天使に焦がれ 悪魔に願う

小豆沢さくた

天使はもう一度だけ、そして悪魔は

 昔々、あるところに、大きな大きな国がありました。

 その国の、すみっこのすみっこにある、小さな村でのことです。


 青く高い空の下、緑の広がる山々のふもとで、村人たちは寄りそうようにひっそりと暮らしていました。


 国の中心部で、革命かくめいが起こったそうです。しかし村人たちは、どこか遠い世界で起こったできごとのように感じていました。

 やがてのんびりと、しかし重大なおふれが、国から村へ届きました。


『我が国家は●●教を国教こっきょうとする。すべての国民は今までの信仰しんこうを捨て、●●教の信者として生きよ』


 めったに争いごとなども起こらない村にとって、天地がひっくり返るほどの大事件です。


 では、我々の天使さまはどうなってしまうのか――。


 この村には古くからの信仰があり、村の守り主として天使がまつられていました。

 しかし、いくら中心部から遠く離れた村であっても、このおふれは絶対です。

 とうとう村にも、国からの聖職者せいしょくしゃたちがやってきました。すぐさま新しい宗教のための教会が建てられ、古い信仰に関係するものはすべて焼き払われてしまいました。



 †



 村の中央に、村で一番大きく古い建物があります。

 昼間は子供たちの学習の場。夜は大人たちの集会の場。また年に一度、村人総出のお祭りの場にもなる建物です。


 ある男が、村長から建物の雨もり修理を頼まれました。

 男は、次の日の朝一番に、屋根裏部屋へと入りました。

 しばらく誰も足をふみ入れていなかったのでしょう。大量のほこりとくもの巣に、男は息が詰まりました。

 くもの巣をかき分けかき分け、全身まっ白になりながら窓を開け、屋根へ出ます。

 雨もりの修理を終えた男は、屋根裏部屋に戻りました。


 そこで、男は見つけてしまったのです。

 すべて焼き払われたはずの、かつて村の全員が信仰していた、守り主だった美しい天使の肖像画しょうぞうがを。


 男は額縁がくぶちを持ち、肖像画の埃を手で払いました。

 美しい天使の顔があらわれます。

 すっかり埃を払ってしまうと、男は神聖しんせいな気持ちで肖像画を見つめました。新しい宗教の洗礼せんれいを受けたとはいえ、かつて信仰していた天使は、男にとってとうとい存在に変わりありません。

 その時、ちょうど雲が晴れ、朝日が窓から屋根裏部屋いっぱいにしこみました。

 やさしい光が天使の顔を照らします。


 するとどうでしょう。

 肖像画の中の天使がまばたきをし、にっこりとほほえんだのです。


 ――⁉


 男は手で目をこすって、再び肖像画を見つめました。

 しかし、天使は見つけた時と同じ表情で、どこか遠くをながめています。

 男は、まばたきをした神々こうごうしいひとみが、ほほえんだ美しい形のくちびるが、どうしても見間違みまちがいとは思えませんでした。


 もう一度、見たい――。


 その時男は、一瞬いっしゅんだけ見た天使のほほえみに、恋をしてしまったのです。



 †



 男はそれから毎日、まだ誰も起き出していない早朝に屋根裏部屋へ上り、肖像画を取り出しました。

 天使のほほえみを再び見ることはありませんでしたが、男はそれでも天使をひとりめできるひと時を、とても幸せに思いました。

 もちろん、建物に子供たちが集まる前には肖像画をかくし、何事もなかったように過ごします。

 聖職者に見つかろうものなら、肖像画はただちに焼き払われ、男は大罪たいざいおかした者として、きびしいばつを受けるでしょう。


 そんな男の変化に、気づいた者がいます。

 子供たちの先生をつとめるその女は、いつの頃からか、男への愛を胸にひそめていました。


 愛する男が――何かに心をうばわれている。


 女は男の行動を調べ上げ、それがどうやら屋根裏部屋に関係していることを突きとめました。

 建物に誰もいない時をねらい、女は屋根裏部屋へと上ってみました。そして埃だらけの床に伸びる、埃のない一筋ひとすじの細い道を見つけました。


 果たしてその先には、すべて焼き払われたはずの、かつて村の守り主だった、美しい天使の肖像画があるではありませんか!


