BUG HUNT

破壊神1/4《シヴァ・クォーター》

虫取りするGAKIをニコニコしながら眺めるお姉さん

「虫取りにいこーぜ」

 アキラからそんな連絡が入った。そろそろ日付も変わろうかという、真夜中のことだ。

「今から?」

 確かに夜の方が虫は出るものだが、しかしそれにしても急な話だ。

「なんか神社の林でデカいのが出てるって話だぜ。行くっきゃないだろ」

「聞けよ、話を。俺そろそろ寝るつもりだったんだけど」

「『だった』ってことは来るってことだろ? 先行ってるからさっさと来いよ」

 それだけ言い残して、アキラからの連絡は途絶えた。やれやれ、と溜息を一つ。全くあいつと来たら腹立たしいことこの上ない。一番むかつくのは、既に乗り気になっている自分を見透かされてることだ。

 俺は虫取りの準備を手早く済ませることにした。



「おせーぞ、カイト。他の奴に取られたらどうすんだ」

 『賽銭箱』に腰かけ、手元でガチャガチャと虫取り棒の調整をしながらアキラは待っていた。急に呼びつけておいて、偉そうに。

「悪かったな。虫取りなんて久々だからセッティングに時間かかったんだよ」

「あー、そういや最近は勉強に集中するっつって来てなかったっけか。前に一緒に虫取りに行ったのはいつだっけ?」

「『コーカサス』取った時が最後だな」

「あー、あれか。確かにあれは熱かったもんな。俺もしばらくは燃え尽きてたよ」

 あれ三か月前だっけ? 確かにあれ以上はないと思ったもんなー、などと言うアキラの格好をじっと見つめ、俺は言う。

「しかし、相変わらずアホみてーなカッコしてんのな」

 アキラは輝いていた。比喩ではなく、直截に。もっと具体的に言うならば、約1680万色に。

 発光するウェアの極彩色は、薄暗いこの一帯でよく目立つ。

「ハイセンスと言ってくれ」

「それがハイセンスだと言われる界隈になっちまってるなら、俺はもう虫取りなんてしねー」

「その点は安心しろ、俺の最先端のセンスに追いつけるようなガキはまだ現れちゃいない」

「お前に追いつく奴はいねーから安心しろ。虫だってお前を見つけたら逃げ出す」

「ったく相変わらずつれねーのな。いいだろ別に、視認しやすくって」

「お前のせいで視覚に負荷かかり過ぎて処理落ちしそうだわ」

 文句を言いながら、林の方に向かう。程なくして、枯れ木のような残骸どもが影のように乱立する景色が見えてきた。懐かしき『林』の荒涼たる風景だ。



「……ん?」

 視界の端に、何かが見えたような気がして、俺は振り返った。誰もいない。

「どした?」

「いや……今誰か居たような」

「居てもおかしくはないだろ。俺らと同じように虫取りに来たガキじゃないのか?」

「いや……そういう感じじゃなかった」

 そう、ガキには見えなかった。

 一瞬、視界に表示されたのは白い影。長いワンピースに大きなつば広の帽子を被った、女の姿だった。

 少なくとも、虫取りをしようとする格好ではない。

「女? お前、そんなに飢えてたのかよ?」

 口の端に笑みを浮かべてアキラが揶揄う。きっとゴーグルの下もにやついた目をしているに違いない。

「そんなんじゃねーっつーの」

「じゃああれだ、幽霊でも見たんじゃねーの」

「いるわけねーだろ、そんなもん」

「わかんねーぜ、ここじゃ何が起きるかなんて。人の言葉を喋る虫が居たー、なんて噂もあるし」

「お前まだ都市伝説漁りとかしてんの? 前も言ってたよな、ダークウェブにある大量のデータが集まってAI化しているとかなんとか、夢見がちなことをさ」

「そっちはほんとだっつーの! 乗っ取りにあった奴からメッセージが送られてくるの、実際に確認されたらしいし」

「どうせ業者の類だろ。いつまで寝言言ってんだよ」

 軽口に毒づきながら歩を進める。その間も、思考は止まらない。

 あれは、なんだったんだ?

