第2話 戒壇巡り ―KAIDANNMEGURI―


「うぅーん、良い波!」


 長谷川さんが、背伸びをする。

 陽気は燦々。


 フェリーの甲板で佇む、長谷川さんと音無さんの髪が揺れた。


 制服姿は相変わらず。彼女の腕に絡みつくように、抱きしめているのは音無さん。さながら、百合カップルだった。


(眼福――)


 と呑気に思う余裕はない。

 目下、僕は船酔いの最中だった。せめて、美玖が傍にいてくれたらって思って――ズキズキと胸が痛んだ。


 ――初恋が忘れられないの。


 波の音。

 さぶん、ざぶんと。


 波のような――得体の知れない、何か。それが寄せては引いて、引いては寄って、美玖を攫っていった。


 どこを歩いて来たのかも、ワケがわからないまま。

 気付けば、僕は一人で。


 砂浜に足跡をつけ、呆然と紅い鳥居を眺めて。

 ようやく、気付いたんだ。

 僕は実玖に棄てられたのだ――ぷに。



「ぷに?」


 僕は目を丸くする。音無さんが、僕の頬をツンツンとつっつく。

 黒髪の巫女さんに、距離を詰められ、思わず鼓動が早くなる。明らかに年下の彼女に対してこんなことを思うのは失礼な気がするが――高嶺の花。そんな表現が的確な気がする。


 触れることは叶わず。

 想うには遠すぎる。

 綺麗な花には毒がある。


 冷酷でも冷徹でも冷たくもない。柔和で、温和。論理ロジックを掲げるわけでもない。それなのに、飲まれてしまいそうで。彼女が間違いなく音無家の出自であることは間違いない。


 ――音無家は、自ら語る言葉無し。言の葉は、君に捧げる祝詞なり。神降ろし、音無、小鳥遊たかなし、祭司、終始、言霊、勾玉、天啓を紡ぐ。


 陰陽寮四家のなかで、安倍家の陰陽学は突出している。しかし怪異に一番近い存在が、音無家であることは間違いない。


 間違いなく、音無さんは、音無家の人。そう感じさせる、独特の空気を感じていた。


「……あの、僕まで宮島行く意味が分からないんですけど?」


 質問を投げかける僕に、音無さんはコテンと首を傾げた。


「貴方は、当事者ですよね。そして、彼女さんは多分、夢女に引き込まれて――美玖さん自身が夢女になった」


 淡々と音無さんは言う。


「夢女を討伐するために、音無家が出るということですか?」

「問題はそんなに単純ではありませんよ。【丹來にき】が介入している可能性がありますから」

「にき?」


 聞き慣れない言葉に、僕は耳を傾げる。陰陽寮に所属する以上、それなりに怪異のデータベースは目を通す。古今東西、広く浅く程度ではあったが。でも【ニキ】なるものは初耳だった。


「調べてみたら良いですよ。意外とすぐ出てきますから」


 クスッと微笑んで。

 それから音無さんは、長谷川さんのもとに向かう。


 僕は音無さんに言われたように、スマートフォンで、検索をしようとして、間違ってカメラを起動してしまう――。


 その刹那だった。

 イタズラ好きな風狸が通り過ぎたかのような感覚を感じる。

 突風が甲板に吹き荒れて――。


「きゃっ」


 長谷川さんが可愛い悲鳴が上げた。

 清潔感ある、純白が目に焼きついて。

 そして――。



 パシャリ。

 カメラが劇的瞬間を捉えた。

 気まずい、沈黙が流れる。


「撮ったの?」

「……その、とても綺麗に……」

「何色だった?」

「それはそれは、綺麗な白で――」

「ウソでも隠してよ、バカッ」


 長谷川さんのアッパーカットが見事に顎にクリーンヒット。


(……ひどくない?)


