【鏑木隼の五月三日 十九時二十分】

【鏑木隼の五月三日 十九時二十分】


デートも終盤、俺たちはナイトパレードを見るために早めに場所取りをしていた。


「隼くん、疲れちゃった?」

「俺は大丈夫だよ。日和ちゃんは疲れてない? マッサージでもしようか?」

「えー? 下心なしのやつ?」

「もちろん。……いや、ちょっと嘘。でも公共の場だから紳士的に振る舞います」


二人で笑い合ってから、日和ちゃんは可愛らしく「じゃあお願いします」と一礼して後ろを向いた。俺は背後から日和ちゃんの細くて華奢な肩、丸見えの白いうなじに若干の興奮を覚えながら、肩から二の腕、そして手のひらまで指圧していった。


「んっ……気持ちいいー。隼くん、上手だね」


マッサージの感想が健全に聞こえない……だと? 必死に雑念を頭の隅っこに追いやりながら日和ちゃんを気持ち良くさせようと試みていると、


「……隼くん……もしかして、ホテルで休憩したかったなって、思ってる?」


おそるおそるといった感じで尋ねられた質問が予想外すぎて、目を瞬かせた。


ホテル? ジェイシーランドの近くにはたくさんの提携ホテルが併設されているけど、俺は行きたいとか休みたいとか思ってはいない。

日和ちゃんがどうしてそう思ったのかわからず、小首を傾げるしかなかった。


「え、どうしてそんなこと聞くの?」

「だって……『疲れてない? マッサージでもしようか?』って聞いてきたから」

「うん? それがホテルでの休憩に繋がるの?」

「遠回しに誘われているのかと思って……でも、今日はごめんね? 私絶対パレード観たいんだ。観てからだと帰りも遅くなっちゃうから……」


理解が追いつかないまま申し訳なさそうに謝られたかと思えば、急に抱きつかれた。

胸の中にすっぽりと入り込んだ日和ちゃんからは、一日歩き回ったとは思えないような甘い香りがして頭がくらくらした。


手を繋ぐことすらできない俺からすれば考えられないほどの、大胆な行動。彼女が持っている「ヤリマン」という噂が頭を過ぎる。なかなか手を出してこない俺に痺れを切らした? いや、前後の会話から考えると辻褄が合わない。


蕩けそうになる頭を懸命に働かせて彼女の行動の理由を考えてみたとき、一つの仮説に辿り着いた。


「……もしかして日和ちゃん、俺がヤりたいのを我慢してるって思ってる?」


腕の中にいる日和ちゃんの体が一瞬強張り、ゆっくりと顔を上げた。


「……違うの?」


どうやら、図星だったみたいだ。まるで何かを間違えてしまったかのように、日和ちゃんは焦った顔をしている。


今までの彼氏はそんな奴らばかりだったのだろうか。そう思ったら、紛れもない嫉妬と怒りが心の中を駆け巡った。


「そういう気持ちは正直、あるよ。でも、それは今日じゃなくていい」

「……ほんと?」

「俺としては、こうやって日和ちゃんから抱きついてもらえただけで超ラッキーだし」


日和ちゃんは今まで、男から不躾な言葉をかけられてきたことも多いのかもしれない。沸き上がってくる怒りを隠して、余裕のある男を演じて彼女を抱き締め返した。


エッチを断ることで嫌な顔をされるとでも思っていたのだろうか。強張っていた彼女の体がふっと緩む気配を感じて、改めて俺は彼女のことを大切にしようと思った。


日和ちゃんは俺の胸にもう一度顔を埋めてすりすりしたあと、顔を上げて恥ずかしそうに微笑んだ。


「ありがとね、隼くん。……もー、ヤバい。好き」

「俺も。そろそろパレードが始まるね。楽しみだね!」

「うん! どうしよう隼くん! 超ワクワクしてきた!」


興奮気味に大きな目を輝かせて、始まる前からこんなに楽しそうにしている姿を見ていると俺まで嬉しくなってくる。頑張って前列の方を陣取った甲斐もあるというものだ。


……前列? ハッとして周りを見回した俺は、パレードを見るために集まっている大勢の人たちが急速に俺たちから視線を逸らす瞬間を視認してしまった。


マジか。自分で公共の場だからとかなんとか言っておきながら、完全に二人の世界に入ってしまっていた。めちゃくちゃ恥ずかしい。


「……あ! 始まるみたい!」


俺の羞恥を吹き飛ばしてくれたのは弾んだ日和ちゃんの声と、心躍る音楽と華やかな光と共に姿を現したジェイシーたちだった。


キラキラと輝く光の世界で、可愛らしいキャラクターやキャストさんたちが俺たちの前を通り過ぎていく。日和ちゃんもネオンに負けないくらい瞳を輝かせて、全力でパレードを鑑賞していた。


長く片想いを続けてきた好きな子が、俺の隣で笑顔を見せている。

感傷的になっていたという表現が、一番近いのかもしれない。

この非現実的なシチュエーションが、俺の頭をふわふわとさせていた。


「……なんか、夢みたいだな」


思わず溢れてしまった言葉は、日和ちゃんに完全に聞かれていた。


「夢の国だもん。どこからが夢でどこからが現実なのか、わかんなくなるよね」


クスクスと笑う彼女の可愛い笑顔に、甘く胸が締めつけられる。


違うよ。確かに、目の前で歌って踊るキャラクターたちは皆可愛い。

だけど俺が夢みたいだなって思ったのは、君が隣にいて笑っていることだよ。


高校入試の日からずっと、想ってきた。

君のために自分を変える努力ができるくらい、好きなんだ。


そんな俺の気持ちをそのまま伝えようと唇を開きかけて、閉じた。


「日和ちゃんみたいな可愛い女の子が俺の彼女なんだなって思ったら、夢みたいだなって」


片想いしてきた過去を隠したまま、また気障ったらしい台詞でしか気持ちを伝えられなかった俺は、ヤリチンでもイケメンでもなんでもないただのヘタレ野郎だ。


「私も、隼くんとこうして一緒にいられて夢みたいだよ」

「まじ? やった、嬉しい」

「ほんとだよ? ……重い女だって思わないでね? 私、隼くんのこと本当に好きなの」


そう言って頬を桃色に染める彼女のことを心の底から愛しいと思ったとき、自然と手が動いていた。

ヤリチンならこうするだろうとか恋人同士での常識だとか、そういう世間体みたいなものを考慮することはせず、ただ俺が指先だけでも彼女に触れたいと心の底から思ったから。


左手で日和ちゃんの右手を握ると、彼女は驚いたように俺を見つめた。


「……私、手汗かいちゃうけどいいの?」

「俺は気にしないよ。嫌?」

「嬉しいに決まってるよ。じゃあ、お言葉に甘えて……えい」


ずっと触れたいと思っていた細くて長い指を絡められ、いわゆる恋人繋ぎと呼ばれる格好になった。さっきよりも密着度の高い指と手のひらから伝わる刺激が、興奮と喜びを全身に届けていく。


そのままパレードを鑑賞しながら、胸中でそっと彼女に伝えた。


いつか、君に見栄や建前を取っ払ったありのままの俺を伝えるから、今はもう少しだけ待っていてほしい。


握った手は、細くて、柔らかくて、温かくて……愛おしかった。


――――初体験まで、あと81日――――

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あのね、じつは、はじめてなんだ。 ーshort storyー 日日綴郎 @hibi_tsuzuro

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