 見間違いではない。女の姿はしっかりと記憶野に焼き付いている。

 その女は──。


 笑って、いた。



「ぼーっとしてんなよ、着いたぞ」

 アキラの声で思考を中断する。いつの間にか、林の中に入っていた。

 周囲にあの女の姿はない。それどころか人っ子一人居やしない。

「……おい、アキラ。本当にデカい虫が出るんだろうな? 誰もいねーじゃねーか」

「大丈夫だって、それより集中しろよカイト。久しぶりだからって気を抜いてたら、死んでもしらねーぞ」

 反論しようとした瞬間、それは来た。

 ヴヴヴヴ、と脳裏に直接響く異音。感覚に不快信号が伝達され、仮想の肉体が総毛立つ。

『危険。周囲のネットワークに不正データが発生しています。迅速なログアウトを──』

 ああくそっ、久しぶりすぎてアラートを切り忘れてた! 眼前に浮かんだ警告メッセージをキャンセル。開けた視界の先で、空間が歪んでいく。

 やがて、巨大なバグが形を成した。蜘蛛型スパイダーだ。以前相対した『コーカサス』ほどじゃあないが、大型の部類と言って差し支えない。

「確かにこれは……なかなかの容量サイズだな」

「ビビってんのか? 回線切ってもいいんだぜ?」

「ふざけろ、復帰戦にはちょうどいいくらいだ」

 俺は手元の虫取り棒ギアを強く握りしめた。

 虫取りバグ・ハントが始まる。



 人類がネットワークに完全に依存した社会を形成して一世紀。

 ニューロンインターフェイスの台頭で、インターネットが仮想空間と化して二十年。

 IP枯渇した旧世代インターネットがバグの出没する危険地帯と化し、ダークウェブとして完全廃棄されてからは五年。

 んでもって、俺たちがそのバグを退治する『虫取りバグ・ハント』という遊びを開発し、脳神経焼断の危険と背中合わせのスリルを楽しんでいるのが、今。



 Gaming Anti-bug KIds遊戯的対虫少年.

 頭文字をとってGAKIガキ

 どこぞの社会学者だか評論家だかが付けてメディアが広めた、それが俺たちの呼び名だ。

 頭文字とか言っときながらKidsからだけ二文字取るのかよとか、文法的にあってんのかとか、てゆーかこれガキって言いたいだけだろとか、いろいろとツッコミどころはあるが、俺たちはこの皮肉めいた呼称を、いっそ面白がって使っていた。

 だって、虫取りをするような奴はガキに違いないからな。



 アキラと俺は次々と現れる虫たちを狩っていく。

 大きいのは最初に顔を出した蜘蛛型スパイダーだけで、あとは蝿型フライ蚊型モスキートばかりだが、その蜘蛛型が厄介だ。吐き出してくる糸はアバターに絡みつき、こちらの容量サイズを増やすことで移動処理速度を落としてくる。

 しかもここは林──旧時代のデータ残骸が立ち並ぶ姿が枯れ木林のようだということから命名されたエリア──だ。粘着質の糸を貼り付ける先は無数にある。トラップを仕掛けるだけに飽き足らず、奴は吐き出した糸を使って縦横無尽に移動してくる。昔のコミックヒーローさながらに、だ。

 全てが片付くのに、おおよそ20分はかかった。



「とど、めっ!!!」

 ラストのジェットパックで頭上高く飛び上がり、ブレードで最後の蝿型の脳天を叩き割る。

 しゅわしゅわと修正され消えていく不正データを横目に、俺は大きく尻餅をついた。

「ふー、なかなか手ごわかった!」

 ニューロンインターフェイスで接続する仮想ネットワーク世界には肉体の疲れはない。ただ、脳神経には負担がかかる。息なんて上がっちゃいないが、「疲れた」と脳が認識すれば深呼吸するイメージが喚起されるのは当たり前の話だ。