 確かにこの拳なら、悪霊も退散するはず。

 そんな、しょうもないことを考えながら、僕は甲板の上をバウンドしたのだった。






■■■






 光が、まるで無い。

 黒一点。


 暗闇の中を歩く。

 こつん、こつんという足音。


 触れるのは、腕に巻き付く、銀の糸――釣り糸だった。


「痛いっ、だから、イタッ――」


 ちょっと、遅れたら、どこから出したのか、釣り糸が絞まる。音無さん、綺麗な顔して、本当に容赦が無い。


「だって、安倍さんが遅れたら捜査にならないでしょう?」

「だったら、僕も掴ませてくれても」


 せめて、服の袖でも。僕は今、孤独感を募らせていた。

 曰く――彼女持ちはご遠慮します、と音無さん。

 鉄壁の防御とは、このことか。


 後ろを歩く二人は恋人よろしく、音無さんが長谷川さんに、腕を絡ませていた。暗闇の中を歩く恐怖感が募る。ここを美玖と二人で歩くうちに、いつのまにか、迷い込んでしまったのだ。暗闇から、水底へ。厳島神社を目の前に。また暗闇。水底。人魚、そして夢女。どこから、どこまでが現実で、どこからどこまで化かされていたのか、正直、僕も分からない。


 ただ――美玖はいない。夢女に引き込まれて。未だ、彼女は夢の世界に囚われている。呪符を使用しても、彼女を検知できないことが、全てを物語る。

 と、音無さんがクスリと微笑を溢した。


「だから、イヤです」


 きっと満面の笑顔。


「想い人がいるのに、誰彼繋がりたいなんて破廉恥です」

「言い方!」


 変態扱いだった。こうなったら、長谷川さんに頼るしか――。


「変態はちょっと……」


 むしろ変態断言だった。いや、胸は触るは、スカートのなかの聖域を覗いてしまうわ。


 おまけに撮影……でも、わざとじゃないよ からね?! 

 もちろん、データは即削除しましたさ。

 最早、何を言っても許されまいと、僕は口を噤む。


 こつこつ、足音。


 衣擦れの音が、妙に艶めかしい。

 音無さんんからは、お香の匂いが。

 長谷川さんからは、香水の匂いが。相反する匂いのはずなのに、溶け込んでいって。


 厳島神社、大正院の戒壇巡り。

 胎内巡りとも言われている。


 光一つ差さない、暗闇の中を巡れば。生まれ変わって、極楽浄土へ行けると言う。陰陽師にとっては、修行場の一つ。しかし、感覚過敏な僕にとっては、たんなる肝試しでしかな――かったはずなのに。


 肝試し感覚で、行ったのがまずかったのか。

 纏わりつく闇。


 足音。


 ちゃぷん、ちゃぷん。

 まるで、波間を裸足で歩くように。


(この感覚――)


 憶えている。

 何かが、僕の横を通り過ぎた。

 手招きしている。

 ちゃぷん。

 何者かが、引きずり込むように。




「……ウソ?」


 そう呟いたのは、長谷川さんだった。

 声が聞こえる。


 ――瑛真えま

 そう、長谷川さんを、優しく呼ぶ声が。


「……上川君?」


 糸がぴんと張り詰めて。

 音無さんと、長谷川さんの歩みが止まったと知る。


 食い込んで。

 血が滲む。


 糸を伝って、雫が。滴る。

 ぴちょん。


 暗闇の中。

 血が滲んで。


 落ちた。

 波紋が広がって。






 ――上川君?

 長谷川さんが呟く。


 音は波紋を呼んで、伝播する。

 うっすら照らすのは、鬼火。


 手招きする、女の子たち。

 香水の香り。

 焦点の合わない視線。

 美玖がいた。

 

 

 ――上川君?

 長谷川さんの声に共鳴するように、ブレることなく夢女たちいが囁く。






「瑛真――」

 多分、長谷川さんの初恋の人なんだろう。

 上川と呼ばれた男は、長谷川さんを優しく引き寄せる。






■■■








 ぴちょん。

 食い込んだ糸を伝って、また血が滲んだ。

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