第28話 28

28  エピローグ




「ここなら誰も入ってこれないから」


 屋上に逃げ込こむと冷たい風に全身が粟立った。

 凄く寒くて今すぐにでも校舎の中へと戻りたかったけど、揉みくちゃにされる方が嫌なので我慢だ。


「寒いからこれ着ててな」


 靴の先から這い上がってくる寒さに身動ぎしていたら八雲が着ていたジャケットを手渡してきた。

 彼だって厚着をしているようには見えない。

 格好付けだと拒んだら女の子だからなんて言ってきて無理矢理肩にかけられる。

 

 別にそんな丁寧に扱ってくれなくてもいいのに。

 まぁ、そこまで言うなら着てあげなくもない。

 後から寒いって言っても返してあげないから。


「・・・ありがと」

「どういたしまして」


 ジャケットには八雲の体温が仄かに残っていて暖かい。手で引っ張って前を閉じたら彼に包まれている感覚がしてくすぐったくて、恥ずかしかった。

 

「いつ戻ろうか」

「みんなが落ち着いたら」

「向こう一ヶ月はムリじゃない?」

「そんなの御免よ。鬱陶しい」


 知らない人に話しかけられるのは苦手だ。

 さっきみたいな見ず知らずの人に囲まれる日々を想像すると心の底から嫌気が差した。だけど、そんな私とは裏腹に八雲は歯を見せて笑っている。


「優勝しちゃったからね」

「しないと思ってた?」

「え? そんな考えは一瞬も過らなかったなぁ」

「・・・ばーか」


 あまりにも真っ直ぐに信じてくれて、でも、私は素直に受け取れない。ありがとうを言えばいいのに余計な一言で恥ずかしさを隠そうとしてしまう。


「お疲れ様」


 でも、そんな私の性格も八雲には見透かされているから、距離が離れることはなく、寧ろ、さっきよりもぐっと近づく。


「これで嫌でも自分に自信が持てたんじゃない?」


 いろんな感情が湧き出してきて絆されそうになる感情を自制した。まだ、彼から答えを貰っていない。


「それよりも先に言うことあるでしょ」

「え? んー。なんだろう」

 

 ばかやくもが惚けた振りをしていて腹が立つので、戒めに手の甲を捻ってやった。


「いてぇっ!?」

「私を怒らせたくないなら早く答えることね」

「・・・雛倉は怒ると怖いからなぁ」


 何を思い出したのか観念した様子で左頬をポリポリ掻いている。私だって痛かったのだからおあいこだ。


「それにしても寒いよなぁ」


 まだはぐらかそうとする八雲を睨み付けようとして、いとも簡単に引き寄せられた。背中をぐっと押されて、私の全身が彼の骨張った身体に埋まっていく。


 らしくない乱暴さがこんなにも嬉しくて、安らぐ。

 驚きは一瞬で直後に幸福感が私を取り込んだ。


「んっ」


 鼻先に彼の匂いがあって、それを一杯に吸い込んだらこの全てが私の物だなんて軽い錯覚を起こした。


 ううん。間違ってなんかいない。

 この人の全ては私の物だ。

 そして私の全てはこの人の物。


 早鐘を打つ心臓の音が心地よくて、ドキドキする。

 首元に触れる吐息がもどかしくて。切ない。


「好きだよ。寧々ちゃん」

「・・・ぁ」


 その言葉が頭の奥の奥まで響いて脳髄を侵す。

 止め処なく分泌された何かが身体の中まで溶け込んで、僅かに強張っていた全身の力が抜け落ちた。身体がふにゃふにゃになって感覚が希薄になる。支えられていなければその場にへたり込んでいただろう。


「ずっと。ずっと。俺の一番なんだ」


 何度も言ってくれた好きの言葉。

 私の心を満たしてくれる魔法の言葉。


「私も好き・・・。八雲が好き・・・」


 ずっと言いたかった。

 だから、この想いは止まらない。止まれない。


「優しいところが好き。可愛いって言ってくれるところが好き。歩く歩幅を合わせてくれるところが好き。困った時に駆け付けてくれるところが好き。ずっと、私を好きでいてくれたところが、好き」

  

 まだ触れられる場所を探して指先の一つ一つが絡み合う。


「君がいないと生きていけない」

「あなたと生きていたい」


 好きと好きが混じり合いながら溶けていく。 

 体温も同じになって、私達を隔つのは一つだけ。

 それすら消してしまいたくて彼を見上げる。


「・・・」

「・・・」


 鼻先が当たるくらいの距離で私達は見つめ合って、八雲の視線が下へと逸れていく。まじまじと見られるのは恥ずかしくって、顔を伏せようとしたら彼の手が頬に触れて捕まえられてしまった。


 もう観念して、瞳を閉じる。


「俺を選んでくれて。ありがとう」


 唇が触れて、その柔らかい感触に溺れた。

 もっともっと近づこうとして、八雲が離れる。


「え」


 あまりにも一瞬だった。

 そんな不満が前に出て思わず八雲を確認すると、彼は顔を真っ赤にしてこの瞬間を噛み締めている。


「夢みたいだな」

 

 普段よりもふやけた表情を浮かべている彼は今ので満足らしい。ふーん。そうなんだ。へぇー。


「寧々ちゃん?」

「なによ」

「どうしたの?」

「・・・別に」

「あれ。なんか間違えた・・・?」


 私の素気無い様子に気付いた八雲がぱちぱちと目を瞬かせて自身の行動を振り返っている。思い当たるのは間違いなく直前のキスで、でも、理由には至らなかったのかあたふたと落ち着きがなくなっていく。


「ネットでちゃんと勉強したのに」


 ふん。そんなとこだろうと思った。

 どうせ、がっつき過ぎてはいけないだとか、そんな記事を見たに違いない。私も見たもの。だけど、そうやって自分の中だけで完成させるのは彼の悪い所だ。

 そんな誰が書いたか分からない物より、ちゃんと目の前の私を見てくれなきゃ。


「そもそもキスしたのが間違え、むぐぅ」


 でも、それも私が直してあげる。

 だって、雛倉寧々は粟木八雲のヒロインだから。




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彼女の恋物語にちょい役で出演する。 よせなべ @yosenabe

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