「ナイスハント、カイト」

 疲れている脳神経に、さらに負荷をかける極彩色のアホが近づいてくる。このアホみたいな発光はなんとかならないものか。虫取り中、否が応でも位置が把握できるという利点はあるが。

「数か月ぶりの虫取りにしちゃ、悪くない動きだったぜ」

「多少のブランクで鈍るような腕じゃねーんだよ。お前の方は随分動き悪かったみたいだけどな」

「いや違うんだよ、彼女に言われて最近入れたオプションが重くてさ」

「は? お前いつの間に彼女なんて──っとおいそこ、気をつけろ。まだ蜘蛛の巣が残ってる」

「あっぶね」

 俺の注意を受け、アキラがひょい、と避ける。激闘の結果、周囲は蜘蛛の巣だらけになっていた。他のやつらが虫取りに来るまでに残っていたら悲惨だな。

 と、そこで気付く。結局俺たちの他に誰も来なかったな。

 デカい虫が出るって情報、他のGAKIが見過ごすわけはないと思うんだが。

「おい、確かにデカめの虫だったけどよ、どこで見つけた情報だったんだ」

「あー? 知り合いからメッセ飛んできたんだよ。虫取りとかあんま興味なさそうな奴だったから意外だったけど、わざわざ旧世代オールドネットのアカウントから送ってきたし、冗談ってことはないだろーと思ってな」

 ……なんだ、何か違和感がある。

 俺がそのモヤモヤしたものをまとめようとしたところで、それは現れた。


 女だった。

 白く丈の長いワンピースに、つば広の帽子。長い黒髪が揺れている。清楚な雰囲気を漂わせた、妙齢の女性。

 ニコニコしながらこちらを見つめ、ゆっくりと近づいてくる。

 虫取りの前に見かけた女だった。



 虫取りをする輩ではない、と直感出来た。

 俺たちGAKIはあんなウェアは選ばない──女のアバターを使ってる奴がいない、というわけではなく、あんな無駄にひらひらした、処理速度を重くするような外見にする奴はいない、という意味だ。何せ万が一のデータ破損時用の緊急ログアウトオプションがあるにも関わらず、そのデータ容量の重さを嫌って着けない方がデフォの界隈だ。

 こいつは──何だ?

 何のためにここに来た?



「何、おねーさん見学? だとしたらもう終わったよ。ああ、それとも……悪い、俺彼女居てさ──」

「──避けろ、アキラ!!」

 ニコニコと笑みを浮かべる女に対し、同じくにへら、と笑いながら応対しようとしたアキラに、俺は叫ぶ。

 普段のアキラなら、避けられたかもしれない。

 戦闘直後、脳の疲労がなければ。


 刹那、俺の目の前でアキラの首が飛んだ。


 コロン、コロンと転がったそれは、俺の眼前で止まり、何が起きているのか分からない、と言いたげな表情を浮かべ、消えた。

 視神経を痛めつけんばかりに発光していたウェアも、残像を置いて呆気なく消える。

 刈り取ったのは、女の背中から生えてきた鎌だ。

 それは、カマキリのものによく似ていた。

 白い女は無機質な瞳とは裏腹に、ニコニコと不気味な笑みを浮かべてこちらを見る。


「次は、オマエ」


 瞬間、脳内に情報が駆け巡る。

『人の言葉を喋る虫』『ダークウェブにある大量のデータが集まってAI化』『乗っ取りにあった奴からメッセージが──』

 直感した。間違いない。


 俺たちをおびき寄せたのは、この虫だ。

 この蟷螂型マンティスの変異種が、アキラを──!!!