 ああ、男が心をうばわれているのは――天使の、肖像画なのだ!

 肉体にくたいも持たない、ただの絵なのだ!

 許せない。許せない――許せない!


 嫉妬しっとの怒りに燃えた女は、肖像画を手に屋根裏部屋を飛び出し、その足で教会にかけこみました。



 †



 男のつみは、またたく間に村中へと知れ渡りました。


 男は村から逃げました。

 教会の追っ手があきらめるまで必死に逃げ続け、気がつけば、森のうんと深い場所まで来ていました。


 なぜ、こんなことになったのだ! 私は天使さまのほほえみが、もう一度見たかっただけなのに――。


 男が逃げたと知った女は、男をにくみました。

 そして何より、男の心をうばった天使を憎みました。


 ああ、天使なんか殺してやりたい! そのためなら――悪魔とだって契約けいやくしてやる!


 はるか昔、村のごく一部でひそかに行われていたという悪魔信仰の言い伝えは、口に出すこともおぞましいほどの、村の最大の禁忌きんきでありました。

 悪魔は天使の消滅しょうめつをもくろみ、天使をまつる人々を不幸におとしいれる存在です。


 憎しみのあまり、女が口にしてしまった悪魔の名。

 その強烈きょうれつな負の感情を受け取り、悪魔は人知れぬやみの中で、永い眠りから目覚めました。


 悪魔との契約、すなわちたましいを売り渡すことです。

 悪魔は人間の魂を吸いこみ、永遠の命を保ちます。魂を売り渡した者は、その代わりにひとつだけ、どんな願いでもかなえてもらえるのです。


 どんな願いでも、ひとつだけ。


 女は悪魔に願います。


 ――憎いあの天使を見つけて!



 †



 天使を求めてひたすらさまよう男は、身も心も傷だらけになっていました。

 ついには、谷底の見えない崖縁がけぶちにたどり着いてしまいました。男はがっくりとひざをつき、両手をにぎりしめて祈ります。


 ああ、天使さま、どこにいらっしゃるのでしょうか。

 私はただ、天使さまのほほえみが、もう一度見たいだけなのです――。


 その時です。

 やわらかな光が空から降りそそぎ、男の目の前に、あの天使が姿をあらわしたではありませんか。


 本来ならば、天使のきまりとして、人間の前に姿を見せることはご法度はっとです。屋根裏部屋の絵に宿ってひと休みした時に、男に姿を見られたことは、天使のあやまちでした。

 しかしその過ちがこのさわぎを引き起こしたことで、天使は心を痛めていました。

 一生懸命に祈る男がかわいそうになり、天使はもう一度だけ、男の前にあらわれたのです。


 天使さま、天使さま、ここにいらっしゃったのですか――!


 男はうれしさのあまり、涙を流します。

 天使がその白く美しい手を、男へと伸ばした時でした。


 ――殺してやる!


 憎しみに顔をみにくくゆがめた女が、おのを手にあらわれました。悪魔から武器を与えられ、この場所まで一瞬で移動してきたのです。

 女は斧を、天使めがけて振り上げました。


 飛び散った血は、天使をかばった男のものでした。

 深い傷を負った男は、谷底へと吸いこまれていきました。


 しかし次の瞬間、あたり一面に白い羽根が舞い上がり、男の体は崖の上に戻されました。

 男の命を助け、天使は羽根を残して消えてしまったのです。

 それをさとった男は、胸をかきむしり泣きわめきました。


 われに返った女は、愛する男を手にかけてしまったことに、青ざめてふるえました。

 すると、かくれて様子を見ていた悪魔が、そっと女に近づき、ささやきました。


 ――せっかく天使が消えたのに、男はまだ天使を思っているではないか。憎い天使は、まだ男の中に生きている。


 女の心は改めて、嫉妬と憎しみに燃え上がりました。

 女は、迷うことなく、再び男に斧を振り下ろします。


 散らばっていた白い羽根が、真っ赤にまりました。


 これでもう、私たちの邪魔じゃまはいなくなった――さあ、一緒に帰りましょう。


 女は力尽ちからつき、その場にたおれました。目的を果たした悪魔が、女の魂を吸いこんだのです。


 そして悪魔は、不気味ぶきみわらい声を残しながら、どこかへと消えていきました。

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