第27話 27
27
「行ってらっしゃいませー」
文化祭当日。二年二組の執事喫茶は予想以上に盛況で猫の手も借りたいくらいには多忙を極めている。
たった今もお客様ならぬご主人様のお見送りしたばかりなのだが、休む暇なくすぐに次の応対に入らなければならないほどだ。
「おかえりなさいませ。ご主人様」
右手を胸に当て、恭しく頭を下げる。
普段なら絶対しない畏まった所作に若干の気恥ずかしさはあるけれど、執事服の装いも相まってそれなりに様にはなっていると思う。
「ふーん。悪い気はしないわね」
「・・・あれ?」
教室に入り口に立っていたのはお帰りになった主人ではなく、ミスコン会場にいる筈の雛倉だった。
彼女の装いもいつもの制服姿とは違っていて、見覚えのあるシフォンワンピースに身を包んでいる。
白を基調とした立ち襟のブラウスに重ね着された黒いビスチェ。ふんわりと膨らんだスカートにフリルがあしらわれた愛らしい袖口。
あまりにも洗練された本物のお嬢様のような立ち姿に教室の中が俄かに騒がしくなっている。
「ここいていいの? そろそろミスコンの時間じゃ」
「だから迎えに来たんじゃない。ほら、行くわよ」
俺に向けて差し出される手のひら。
その手を取るか一瞬だけ逡巡し、
「強引だなぁ」
固く握った。
クラスメイトからは後でしこたま怒られよう。
後ろを振り返ると、呆れ顔のもぶがしっしっと手を振っていて、くろこは頷いてくれる。本当に二人には頭が上がらない。
「行きましょうか。お嬢様」
「ちゃんと連れてってくれる?」
「もちろん。君が望むなら何処へでも」
もう一度強く握り直し、教室を飛び出す。
人で溢れかえった廊下を二人並んで歩いていく。
道行く人から好奇な視線を向けられても不思議と気にはならなくて、ぐっと彼女を引き寄せる。
何かの出し物だと思われているようで、人を避けなくても勝手に道が拓かれていく。
まるで、物語の主人公みたいだ。
「どうしたの?」
「いや、なんでもない」
はしゃぎそうになる心を口にするのは何とも恥ずかしくて気持ちを隠したら、雛倉が悪戯っぽく口を尖らせた。
「へぇ。何も言うことないんだ」
「世界で一番似合ってるって言った事ならあるけどなぁ」
「今でも?」
「なんならあの時の一番超えてる」
「もう。一番を超えるってどういう意味なの?」
彼女が笑う。とても豊かな表情で。
「緊張はしてない?」
「うーん。少しだけ。やっぱり、得意じゃないから」
「そっか。あぁー。楽しみだなー」
「ちょっと。プレッシャーかけないでよ」
「大丈夫。観客は全員饅頭だと思えばいいんだから」
「不細工な?」
「はは。それだと吹き出しちゃうかもしれないぞ」
「ほんとね。でも、そのくらいがいいでしょ?」
「間違いない。さぁ、到着だ」
そうしてようやく会場となっている体育館の前に辿り着いた。轟々と鳴り響く歓声が箱の中には収まり切らずに外の世界へと漏れ出している。
心地のいい会話はいつまでも続けていられるけれど一旦ここでお仕舞いだ。続きはミスコンが終わってからの楽しみにとっておく。
正面入り口に手をかけて扉を開いた瞬間、体育館中に飽和していた膨大な熱風が質量を伴って俺の身体を押し出した。文化祭の目玉イベントだけあって人の密集具合が凄まじい。
三百人は下らない観客を前にして俺の方が尻込みしてしまう。でも、振り返った先の彼女はそんなの全く気にしていない様子で言葉を紡ぐ。
「見ててね。あんたの一番になってくるから」
体育館後方の扉の前で腕組み待機して雛倉の出番を待つ。もっと前で彼女の勇姿を焼き付けたかったが、割り込んでいく余地は欠片も存在していなかった。でも、ここからなら体育館全体が視界に入る。
周囲を見渡せば斜向かいに王子一行の姿があった。
彼らも仲間の応援に駆け付けてくれたらしい。
生み出される熱は留まることを知らず、寧ろ、クライマックスに向かって加速度的に増幅していて、熱気に舐られ額には汗が滲んでいた。
館内の照明は限りなく絞られているが薄暗いことはなく、仮設されたランウェイには目が眩むくらいのスポットライトで照らされている。
そこが彼女達のステージだ。
堂々とした立ち振る舞いでランウェイを練り歩き、観客を魅了していく。手を振って笑顔を振り撒いたり、蠱惑的に投げキッスをしてみたりとパフォーマンスは人によって様々だ。その度に観客の心は揺られて賞賛の歓声を彼女達に届ける。
また一人、また一人とアピールタイムを終えていき、とうとう雛倉の見せ場がやってきた。
特別雛倉を目立たせるような演出はされていない。けれど、彼女を見つけた者から息を呑み、会場が一瞬の静けさに包まれ、その一挙手一投足に目を見張る。
ここにいる三百人の観客がその姿に見惚れていた。
しかし、雛倉にはやはり愛想が足りていない。
こんな非日常の中にあっても普段の表情は崩れなくて緊張して尻込みする訳でも、舞い上がってはしゃぐ様子も見られない。ただただ威風堂々とした振る舞いでランウェイを歩いているだけだ。
時折、観客を見渡せばそれだけで歓声があがり、目が合ったなんて声が聞こえる。ざわめき立つ周囲の反応とはお構いなしに表情をムスッと顰めている雛倉。
ミスコンそっち退けで個人的な感情を発露している彼女の素直な姿に思わず笑ってしまう。
そんな顔をしなくたってちゃんと見てるよ。
後で怒られそうだななんて思っていたら、吸い寄せられるように雛倉の茶色瞳がこちらに向く。
人波に阻まれて目が合っているのかはよく分からない。だけど、彼女は駆け出した。そのままランウェイの先端に到着して、大きく息を吸い込み、
「好きよ」
その一言で会場が揺れた。
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