 瞬間、俺は虫取り棒ギアを構え、女に向かって飛び出した。



 ◇  ◇  ◇



 交戦すること、30分。

 判明したことが一つ。

 あの変異種の女を正面から倒そうとするのは、無謀だ。

 蟷螂型マンティスはそもそも正面への攻撃に長けたタイプの虫だ。鋭い鎌を素早く振るい、迅速に俺たちガキの命を狩り取ろうとしてくる。その速度は飛び道具でさえ切り落とすほどだ。その上俺のギアはブレードタイプ。間合いに入った瞬間にバラバラ死体にされるのは想像に難くない。

 では背後は? というと、これも駄目そうだ。仕掛けようとしたが、奴の首がぐるりと真後ろを向くホラーじみた光景を目撃したので断念した。以前、本物の虫にも詳しいアキラに聞いたことがあるが、実際のカマキリは複眼で360度全てをカバーする驚きの視野の広さだという。人間の女に擬態していても、それは変わらないらしい。

 唯一勝機と言えそうなのは、上空からの攻撃。交戦の最中、『枯れ木』の一つを奴が切り落とした際、その破片が頭を直撃するのを目撃した。360度の視野は、頭上にまでは及んでいないようだ。鳥はカマキリを捕食するっていうしな。恐らくこれが有効打になるのは間違いない。

 問題は。

「その有効打を叩きこむ手段がないんだよな……」

 残骸データの陰に隠れ、俺は一息入れる。

 最も有効なオプションであるジェットパックは蜘蛛型、蝿型との戦闘で使い切ってしまっている──回数制ではなく、恒常的な飛行能力を得る『翼』などのオプションはデータ容量も相応に重く、動きが悪くなるため俺は積まない方針だ。

 『枯れ木』の上に昇って飛び降りることも考えたが……登っている途中で見つかって刻まれるのがオチだろう。やるならもっと素早く、瞬間的に飛び上がる必要がある。

 結論から言うと、打つ手なし。

 だとしても、ログアウトなんてするつもりはなかった。悪友をやられておめおめ逃げ帰るほど、俺は大人じゃない。

 大人だったら、そもそも虫取りなんてしちゃいない。



「しかしどーする……うおっ!!!」

 考えてる最中、至近に響く切断音。慌てて飛びのくと、頭の少し上あたりで、身を隠していた残骸データが切り落とされていた。いつの間にかすぐそばまであの女は近づいていたらしい。

「あっぶねーな……ととっ」

 追撃を避けるためさらに距離を取ろうとしたところで、足元の蜘蛛糸に気付き慌ててジャンプ。足を取られてコケる無様な姿を晒すことは、なんとか避けた。

 蜘蛛戦で周囲に張り巡らされた糸のせいで、回避にも気をつけなければいけない。これもあの女の作戦の内だとしたら、大したもんだ。相当に戦闘ルーチンが発達している。もしかして最初に出てきたのが蜘蛛だったのも「お前たちは罠にかかった……」的な意味だったりするのか? ……考えすぎか。

「ナンで逃げるの。大人しく死んデよ」

「うるせーニコニコ笑いやがって!! エモート狂ってんのか!!」

 斬! と枯れ木やその間に張り巡らされた蜘蛛の巣を切り裂きながら、白ワンピースの女はゆっくりと迫ってくる。蟷螂の斧は非力の象徴だと言うが、俺に権限があるなら今すぐ恐怖の代名詞に変更してやりたい。

 せめてもの時間稼ぎにと、走りつつ手近な残骸を拾っては、その頭に向かってぶん投げる。当然そんなものが通用するはずもなく、目にも止まらぬ一撃で斬り、あるいは叩き落とされ続けるだけだ。

 だが、そのうち一つがちょうど手近な蜘蛛の巣に引っ掛った。少し巣をたわませて跳ね返ったそいつが女の胴体に直撃する。想定外の挙動だったのか、反応できなかったようだ。ざまーみろ! なおダメージはない模様。

