乙女専門(株)白猫印の祓屋さん ―丹來 Nikiの章―

尾岡れき@猫部

第1話 夢女―Mujyo―




 波の音が寄せては引いて。

 間もなく、厳島神社へ向かう道は、水面で覆われてしまう。

 それなのに、立ち竦んで。

 震えて、言葉にならない。

 美玖はなんて言ったんだっけ?


 ――初恋が忘れられないの。


 そう彼女は、トイレから戻ってきた時に、そう言った。腕を絡めていた相手は、僕じゃなかった。

 

 ざーざー。

 波の音が、まるでノイズのようだった。


 ――ずっと、好きだったの。


 その男の顔を見ようとするのに、怖くて見られない。

 首筋には、痣が無数に。それは、激しい口吻の痕だと知る。


 ごくり。

 唾を飲み込んだ。


 ――ごめんなさい。


 俯く。

 黒い靄に囲まれて、あの子が見えない。


 ――崇君は、優しい人だった。


 あなたは悪くないの。

 そう耳元で囁かれた。


「だったら、そう思うんだったら!」


 そう叫ぶのに、声は全然響かない。まるで、水のなかで藻掻くように――沈んだ。

 ごぼごぼ。


 突如、水の中へ。


 藻掻く。

 藻掻けば、藻掻くほど、海の底に落ちていく。

 遠くに、赤い鳥居が見えた。


 ――だって、やっぱり忘れられないの。


 こぽこぽ。

 水に沈む。

 水に落ちる。

 

 ――可愛そうになぁ。


 ちゃぷん。

 ちゃぷん。

 手を引かれた。


 ――うちが慰めてあげる。

 尾鰭おひれで抱きしめられた。


 ――あんさん、えぇ子なのにな。あの女、見る目がなかったんやな。


 鱗がぬめぬめして。


 どうして。

 なんで、ワケが分からない。


 美玖とは、同じ大学のゼミで出会った。

 好きだったんだ。


 ジントニックを飲みながら。


 ほんのりと、頬を桜色に染めて。

 ずっと好きだったのにね。


 友達としてしか、見られないんだって。

 笑う。


 あ、あのさ。

 その恋を僕が忘れさせたいって言ったら、笑う?


 そんなの無理だよ。だって、私、忘れられないもん。それに崇君に失礼だよ。


 今はそれでも良いから。でも、絶対に僕が塗り替えるから。お試しって、ことで。僕は美玖幸せになるなら。その方法を選んでくれて良い


 ――健気やなぁ。


 でも、あんさんが不幸せになるのは、そりゃちゃうと思うんです。うちが抱きしめてあげる。ほな、おいで……。


 こぽこぽこぽ。

 視界が真っ暗に。

 水底に落ちて。

 最後の抵抗と言わんばかりに、手をのばして――。






 むに。

 柔らかい、感触がした。







■■■





「いつまでも、夢女に意識を呑まれているのよっ!」


 予想だにしない衝撃が頬に見舞われ、体が宙を舞う。背中を衝撃が走った。

 ひらひら揺れる、カーテン。そして整然と並ぶ病院のベッド。僕は呆然と見やる。


 どうやら、僕は病院に搬送されたらしい。


 片方の手で胸を押さえ、涙目の、ブレザー姿の女子高生。

 巫女装束の――きっと同年代の少女が一人。

 黒い気泡が視界に現れ、それが霧散したのがえた。


「護符なしで怪異を殴るとか、相変わらず、瑛真えまちゃんは非常識ですよね」


 巫女さんは、呆れたような感心したかのように、吐息を漏らす。

 おろおろしている母さんを見ながら。


 そういえば、と思った。

 最近、宮島では不思議な噂がたっていた。


 曰く、カップルで厳島神社に参拝するな。弁天様が嫉妬をするから。

 弁天の使い、夢女には気をつけろ。

 そんな噂だった。


 陰陽寮からも警告は発せられていた。

 本業を疎かにしたのは事実だ。


 恋にうつつを抜かしていた。

 そう親からも、陰陽寮からも批判をされても、反論しようがない。


 僕は、美玖のことが好きだ。

 一目惚れだったんだ。

 いつも、何かに我慢して。

 無理に笑っているようで。


 そんあ美玖を、僕が笑わせたいと思ってしまった。


 だから、美玖以外の人に目もくれない、そう思っていたのに。

 それが、どうか。


 彼女は、初恋の人と寄り添った。

 あの痣が、まだ目に焼きついている。


(あれはキスマークだった……)


 疼く。

 あの短時間で、彼女はああも簡単に躰を許したんだ。そりゃ、そうか。僕はあくまでお試しで――。



 ぴん。

 鼻を指先で弾かれた。また、黒い気泡が霧散していく。


(え?)


 僕は目をパチクリさせる。


「だから、鼻ピンで憑き祓いをするとか、どれだけ非常識なんですか」

「だって、一番早いじゃん。そこまで言うなら、音無おとなしちゃんがやったら良いのにさ」

「護符がもったいないからイヤですよ。この程度、陰陽師資格があれば、彼だって対処できます」


 ニッコリ笑って、巫女装束の彼女は微笑む。

 僕は目をパチクリさせる。


 音無おとなし――?

 それは陰陽寮、始祖4家のうち、安倍家と対を為す最大派閥だった。


「お、と――」

「お初お目にかかります。音無家の音無雪おとなしゆきと申します。今は瑛真ちゃんと【株式会社白猫印の祓屋さん】なるものを経営しています、しがない女子高生です」

「しがない女子高生は会社経営しないって」


 相方が苦笑を浮かべていた。


「無所属、長谷川瑛真。音無ちゃんの助手やってます」

「もぅ、そこは私の嫁ぐらい、言ってくれたら良いのに。音無家正式公認の陰陽師を名乗って良いんですからね?」


「話がまとまらないから、ちょっと黙って。それと、私には好きな人が――」


「上川君のことは、もう吹っ切った方が……」

「うるさい、うるさい! そんなイジワルを言う音無ちゃん、大嫌いっ!」


 痴話喧嘩よろしく、仲良く喧嘩をする高校生達に目を丸くするしかない。


「あ、あの?」

「「……こほん」」


 二人ははっと我に返ったように、息ぴったり咳払いをしてみせた。







安倍崇あべのたかしさん。今回の夢女について、【株式会社白猫印の祓屋さん】が捜査を取り仕切ることになりました。つきましては、捜査にご協力いただいて、よろしいでしょうか?」


 巫女装束の少女――音無さんは、にっこりと微笑んだのだった。









 視界の隅で、刹那、黒い気泡が視えたのは気のせいだったんだろうか?

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