね。まんまと、模擬戦で貴方は敗退した。今や、無能と断定した安倍さん――面倒くさいですね、一時的に崇さんって呼びますね。その崇さんより、貴方の霊力は低い」


 目をパチクリさせてしまう。僕、が?

 でも、それより。何よりも、音無さんに、名前呼びされて、ドギマギしている僕がいた。


「そりゃ、そうでしょう。貴方の陰陽術は、呪符を利用したスタンダード。言ってみれば、貴方ぐらいの使い手など、並です。一方の崇さん。彼の陰陽術【感知】は怪異捜査において、花形になる可能性がある。加えて、胡座あぐらをかいていた貴方。腐りながらも、稽古をやめなかった崇さん。布袋尊様、どちらに軍配が上がるでしょうか?」


 唐突に音無さんが呼びかけたその先。

 観音像の隣で、微笑む好々爺。それは、まさしく布袋尊だった。終始、笑顔。そのまま、軍配を振り上げる。


 ――ごぅっ。

 風が唸って、兄貴の体が風に舞う。したたかに壁にその体を打ちつけ、苦悶の息を漏らす。


「霊力の足りない貴方は焦った。このままでは結果が出せない」

「や、やめろっ!」


 ――霊力なら、増やせばいいじゃないか。


 突如、受信する。

 兄の笑っている姿が、網膜に飛び込んでくる。


 顎をその指先で引いて。

 その唇を奪って。


 ――チョロすぎ。初恋のヤツの顔見せてくれただけで、こうも靡いちゃうとは。見返りに霊力もいただいて。これ、美味しすぎるでしょ?


 顔を歪め、哄笑する。兄はなにを、なにを――。

 美玖に手をのばす。虫が這うように、その唇が。


「なに、これ。すんごい、胸くそ悪いんだけど」


 長谷川さんの憤慨する声に、思わずはっと我に返る。

 でも、気になったのは、ソコじゃない。


(視えてるの?)

 思わず、視線を追うと、音無さんが薄明かりのなか、微笑みを浮かべる。


「特筆すべきは、そこですね。彼は怪異を【受信】できるだけじゃなくて。【送信】してリアルに情報を【添付】できる。これほど、希有な存在はいないでしょう。貴方と違って」


 にっこり笑む。

 兄貴の表情が、憤怒で歪む。


「俺をこいつと一緒にするな! 俺は選ばれた人間で、選ばれたトップで――」


 ――おいでやす。

 声が響く。


 ――あんさん、最高や。よう、がんばってる。

 谺する。


 ――あんたが、一番やろ。間違いないわ。麒麟児って呼ばれたあんさんが、頂上てっぺん取れないわけないやんか。


 響く響く響く。


 ――うちが、夢を見せたる。

 ――うちに任しとき。

 ――あんさんの夢、叶えてあげるさかい。


 響く、響く。響いて、ひび、ひび、ひび、びび、びりり、びりり、びりっと、ひび割れて。





「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」



 絶叫が響く。


「陰陽術であえて夢女化させて、その霊力を【求魂きゅうこん】する。まさか陰陽師が鬼道に手を染めようとは、予想外でしたよ」


 求魂とは、文字通り、相手の魂を吸うことだ。弱い怪異なら、それで滅することもできる。相手の霊力に、自分の霊力を織り交ぜて、弱体化させることもできる。

 しかし、それは憑かれることと、同類項である。故に、その行為は鬼道として忌み嫌われていた。


 襟元を広げ、外殻を脱ぐ。裸身を晒すように、魂魄を晒したその結果――兄の目は虚空を。ただ一人の女性を見つめている。


 思わず、兄貴に手をのばそうとして、電流が流れ――指先が弾かれた。


「崇さん、落ち着いてください」


 間髪入れず、音無さんが僕の前に立つ。


「瑛真ちゃん、お願いします」

「合点承知っ!」


 長谷川さんが、拳を固め。そして腰を落とす。


「む、無茶だ――」


 僕は息を呑む。


 如何に、霊に触れるといっても。彼女は陰陽師教育を受けていない、一般人であることは明かで。そんな彼女が、怪異に挑むなんて、それは無茶で――。


「良いですか、崇さん。ヒトには役割があります。瑛真ちゃんは、視えるし。触れる。でも陰陽術は使えません。私は感じれますが、陰陽術を行使しないと、対処できません。貴方は【受信】できますが、陰陽術の効果は低い。でも、怪異の真意は知れた。違いますか?」


 音無さんは、淡々と言う。


 そうなのか。

 そうなんだろうか。


 ずっと聞こえていた声は、美玖の――そして望まず、夢女になってしまった彼女達の心の声だったんだろうか?


「彼女達を託します。まだ、護符がありますよね?」


 音無さんが、そう言うのと同時に。とん、と。何かが、僕の背中に乗る。


「……社長……さん?」

「おあっ!」


 白猫は前肢をのばす。

 握った護符にワンタッチ――肉球の印が捺されて、うっすら青白く燐光を発する。


「ちょ、ちょっと。これ1枚しかないにのに、なんてことを――」


 言いかけて、唖然とする。護符から感じる霊力が上がっているのを感じた。


「呪符製作より、護符製作が向いているようだと、社長は仰っていますよ?」


 にっこり音無さんが笑った、その瞬間だった。


「セイッ!」


 長谷川さんの、繰り出した正拳突きが直撃して。

 何かが割れた。


 風が吹き荒れて。

 灯籠の灯が揺れた。


 僕は、迷わず護符を起動する。

 魔除けの護符。


 本来であれば、五芒星でかたどられた護符が、今や肉球印。


(どうにでもなれ――)


 肉球が浮かび、風がその刹那、止む。

 静謐がまた、訪れた。


 むしろ、風が猛狂うのは、兄貴の居る場所のみで。

 その頬を、未白い手が這う。


さちなな番。布袋尊様、感謝申し上げます。幸、よん番、弁財天様、お願い申し上げます」


 彼女が手にしていたのは、琵琶だった。爪弾く。音色が流れて。それが形を変え、弓矢に変化する。


「そして、崇さん。感謝申し上げます。しっかりと彼女達を護ってくださいね?」


 にっこり微笑む。


丹來にき、貴方がここを狩り場にしたこは不運であり、私達にとって幸運でした」


 なぜなら――。


市杵島姫命いちきしまひめのみこと

 田心姫命たごりひめのみこと

 湍津姫命たぎつひめのみこと

 厳島神社は、この三柱を祀る三大弁財天の地、その一つ。弁財天様にとっても、私にとっても聖地なのですよ」


 音無さんは、矢を番え、弓を引き絞る。


「夢女よ。彼に取り憑いても、穢れしかありません。早々に立ち去りなさい。乙女の夢を穢す者に、なぜ同情を交える必要がありましょうか」


 白い手が忽然と、兄貴から消えて。

 兄貴が目を見開く。


 その髪が真っ白に。


 肌が、皺を刻んで――僕は思わず、目を逸らした。

 霊力が、急激に失われていく証だった。





急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう


 そして、矢は放たれて――。

 




■■■






 厳島神社、大正院の戒壇巡り。

 光一つ差さない、暗闇の中を巡れば。生まれ変わって、極楽浄土へ行けると言う。

 そんな場所に、視力を奪われそうなほど、光が溢れ返ったのだった。

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