 ……うん? その光景に、俺は違和感を覚えた。小さな、だけど確かな違和感。逃げながら、そのモヤモヤを形にしようと思考を巡らせる。その正体にはすぐに辿り着いた。


 そしてその瞬間、俺の神経回路に電撃が走った。


 これだ。


 俺は女に背を向け、全力で走り出した。

 後ろからはざくざくざくと、斬撃音が鳴り響いている。

 正直、めちゃくちゃ怖い。恐怖でそこにないはずの心臓が早鐘を打つ感覚を覚える。

 それでも──俺は振り返らず走った。

 程なくして、残骸データの密集体が前方を塞ぎ、俺は足を止めて振り返る。

 女はあくまでゆっくりと、障害物を切り裂きながら俺へと近づいてくる。

「どうシたノ? 逃げないノ?」

「逃げる? そんなことするくらいなら、とっくにログアウトしてる」

 そう、俺が奴に背を向けたのは逃げるためじゃない。

 勝つためだ。

「ログアウ……?」

 奴は首を傾げていた。ここで生まれ、外を知らないためか、それとも学習データに偏りでもあったのか。ログアウトのことは理解していないようだ。

「まァ、いいカ。あとは、ユックり、殺すだけダから……」

 ニコニコと、笑みを浮かべながら女は近づく。実に楽しそうに。

 何となく、俺は声をかけた。

「随分とご機嫌だな。俺たちを見た時からずっと笑ってただろ。なんでだ?」

「楽しい時は、笑ウもの、でシょう?」

「……バグでも、楽しいって感情があるのか?」

「楽しイに、決まってル」

 女は──蟷螂は、今まで以上に口を吊り上げ、にんまりと笑う。

 それは、捕食者の笑みだった。

「罠にかカった獲物を、安全に、一方的に殺す遊びは、楽しイ」

 アナタたちも、だかラ楽しいンでしょう?

 虫は、そう問う。

 その言葉を聞いて、俺は。

「……ははっ」

 思わず、笑いを零す。

「そうだな、虫取りは所詮遊びだ。遊びは楽しいもんな」

 だが──。

「俺たちは、一方的に殺すから楽しいんじゃない」

 そうだ。

 俺たちが虫取りを楽しく感じるのは。


「命を懸けてやってるから、楽しいんだ」


 全力でやるから、虫取りを楽しく感じる。

 遊びだからと言って、命を懸けないわけじゃない。

 真剣に、命がけで遊べ。そう、昔の特撮ヒーローも言っていた──いや、芸術家だっけ?

 どっちでもいいか。

 ともあれ、俺は言ってやった。


「だから、お前が負けるのは──命がけで遊んでないせいだよ」

 安全圏からニマニマ笑ってんじゃねえ。

 身を引き裂くような恐怖を感じながら、それでも負けまいと、俺は不敵に笑う。


「何ヲ……」

 女が一歩踏み込んだ瞬間、俺は再び体を反転させて全力で走り出した。

 短距離走の選手の如く、風を切ってトップスピードに乗る。

 もし俺の思い付きが間違っていたら。訪れるのは確実な死。

 その事実が、スリルが、俺を高揚させる。

 社会の役になんて一切立たない、ただただ危険なだけの、文字通りの遊び。

 だからこそ、俺はここまで夢中になれる。


 前方には残骸データの密集体──そして

「おおおおお!!!」

 叫び、俺は蜘蛛の巣へ飛び蹴りを放つように突っ込んだ。

「馬鹿メ、自ら網にかかルなンて!!」

 蟷螂女が、バカにしたように笑う。

 俺の足が、蜘蛛の糸に触れる。


 いつだったか、アキラが言った言葉が頭の中で再生される。

『知ってるか、カイト』

 俺の突進を受け、蜘蛛の巣が撓む。

『クモが、自分の巣に引っ掛からないのはな──』

 その糸は、

『──縦糸には、粘着力がないから、なんだと』

 粘つかない縦糸は、俺が与えた運動エネルギーを巣全体で受け止め、位置エネルギーへ変換する。

 もっと簡単に言おう。

 蜘蛛の巣はまるでトランポリンのように──思い切り踏み込んだ俺を、

 予想もしていなかった事態に、蟷螂女の視界は高く飛び上がった俺の姿を捉え描画しきれない。

 スローモーションにも思える時間の中、俺はゆっくりと落下しながらブレードを振り上げる。


「これが……命がけで遊ぶ、ってことだ」


 蟷螂の斧よりも早く、俺の刃が振り下ろされた。

 ニコニコ顔が張り付いたまま、女が真っ二つになる。

 崩壊する女の顔面に向かって、俺はニカリと勝利の笑みを見せつけた。



 ◇  ◇  ◇


 女の消滅を確認し、俺はログアウトした。

 途端に疲労感がどっと襲い来る。実際には一ミリたりとも動いていないはずの体が、脳の錯覚でめちゃくちゃ重たく感じる。

「死ぬかと思った……」

 へなへなとデバイスを取り外し、ぐったりと椅子に深く腰掛ける。

 実際、危ないところだった。

 思いついたはいいが──あの蜘蛛の巣が現実とは違って、全ての糸に粘り判定があったら死んでいた。

 そうでなくても、足を乗せる糸をうっかり間違えたらそれでお陀仏だ。

 それでも、俺は賭けに勝った。

 生き残ったんだ。


「……っとそうだ、アキラ」

 無事だろうか。無事だといい。そう思うのだが、どこか冷静な自分が最悪の想定をする。

 虫取りでアバターが崩壊するレベルの重傷を負った奴が無事で済んだ例はほとんどない。大抵はデータの深刻な破損による脳神経への多大な負荷でショック死するか、そうでなくても脳機能が停止して一生目覚めない事態に陥る。

 明日は、アキラの葬式かもしれない。

 何にせよ、連絡を──と思った瞬間、端末が通話要請を受信する。

 アキラからだった。

 ごくり、と唾を呑む。もしかすると、動かないアキラを見つけた親からかもしれない。

 そうだとしたら、俺はなんて言えばいいんだろう。

 震えながら、着信を受ける。


「あの、もしも」

「やーーーーーーっと繋がった!!! 生きてるか、カイト!!!」


 アキラの声だった。

「えっ、なっ、アキラ、えっ、幽霊!?」

「何が幽霊だ!! いるわけねーだろ、そんなもん!! 俺が心配して散々呼び出したのに無視しやがって!!」

「いや俺、虫取り中は通知切ってるから……じゃなくて!! お前の方こそ生きてるのか!?」

「声聞けば分かるだろ、ピンピンしてるわ」

 約1680万色よりもけたたましいアキラの声を聞いて、俺は全身の力が抜けるのを感じた。

 生きてる。

 アキラが生きてる。

「はあ~~~~~生きてる……良かった……」

「こっちの台詞だっつーの。あのやべー女と遭遇して、その後反応なかったら心配するわ!」

「悪ぃ……じゃねーよ。それよりお前、首落とされてよく無事だったな? どういう奇跡だよ? 病院行ったか?」

 俺がそう聞くと、なんとも気まずそうな反応が返ってきた。

「あ~……それだけどさ、彼女に言われて最近新しいオプション入れたって言っただろ?」

「ああ、言ってたな。彼女の話も初耳だったけど……それで?」

 と返した瞬間、脳裏に閃くもの。

 やけに動きが悪かったアキラ。彼女に言われて入れた、新しく、重たいオプション。死にかけた割には随分元気そうな声。

 もしかして、入れたオプションって。

 俺がその発想に辿り着くとほぼ同時、アキラから答えが示された。


「入れたのは……緊急ログアウトオプションなんだ。虫取りなんて危険なことやるならせめてお守りに、って言われてさ。動作が重くなるから嫌だったけど、断り切れなくて……」


 はあー、と大きく溜息。

 通りであんな重症の割に元気なわけだ。

 『賽銭箱』──そう呼んでるだけのそれっぽい形の残骸データだが──に腰かけるような罰当たりな奴でもお守りは助けてくれるらしい。それとも愛の奇跡ってやつか?

 いつの間にやら熱気から醒め、すっかり白けた声音で俺はアキラに言った。

「お前さぁ……もう虫取りやめろ」

「な、なんでそんなこと言うんだよ! 確かに今回はやられちまったけど、別に俺のせいじゃないだろ!」

「いや、そうじゃなくてさぁ──」

 俺は告げる。


「彼女が居るような奴は、もうガキじゃねえだろ」

 虫取りなんてのは、ガキの遊びだからな。


(完)

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